19.米斗の空回り
「ちょっと待って、米斗くん! いったい、どうしたの?」
米斗に引っ張られるがままに教室を出てきてしまった千具良は、慌ててブレーキをかける。米斗が立ち止まった時には、既に二階下の図書室の前まで来ていた。
「何があったの? 今、授業中だよ?」
「いいもん見つけたんだよ。ちょっと待っててくれ」
図書室に入り、カウンターの側に千具良を待たせて、米斗は奥の資料室へ入っていった。まだ授業中なのに怒られないかと千具良は辺りを見渡したが、いつもいる用務員の先生の姿はなかった。それでも色々な意味で不安は拭えない。
「これだ、これ」
米斗が持ってきた紙の束。かなり古い新聞だった。上下の隅が黄ばんだその新聞の日付は、今から十七年も前のものだ。
それをカウンターの上に広げられるが、その意図が、まだ千具良には分からない。
第一面を飾る、大きな記事。その年に起こった、大型群発地震の情報だった。千具良は無意識に表情を強張らせた。
「俺たちが生まれた年に起こった地震だ。みんな、こいつのせいで、千具良が地震を起こしたんだと勘違いしてるんだ。偶然、お前がびっくりした直後に地震が起きたとか、そういった偶然が重なってさ。でもこの地震は、同じ時期に彩玄町のどっかの山に落下した、隕石の衝突によって引き起こされた、なんて説も書いてある」
米斗は大きな記事の右隅を指差した。地震ほど話題にはならなかったようだが、実際、同じ時期に隕石の落下が確認されていた。
「な? だから、今までの地震だって、お前のせいじゃないんだ」
まっすぐと千具良を見つめてくる米斗の瞳は、初めて見る輝きを放っていた。それだけの、確実な自信があったのだろう。何も間違ってはいないと、はっきり言えるほどの。
「……こんなもの見せるために、わざわざこんなところまで連れてきたの?」
だが、千具良は拳を強く握り締め、声を震えさせた。内側から、今までに感じた経験のないほどの怒りが、込み上げてくる。
「米斗くんは、いつも落ち着いていて、何事にも無関心で、事実の流れに逆らわない。そういう人でしょう? 何で、こんなつまらない調べ物に、一生懸命になってるの? 私が憧れてた米斗くんは、人につまらない慰めをするために、自分のペースを乱すような人じゃなかった。事実を受け止めろって言われたほうが、全然ましだった! こんなこと言われるなんて、思いもしなかったよ……」
「ち、千具良……?」
「嫌だよ、米斗くんにだけは、米斗くんにだけはこんなことして欲しくなかったよ、バカ! 大っ嫌い!!」
千具良はその勢いで図書室から出て行った。米斗と一度も目を合わせず、涙の粒を後ろに飛ばしながら。
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「……ふられた?」
「米斗が、ふられた」
資料室の中から、富田と武藤が顔だけ出した。千具良の大声を聞いて、驚いて様子を見に出てきたのだった。
二人の視点から見て、米斗の後ろ姿からは、怒りのオーラが溢れ出ている気がした。
これ以上、被害に遭いたくないと一致団結した二人は、無言で資料室の窓から飛び出して、教室へと逃げ帰った。
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放課後。授業をサボったことで担任に三人揃って叱られた後、米斗だけ別途に、北斗に呼び出された。
職員室の一番奥の窓側の席に、兄弟が向かい合って座る。会話はない。
北斗は呆れて、ものも言えないといった様子だし、米斗の頭の中は、まったく別の考えでいっぱいになっている。
意を決し、米斗が先に口を開いた。
「兄貴」
「何だ」
「俺は今、兄貴と話してる暇がないんだ」
「そんなこと言っちゃうのは、この口か、ええ?」
北斗は米斗の顔を両手で挟み込み、頬を摘んで引き伸ばした。
「痛い、痛い兄貴」
「やかましい。授業はサボるわ、いきなり人の講義中に有栖を拉致って逃走したかと思えば、図書室で大昔の資料漁ってただの、お前はいったい、何をしてるんだ? お前はそんな脈絡のない行動をする奴じゃなかっただろう。どうしたんだ、何で自分のペースを乱されているんだ。有栖とは、もう別れたんだろう? いつもみたいに、無理なものには無理と、何でけじめがつけられないんだ」
「……俺だって、分かってるよ。自分のやってることがおかしい、ってことくらい。きっと、少し前の俺が見れば、馬鹿馬鹿しくて無駄だと思う行動を、今の俺は必死でしているんだと思う。でも、止められないんだよ。こんな馬鹿なことでもしなきゃ、俺は前へ進めない、何も手に付かない」
話を聞いていた北斗表情には、焦りが浮かんでいた。無理もない、今日の米斗は、特にいつもと違う。平常心や無関心を基盤としたマイペースさを乱している。誰の目にも明らかだった。
もちろん、米斗自身も異常に気付いている。でも、自分の思うままに動くしか、この戸惑いの解消法が思いつかない。それが全て空回りに終わったとしても、もう米斗は止まることはできなかった。
「もっと落ち着いて、ゆっくり考えるんだ。お前には、お前らしい生き方ってもんがあるだろう? 今までだって、そういった考えに則って、それなりに上手く生活してきたじゃないか。って、聞いてるか? おい、よそ見するな」
弟を必死で諭そうとする兄の努力も空しく、米斗の視線は、職員室から見渡せる窓の向こう側の光景に、釘付けだった。
二階にある職員室のちょうど真下に、生徒用の玄関がある。そこから出て、長い坂道を下り、校門に到るまでの景色が、よく見える。
そして玄関から出てきた、見慣れた後ろ姿を発見し、米斗は勢いよく立ち上がった。
「悪い、兄貴。説教は家で聞く」
そういうや否や、すさまじい勢いで職員室を飛び出していった。
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「おっ、おい、米……」
事態に気付き、北斗が呼び止めようとした時には、既に米斗の気配すらなかった。
「落合先生ー、弟だからって、少し甘やかしすぎじゃ、ありませんかね?」
「まったくですよ。もう少しビシッとしていただかないと、示しがつきませんぜ」
一部始終を見守っていた年配の教師陣が、茶をすすりながら野次を飛ばす。
「いっ、いや、今のは、他の先生方でも止められんかったと思いますですよ!?」
北斗は冷や汗をかきながら、先輩であるベテラン教師たちに言い訳をするのに必死だった。