29.非科学の勝利
「よせ、千具良」
米斗は、千具良の腕を掴んで引き戻そうとするが、動かない。幸いだったのは、それ以上、装置の中に入り込めないくらいには、こちらの力が作用していることか。
「米斗くん、この機械は、もともと私のために師範代が作ってくれたものなの。だから、私が入らなくちゃ。それに、こんな償い方は、米斗くんにはふさわしくないよ」
「話を、聞いていたのですね」
戸呂音の呟きに頷いた千具良は、強い口調で言った。
「師範代。大丈夫、もう迷惑はかけません。今まで、お世話になりました、私が入ったら、すぐにこの装置を起動させてください」
「やめろ、千具良。何をムキになってるんだ」
「違うよ。私には、こうすることが一番良いって、今はっきりと分かったから」
「そんなこと、分かるわけないだろう。行くな、止まるんだ」
千具良の首が横に振られる。もう、誰も言葉も届かないのだと言わんばかりに。
「……分かりました。無理強いをさせてしまって、済みません。必ず、あなたを助ける方法を見つけ出し、連れ戻しますから」
戸呂音の合図。米斗の手を振り払い、千具良は機械の奥に入りこもうとする。一瞬立ち止まり、振り返る。米斗と目を合わせて、囁いた。
「今までありがとう、さよなら」
「…………」
寂しげな笑みに包まれた千具良の顔。その直後、米斗は走っていた。千具良を肩に担いで、一目散に地上へ。
「米斗さん!?」
「やっ、こ、米斗くん!?」
驚く戸呂音と千具良の声が耳をすり抜ける。一瞬見えた、横たわる北斗の浮かべた表情だけが、満足げに笑っていたように感じた。
☆彡 ☆彡 ☆彡
足音が遠ざかる研究室。取り残され、唖然とする戸呂音の元へ、入れ違いに吉香が入ってきた。
「すみません、目を離した隙に千具良がいなくなって……どうかしました?」
「ああ、吉香さん。先ほど、米斗さんが千具良さんを連れて行ってしまいました。途中で会いませんでしたか?」
「すみません、裏道を通ってきたもので。……師範代、いえ、マスター。やはりこうするしか、道はないのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
吉香が放つ、吉香らしからぬ発言に、戸呂音は眉を顰める。明らかに、いつもと違う吉香の表情。今までの忠実なロボットではなく、どこか強い人間臭さを際立たせた雰囲気だ。
「私を作ってくださった未来のあなたは、原因を根底から除去しなければならないと判断はしましたが、それとは裏腹に、こうも仰っていました。『地球崩壊の引き金となった大地震。あれは確かに千具良が起こしたものだけれど、あのきっかけがなかったとしても、遅かれ早かれあの惑星は同じような運命を辿っていたのではないか』と。未来のあなたは、こんな仮説を立てておられました。『千具良の心臓の鼓動と、地球の振動がシンクロしたのは、意思を伝えられないこの惑星の、必死の訴えだったのかもしれない。誰かにこの苦しさを伝えたくて、自分の動悸は、こんなにも激しくなっているのだと分かってもらいたくて、それで心の鼓動を、人間とつなぎ合わせたのではないだろうか』と」
吉香の言葉は、戸呂音の心を大きく抉った。
未来の自分の考え、憶測。それは決して、災害が起こってしまった後に生み出された、結果論だけでは決してない。
今だって、考え続けている可能性。千具良を苦しめずに済むかもしれない、一つの可能性だった。
だが、敢えてその考えを、戸呂音は拒んでいた。科学者としては、あまりにも根拠に欠ける可能性を、認めることはプライドが許さなかった。
「落合米斗の体質を知ったときも、もしかしたら千具良のときと同じで、恐竜絶滅時代の時と類似する、災害の前触れかとも思いました。ですが、彼を止めたところで、それは一時凌ぎにしかならず、結局いつかは、何らかの災害はやってくるのではないかと、私は思いました」
だが、吉香の心苦しそうな表情を見ていると、もう答は出ているのかもしれない。この馬鹿らしい正義感ぶった考えは、修正するべきなのだろうと。
千具良と米斗が出会った瞬間から、未来は、確実に変わったのだから。
「……ずいぶん、非科学的なことをおっしゃるのね。あなたも、あなたの作り主も。でも、そう思えることが一番いいのかもしれないわ」
戸呂音は笑い、冷凍睡眠装置付き宇宙船の動力を落とした。モーターの音が止み、地下室に静寂が訪れる。
「わたくしとて、これ以上、無理強いするつもりはありませんよ。決めるのは彼らです。彼らが望む答を、受け入れようと思っています。吉香さん、二人を迎えに行ってあげてくださいな」
