6.大地震
そろそろ昼休みも終わりだ。辺りのゴミなどを片付けていると、目の前を数人の生徒が横切った。立ち入り禁止区域の奥のほうで食事をしていた生徒たちが、教室へ戻っていくところだった。
一番後ろを歩いていた男子生徒の尻ポケットから、何かが落ちた。小さく折りたたまれたハンカチだ。
千具良が、拾って落とし主を追いかけた。
「あの、落としましたよ」
男子生徒の背中に声をかけ、呼び止める。そしてハンカチを差し出した。
「あっ、本当だ。拾ってくれてありがとう」
自分の粗相に気付き、振り返る男子生徒。
その顔は、なぜかは分からないが、のっぺらぼう。
「…………」
千具良は固まっていた。硬直した手からハンカチを抜き取り、のっぺらぼうは頭を下げた。
「どうもありがとね。それじゃ」
何事もなく、去っていった。
風が吹き荒ぶ。桜の花びらが散って、流れていった。
米斗も千具良も、しばらく石像みたいに立ち尽くしていた。
米斗は、のっぺらぼうを見たところで、世の中にはいろんな顔の人間がいるもんだ、くらいにしか思わなかったが、千具良は何を思って固まっているのだろう。
声を掛けるべきかと思った直後。
ズズズズ……。
長時間にわたる、横揺れが地面を襲う。
「!?」
この揺れには米斗も、少し慌てた。バランスをとろうと踏ん張る。千具良は、揺れている現実にも気づいていなさそうだった。
「これは、大きい地震の前触れだ。確かP波と呼ばれる初期微動だと兄貴に教えてもらったことがある。砂漠に住むサソリやアリ地獄などの生物は、この波長で獲物を探しているのだとか何だとか。そんな話は、この際どうでもいいか」
冷静に、ことの次第を分析してみた米斗だったが、詳しい知識を持っていても実際に揺れに遭遇すれば何の意味もたないと、馬鹿馬鹿しく思えた。
揺れは、だんだん激しくなる。本能的に、まずいと思った。
その瞬間。
きた。
ズガガガガン!!
強烈な縦揺れ。自由に動かない体を、倒れないように踏ん張るのが精一杯だ。まるで、世界の終わりを連想させる、すさまじい音と振動。少し遠くから、他の生徒の悲鳴も聞こえてくる。
足元の地面が盛り上がる。地盤が緩み、液状化した泥土から桜の幹、木の根が顔を出し、バランスを崩して倒れてきた。
迷うことなく、千具良めがけて。
「千具良!」
米斗は重箱を投げ出して千具良を押し飛ばし、スライディングして覆いかぶさり、地面に伏せた。
「う、いたた……。あっ、こ、米斗くん!」
地具良の声に反応して起き上がり、辺りを見て事態を把握した。何十年もかけて大きく伸びた立派な桜の巨木が、ものの見事に横たわっていた。あのまま下敷きになっていれば、確実に助からなかっただろう。
米斗は全身、砂埃だらけになっていた。腕を擦り剥いたらしく、傷みが走る。気付いた千具良が、青褪めた顔で米斗に飛びついてきた。
「ごめんなさい、米斗くん。私、驚いて、頭の中が真っ白になっちゃってて……」
千具良は泣き出した。自分のせいで米斗に怪我をさせてしまった。もっとしっかりしていれば、こんなことにならずに済んだのに、と自責の念に駆られている。
「大丈夫だ、どこも痛くない」
米斗が淡々とした口調で無傷を告げるも、千具良は、しばらく泣き続けた。何度も何度も、ごめんなさいと謝りながら。
米斗は千具良が落ち着くまで、じっとしていた。次に大きな揺れが来ても、周囲に倒れてきそうな危険なものはないと判断して、いつも以上の余裕が戻った。
遠くで校内放送が流れた。
『大きな地震が発生しました、全校生徒は直ちに教員の指示に従って、順序良く速やかに避難してください。これは避難訓練ではありません。繰り返します……』
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ニュースによると、さっきの大地震は震度6。震源は彩玄町。ここ数日群発していた地震の中では特に大きな、危険な地震だった。津波の心配はなし。築年の古い、老朽化した建物には被害が出たかもしれないが、時間も時間だったため、大きな災害には発展しなくて幸いだった。
学校のテレビが映るので、停電はしていない。調理室や理科室でも点検が行われたが、ガスや水道にも損害はなかった。
米斗の家も、亡くなった祖父の代からある、大きくはないが古い家だ。潰れていないか少し心配だったが、昼間は誰もいないので、安否を気遣う心配はない。仮に北斗が帰っていたとしても、家に押し潰されるほど間抜けな兄ではない。
そうなってくると、米斗の心配の種は、自然とある一点へ向かっていった。
臨時集会のあと、早く下校できた生徒たちは、慌てて帰宅の途へついていく。
「千具良、俺は家に帰る前に行かなくちゃいけない場所があるんだが。お前はどうする? 家族が心配だったら、早く帰ったほうがいい」
そんな中、米斗は一緒に帰ろうと駆け寄って千具良に伝えた。地震前後の色々なショックからは立ち直ったらしく、いつもの調子に戻っていた。
千具良は首を横に振った。
「うちは、丈夫だから平気だと思う。私、銀行に寄る用事があるから、途中まで一緒に帰ってもいいかな」
家が丈夫なのだろうか、それとも家族が丈夫なのだろうか。何にしても大丈夫らしいので、米斗は頷いて、二人並んで校門を出た。