13.誘拐犯、半殺しの目に遭う
空がだんだん暗くなってきた頃。
ちびっ子たちもお家へ帰り、静まりかえった公園に、二人の男が足を踏み入れた。
彩玄第二高校の制服を着た、体力のありそうな男と、瓶底メガネの、もやしのような男。二人がかりで、大きな段ボール箱を担いでいる。段ボール箱はガムテープできっちり密閉してあるが、ところどころに空気穴らしき、指一本入るくらいの穴があいている。公園の中央、砂場の側に箱を置いた。中身を確認することは怖くてできないので、慎重に聞き耳を立てる。箱の中から、かすかに呼吸音が聞こえてきた。
中の〝それ〟は、おそらく息絶えてはいない。二人はひとまず、安堵する。
「ここに置いときゃ、いいのか?」
体力のありそうな男が言った。額から汗が噴き出している。もやし男が頷いた。瓶底メガネの反射する光沢が、微妙に震えて振動している。
「その予定だ。これにて、僕たちの任務は完了した」
「なら早く帰ろうぜ、俺まだ、午後の礼拝やってないんだ」
「何だね、それは」
「イスラームは一日に五回、聖地の方角を向いて感謝の言葉を唱える礼拝をするのだ。日本からだと、西南西の方角だな」
「成る程。それを言うなら、僕も日暮れとともにUFOと交信をする準備をしなければならない。早く帰るとしよう」
互いに納得し、そそくさとその場を去ろうとした時。
ボスッ。何かが破られる、鈍い音がした。立ち止まり、二人は顔を見合わせる。
「何だ、今の音は」
「さあ。二人同時に聞いたのだから、空耳ではなさそうだ」
「後ろから聞こえたな。お前、ちょっと見てみろ」
「なぜ僕なんだ。気になるのなら、君が見ればいいのだ」
「なら、一緒に見よう、同時にだ。フェイントなんかかけたら、後でローリングアッパーを食らわせるからな」
「わ、分かった。では、いっせーのーで!」
二人は振り返った。そして目を限界まで開く。
自分たちの運んできた段ボール箱に穴が開いており、そこから人の拳が飛び出ている。
「な、何だね、あれは」
「俺が知るかよ」
硬直している間に、ダンボールは一気に破かれ、中から小柄な少女が姿を現した。彼らが拉致って来た、気の弱そうな可愛らしい少女。だったはずだ。
しかし目の前の少女の瞳は、血に飢えた獣のごとく暗闇に光り、体中から類まれなる強烈なオーラを放っている。少女は男たちを見ていた。蛇に睨まれた蛙たちは、息を呑んで、ひそひそと逃走手段を相談し始めた。
「う、宇宙人だ、あいつは人間ではなかったのだ。まずいぞ、こんな形で遭遇してしまうとは。何の準備もなしに対峙してしまっては、簡単に捕まってキャトル・ミューティレーションの餌食だ」
もやし男は臆した。体力のありそうな男も、かなり腰が引けている。
「とりあえず、逃げたほうが良さそうだ、お前も、そう思うだろう?」
「勿論だ。奴が仲間を呼ぶ前に、この場を立ち去らなければ」
「では同時に逃げよう。抜け駆けなんかしてみろ、後でコブラツイストを炸裂するからな」
「分かった、では逃げよう。いっせーのー……」
言い終わる前に、体力のありそうな男が逃げた。
「貴様、卑怯だぞ!」
一瞬、遅れをとったが、もやし男も逃げ出した。しかし、その一瞬が命取りとなった。
少女の目が鋭く光ると同時に、俊足でもやし男に襲い掛かった。強烈なドロップキックがもやし男のわき腹に食い込む。もやしが、へし折れた。少女は倒れて萎びた、もやしの足を掴み、振り回す。
「おりゃあああ!」
ジャイアントスイング。そのまま砲丸投げの要領で、もやし男を投げ飛ばす。ぶん投げられた男は、回転しながら放物線を描いて、前方を走る体力のありそうな男に突っ込み、共に倒れた。
「こ、殺される……」
もやし男が、かろうじて口を開いた。少女は再び、二人の目と鼻の先に迫ってきている。
「ひいいいい、お助けー!」
暗がりの空の下、怯えた悲鳴が辺りに響き渡った。
☆彡 ☆彡 ☆彡
誰かの悲鳴を聞きつけ、米斗はその方向へ走っていた。誰が千具良を連れ去るなんて真似をしたのか。しかも、とても陰湿で、かつ強引な方法で。
