◆第ニ話『オークのような、トロールのような』
「悪いけど、報酬は確認してからよ。おそらく明後日には渡せると思うわ」
「ま、しかたないな」
「にしても、アナタ……いったい何者なの?」
「ただの魔導師だ」
そう答え、ギルドに依頼達成の報告を終えた。
残金にあまり余裕がなかったので街についてすぐさま依頼を受けたのだが、どうやらしばらく我慢するしかないらしい。とはいえ、今日を生きるためにも空腹だけは満たす必要がある。
併設された酒場でバゲットと水を注文。
空いた隅のテーブルについてがっつきはじめる。
と、周囲からやけに注目を集めていることに気づいた。
「あいつ、まじでダンジョン潰したのかよ」
「魔導師が1人でっていったいどうやって……」
「噂のひとつやふたつ。聞いててもおかしくないもんだが……」
活動を始めたのは最近だ。
冒険者として存在が知れわたっていないのも無理はない。
周囲の声に構わず食事を続ける。
やがてバゲットを口に放り込み終えた、そのとき。
誰かが対面の席にどかっと座り込んだ。
「注目の的だな」
「……いつまでついてくるつもりだよ」
視線を上げた先、映り込んだのはひとりの女戦士。
先ほどダンジョンを潰したあとに絡んできたディアナだ。
彼女はにっと笑いながら答える。
「きみが同行を許可してくれるまでだ」
「だから何度も言ってるだろ。あんたと組む気はないって」
「諦めの悪いタチなんだ」
「それについてはいやってほどよく理解できた」
「わたしのことを知ってもらえてなによりだ」
嫌味がまったく通じないことも理解できた。
残った水を一気に飲み干し、カップを荒々しく置く。
「どうして俺なんだよ。ほかにもたくさんいるだろ?」
「わたしが魅力を感じたのはきみ以外にいない」
彼女はあくまで戦闘の相棒として言っている。
ただ、わかっていてもどきりとしてしまう。
向けられた、燃え盛る炎のごとく赤い瞳。
言葉を紡いだ、ルージュの塗られた瑞々しい唇。
勇ましい喋り方や立ち居振る舞いからは考えられないほどに蠱惑的だ。王女としての気品も感じられるあたりが最高にタチが悪い。
今年で22歳。
自慢ではないが、女性経験はいっさいない。
そもそも異性とまともに会話を交わしたのも10年以上前だ。
そんな自分がこれほど極上の女性と話している。
しかも手を組もうと誘われている。
この状況そのものが誰かの仕掛けた罠なのではないかと勘ぐってしまう。
そんなこちらの動揺を知ってか知らでか。
彼女はふっと笑ったのち、ゆっくりと語りだした。
「わたしはいままでダンジョンは潜って攻略するものだと思っていた。だが、きみはどうか。中に入らずに魔物を倒してみせたじゃないか。それも魔物にいっさい攻撃の機会を与えずにだ」
「あんただって1人でダンジョンを攻略したんだろ」
「あるにはあるが、本当に小さなダンジョンだ。それもきみのように余裕はなかった。不意打ちばかりでいつ怪我を負ってもしかたないといった状態だ。正直、できればもう2度と潜りたくはない」
当時のことを思いだしているのか、ディアナは顔を歪めていた。
「そんなニオイをさせてたら当然だろ。魔物に襲ってくれって言ってるようなもんだ」
「く、臭いのかわたしはっ!? これでも身だしなみには気を遣っているのだが――」
「いや、そうわけじゃない。女臭いって話だ」
「やはり臭いのかっ」
これでも上手く伝わっていないらしい。
ディアナが焦った様子で自身の服をくんくんと嗅いでいる。
「逆だ。逆。つまりその……良い匂いってことだ」
「そ、そうか……そういうことか。なら安心した」
ディアナが心底ほっとしたように息をついていた。
彼女も言っていたとおり身だしなみにはかなり気を遣っているのだろう。服も魔物と戦っているとは思えないほど綺麗だ。
イヤリングに赤い爪化粧、と戦闘に支障はでないものの、余計なものも多い。正直、これから舞踏会にいってもおかしくないほどの着飾りようだ。
「では、なおのこときみと組むのが最適ということか」
「……どうしてそうなるんだよ」
「ダンジョンの中に入らなくて済むだろう?」
どうやら彼女に理由を与えてしまったようだ。
「そう邪険にしないでくれ。きみにも利点はあるはずだ。あの戦い方、たしかに効率的ではあったが……かなり危険だ。敵の注意を引きつけるためにあえて姿をさらしていたのだろう?」
よく見ている。
まさにそのとおりだ。
罠魔法を綺麗に当てるには、魔物にダンジョンから真っ直ぐ向かってきてもらわなければならない。ゆえに標的となるため、あえて姿をさらした状態で迎撃しているのだ。
「今回はゴブリンだからよかったものの、耐久力の高い魔物相手ならあの程度の魔法は突破してくるはずだ」
「言っとくが、俺の罠魔法はあれだけじゃない」
「余力はあるということか。ただ、きみの前に壁があるに越したことはないだろう?」
「壁って……あんたのことか?」
「こう見えて頑丈さには自信がある」
ディアナが勝ち気な笑みを浮かべた。
あわせて張られた胸がたゆんと揺れる。
「……とてもそうは見えないが」
「たしかに言葉だけではわからないか。しかたない。いまからべつのダンジョンに行って、わたしの実力を見てもらうしか――」
そこでディアナの言葉が途切れた。
彼女の後ろに立った男が遮ったのだ。
「お前が1人でダンジョンを潰したっていう魔導師か?」
成人の2倍以上もある巨体の持ち主だ。
太い親指が2つ重なったような油まみれの大きな唇。
