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断崖絶壁ラインダンス。

作者: おけむら@物書きリハビリ

「おまえのような女を娶るのは、我が身だけでなく誉れ高きクルーニクス王家にとって不幸でしかない。よって私、カウダ・プリームム・クルーニクス=テストゥードは、この場においてウィオラ・パグールスとの婚約破棄を宣言する」


 大貴族パグールス家の娘であるわたくし、ウィオラ・パグールスは、婚約者から投げつけられた厳しい言葉に自失した。

 ゆえに反射的に対応したのは、ウィオラ・パグールスではないわたしだった。


「恐れ入りますが、わたくしの一存では返答しかねる大事だいじですので、父へと相談させていただいてもよろしいでしょうか」


 空気が凍った。

 そしてわたくしの背筋も凍った。


「……なに?」


 想定していたどの反応とも異なっていたのだろう。尊きお方が眉を顰める。

 さもありなん。クルーニクス王国において押しも押されもせぬ名門、パグールス家の娘ウィオラは物知らずのお嬢様だ。わたくしが自失した隙にひょこりとわたしが浮び上らなかったら、どのような醜態を晒していたかわからない。それを免れたことだけは幸運であったのかもしれない。


 けれど、それ以上に。

 まずい。


「王子である私の宣言に、従えぬと?」

「たいへん申し訳ございません」


 激しい惑乱のさなかにあっても、口だけが滑らかに動く。


 いままで空気のようだった──ウィオラ・パグールスにとっては『ある』ことが当然であり『居る』とみなしていなかった人々、控える執事や侍女たちの視線が、さりげなくわたくしに突き刺さっている。


 ウィオラ・パグールスたるわたくし。

 ウィオラ・パグールスではないわたし。


 転生。生まれ変わり。前世の、記憶。

 わたくしが知らないはずのそんな言葉が次々に脳裏をよぎる。


 これは、この状況は。

 ただひたすらに、まずい。


「……謝罪したからには、お前に非があると認めるのだな」


 あっ、まずい。

 良からぬ方へ向かいかけた話題を、殊勝な声音で引き戻した。


「もちろん、わたくしの非才ゆえ殿下のお心に添えぬこと、忸怩たる思いでございます」


 尊きお方の表情が、なんともいえないものになる。

 そっとそらした目を伏せた。合わせる顔がない、というように。


 視界の隅で、執事長に耳打ちされた侍女のひとりが動いた。静かに礼をして退出する。


 まずい、まずい。

 焦りに急かされて空転する思考の手綱を握りしめた。


 乗り切れ。乗り切りなさい、ウィオラ・パグールス。

 わたくしにとって、尊きお方の言葉は自分を見失うほどにおおきな衝撃だった。

 けれどいま、わたしはそれどころではない断崖絶壁に立っている。


 既に父へと報告が行った。

 発してしまった言葉は、もはや取り返しがつかない。

 あらわれてしまったウィオラではないわたしは、もはや消すことができない。


 だからこそ、慎重に。

 この断崖絶壁から落ちないために。

 生き延びるために。


 目を伏せたままわたくしは、どうやって穏便かつ速やかに目の前の尊きお方にお帰り願うか、思索を巡らせた。



***



 パグールス家で執り行われた、娘ウィオラとクルーニクス王国第一王子カウダ・プリームム・クルーニクス=テストゥードの初顔合わせの結果は、惨憺たるものだった。

 王子は気乗りしない様子を隠しもしなかった。

 ウィオラはそんな王子に焦って空回りした。

 王子はそんなウィオラを中身のない愚物と軽蔑した。

 悪循環であった。


 そもそも婚約関係にあるふたりが、十三歳になる今日こんにちまで顔を合わせたこともなかったのには、理由がある。

 カウダ王子の婚約者は、ウィオラではなかったのだ。


 王侯貴族の婚約は、政治的な意向をもって家により取り決められる。

 第一王子の婚約者ともなれば、よほどの番狂わせがない限り、未来の王妃にして国母である。ゆえに生誕からまもなく家格のつりあう娘たちが候補にあがり、数年にわたる駆け引きと陰謀の末、武の名門シーミウス家の娘リーリウムに決定した。