実に危険だ。千具良が戦闘モードに入ったら、その誰かは、ただではすまない。米斗が危惧しているのは、千具良の無事よりも犯人の生命だった。
町の外れの、小さな公園へ辿り着き、足を止める。入り口から見える砂地には、抜け殻みたいにへしゃげた、空の段ボール箱が捨ててあった。中に入ると、入り口から死角になるところで重なって倒れる男子生徒が二人。
薄暗いが、そのシルエットから一目瞭然だ。クラスメイトの、武藤と富田だった。実に酷い有様。富田に至っては、脇腹が「く」の字に曲がって、打ち込みに失敗した釘みたいになってしまっている。
その側へ歩み寄る、小柄な少女。
「千具良!」
米斗は駆け寄り、千具良を止めようと手を出した。その気配を感じ取り、千具良の標的が米斗へと移る。千具良の手刀が米斗の顔面に向かって繰り出させる。米斗は微動だにせず、じっと迫りくる攻撃を凝視していた。
寸でのところで、動きが止まる。千具良が普段の調子を取り戻した。
「あっ、あら? ここは……」
相変わらず、精神統一している間の行動については、何も覚えていないらしい。しかし、米斗へ向けられた手刀の意味を察し、千具良は慌てて手を引っ込め、顔を赤らめた。
ズン。軽い揺れが、辺りを揺らす。
「ごめんなさい、米斗くん、怪我はない!?」
「ああ。俺は大丈夫だけど……」
米斗は千具良を挟んで向こう側で、のびている武藤と富田を見た。あちらは明らかに大丈夫ではない。その視線の先が気になったのか、千具良も後ろを振り返った。視界に現れた地獄絵図さながらの光景に、表情を青褪めさせる。
「これ、もしかして、私が……?」
千具良は慌てて、二人に「ごめんなさい」と何度も頭を下げた。だが、既に再起不能状態の二人には、そんな謝罪を聞いている余裕はない。
「もういいよ、千具良。こいつらはシメられるだけの悪事を働いたんだ。自業自得だ」
米斗は、積み重なってサンドウィッチ状態になっている二人の側へ行き、しゃがみこんだ。
「で、何でお前らは、こんな真似をしたんだ?」
いつもの無感情で、訊ねる。富田は話せる状態ではなさそうだったので、武藤を叩き起こして事情を吐かせようとした。武藤は頑なに口を閉ざそうとする。
「理由は言えん。言えば、俺ん家のメッカ巡礼旅行が水の泡になる」
「つまり旅行費で買収されたんだな。誰に?」
「だから、言えんと言っているだろう、しつこいぞ!」
「言わないと、唯一神アッラーに変わって、破壊神チグーラがイスラム教徒を大量殺戮するぞ」
ぼそっと耳打ちされ、武藤の表情が恐怖に歪んだ。既に被害を被っている武藤にとっては、効果的過ぎる脅し文句だったに違いない。必死で脳内葛藤を繰り広げながらも、イスラム教の未来を守るため口を開いた。
「と、隣のクラスの、真島とか言う女子だ」
「真島? 真島吉香か。何でお前らにこんなことさせたのか、目的は知らないか」
「さあ。でも、何かブツブツと「これは実験だ」とか何とか言っていたような」
「実験?」
米斗は千具良の方を振り返った。未だに事情が飲み込めず、おろおろしている。吉香と共犯、という気配もなさそうだし、千具良は本当に何も知らないのだろう。
さっきの会話も小声で行われたため、千具良には聞こえていない。まだ、言わない方がいいだろう。友人に誘拐されそうになったなんて、知りたくもないだろうし。吉香の動機がはっきりしないうちは、尚更。
これ以上は考えても埒が明かない。今日のところは、このくらい分かればいいだろう。
米斗は立ち上がって千具良の元へ歩み寄った。
「もう暗いから帰ろう。家まで送っていくから」
「でも、この人たちは……」
「心配要らない。腹が減ったら勝手に家に帰る」
再度、後ろを振り返り、米斗は二人に告げた。
「じゃあ、明日な」
無表情な米斗の形相が、なにやら恐ろしい宣戦布告にでも見えたのか、武藤と富田は硬直したまま、二人で抱き合って震えていた。
米斗自身、それほど感情を込めたつもりはなかったが、どことなく語調に怒りが籠っている気がして、違和感を覚えた。