「あ、はい……。生意気な口きいて、すみませんでした」
頭を下げる吉香に、戸呂音は笑いかける。その表情に怒りがないことを察知し、少し困った笑みを浮かべて、吉香は地下室を後にした。
戸呂音はベッドに繋がれたままの北斗に歩み寄り、おしとやかに微笑んだ。
「弟さんの出した答、納得されました?」
北斗は満足そうに笑って、天井を見つめて安堵の息を漏らした。
「そうだな。あいつらしい、と思った」
償いなんて、考えるものではない。あれはとても苦しく、身動きが取れなくなって、何より未来に希望を見出せなくなる。米斗には不向きだ。
「さて、そうなると、わたくしもまた、やることがなくなってしまいましたので、先ほどの続きでも……」
メス片手に、戸呂音は妖艶に笑った。
地底にて、断末魔の悲鳴が響きわたった事実を、地上の人間たちは誰も知らない。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「ちょっと待って、止まって米斗くん!」
千具良は叫んだ。米斗の腕に抱き上げられ、地上に出て早数分。道場の建造物が、どんどん遠ざかっていく。逃れたくても、地に足が着かない。宙に浮いた感覚がどうにも心地悪く、米斗の息遣いと体温が、お腹の辺りにじんわり感じ取れるのがなんとも恥ずかしく、耐えられなくなった。
悲鳴に応じて、米斗は立ち止まった。どこをどう走ってきたか分からないが、ずいぶん山の中に来てしまっていた。山と言っても、広い道路が走っていて、生い茂る森林地帯とは高い崖で隔離されている。側の歩道には、松の木が一本、取り残されたように生えているだけだ。
千具良を下ろすと、米斗は松の木に背を任せて、座り込んだ。珍しく息を切らせて、汗を掻いていた、米斗はベジタリアンだし、体育会系というわけでもない。峠道は、少々きつかったのかもしれない。
「……どうして、私じゃ駄目なの?」
そっとしておいてあげたいところだが、今は米斗に気を遣う余裕もない。きっと、すぐに吉香か門下生の誰かが、戸呂音に命令されて追いかけてくるだろう。それまでに、どうしても米斗の行動の理由を聞いておきたかった。
「どうして、私があの機械に入っちゃいけないの? どうして米斗くんならいいの?」
千具良は米斗に、再度問いかけた。米斗はしばらく考える素振りを見せて、ゆっくりと返答した。
「……戸呂音さんには悪いんだけど、千具良や、俺の体質を解明して治療法が見つかる日なんて、来ないと思う」
言いにくそうに、しかし淡々と本音を告げた。
「それに、あんなの宇宙に打ち上げても、戻ってこれる確信がないしな。入ってすぐ死んでしまうかもしれない。仮に戻ってこられても、あの中で冷凍睡眠だか何だかしてる間はほとんど歳をとらないって言うし、その頃には、きっとみんな、いなくなってると思うんだ。ひょっとしたら吉香が言っていたように、地球そのものがなくなってる可能性もある。もし生き残ったとしても、千具良がたった一人きりになっていたら、耐えられるのか?」
そう言われ、千具良は返す言葉が見つからない。
「そんな思いをしなくちゃならないなら、乗るのは俺のほうがいいだろう」
「…………」
独りきりになるのは、確かに嫌だ。だけど、米斗が独りぼっちになるのだって、きっと辛いはずだ。
米斗が死ぬかもしれないなんて、千具良は嫌だ。
どうして、一緒に行こうって、言ってくれないんだろう。
その言葉を聞くことは、できなかった。怖くて、問い掛けもできなかった。
一緒に居たくないと言われたら、一人がいいと言われたら、終わりだ。
その気持ちを悟られないように、震えそうな声を必死で強く支え、違う視点で話を進める。
「でも、米斗くんは、あれに乗るには、相応しくないよ」
「どうして」
「だって、米斗くんは、自分が、あたしと同じような、いつ誰かを傷つけてしまうか分からない力をもっていることを知った時、真っ先に周りの人の心配をしたでしょう? 自分自身のことよりも、他の人たちを気に懸けて、どうにかしようって思ったんでしょう? ……私は、違うの。初めてこの力のことを知ったとき、とても怖かった。他の人がこの事実を知ったら、きっと私の前から離れて行ってしまう。私は、独りぼっちになっちゃう。そんなことばかり考えてた。どうしようもなく怖いの。いつ自分の周りからみんながいなくなってしまうのか、考えるだけで凄く怖かった。こんな恐ろしいこと考えて、いつか本当に現実になってしまう時まで、怯えて暮らしていくことが、正直耐えられなかった。逃げ出したかった。米斗くんと出会ってからも、仲良くなればなるほど、いなくなってしまう時が来ると思うと、怖くて哀しかった」
