僕と姉さんと彼らの帰還
「ロリに御座る! ロリに御座る!!」
「あっはっはっはっは! 空見てよこいつばっかでー!!」
ああ、うん、そうですね……。
リアさんがロリ化分裂した翌日の昼過ぎ。
駅に向かう道の途中、とおりの少ない車道の脇。
うだるような暑さの中、テンションMAXな未来人をみて吸血鬼が笑っていた。
リアさんはあちこちのホテルを転々としているらしいのだが、さすがに見た目年齢が大きく下がったことでひとりでホテルに――しかも宿泊しているのはどれも超がつく高級――泊まるわけにもいかず。また、ちっこ可愛くなったリアさんを姉さんが逃すはずもないので、なぜかウチに宿泊することが決定した。
ひとつだけ残っている空き部屋は物置状態だったので、そこをテキトウに掃除。ひとまず寝起きに支障がないようにはしている。
本人曰く。
――まあ、そのうちもどるだろうからテキトーでいいわ。
との事なので、本格的に内装にまで手を付けるようなことはしていない。
我が家でのリアちゃんに対する反応は実にそれぞれ。
姉さんは大はしゃぎ。僕は正直若干戸惑っている。涼莉は大いに警戒しつつも姉さんを取られて絶賛嫉妬中。ましゅまろはまあ、いつもどおり我関せず、である。
さて、我が家にそんな小さな波を立てている彼女らであるが、ひとりがふたりに分かれたにしては性格に差が生じているようで。アウトドア派のリアちゃんと、インドア派のリアちゃんのふたりになっていた。で、今僕といっしょにこうして外を出歩いているのがアウトドア派のリアちゃんである。
そのリアちゃんはと言えばテンションダダ上がり中の大地に両手で高い高いされて大笑いである。
「空殿なにこれ最高で御座るよ!!」
「ああうん、そうかい?」
こいつこんなにロリコン全開だったかな……。夏休み前まではまだ普通の趣向だった気がするのだけれど。
「ふふふ空殿拙者に違和感を感じて御座るな? しかし安心してもらって大丈夫で御座る。自分、この夏にひとつの悟りを得ただけで御座る」
「悟りって?」
「小五ロリ最高」
「ああシスターですか……ええ、葬式の準備をですね」
「警察も病院も素通りしてジエンドで御座るかっ!?」
ノータイムで携帯電話をつないだら抗議が入った。ていうかノータイムで電話にでるシスターの反応速度もおかしい。
ネットスラングな上に冗談に聞こえないからついやってしまったが、僕も若干の恐怖を覚えるはめになった。
「つい、で葬式をあげられるところだったので御座るか」
「つい、で人の道を踏み外しそうな人間が目の前にいるからなぁ……」
どっちもどっちだ。
シスターに心からの謝罪をしながら電話を切った。シスターも心から残念そうな声だった。確実に天敵が増えているけれど大丈夫だろうか、大地。大丈夫だろう。無駄に頑丈っぽいし。
「あ、あれ? なんだか空殿に軽く過酷な運命を強いられた気がするで御座るよ?」
「気のせいだよ」
「うわぁ悪いこと考えてるくせに自分は悪くないと開き直った顔に御座る……」
失敬な。
と、そこに。
「……飽きたー」
「おぐほぁっ!?」
リアちゃんがマントで大地の両腕を強打。高い高い状態からするりと抜けだした。大地は犠牲になったのだ。こどもらしい唐突な興味の移り変わりの犠牲にな……。
しかし今、攻撃をする意味はなかったよな……なんというか、やはりリアちゃんになってもリアさんはリアさんである。
自分の身長の倍以上の高さから器用に飛び降りたリアちゃんは、今度はせっせと僕の足をよじ登り始める。なんというか、常に動き回っていなければ気がすまないらしい。これは、もうひとりのインドア派の彼女とは全く逆の性質だ。あちらの彼女は、とにかく動こうとしない。会話もほとんどせず、応答は首の動きで終わることも多いくらいだ。
さておき。
リアちゃんが肩に乗る頃には大地もダメージから復活していた。
「凄まじい痛みで御座った……しかしそれも幼女から与えられるのであれば、拙者は……拙者は……!!」
「苦悩通り越して恍惚としてるとこ悪いんだけど、ウチの子猫に二度と近づくなよ貴様……」
「殺生な!!」