 溌剌なリーリウムとカウダ王子の仲は良好で、順調に親交を深めていた。

 突然の難病を理由に、彼女が療養地へ移るまでは。


 リーリウムとカウダ王子の婚姻はもはや不可能。婚約は撤回された。

 しかし、王子は既に十三歳。かつて候補として挙げられた娘らは、おのおの他に婚約者がおり、早いものは成人年齢の十六歳を待たず嫁いでいた。


 そして名があがったのが、ウィオラだった。

 幼い頃から病弱で、成人まで生きていられるかわからない。ゆえに名門パグールス家に産まれながら、ウィオラに婚約者はいなかった。けれど見立てに反して、彼女は十三歳まで無事に成長した。家格は申し分なく、教育こそ足りていないが、成人まで間はある。選り抜きの教師を揃えて詰め込めばひとまず見られる程度には取り繕えよう。そののちきちんと仕上げればよい。

 急遽結ばれた婚約だったが、結果的に問題はない──はずだった。


 王子のひとことが放たれるまでは。


 パグールス家に激震が走った。侍女たちも走って情報を伝達した。

 そしてウィオラは──わたくしは、尊きお方にお帰りいただいてすぐに、父の執務室に呼ばれた。


 パグールス家当主たる父、ゲンマ・パグールスは渋面だった。

 物心つくより前に、『成人まで生きられるかわからないほど病弱』と判断されたわたくしは、父の目に触れぬよう育てられた。奇跡的に『快癒した』ものの、現在に至るまで言葉を交わした回数は片手で足りる。

 それでも、父として憂慮がおありだと知っていた。

 当主として、憤慨がおありだと知っていた。


「ようやく暗雲が晴れたと安堵したというのに、お前という娘は……」


 厳しい双眸と低い声に打ち据えられる。

 ウィオラたるわたくしは、恐れ怯えて縮こまった。

 ゆえに対応したのは、ウィオラ・パグールスではないわたしだった。


「お父様に心労ばかりおかけいたしますこと、弁明のしようもございません」


 父の眉間に皺が寄った。


「そのような言い回しを、どこで覚えた」

「具体的にどこであったかは判然といたしません。気づいたら口にしておりました」

「知っているが、理由はわからんと?」

「申し訳ございません」


 あえて目を合わさず視線を落とし、しおらしい声で答える。

 ため息が聞こえた。


「時間が惜しい。皇国のことは知っているな」

「存じております」

「フォルミーカ家と、ロクスタ家のことはどうだ」

「存じております」

「ケラススを、覚えているな」

「……無論です」

「パグールス家に次はないと心せよ」

「承知いたしました」


 たっぷりと含みが込められた短い会話。この念押しは、もちろん大貴族家当主としての懸念もあろう。しかし、父としての情もまたあるのではないかと思うのは、期待のしすぎだろうか。

 執務室の扉がノックされた。素早く三回。続いて執事長の声。


「失礼いたします、旦那様。お嬢様にお客様がお見えです」


 ──さすがに、速い。


 わたくしは、父の前で淑女の礼をとった。


「パグールス家の暗雲は晴れていると、必ずや示してみせましょう」

「──行け」


 父が背を向ける。偉大なる当主の後ろ姿に、疲れが滲んでいた。──あるいは、諦めが。

 わたくしひとりの問題では、ないのだ。絶壁からわたくしが足を踏み外したら、パグールス家もろとも落ちる。


 だからこそ、慎重に。

 決して言質を取られてはならない。

 断崖絶壁を、乗り切ってみせよう。


 いまいちど深々と礼をして、わたくしは執務室を後にした。



***



 執事長に先導され客間に足を踏み入れると、すぐさま声が飛んで来た。


「『やあこんにちはご令嬢。再会の日がこんなに早いとは想像してなかったよ。もしかして俺たちと別れがたかったのかな? それにしても、せっかく『快癒』と判断された矢先に問題を起こすなんて、うかつにもほどがある。俺たちも厳重注意と減給処分をうけてこんな田舎にとんぼ返りだ。迷惑な話だよ。だけどさ、もし君が』」


 ああ、と今更ながらに理解した。

 それはわたくしが知る由もない言語。わたしの母国語。

 日本語であった。


 こうして理解できるようになれば、ずいぶん意味深長な話し方だとわかる。

 それでも返答は無用、どころか禁物。問い返すのは愚の骨頂。


 なぜならこれは、わたくしに話しかける言葉ではない・・・・のだから。

 わたくしは胸に手を置いて目を閉じ頭を下げた。

 そして、内容こそ中途半端であるものの、相手が口を閉じたことを当然の区切りと見計らって、瞼を開き姿勢を正した。


「聖句に感謝を。お忙しい神官様に再びお手数をおかけし大変恐縮ですが、再びご尊顔を拝し身に余る光栄です」


 客間にいるのは、ふたりの男性だった。

 どちらも年齢は二十代半ば。声をかけてきたひとりは、線が細く貴公子然とした柔和な面差し。黙するひとりは立派な体躯で眼光鋭い武人然とした猛々しい強面こわもて。種類は異なれど、絶え間なく秋波を浴びそうな美形である。