本当の気持ちを話せば話すほど、情けなくて涙が出てくる。
「さっき、米斗くんが話しているのを偶然聞いたとき、自分の自己中心的な気持ちに腹が立った。ただ自分が良ければそれでいいって思っていた自分が、凄く嫌だった。こんな、我儘な私のほうが、絶対あの機械に入る資格があるの。誰かのことを思ってあげられる米斗くんは、絶対入るべきじゃない、ここに残って、大切な人たちと幸せになるべきだと思うの……!」
自分の心の中に溜まっていたものを、全てぶちまけた。すっきりはしなかった、逆に幼稚な自分の感情が言葉に代わって表に出てくるたびに空しさが込み上げ、その言葉が米斗の耳に入っていることが実感できる度に、恥ずかしくなる。いても立ってもいられず、千具良は走り出していた。後で米斗の声が聞こえても、それを必死で払いのけて、ひたすら走った。
山道を駆け抜けて、目の前に現れた崖に速度を殺され、ブレーキをかけた。立ち止まって足元を見てみれば、靴を履いていなかった。ずっと裸足で駆けてきたため、足は泥と砂に汚れ、冷えて赤くなっていた。でも、なぜだか痛みはない。
崖っぷちに這いつくばり、下を見る。眼下は谷だ。深くて鋭利な峡谷が、細長い亀裂を作って、真っ暗な口を開いている。一番下には川が流れているのだろうが、ここからだと遠くて、一本の白い糸みたいにしか見えない。
――ここから飛び降りてみようか。いっそ、死んでしまえば、どれだけ楽になれるだろう。
千具良が死んだからって、千具良の心臓が止まったからって、地球の動きまで止まってしまうことはないだろう。地球は大きいのだ、千具良が生まれる何億年も前からみんなを乗せて回っている。そこに偶然、千具良の鼓動が合わせにいってしまっただけ。
私がいなくなっても、何も変わらない。むしろ、世界は救われる。
戸呂音がここにいたら、聞いてみたくなる。どうして、自分を殺さなかったのか。それが何よりも手っ取り早い方法だったのに。
北斗先生にも、聞いてみたかった。米斗くんを、弟を殺してしまおうかと思ったことはない?
いや、あの人は頑なに否定して、NOと言うだろう。本当に弟を、家族を大事にしていそうな人だから。私にも、あんなお兄さんがいればよかったな。そんなことを考えていると、無意識に笑顔が浮かんで綻びる。それに気付いて、ぶんぶん頭を振った。何を笑っているの。私には、そんな資格ないんだから。世界を、人生を楽しむ権利なんてないんだから。
立ち上がった。覚悟を決めた。崖下を見上げ、千具良は息を呑む。進もう、進もうと思うたびに、地面が振動する。
揺れないで、すぐ終わるから。
そして一歩を踏み出そうと、汚れた足を前へ押し出した。
何もない、空気の床へ。
「――っ!?」
無の空間へ押し出されようとした身体が、後ろに引っ張られる。仰向けに千具良が倒れた場所は、米斗の身体の上だった。
落ちることができなかった。死ねなかった。
それに気付いた途端、ものすごい恐怖が千具良を襲う。
「あっ、ああ………」
心臓が物凄い速さで脈打ち出す。
ドーン、ドーン。
まるで巨大な太鼓を叩いているかのような地響き。あたりを揺るがす振動は、尋常ではない。
誰か止めて、このままじゃ、全部壊れてしまう。この町も、みんなも、私の心も。
「お前は一人じゃない! みんなお前の側にいる、……俺だって、千具良の側にいる、一緒にいたいんだ。だから、どこかに行ってしまわないでくれ。俺も、どこにも行かないから」
米斗だ。米斗の一生懸命な声が聞こえる。千具良の壊れそうな身体を必死で支えて、背中を擦ってくれている。
落ち着くように、何も考えずに済むように。昨日、公園でも米斗は同じようにして千具良を鎮めてくれた。米斗に触れられていると、側にいてくれているのだと分かると、とても安心できた。
だから、あの時の激しい心の鼓動は、おさまった。
今もそう。同じように、米斗の声を聞くと、心が落ち着いていく。元に、戻っていく。
揺れが止んだ。空気の震えも消え、ゆっくり、徐々にだが、完全におさまって、安定した時間だけが流れるようになった。
米斗が息を吐く音が聞こえる。泣きじゃくりながら、千具良は米斗にしがみついた。
「迷惑かけてばかりだけど、何もできないけれど、独りにしないでください。独りは嫌です」
「うん、俺も嫌だ」
頭を撫でられ、更に安堵の涙が溢れ出す。しばらく、涙が枯れるまで、二人はそのまま、じっとしていた。




