11.くしゃみと地震
「――と、言うわけで、今の段階で平常心を得るのは、難しいそうだ」
米斗は北斗に教えられたとおりの事実を、千具良に話して聞かせた。「そっか」と千具良は少し肩を落とした。
二人は今、駅前の小さな喫茶店にいた。なんでもここの名物パフェが、今日限り半額になる招待券を吉香にもらったとのことで、千具良が誘ってきた。
細長い逆三角錐のグラスに、山盛りに飾られたチョコレートパフェ。頂上に丸く載せられたアイスクリームをスプーンでつつきながら、千具良は何かを思い出して口を開いた。
「あ、でもね。私、小さいときから、今お世話になっている格闘技の道場に通ってて、その頃から道場の教えで精神統一とか、平常心を少しでも鍛えるための修行はしてたの。それでも、ダメかなあ?」
数週間前、凶器持ちの銀行強盗をいとも容易くお縄にした千具良は、武術の有段者で、空手、拳法、合気道、併せて十五段の持ち主であると言う。その事実には、さすがの米斗も少々、恐怖を抱いた。
そういった武術を使うために集中が必要だと判断した場合、脳が勝手に精神統一状態、つまり平常心を強める信号を送るため、彼女は何が起こってもまったく動じなくなるそうだ。たしかに銀行強盗に捕まったときも、まったく無表情で微動だにしていなかった。
ただ、普段の日常生活の中ではどうしても油断が生まれてしまい、突発的な衝撃を受けると、少なからずとも動じてしまうと言う。そこが千具良と米斗の違いだ。
「なんだ、普段からそんな風に鍛えてるんなら、今からでも何とかなるんじゃないか? 何をどうすればいいのかまでは、俺には分からんが」
「……そうだね、もう少し考えて、頑張ってみるよ」
千具良は笑った。やる気を取り戻した様子に、米斗も少し安心した。
「そうだ、この後、久しぶりにペットショップに行ってみようと思ってるんだけど、一緒に来るか?」
「ああ、あそこね。うん、また行きたいなって思ってたから」
あの巨大地震以来、体に感じるような地震は一度も起こっていないため、ペットも店長も安心して商いを続けている。そろそろ遊びにいっても、迷惑にはならないだろう。
そうと決まればと、千具良も少しパフェを食べる速度を上げた。かなり量が多いので、千具良のものは半分ほどしか減っていなかった。米斗はもう食べ終わり、一息ついて休憩している。かなり満腹だ。
千具良も少し気持ち悪くなってきたのか、スプーンを持つ手を止めたその時。
側を通りかかった喫茶店のウエイトレスが、二人の座っている席のすぐ横で、何かに躓いてバランスを崩した。手に持っていたお盆に並ぶ、お絞りと水が床に落ち、コショウの瓶がこちらへ向かって飛んでくる。
コショウの瓶は蓋が緩んでいたらしく、空中で開いて中身が飛び散り、千具良のパフェの上へぶちまけられた。
「ああっ、も、申し訳ありません! すぐに代わりをご用意いたしますので……」
ウエイトレスは慌てながら、辺りを片付けだす。他の店員も駆け寄ってきて、床を掃除したりと大騒ぎだ。
「あ、あの、もういいです。お腹いっぱいですから……」
もう一つ用意すると言い、千具良のコショウで真っ黒になったパフェを下げる店員を、千具良は慌てて呼び止める。
「ひっくしゅん!」
突然、千具良がくしゃみをした。辺りに飛び散ったコショウが鼻にでも入ったのか、くしゃみを連発する。
「くしゅん、くっしゅん、へっくしゅん!」
ズズン、ズシン、ズシン。
小さな余震が数回、店を振るわせた。震度3くらいだろう。決して大きなものではないが、連発する振動に店の中はどよめき、軽いパニック状態となった。客の中には慌てて机の下に避難するものもいるし、食事中の人は料理がこぼれないように必死で食器を抑えている。店員たちも更に混乱して床に這いつくばったり、壁や柱にしがみつくので、やっとだ。
「へくち、はうっくしょん、くしゅん!」
ズズン、ズズズン、ズシン。
パフェのグラスが倒れないように支えながら、その様子を冷静に伺っていた米斗だったが、ふと妙な事実に気付いた。
何だか、千具良がくしゃみをするたびに、地震が起きている気がする。偶然だろうか?
くしゃみも止んだらしく、呼吸を整えて鼻をすする千具良。それと同時に、地震もぴたりと止んだ。連発地震が収まり、店内の人々は安堵の息を漏らす。
「……大丈夫か、千具良」
「うん。吃驚しちゃった。くしゃみが止まらなくなって……」
恥ずかしそうに笑う。その表情からは、自分が地震を起こしている、なんて反応は読み取れない。
千具良自体、気付いていないのか。それとも米斗の勘違いか。
よく分からないまま、店員に意図を伝えてお金を払い、二人は店を出た。
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「……やっぱり、いまいち進歩がないわねえ」
駅前の喫茶店内の騒動を、遠くの歩道橋から双眼鏡で観察する、一人の女子高校生。黒い長髪を要所要所で邪魔にならないように、まっすぐ水平に切りそろえた綺麗な少女。有栖千具良の友人、真島吉香だ。
双眼鏡から目を離し、途方に暮れて息を吐く。
「しかも、今の奇妙な揺れ方は、感付かれたんじゃないかしら。そろそろ隠し通すのも限界かもね。マスターに知らせなくちゃ」
双眼鏡を鞄にしまい、吉香は颯爽と駅前から姿を消した。