 ──特務神官服でさえなければ。


 恐ろしい男前たちの眼前で、わたくしは淑女の微笑みを浮かべ、腹を括った。


「……ふうん?」


 貴公子然とした特務神官、パッセル卿。

 武人然とした特務神官、ヒルンドー卿。

 彼らはわたくしが『病弱である』と判断されてから『快癒した』半年前まで、パグールス家領内にある修道院に在留し、館にて静養するわたくしを定期的におとない『お話し相手』となってくださった方々だ。

 パッセル卿が軽薄に笑う。ヒルンドー卿は仏頂面だ。

 表情こそ対極だったが、瞳の奥はそろって冷徹にわたくしを観察していた。


「報告は受けたけど、確かに──以前の君とは違うようだね、ウィオラ嬢。なんとも不思議な言い回しだ。どこで覚えたのかな?」


 微笑みはそのままに、答える。

 彼らは専門家プロだ。嘘をついてもすぐに看破される。邸内の執事や侍女ほか使用人のうち、誰が神殿間諜であってもおかしくない。

 なればこそ、これまでの言動はすべて筒抜けであることを前提に、手札を最小限に開く。


「具体的に、どこ、と問われても判然といたしません。殿下より厳しいお言葉を受けた際、咄嗟に申しておりました」

「誰かが話しているのを聞いたとか、古い書物で読んだりしたんじゃないのかい?」

「そのような記憶はございません」

「自然に、流暢に、話せるけれど、なぜかはわからない。そんな言い分を信じろって?」

「申し訳ございません。不可思議なものだと我がことながら驚いております」


 微笑みを絶やさず、落ち着いた声音で。

 わたくしは乗り切ってみせる。


 探る二対の眼差しを、真っ向から受け止めた。


 ──さて。

 皆様はそろそろ訝しく思われていることだろう。『単に前世の記憶を思い出しただけなのに、どうしてそれほど警戒しているんだ』と。


 確かに。

 ウィオラ・パグールスが自失した際に浮かび上がったわたし・・・は、ウィオラ・パグールスではない意識だった。

 とある会社で受付業務をしていた平凡な社会人であるわたし・・・の記憶。


 転生。生まれ変わり。前世の記憶。

 物語としてはありがちだが、わたくしはそれを決して認めるわけにはいかない。

 ウィオラ・パグールスが産まれたこの世界において、あってはならないことだからだ。


 転生者。

 その存在が初めて公に確認されたのは、五百年前の皇国だった。

 皇国に誕生した姫君。彼女はまったく別の人物であった自分の記憶を持ち、誰にも理解できない言語を操り、皇国が辿る未来を予言した。

 ──ひらたくいえば、小説や漫画、ゲームなどの世界に『転生トリップした』と確信した、らしい。

 確信に至ったからには、姫君をとりまく環境はその『物語』と酷似していたのだろうか。いまとなっては確認するすべはない。

 ともあれ、皇国の未来を予言した姫君は、定められた道筋を辿れば戦争が起こり、国が滅ぶと断言。父皇帝を動かし、廷臣を動かし、自身も権力をおおいにふるった。

 結果、皇国の内政が大混乱に陥って、滅んだ。


 転生者には知識がある。

 知識とひとくくりに言っても種類は様々だが、特にこの世界を創作物の舞台だと認識した彼ら、彼女らは確信する。自分の知識が、その設定が、その物語が、『正しい』と。

 正しい選択がわかる。正しい歴史を──『正史』を知っている、と。

 そのうえで、あるいは正史通りに、あるいは正史を覆すべく、行動する。


 自分が正しいと確信している人物は、良くも悪くも他者に影響を与えるものだ。信念は決して揺らがず、曇りない志を貫き、迷わずことを為す。その姿に惹かれるにせよ反発するにせよ、人心は動く。