「僕が寛大でなかったらとっくにロボトミーしてるからな」
「うわぁ拙者の時代には既にギャグの言葉なのに空殿の口から出ると嫌に現実味があって恐怖を覚えるで御座る……」
いや、この時代でもギャグだから。
というかだね、聞きたいことがあるんだけど。
「あのね大地。ロリロリって叫んでるけど、リアちゃん年齢なら僕らの十倍どころじゃないじゃん」
僕の疑問に、大地は首を傾げる。
「は? ロリに実年齢は関係御座らんよ。ロリとは即ち魂に御座る。百年生きていようが千年生きていようがロリはロリ。その魂の気高さ、汚れの無さに偽りは御座らん。さらには昨今の風潮も鑑みてロリババアともなればむしろパーフェクトでは御座らんか」
当然のように理解できないことを言い始めたぞこいつ……。
「大体それを言うのであれば、涼莉殿も猫年齢でいうと結構な歳になってしまうでは御座らんか。しかし空殿の認識として、彼女は幼い、という認識に相違ないはずで御座る」
「ああ、うん、まあそりゃあ……」
そもそも化け猫の年齢の重ね方がどういうルールに則っているのか解らない以上、なんとも言えない問題ではあるが。言いたいことは理解できてしまった。なんか悔しい。
「である以上、たとえリア殿が何歳であろうと、元々の性格が違っていようと、今こうしてロリである以上ロリなので御座る。ロリ万歳、ロリ不滅!!」
いいから黙れ。
「はぁ……まあ大地、未来で抑圧された性衝動がこの時代に噴出して変な方向性を獲得してしまったことは理解できたよ」
「せせせせ性衝動とか何をこっ恥ずかしい言葉を宛てるので御座るか!?」
相変わらず妙に純情な。
純情な変態。許される存在なのだろうか。
「君は変なところで照れやすくて困るなあ」
「拙者からすれば空殿がドライに過ぎると愚考するで御座るが……その環境でその立ち位置というのはなかなかレアでは御座らんか?」
僕の立ち位置? そんなにおかしいだろうか?
「僕に何か注釈をつけるなら姉さんの弟ってくらいでしょ。別に変わったことはないと思うよ?」
「あはははは。真っ先にそれが出てくる辺りが末期症状だと思うわけよ」
頭上から笑い声とともに言葉が落ちてくる。そんなにおかしいかなぁ?
「って、こんなことしてる場合じゃないや。リアちゃん、そろそろ行かないと」
「ああ、そういえば特に行動的でもない空殿が真夏の日中から出歩いている理由が謎で御座った」
地味にディスられた気がするんだけど。
まあいい。ディスりディスられる僕らの間柄に今更ケチをつけようなどと思わない。
実際問題中にいる僕にもよく解らないんだけど、女性組はともかく男性組は仲いいんだろうかコレ。僕と夕陽と大地とあとたまに神父さま。
……まあ、難しいことは考えなくてもいいや。
「君が僕をどう思っているかはさておき、僕らは駅に行くとこだよ」
「ほう、駅に。地味に遠いで御座るな。バス等は使わぬので御座るか?」
「なるべくゆっくり時間をかけて覚悟を決めたくてね……距離がゆっくり近づけば覚悟もゆっくり固めていけば済むでしょ?」
「相変わらず妙なマイナス思考の発揮の仕方をするで御座るな」
ほっといてくれ。
実際、今ちょっとばかり思考がマイナスに傾いてて気分が上がらないのだ。抜けるような青の空とは正反対である。いや、正直に言えば歓迎する気持ちがゼロではない。それなりにはある。だが同時にどうしようもなく気が重いのも事実で。
我ながら勝手だとは思うけれどこればかりはどうしようもない。
「ううむ、空殿をそれほど気負わせる相手とはいったいどなたで御座るか?」
僕はひとつ息を吸おうとして、肩の上にのった彼女とそれが押し付ける感触を意識してそれを中途半端に止めて、少し咳き込みながら答えた。
「――――、両親」
なぜか大地もついてくることになった。
理由はなんとなく興味があったから、らしい。
『貴殿ら姉弟を生み育てた人類とは一体どんなモノなのか非常に興味をそそられるので御座る』
とのこと。そんなに僕らの存在が不思議か。どちらかと言えば僕らの周りにこそ不思議が満ちているのだと思うのだけれども。
