17.米斗の苛立ち
翌朝。米斗はいつもどおり、七時五十分に家を出た。
いつもどおりの速度で歩いていく米斗の目の下には、真っ黒い隈ができている。
昨夜、珍しく一睡もできなかったのだった。
自分の調子が、なにやら崩れていると気付いた米斗は、少し戸惑っていた。北斗の影からの体調管理援助のため、今までに病気らしい病気もした経験がなかったので、こんな風に体調が悪くなったとき、どうすればいいか分からず、一晩中考えていた。
しかし、いっこうに答は出てこなかった。
いつもの通学路。交差点を右折したその向こうで、いつもと変わらず千具良が待っていた。米斗が近づくと、その姿が蜃気楼みたいに消えて、誰もいなくなる。
千具良がいない。
いつもと違う。
体調が悪い原因は、淡々と過ごしてきた日常生活のペースが乱れたからだろうか。でも、初めて千具良と一緒に学校へ行き始めたときには、何事もなかった。
ぽっかりと心に穴が開いた、そんな感じだ。そして何か物足りず、何かが喉の奥で引っかかっている。
ずしっ。
軽い余震が、地面を揺らした。外にいる人間には、おおよそ感じ取れない小さな揺れ。それを敏感に感じ取った米斗の頭に、千具良の姿が浮かび上がる。
戸呂音や千具良から、あんな話を聞いた後だから、地面が揺れるたびに、千具良が何かに驚いているのだろうかと、無意識に考えてしまう。
でもそれは、憶測の域を出ない過程の話だ。そんな確信のない話を真に受けるなんて、米斗らしくない。やっぱり、調子がどこかおかしいのだろう。
米斗は頭を軽く振って雑念を追い払おうと葛藤したが、あまり効果はなかった。
きっとこんな症状は、医者へ行っても、薬を飲んでも治らないのだろう。
「……自分で、何とかせにゃならんな」
呟き、米斗は一人、淡々と通学路を歩き出した。
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昼休み。廊下を悲鳴が駆け抜けた。
「もっ、もう分かった! 俺たちが悪かった!」
「僕は怪我人なんだよ、ほれ、腰にギプス、ギプス!」
武藤と富田が走る、走る、走って叫ぶ。
その後を、米斗が淡々と追いかける。
相変わらず無表情なため、周りの人間には、米斗がなぜ、二人を追いかけているのか、分からない。怒っている風にも見えないし、別に楽しんでいる感じにも思えない。ただひたすら、二人との距離を縮めも広げもせず、淡々と追いかけているだけだった。
追いかけられている側からすれば、かなりの脅威だったろう。米斗の行動の意味に、思い当たる節があるのだから、尚更だ。
「あうちっ!」
富田が転んだ。腹に巻いたギプスが滑り、廊下をスライディングする。それに蹴躓いて、武藤も顔面を床にこすり付けた。その先には、渡り廊下に繋がるドアが閉じられている。行き止まりだ。
数メートル手前に階段があったが、もう戻れない。米斗が目の前まで迫っていた。
武藤は意を決して、懐から小さなフィギュアを取り出した。
「落ち着け、米斗。昨日の件は、ちゃんと謝っただろう。それでも気が治まらんなら、ほれ、これをやろう。数量限定生産の、プロレス世界チャンピオンのフィギュアだ。すごいだろう、おそらく日本でこれを持っているのは俺だけだ」
「いらん」
「なら、オカルト研究室にある、等身大グレイ人形を」
「あっ、こら、勝手に僕のお宝を……」
富田が芋虫みたいに、クネクネジタバタする。
「いらん」
「ならいったい、俺たちはどうすればいいんだ? いつまでお前は、俺たちを追いかけてくるつもりだ」
「お前たちが人の話も聞かずに、俺の顔を見た途端、逃げたから追いかけたんだ。もう逃げ場はないから、追いかけはしない。今からちょっと、図書室で調べ物を手伝え」
「「図書室ぅ?」」
間の抜けた声を出し、武藤と富田は顔を見合わせた。
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図書室の管理をしている用務員は、午後になると食事を兼ねて校庭の見回りや花壇の世話をしに行くため、留守になる。
その面子をいくら凝視しても、図書室と言う単語が連想されてこないような、本とは無縁に近い三人組は、午後の授業をエスケープして、人のいない図書室に忍び込み、資料室を漁っていた。
十七年前の新聞を探していた。訳も聞かされず、武藤と富田は黙々と記事を読み続ける。
「なあ、お前は、何を探しているんだ?」
「とりあえず、この年に大きな地震がなかったか、調べてくれ。それに関係しそうなものなら、他に何でも」
米斗は、千具良と地震の関係を、昔に遡って調べようとしていた。戸呂音が言ったとおり、彼女が生まれて後、心臓が激しく振動する度に地震が起こっていたのなら、それに関係する何らかの情報がきっと新聞に残っているのではないだろうか。それを調査すれば、千具良と地震は無関係だと証明できそうな話が一つくらい発見できると考えたのだ。
「なるほど。つまり落合くん、君は我々が生まれた年に異星人たちが一度偵察のために地球へ降り立ち、今のような群発地震を引き起こして去って行ったと仮定しているのだね? いや、なかなかに興味深い」
にやりと笑う、富田のメガネが鈍光を放つ。本当にそうならよかったのに、と米斗は強く思った。
「お、これか? 八月二十一日、震度五強の連続地震。震源地が彩玄町になってるぞ」
武藤が見つけた、一枚の記事。米斗はぶんどって、細部にまで目を通す。そして右端に小さく書かれた、ある一説を見て、米斗は瞳に確信の色を宿した。
「あった。この記事なら、きっと……」
珍しく、と言うか、初めて活気付いている米斗の表情に、富田と武藤は意外そうに顔を見合わせた。そんな二人など眼中に入れる間もなく、米斗は図書室から飛び出していた。