 ──どちらにしても、騒乱は免れない。


 転生者の影響力の強さに、この世界・・・・に生きるものたちは危機感を抱いた。

 各地で自然発生した心理は、まとまって形を整え、世界宗教に成った。


 曰く。

 死したものは神の御許へ行く。もしも再び地上に生まれたとすれば、それは神に許されていない穢れである。

 もしも神の手に触れたこともない『別の世界』から来たモノならば、それは災いをもたらす異端である、と。


 異端を暴くため、この世界にはあちこちに罠が仕掛けられている。


 ──わたくしの姉、パグールス家長女であった一歳年上のケラススは。

 母に連れられ初めて神殿へ礼拝に赴いたとき、無邪気に言った。

 神殿の壁にぐるりと彫られた装飾の一箇所を指して、「わたしにはあれが読めるわ! わたしは特別なのね!」と、喜色満面で。

 すぐにケラススは神官たちに囲まれ、連れて行かれて──そして、帰ってこなかった。

 母は衝撃のあまり倒れた。それから間も無く、没した。


 病床でやつれた母が、わたしに問うた。

「お前には、神殿の装飾がどう見えましたか」

 幼かったわたくしは、姉が指した装飾を想起し訊ね返した。

「それは、あの文字のことですか、おかあさま?」

 母は慟哭した。わたくしは『病弱・・である』と判断された。父とまみえることは許されず、心が損なわれた母を看取った。


 食うに困ったことはない。

 寒さに凍えたこともない。

 わたくしは恵まれていた。

 ──貴婦人の面影もない獣がごとき母の姿は、わたくしたちの罪だった。


 館の離れで、貴族子女として家庭教師がつけられた。彼らはわたくしの教育者であり監視者だった。特務神官がた──異端審問のお役目を持つおふたりが、定期的に訪れた。


 幸いであったのは、その時わたくしの中で、わたしが目覚めていなかったこと。

 そしてケラススの例と母の様子から、『あの文字が読めてはならない』のだと気付いたこと。

 幼かったわたくしは、姉を踏みにじって生き延びた。


「ケラススねえさまが、読めるとおっしゃったから、文字なのだとおもいました」


 神殿の装飾がこの世界には存在しない国々の言葉で象られており、なにも知らぬものが見れば『模様』としか思わないのだと、小狡く知恵を働かせてわたくしは把握した。


 以降、『病気である』わたくしの『お話し相手』となったパッセル卿とヒルンドー卿によりあの手この手で試されたものの、『あれは文字だ』とぼんやり思う程度・・の認識しか持っていなかったわたくしは、転生者である疑いこそ払拭されなかったけれど、異端として処断されることなく『快癒した』。

 問題はなくなった、はずだった。


 尊きお方のひとことが放たれるまでは。


 それでも、わたくしには有利な点もある。

 特務神官たちとの交流は十年近くに及んだ。彼らがなにを見極めようとしているのか、その一線がわかる。

 異端か否かを決定する境界線が。疑いは残っても、許容される領域が。


 転生者である、と。

 認めてはならない。

 主張してはならない。

 知識をふりかざしてはならない。

 行動でひけらかしてはならない。


 積極的な特定の個人ではいけない。

 無害で抽象的な有象無象。そこでとどまる。

 踏みとどまってみせる。


 ──ケラススが異端とされたとき、母が汚名を被った。

 わたくしもまた異端であったら、今度は父にその責が及ぶ。

 異端を生む血筋──『穢れ血』として、パグールス家は断罪される。


 過去に大貴族として名を馳せていたフォルミーカ家とロクスタ家は、異端をふたり排出したため取り潰された。


 わたくしは、死にたくない。

 卑怯だと謗られようが、生き汚いと罵られようが、姉を利用して生きたわたくしは、母を壊して生きたわたくしは、死にたくない。

 わたくしは恵まれている。疑いを受けながら、飢えたことも凍えたこともなく育った。

 父を、パグールス家の一族郎党を、処刑などさせない。


 わたくしは断崖絶壁につま先で立っている。

 だが、落ちてなるものか。


 絶対に言質は取られない。

 乗り切ってみせる。


 そのために、わたくしが受けた淑女教育と、わたしが培ったクレーム対応の経験すべてを使おう。


 『厄介なお客様』を前に、わたくしは微笑みながら脳内で素早く対応マニュアルを繰った。

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[一言] 怖い世界に転生しちゃったのね~ しかし。。。クレーム対応経験!! モンスタークレーマーが闊歩する世界で積んだ経験は宝になるのね~ 面白かったです
[良い点] ひさしぶりのおけむら節が心地よかったです。 [一言] 楽しく読ませていただきました
[一言] 続きが読みたいです。 連載になるのをお待ちしています! (勿論、無理はなさらないで下さいね。書き手の方が楽しいのが一番です)
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