ともあれ、一時間近く歩いてようやく駅へとたどり着いた。この街最大の駅で、大きめのショッピングセンターと合体している。さすがに郊外に立つような大型のそれみたいに丸一日過ごすことはできないけれど、ちょっとした買い物ならここで全部済ませてしまうことも可能だ。まあ、距離が遠いので僕らは近所の商店街を利用しているから余り足を運ばないのが正直なところだけどね。
駅についた僕らは、待ち合わせ場所のロータリーでふたり並んで立つ。リアちゃんは変わらず僕の肩の上だが、その上で仁王立ちしていて危ない事この上ない。あとスカートなんだからやめなさい。
大地の視線が少し上を向きそうになるたびに目潰しを仕掛けなければならないので地味に忙しい。ペーストしては毎分三回くらい。根性の使い方間違ってるよこの男。
待つこと五分。それは唐突に訪れた。
「そぉーーーーーらぁーーーーーくぅーーーーーん!!!!」
「ひぃっ!?」
「のぅっ?」
その声に悲鳴を上げてびくん、と体が震えた。
バランスを崩したリアちゃんが落下するかとおもいきや、くるりと宙で回転して僕の前で首に手を回しぶら下がった。がくん、と力が前にかかり思わず膝を付きそうになるが、足を踏み出してこらえ、前にぶら下がった状態のリアちゃんを両手で抱きかかえてバランスを取る。
「うぬぉぁーーーーっ! 空殿ずるいで御座る! ロリ抱っこ、抱っこずるいで御座る!!」
こども一人分の体重が勢い良く首にかかっても羨ましいか? いや、大地にはむしろご褒美なのか。一体どこの業界に生きてるんだこいつ……。
いやそうではなく。
「やっははー空君ひっさしぶりじゃないかぁ!!」
「うわあ」
ぶら下がり抱きかかえたリアちゃんが素の声を出した。何の感情もこもっていない、ただの反応。気持ちはよくわかる。
ずりずりずりずり。
がっしゃんがっしゃんがっしゃんがっしゃん。。
ぽふぽふぽふぽふ。
ぐるんぐるんぐるんぐるん。
ぷぺぇ?。
エレクトリカルとは程遠い謎のパレードミュージックを垂れ流しながら現れたのは、変人だった。
基本の服装はスーツ。スーツのはずだ。しかし日本人の想像するスーツには電飾などついていないし肩に風車もついていなければ帽子に煙突もついていない。スターのような素麺みたいなものを腕から流すこともないし、腰にホルスターがついていることもないだろう。
両手に持ったカバンからは色々なものが――例えば三十センチくらいの人間っぽい形のミイラとかてろりと口から緑色の液体を垂らしている宇宙的な生き物――がはみ出してぷらぷら揺れている。
顔つきは頼りなさげな笑顔だがどこかとらえどころのない雰囲気も持っている。
そして頭の痛い話だけれど、奇っ怪という言葉を全身で体現したこの男こそが。
「…………おかえり、父さん」
「うんうん、ただいま。いやあそれにしても久しぶりだねえ。年末年始に会って以来だから半年以上か」
「あれを会ったていうならまあ、たしかにそうだろうけどさ……」
忍者みたいに凧に乗って我が家の窓の外を通過してっただけだったよね。
我が家はマンションの上の方の階なのだけれど、どうも余計ないたずら心を出した父は年の変わり目に忍者のごとく凧で襲来……したものの、その日は風が強くそのまま流されていった。その時の僕の心境は筆舌に尽くしがたいものがある。
「はっはっは。それにしてもまあ……」
父さんは僕とリアちゃんと大地の間で視線を行ったり来たりさせる。
ふむ、と首を傾げた後眉間にシワを寄せて、天を仰いだ。たっぷり五秒間、その状態を続けた後にゆっくりとこちらに視線を戻した父は。
僕の両肩に手を置いて、妙に近い距離で眼鏡に光を反射させたせいで表情の読めないまま妄言を吐いた。
「こ、この少女はまさか君と彼のこどもなのかいっ!?」
「親に対していう言葉じゃないけど言うぞ。死ねや」
想定以上に冷たい声を出した自分自身に驚きつつも眼鏡をグリグリと指で眼球に押し付ける。
ぎゃあああ指紋がああああなどと謎の悲鳴を上げる父だが僕の心は今の一言で陵辱しつくされたわけで。許しがたい。
「はっはっはおかしなことを言うで御座るな父上殿。男同士ではこどもはできぬで御座るよ」
