15.千具良の真実
家の入口には大きな門構えが設えてあり、『袴田道場』と達筆で書かれた一枚板の看板が威圧感を放っていた。
道場の敷地内へと連れ込まれた米斗は、そのまま一番奥の狭い和室へと通された。そこは薄暗く殺伐としていて、中は人の気配もしない。隠れるスペースさえ見当たらない。二枚の畳と襖、突き当たりの壁にかかった亀の絵の掛け軸が飾られている様子が、うっすら見えるくらい。
それ以外に、これと言って怪しいものも気になるものもない。
米斗を拉致した道場門下生たちを引き下がらせた吉香は、辺りに誰の気配もないことを確認してから、注意深く米斗に忠告した。
「袴田道場の師範代は、この奥にいらっしゃるわ。決して失礼な口は聞かないこと、訊かれた質問には、素直に応えること。分かったわね?」
「この奥って、何もないじゃないか」
目の前は行き止まりだ。吉香が、亀の絵の掛け軸をめくる。中には黒い小さなボタンが一つあり、それを押すと、掛け軸の側の壁が静かに横にスライド、ぽっかりと黒い出入り口が姿を現した。
ほう、と感心する米斗。吉香は軽く笑った。
「この程度の仕掛けで、あなたは動じたりしないでしょう。さあ、師範代がお待ちだわ、早く行きましょう」
あらかじめ指示されて持ってきていた靴を履き、中へ入ると、岩造りの洞窟になっていた。ひんやりした冷たい空気が、どこからか流れてくる。その風を頬に受けながら、吉香と米斗は会話もなく、ひたすら進んだ。
辺りは真っ暗で、ほとんど何も見えない。見えたところで、岩に囲まれた洞窟の景色が延々と続いているだけだろうとは想像がついた。
足元を照らす、前を歩く吉香が持つ懐中電灯だけが、唯一の道標だ。
かなりの距離を歩いた気がする。視覚が閉ざされたせいで方向感覚が麻痺したのか、どちらの方角へ向かっているのかも分からない。
もう確実に、道場の建っている土地の敷地からは出てしまっているだろうと思われるくらい、果てしない道のりを歩いていることは、間違いない。いったい出口は、どこへ繋がっているのだろう。考えても分からないので、米斗はとりあえず、黙々と吉香についていった。
更にしばらく進んだ地点で、吉香が立ち止まった。目の前は行き止まりになっていた。右端に懐中電灯の明かりを向けると、鉄板みたいな平べったいプレートが照らし出された。
吉香がそれに手を触れる。すると鉄板は青く光り、直後、ゴゴゴと音を立てて、目の前の岩が上へ持ち上がった。どうやら鉄板は、指紋探知機的な役割を果たしていたらしい。
壁の向こう側から眩しい光が差し込み、米斗は目を瞬かせる。やがて、その眩しさに順応して辺りを見渡すと、洞窟へ入る前と同じ形状の和室に出た。広さは、数倍以上はあるが。
「師範代、落合米斗を連れて参りました」
「どうぞ、こちらへ」
吉香の報告に、奥から返事があった。落ち着いた雰囲気の、高い女性の声だった。
靴を脱ぎ、吉香に連れられて部屋の中へと入る。その先で、人形みたいに綺麗な顔をした女が、正座して二人を出迎えた。
長い、乱れのないまっすぐな黒髪を水平に切りそろえた、白い肌の美しい女。身に纏う白い着物の上から、白衣を腕に通さず、羽織っている。
顔だけ見ると、吉香を大人っぽくしたような、そんな妖艶な美を醸し出していた。
「初めまして、落合米斗さん。あなたの噂は以前から存じておりました。立ち話もなんです、どうぞ、私の前へお座りください」
天井から座布団が二枚、部屋の中央付近に落ちてきた。見上げると、黒子らしき人間が、慌てて天井板を閉める姿が一瞬目撃できた。
左の座布団に、米斗は腰掛けた。ちょうど、女性が真正面に見える位置だ。隣の座布団には、吉香が静かに正座した。
双方、落ち着いて座したところで、女性が話を切り出した。
「まずは自己紹介をしなくてはなりませんね。わたくしは、袴田道場師範の娘――今は師範代理をしております、袴田 戸呂音と申します」
名刺を差し出される。名前の横に、『師範代理兼科学者』と書かれていた。
「科学者?」
「はい、わたくし、師範代理などと名乗ってはおりますが、この道場を継ぐ気は微塵もありません。昔から機械の神秘に心奪われてきたわたくしは、今までの人生のほとんどを機械の研究と発明につぎ込んできました。例えば、この奥様に大人気のダイエットスリッパ」
