ババ抜き
僕の手にはハートのQとスペードのKとJがある。
目の前の彼女。その手には四枚のカード、マークは分からないけど、J、Q,K、それとジョーカーだ。
「さあ、引くがいいよ、パイくん」
彼女は何故だか自信たっぷりに手札を僕の眼前に差し出す。
「そんな近づけなくても引くから。あと、パイくん言うな」
「だって、パイくんはパイくんじゃない。何が気に入らないの? あ、そうか、πくんね。ごめんごめん」
「いや、違うから。ん? 何が違うんだ? ま、何が違うかわからないけど、違うからそれも」
「違いが分かる男だね、パイくんは。いや、分かってないのか。だひゃひゃひゃひゃ~! パイくん面白いなぁ。あ、ごめんπくんね、だひゃひゃ~」
彼女の笑い方はどうにも独特なものだ。
「いや、だからさ……ぁ、分かった、今、分かった。記号で言ってるな。君、自分のことを棚に上げて人を記号で呼ぶなんて酷いな。僕にはちゃんと――」
「あーはいはい。君がパイくんでもπくんでもどっちでもいいから」
どっちでもいいわけがない。というか、どっちでもない。
「早く引くがぁ~いい~!」
彼女はトランプを前に出したまま、突然目をぐるりと回して見得を切った。
「なんで見得切ったの? 歌舞伎なの?」
「歌舞伎なの?」
首を傾げる彼女。訊いているのはこっちなんだけどな。
「歌舞伎なら隈取りとかしないとね」
「えー? わたし、化粧薄くてもきれいだと思うんだけど、パイくんは不満なの? 欲求不満なの?」
確かに彼女はきれいな人だ。化粧は薄いどころかしていないと見て取れる。そのせいか歳より幼く見えるが、それがまたいい具合に彼女のかわいさを演出していた。だが、それと隈取りは話が別だ。欲求不満ももちろん別だ。
「ぶっていいか?」
「いやん、パイくんはDV彼氏なのね?」
「僕は暴力で欲望を満たしたりはしない」
「そ、じゃあ、夜が楽しみ」
「……」
「……」
「……」
「引くがぁ~いい~!!」
先に沈黙に耐えきれなくなったのは彼女だった。頬を染めているのが何とも愛おしいものだ。
「うん、存分に引くよ、むしろ、もう引いたよ。まさか、君が下ネタをぶっ込んでくるとは思わなかった」
カードはまだ引かなかった。見得を切ったまま固まって赤くなっている彼女は見ていて飽きない。
「パイくんのバカぁ……はよ引けや」
「恥ずかしさのあまりエセ関西弁を出すのはやめたほうがいい、僕以外の男の前では特に」
僕は言っていて恥ずかしくなったから彼女の手札から一枚引いた。
ジョーカーだった。
「だひゃひゃひゃっ、パイくんジョーカー引いたぁ」
まあ、二人でやっているのだから口に出しても構わないのだけど、なんかどや顔なのがうざいな。またいじめちゃうぞ。なんて考えながら僕は手札をまとめてシャッフルする。そして、彼女の前に差し出す。
「うーん……」
真剣に鑑定家のようにじっくりとカードを見る彼女。
「印が付けてあるわけじゃないんだし、そんなに見たって……。ジョーカー以外ならどれでも揃う状態だよ、今」
「これだ」
彼女はスペードのJを引いた。そして、そのJとスペードの、え? スペード? そんな馬鹿なぁ。
僕は彼女が捨てた二枚のカードをしっかりと見る。僕から引いたスペードのJと、Qだ、スペードの。
「君、間違えてるよ。これQだよ」
「え……?」
彼女はこの人何言ってるのと言わんばかりに眉根を寄せて口元を残った二枚のカードで隠しながら、かわいそうな人を憐れむ目で僕を見た。何この状況? そういうプレイか、嫌いじゃなくない、嫌いだ。勝手に憐れまないでほしい。
「いやいや、JとJじゃなきゃ駄目でしょ!? 何を至極当然のように――」
「ちっちっち、パイくん。JとQは恋に落ちたんだよ。二人で駆け落ちだよ。友達より恋人を取ったんだよ」
「……」
僕は沈黙で彼女に応戦する。
「パイくんもやっていいから。さ、引いて」
戦いは始まらずに終わった。いや、ここは戦わないといけない。
「……」
「……」
「……」
「……あ! そっか、だひゃひゃ、わたしとしたことが、ごめんごめん」
やっと、戦いは決着したみたいだ。
「引くがぁ~――」
してなかった。
「分かったよ! 引くよ! 引けばいいんだろ!」
僕はひったくるように彼女の手札から一枚引いた。ハートのJだった。
だが、僕の手札にJはない。普通のルールならここで終わりだが、今回に限っては彼女のルールだ。彼女はさっき、僕もやっていいと言った。ならここはハートのQとペアにして捨てていいってこと。
「あーダメダメ、だめだよ、パイくん」
彼女は僕が出したハートのQとJを押し戻した。
「いや、さっき僕もやっていいって言ったじゃないか」
「うん、言ったけど……さては、パイくんはババ抜きのルールを知らないな」
「いや、知ってる。知らないのは君の駆け落ちのルールだ。で、なんで駄目なの?」
「え、だって、そのハートのJ、ハートブレイク中だもの。新しい恋なんてできないよ。友達に励ましてもらわないと」
「その友達って、他のJってこと?」
「うん」
「うんって、おいおい、その友達、さっき想い人と駆け落ちしたじゃん。だとしたらそのせいでの失恋だよ、このJ。友達に恋人取られるとか、悲し過ぎるだろ……」
「大丈夫だよ、わたしはパイくんにぞっこんだから」
「あー、うん、それはよかったよ。で、このJはどうやったら揃ったことになる?」
「無理だね」
淡々と笑みをたたえる彼女。
「ゲームにならないね」
「そんなことないよ。わたしが引く番ね」
彼女はババ抜きを続行するようだ。
彼女の手札はKが一枚。
対して僕の手札は四枚。J、Q、K、ジョーカーだ。
これはむしろ、彼女が僕のKを引き当てる方が大変なのではないだろうか。
「うーん……K、K、Kはどこだぁ~? これだ!」
彼女は勢いよく僕から一枚引いた。彼女はとても運がいい人だ。普通にやってくれれば潔く負けを認めてもよかったんだけど。
「もう一回、やろうか?」
「うん、いいよ!」
二枚のKを捨てる彼女は晴れ晴れしく笑っていた。
「う~ん、わたし、ほんと運がいいなぁ、だってパイくんに出逢えたんだもん、だひゃひゃ!」