「いや論点はそこじゃねえよ」
「ふむ。まあ確かに仮に拙者らのこどもとするなら外見年齢に無理があるで御座るな」
「そこでもねえよ……」
男同士という許容できない大前提がある。他人がそういう主義を持つことに文句は付けないが僕はその趣向を持たないしそういう風に見られることも拒絶させてもらう。
「は、はははは。そうか、そうだよねいやあお父さん久しぶりに空君に会ったせいかテンション上がりすぎたみたいだね!!」
「それは結構だけど常識くらいわきまえてね?」
返す返すも、親に言う言葉ではないけれど。
「いやあごめんごめん……じ、じゃあそっちの彼は君とその娘さんのこどもなのかい!?」
華麗な飛び蹴りが決まった。
どちらも僕の友人であること。リアちゃんに関してはしばらくうちに滞在することを伝えると、まるでコンクリートに顔面から着地したような傷をつけた父はうんうんと頷いて。
「友達が多いことはいいことだねえ」
と、若干的を外したような感想をこぼした。
ところで疑問だったのだけれど、もうひとり一緒に帰ってくるはずの人の姿が見えないんだけど。
「空」
「ひぃっ!?」
背中後頭部を鷲づかみされる懐かしい感触に心臓がきゅう、と締まる。
柔らかくも力強いこの感覚――!!
「この懐かしくも恐ろしい感覚は母さ――あ、痛い痛い無理無理人間の首は体の重量に耐えられるような作りはしてないんじゃないかな母さん!?」
首が! 抜ける!
後頭部を鷲づかみにされてそのまま腕一本で持ち上げられ、首に凄まじい負荷がのしかかる。というかリアちゃん、足をバタバタぶらぶらしてひゃっほうしてるけど確実に僕の命削りに来てるな君!
「あんたはもう、人の大事な旦那になんて真似をしてるの?」
「あなたの大事な息子が現在進行形で大変な事になってるんですけど!!」
「因果応報よ。とりあえずイーブンになるまでこの状態キープね」
「イーブンの基準は?」
「お母さんの気分」
うわぁい予想通りに絶望的な。
姿は見えないけれど、いつもどおりのワンピース姿に穏やかな笑顔を浮かべているのだろう。やっていることはとんでもねぇストリートファイターっぷりだが。
あ、なんかこう、意識がふらぁ、っと…………。
そうして。
僕の意識は、白い濁流に押し流されていったのです。まる。
と、まあ。
こんな両親なのである。
僕の見るところ、姉さんと母さんがよく似ている。色々と自分基準で容赦がないところとか。そして姉さんいわく、僕と父さんがよく似ているのだそうだ。僕自身そう感じたところはないし、父さんもそれを聞いて首を傾げていたけれど。ちなみに母さんも同意見だそうだ。
響風一郎。それが父の名で。
響帆乃夏。それが母の名だ。
なんとも図ったような名前の組み合わせであるが、これで幼馴染みだとか親戚だとかいう関係のない、まったくの赤の他人同士だったのだというのだから、世の中わからないものだ。というか、結婚直前まで互いの名前を知らなかったってのはどうなんだろうな。らしいといえばらしいけれど。
「ほう、哉羅というのは珍しい苗字だね。というかその文字は使えたかな?」
「はははまあ気にすることでは御座らん」
大地のキャラはブレないな……。
「リア・B・シルメリア。うーん、どこかで聞いたような……」
「よくある名前よ。いちいち気にするようなことじゃないわ」
リアちゃんもぶれない。まあ、性格的に強烈な人ばかりだから予想できたことではあるが。
と。
「あ。空さん、こんにちは」
やかましく歩くぼくらの前に、見知った顔が現れた。
「百羽さん? こんにちは。お出かけ?」
「はいー……宿題でやり残したところが見つかったので、お嬢様にお休みを頂いてこれから図書館に……」
ああ……なるほど……手に持った荷物はそれか。
百羽さん。こういうちょっと抜けたところがあるようで。まあギリギリで気づいてよかったよね。というか間違いなくあなたのご主人はわざとギリギリに教えてると思うんだ。あのサディスト。
「ねえ空、この娘どなた? 可愛いじゃない」
「とりあえずハンターの目付きはやめようか」