戸呂音が取り出したのは、踵部分が短いスリッパ。主婦が発明して特許を取得したと言うことで有名な優れものだ。
「おお、スリッパ」
「――を、改造して作った携帯電話内臓健康スリッパ。ユダヤ教の天使の名を借りて、サンダルフォンと名付けました」
スリッパの底がパカリと開いた。中には液晶画面と、整列した十数個のボタンがとりつけられている。
「おお、便利だな」
「しかし、足の臭い人が使用すると耳にあてて通話することに抵抗を覚えますし、三十キロ以上の重量に耐えられないという欠点も見つかりました」
「駄目じゃん。あんた、科学者に向いてないんじゃないの?」
「言葉を慎みなさい、師範代の眼前で」
戸呂音に向かって普通に突っ込んだ米斗の後頭部を、すかさず吉香が叩いてくる。
「確かに、わたくしには、このような量産可能な程度の発明品を作るには向いていないと言う事実は、すでに理解しております。ところがこの先、わたくしは量産不可能な、とんでもない発明をする予定になっているのです」
スリッパをぺっと捨て、戸呂音は意味深に言葉を紡いだ。話の内容が未来形になっているところが、気になる。そして結論的に、何を言いたがっているのか、米斗は未だ理解してはいなかった。
「で、あんたはこの先、何をするんだ?」
「例えば、今から三年後、科学の知識を結集させて、完璧な人型ロボットを造り上げるそうです。そちらの、吉香さんという存在を」
米斗は反射的に横を見た。特に表情に変化を見せるでもなく、吉香は凛として堂々と座っている。
「人型ロボット?」
米斗が疑いの眼差しを送っていると判断したのか、吉香は自分の頭を両手でしっかり掴み、首を一回転、まわしてみせた。カチッと、何かが外れた音がした。吉香の首が外れ、持ち上がる。首と頭の間には細いコードがびっしりと延びている。そして、すぐに首を元の状態に接合しなおした。
一瞬の出来事。米斗はその様子を放心状態で見つめていた。その光景を見てもさほど動じないのは、やはり究極の平常心が効果を発揮しているからだろうか。もしくは、目の前の光景が現実離れしすぎていて、素直に驚けないからかもしれない。
「私も、初めて吉香さんに会ったときは、半信半疑でした。ですが彼女の話を聞き、その内容が将来起こる可能性を計算したところ、驚くほど内容が一致したので、信用することにしたのです。吉香さんは、三年後の世界から、作り主である私の命を受けて、タイムマシンでやって来たと」
戸呂音の話は、空想科学的な内容がふんだんに盛り込まれ、実に現実からかけ離れていた。別に米斗はSFが嫌いと言うわけではないし、現実に執着した妄想反対人間でもない。戸呂音が話す内容を一つ一つ聞いて、辻褄が合っていれば納得して頷く。その動作を延々と三十分繰り返した。
戸呂音が語るところによると、今から約一ヶ月後に、地球の核が崩壊してしまうほどの巨大な大地震が、世界を襲い、生命はことごとく絶滅の一途を辿るのだと言う。それを微かに予知していた戸呂音は、自家製の宇宙船に乗って、一人月へ逃れたらしい。
後に、崩壊の原因の解明に成功した戸呂音は、きっかけがあればこの惨事を食い止められるかもしれないと期待を持ち、タイムマシンを作って過去に戻ろうと考えた。しかし、長い孤独な生活に疲労は限界にまで達し、過去に戻れても、長くは生きられない事実を悟る。そのため、最後の手段として、吉香という自分によく似た人型ロボットを完成させ、過去へ送り出した。と言うわけだ。
米斗はその怪しい話にたいして、共感もしなければ批判もしなかった。ただ、戸呂音が真剣に話をしているのだと分かったので、それはきっと真実なんだろうと思って、真面目に聞いた。
「で、どうすれば、その大地震を防げるんだ?」
「はっきり申し上げれば、その原因となる基を正す。未来のわたくしが出した結論は、そうであるようです。……あなたも、お気付きなのではありませんか? 最近、群発している地震の原因を」
そう問われ、米斗の脳裏に、ある出来事が浮かび上がった。だが、米斗はそれに関して、言葉を紡ごうとはしなかった。米斗自身、その憶測を確定する要素も理由も、何一つ持ち合わせていない。はっきりと納得のいく答が出るまで、決して自分の意見は口にしたくなかった。
その考えを読み取ったのか、代わりに戸呂音が口を開いた。
