18.千具良の悩み
二年三組の午後の授業は、北斗が受け持つ生物だった。
廊下側の一番後ろの席に座る千具良は、黒板の内容をノートに写しながらも、頭の中は上の空で、ボーっと明後日の方向を見つめていた。
昨日、米斗に別れを告げてから、一度も顔を合わせてはいない。ずっと、米斗がいそうな場所を避けて行動してきた。
米斗がその辺りを歩いている姿を見つけるたびに、見つからないように隠れたり、走って逃げたりを繰り返した。緊張の連続で、今日は何回、余震を起こしてしまったか、見当もつかない。
いつまでこんな生活を続けるのだろう。別れたと言ったって、そんなに避ける必要はない。いつも通りにしていればいいのだけれど――。
同じ境遇にいるはずなのに、相変わらず平常心を保って普通に過ごしている米斗を見ていると、一人であたふたして、馬鹿みたいに悩んでいる自分が、すごく恥ずかしくなってくる。だから余計に、顔を合わせ辛い。
私はきっと、一生、米斗くんみたいにはなれない。分かっているのに、これ以上米斗くんを危険な目に遭わせたくないもの。
何かの拍子で大地震が起こったとき、真っ先に被害を受けてしまうのは、千具良の側にいる米斗だ。万が一のときのためにも、少しでも遠く離れておくべきだろう。そうすれば、少しは安心できる。
決めたのだから。これ以上、絶対に米斗の側には近寄らないと。たとえ、何があろうとも。
「――千具良、有栖千具良!」
「はっ、はいっ!」
名前を呼ばれ、千具良は反射的に立ち上がった。同時に、驚いて心臓がドクンと飛び上がる。
ズズズン。震度3強の地震が校舎を揺らした。教室内にいた全員が、机に張り付いて揺れをしのぐ。
「まったく、最近の揺れはすごいな。今日は、いつもに増してよく揺れやがる。では気を取り直して、有栖、教科書読んで。十五頁の真ん中辺りからな」
「は、はい、すみません……」
慌てながら、千具良は教科書を持ち上げるが、逆さまだ。それにも気付かず、とにかく落ち着きを取り戻すことに、しばらく専念する。横目に、隣の席に座る吉香の姿が見えた。じっとこちらを観察している。また家に帰ったら、平常心を乱したと説教されるだろう。
千具良は、以前から北斗の授業があまり好きではなった。突然、何の前触れもなしにランダムで生徒を選んで指名し、教科書を読ませてくる。
いきなり名前を呼ばれると、不意を突かれて心臓が飛び出しそうになる。それだけならまだしも、今日になって更にこの授業が苦手になった。
……北斗先生の声、米斗くんに、そっくりなんだもん。
兄弟なのだから当然と言えば当然なのだが、あの声で名前を呼ばれると、必要以上に動揺してしまう。無意識に、千具良の頬が熱くなった。
「千具良!」
ガラリと、教室の後ろの戸が勢いよく開いた。千具良だけでなく、クラス中の生徒が何事かと、後ろを振り返る。
「こっ、米斗くん?」
素っ頓狂な声を上げる千具良。何が何だか分からず、頭の中が真っ白になる。
「ちょっと来い、いいもん見つけたんだ。兄貴、千具良借りてくぞ」
そんな、こちらの動揺など知る由もない、と言った感じで、米斗は千具良の手を掴み、疾風の如く教室から連れ出した。投げ出された教科書が、机の上に落ちて横たわる音だけが、やけに大きく響いて耳に残った。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「お、おいっ、米……」
何が起こったのかようやく理解し、北斗が呼び止めようとした時には、既に米斗たちの気配すらなかった。
一部の生徒が、野次る。
「北斗ー、弟を贔屓しすぎじゃないのかー?」
「ちゃんと、他の生徒と平等に注意しろよな。今、授業中だぞ」
「いっ、今の状況は、誰であっても注意できんと思うぞ。つーか、呼び捨て止めろ」
北斗は冷や汗をかきながら、生徒たちを宥めるのに精一杯だった。