身を包んだ布着がいまにも破裂しそうなほど太い四肢が特徴的だ。
「いったいどんなズルをしたんだ? この詐欺師ヤロウ」
攻撃的な口調で依然として絡んでくる大男。
いつの間にか騒がしかった酒場が静かになっていた。
ほかの冒険者たちが息をひそめるように押し黙っている。
どうやら彼らにとってもこの大男は厄介者のようだ。
「おい、なに無視してんだ? このボレアス様が話しかけてんだぞ。こっち向けよ!」
大男が苛立ったように声を荒げる。
応じたところでまともな会話ができるとも思わない。
ここはさっさと冒険者ギルドを出たほうがいいだろう。
そう思った矢先のことだった。
「その話なら真実だ。わたしがこの目で見たから間違いない」
いきなりディアナが立ち上がり、大男――ボレアスと対峙した。
「……誰だ、お前? 見ない顔だな」
「ディアナ・ミラ・フレンリーだ。よろしく頼む」
「ああ、最近この街に来たっていう《殺戮王女》か。……へぇ」
ボレアスがディアナの体を舐めまわすように見はじめる。
「オークの不細工な顔に、トロールみてぇなごつい体をしてる化け物だって聞いてたが……なんだ、聞いてたよりずっといい女じゃねえか。さすがは王女ってだけはある」
ボレアスが鼻を伸ばしながら舌なめずりをする。
女性を前にして、なんたる態度か。
まったくもって紳士的ではない。
「どうだ、この俺様と組まないか? そしたら俺の女としていい思いさせてやるぜ」
「すまないが、わたしはもう彼と組むことになっている」
言って、ディアナが肩越しに目線を送ってきた。
「おい、俺はまだ認めたわけじゃ――」
「だから諦めてくれ。オークの不細工な顔にトロルみたいなごつい体をしている化け物」
ディアナが再びボレアスに向かって言った。
その意趣返しは煽りとして最高の効き目だったようだ。
ボレアスがこめかみの血管を浮き上がらせる。
「こ、こいつ……! 調子に乗りやがって……!」
ボレアスが勢いよく拳を突きだした。
相手はディアナよりもふたまわり以上も大きい。
まともな力比べでは勝てるわけがない。
そう思っていたのだが――。
応じて突きだされたディアナの拳が思いきり振り抜かれた。
弾かれた腕ごとボレアスが後方へ吹っ飛んだ。
辺りの椅子や机を巻き込んで倒れる。
ジェイクは予想外の結果に思わず呆気にとられてしまった。
周囲の冒険者も同じ反応を見せている。
だが、誰より驚いていたのはボレアス本人だろう。
なにが起こったのかわからないといった様子だ。
そんなボレアスを見下ろしながら、ディアナが悠然と言い放つ。
「その体はただ大きいだけのようだな」
「は、はは……いまのは手加減してやっただけだ。今度は本気でいくぜ……ッ!」
ボレアスが近場に置かれた剣を取った。
他人の武器のようだが、お構いなしらしい。
しかし、その剣が鞘から抜かれることはなかった。
ボレアスのそばを猛烈な風の斬撃がとおり過ぎたのだ。
それはあまりに鋭く、進路上にあったギルドの壁をも切り裂いてしまった。
風の斬撃を発生させたのはディアナだ。
彼女が流れるような動きで抜いた大剣。
それを凄まじい速さで振り下ろし、生みだしたのだ。
「どうする? これ以上戦うなら、殺るつもりでいくぞ……!」
ディアナが大剣を肩に担ぎながら、にぃと笑う。
先ほどまでの飄々とした様子はどこにもない。
――《殺戮王女》とはよくいったものだ。
その姿からは、これから殺し合いが始まっても楽しんでしまいそうなほどの残虐性が溢れでていた。
「く、くそがっ……!」
いつの間にか床に尻をつけていたボレアスが、じたばたと手足を動かしながら立ち上がると、いまにも転びそうな格好でギルドから走り去っていった。
「なんとも滑稽な男だ」
先ほどまでの迫力はどこへやら。
ふっと脱力したようにディアナが背負った鞘に大剣を収めた。それから何事もなかったかのように得意気な顔を向けてくる。
「しかし、わたしの実力を知ってもらうにはちょうどいい機会になったな」
「とりあえずあんたを怒らせるとやばいってことは理解した。でもってもし一緒にいたら俺もいつかああなるかもしれないってこともだ」
「あ、あれ……予想とは違う反応だ」
自信に満ちあふれた彼女の顔が崩れた。
両手を机につけ、ぐいと顔を寄せてくる。
「だ、大丈夫だっ。わたしはきみを攻撃したりはしない! た、たぶん……」
「最後のたぶんがある限り安心はできないな」
「わかった! ではこうしよう! 約束を破ったらなんでもする!」
「な、なんでも……!?」
自然と目がディアナの体に向いてしまう。
とくに前のめりになったことで強調された大きな胸だ。
ごくりと喉を鳴らしてしまうが、はっとなった。
周囲から視線が集まっていたのだ。
「あのボレアスを一撃でやっちまいやがった……」
「マジかよ……やっぱやばいぞ、あの王女」
「俺、あれには興奮しないわ……」
初めはこちらの紳士的ではない態度に対する批難の視線かと思ったが、どうやら違うようだ。先ほどの諍いで集めた注目がまだ散っていないだけだった。
「ひとまず離れたほうがいいな」
「そのようだな」
ジェイクは席を立ったのち、ディアナと外へ向かおうとする。
「ちょっと、どこに行くつもりかしら?」
横合いから怒りに満ちた低い声が聞こえてきた。
声の主は引きつった笑みを浮かべる受付の男だ。
「……ギルドをめちゃくちゃにしておいて、まさかこのまま帰るつもりじゃないわよね。ねえ、ディアナ王女?」