「いいでしょう。それならば、わたくしから納得のいくお話をさせていただきます。ここ十数年に起こった地震の約半数以上は、プレートの移動や海底火山の噴火など、自然に起こったものではありません。人為的、という言葉はあまりそぐわしくありませんが、ある一人の人間の手によって、起されているものなのです。その人間とは――」
戸呂音の口が、はっきりと動く。まるで耳が不自由であっても、口の動きだけで、その名前がはっきり分かるのではと思うくらい。米斗は瞬きもせず、じっと見つめていた。
「――有栖千具良。この道場の門下生であり、あなたの恋人である、あの少女です」
米斗は、それほど大きなショックは受けなかった。可能性だけなら、頭の片隅にひっそりと存在していたのだし。
「やっぱりそうか。といった表情をしていますね。おそらくあなたは、喫茶店で彼女がくしゃみをしたとき、初めて疑問を抱かれたのではないかと思います。そして、彼女がくしゃみをすると、地震が起こるのではないかと考えた。しかし考えた末に、勘違い、偶然だと判断して、受け流したのでしょう」
戸呂音は米斗の思考行動を全て見抜いていた。ほとんど無表情の米斗の、わずかな顔色の変化から、それを導き出したのだろう。
「否定はしたとはいえ、あなたの考えは、核心を突く一歩手前まで行き着いてしまった。ですから、遅かれ早かれあなたはこの事実に気付いてしまうと思いました。ならば、こちらで全てを打ち明ける方が良いと判断したのです」
「なぜ?」
「千具良さんは、自分の持つ体質のことを知りません。もし、あなたがそれに気づけば、その事実を確かめるため、彼女に直接問い質そうとするでしょう。そこで、彼女は初めて自分の起こしてきた事態を知ります。そうなれば彼女は大きなショックを受け、パニック状態になり、まさに事実どおり、世界を滅ぼすほどの巨大な地震を引き起こしてしまうかもしれないのです。それだけは避けたかった」
「それが、今から一ヵ月後に起こるっていう出来事か?」
「いいえ。滅んでしまった地球では、あなたと千具良さんは付き合ってもいなければ、顔さえ見たこともない関係でした。一ヶ月後に、あなたたちの通う高校で、遠足があるそうですね」
「ああ、そう言えば。隣町の牧場見学だったかな」
「そこで、千具良さんは牛に頭を食べられ、その衝撃で巨大地震を引き起こしたとのことです」
「すごく嫌だな」
「嫌でしょう。わたくしもそんなオチは嫌です。ですから、この事件が起こる前に、千具良さんとあなたを引き合わせ、ちょっとやそっとのことでは動じない、強い心を鍛えさせようと考えたのです。彼女が地震を呼び起こすスイッチとなるのは、心臓の鼓動ですから」
戸呂音は自身の心臓を抑え、目を閉じた。
「心臓は、自分の媒体である生物の全身に血液を送る、ポンプの役目を果たしています。生きている限り、小さくとも心臓とは常に振動しているもの。これは当然の話ですね。地球もそうです。地中深くにある核と、周りのマントルが蠢き、地表にいては気付かない程度に地面を揺らしながら、生命を育んでいます。どういった過程で起こったのかは分かりませんが、地球の核付近の動きと、千具良さんの心臓の動きが、何らかの原因によってシンクロしているのではないかと、私は推測しているのです。つまり、千具良さんの心臓が必要以上に激しく脈打つと、それに呼応して、地球も大きく揺れてしまうのです。たとえば、驚いたり、緊張したりした時などに」
「はあ」
もちろん、地震は地表に近い位置で起こるから揺れを感じるため、核が振動を起こしても気付けない場合がほとんどだ。おそらく、呼応した地球の揺れが千具良の足元に向かって力を放出し、真下のプレートに衝撃を与えて地震を起こすため、震源はいつも千具良の足元となる。と付け足した。
「つまり、千具良が起こすとされる地震の被害を抑えるには、千具良の心臓が激しく動かないようにする必要があると。そのために、何事にも動じない平常心を身に着けさせようと」
「仰る通りです。千具良さんには、ただ修行のために、何事にも動じない平常心を身に着けない、とだけ伝えて、あなたの存在を教えておきました。結果は、あまりうまくいきませんでしたが」
戸呂音は残念そうに、肩を落としていた。勝手に期待されても困るが、そんなに落胆されては、なんとなく申し訳なくも思った。
「わたくしたちも、彼女の平常心を向上させるために、色々と無茶をしてきました。ですが、あまり進展はなく、世界を危険に晒す真似をしてしまった点は、お詫び致します」
戸呂音は頭を下げる。米斗に謝ったって、どうにもならないが。どうせなら、多大な被害を被ったペットショップの店長や、動物たちに謝ってもらいたい。
だが、言葉の割にはそれほど反省している様子でもなかった。顔を上げた戸呂音は、罪悪感というよりも自信に満ちた表情を浮かべていた。
「ですが、心配は無用ですよ。わたくしの発明した地中ネットワークによって、地面と接触している建造物は全て、ある程度の揺れになら耐えられる仕様になっていますので、この町一帯くらいなら、どんな古い家であっても、倒壊の恐れはありません」
「ほう」
「しかし、耐えられる強度は、おそらく震度8辺りが限界かと思われます。ですからやはり、千具良さんに強い衝撃を与えない、と言うことが一番の防御策なのです。決して、後ろから脅かしたり、お化け屋敷に連れ込んだり、絶叫マシーンに乗せたりしてはいけません。接吻なんて、以ての外ですよ。それこそ彼女の心臓は飛び出んばかりに、跳ね上がってしまうでしょうから」
「…………」
さっきの会話も、吉香を通して筒抜けだったらしい。
「それで、俺に真実を話した目的は、口封じか? 千具良には絶対に言うなと」
「もちろん、その意図もありますが。今までの話を聞いてもまだ、千具良さんの身を案じてくださるなら、ぜひ、千具良さんの平常心を鍛えて、地震を起こさずに済むように、力添えをお願いできませんか。あくまでも事情は隠した上で、陰から千具良さんを支えてくださいませんか」
要するに、世界を守るための慈善事業に、米斗も引っ張り込もうという魂胆なのだろう。
米斗は無表情のまま、戸呂音に視線を飛ばした。
「断る。付き合っている以上は、千具良に嘘なんて吐きたくないし、そんなデマで傷つけたくない」
その返答に、戸呂音は少し表情を曇らせた。吉香が反論しようとしてきたが、戸呂音が視線を送って制止させる。
「今までの話を聞いた上で、まだ、地震と千具良さんには、何の関係もないと思いますか?」
「今までの地震のほとんどが、千具良のせいだったなんて確証は、一つもないだろう」
考えてみれば、思い当たる出来事は数多くあった。千具良が米斗に告白したとき。のっぺらぼうを見たというとき。喫茶店の一件。そしてさっき、スカートを捲られたとき。
確かに、千具良が地震の原因だと言うなら、説明がつきそうな事実ばかりが浮かんでくる。
でも、そんな曖昧な根拠だけでは、米斗は納得できなかった。
「全て、偶然だったとも考えられる。世界は広いんだ、色々な要素が重なる場合だってある」
「偶然と考えるにも、限界があるでしょう。もし仮に、彼女が原因ではなかったとしても、可能性の一つとして手は打っておかねばなりません」
「千具良が平常心を身に着けたいと思っているのなら協力はするが、それは地球の危機だとか、そんな話とは何の関係もない」
米斗は立ち上がり、もと来た道へ引き返そうと戸呂音に背を向けた。
「心配しなくたって、千具良が何か言ってこない限り、俺は何も聞かないし、何も言わない。どうせ話してくれるまで、何もできないんだから」
そして、歩き出した。
「お待ちなさい」
戸呂音が呼び止める。米斗は立ち止まったが、振り返りはしなかった。
「お帰りになるのなら、そちらの襖からどうぞ。近道ですから」
「……どうも」
戸呂音の横にある襖を開き、外に出る。縁側の天井から、洞窟の出口で脱いだ靴が降ってきた。見上げると、黒子らしき人間が、慌てて天井板を閉める姿がはっきり目撃できた。
外に出ると、道場の端にある小さな庵だと分かった。たぶん目の前に見えている、大きな離れの家屋が、最初に入った和室のあった建物だ。その距離は、わずか十メートルほどしか離れてない。あの長い暗い通路は、地中に掘られた迷路みたいな道には、何の意味があったのか。
距離感を錯覚させるためのトリックだろうか。まるで忍者屋敷だ。黒子もいるし。
すっかり夜も更け、辺りは完全に闇が覆っていた。星が出ているのが幸いだった。
もう、この家に用事はないし、帰ろうと米斗は歩き出した。