姉さん同様、可愛いものに対しての行動が忠実すぎるので牽制する。
露骨に不満な表情を浮かべたが、手をわきわき動かしている時点で十分以上失格だ。
「彼女は友人の渚百羽さん。ほら、あのー……光璃さんとこのメイドさんだよ」
「ああ、あの小娘のか」
ちっと舌を打つ母さん。いやまあなんというか。
ありがたい話で、母さんは僕の監禁事件についてはひどく腹に据えかねているらしい。僕はひとまず許すというか話を打ち切り、姉さんは許す上で監視する、という形で落ち着いたのだが母さんは未だに許していない。
以前、もういいんじゃない? と言ったら僕が危うく殺されるところだった。何を言っているのかわからないかもしれないが事実だ。
と、自分の舌打ちで百羽さんが怯えを表情に浮かべたことに気づいたか、母さんが苦笑を浮かべ手をひらひらと振る。
「ああ、ごめんなさいね。私はほら、こいつの母親。で、この人が私の旦那」
「あ……ええと、その節はどうも、お嬢様がご迷惑を…………って空さんのご両親さまでいらっしゃいますかっ!?」
途中までメイド的姿勢の正しさで謝罪モードだったのにいきなり素で驚愕入った百羽さん。何事。
「は、はわわわわ! そ、空さんのご両親にこんなところで会うなんて……!! え、ええと私ええと、その、空さんの同級生の渚百羽といいます! ええとええとええと……!」
「いやあの百羽さん、落ち着いて……」
「ひゃあおぉうっ!!」
肩に手をおいたらまるで電流でも走ったかのようなオーバーリアクション……。なんというか、いつもの百羽さんらしからぬテンション。
というか顔真っ赤だ。熱中症か?
「あーあーあー。なるほどー」
「な? わかりやすいだろー?」
母さんとリアちゃんは何やら納得した様子。いや、それどころか父さんも苦笑している。
なんなんだろうか、一体。
「空君、ひとまず僕らは先に帰っているから、彼女を落ち着かせてあげてください」
僕らよりも君のほうが適任だろうし、彼女もそのほうがいいだろうから。
そう締めくくって、なぜか大地も一緒に家へと向かっていった。というか当然のようについてきているけど大地は何も用事はないのだろうか……。
まあいいか。ひとまず、それから十分ほどかけて百羽さんを落ちつけたのだった。
「はあ、学者さんなのですか」
「うん。考古学者だって。家族の僕も何しているのかよくは知らないんだけどね」
知っているのは謎の物体を部屋に大量に積み上げてしまうということだけだ。
「そんなものかもしれませんね。わたしも、メイドと言っても母が何しているのかこうして同じ事をするまではよく知らなかったですから」
「そんなものかなぁ」
仕事、なんて言葉で言っても結局何しているのかなんて見えてこないわけで。
「空さんは、ご両親のことがお嫌いですか?」
「え、いやそれは……」
うぐ、言葉に詰まる。
嫌いなどと、言うつもりはない。感謝している。何しろ未成年ふたりがこうして不自由なく普通に生活できているのだから。いや、もうずっと前から涼莉も含めて三人だけれど、それでも変わらず、だ。
環境を用意してくれるのだけでも相当に苦労があったはずだ。だから当然感謝している。それに気付けたのも姉さんにつきつけられたから、というのが情けない話だけれど。
嫌いじゃない。そして当然。
「……えへ。ごめんなさい。いじわるな質問でした」
そう言った百羽さんは、なぜか彼女のほうが困ったような笑顔で。
「正直私も両親尊敬していますし、嫌いではないですしむしろ……なんですけれど。口にだすのは、恥ずかしいですよね」
ちょっぴり頬を赤らめ笑ったそんな彼女に。
「…………はあ。うん、そうだね」
情けなくも、そうやって同意するしかないのだから、僕も大概、根性が足りていない。
家への道はやはり暑い。暑いというかもう熱い。
商店街のどまんなかを家に向かって歩いているわけだけれど、日光がジリジリと肌を焼いてなんぞ恨みでもあるのかと逆恨みしたくなってきていた。
すでに道程の半分以上道は消化しているわけで、そうである以上バスを使うお金ももったいない。貧乏性なのだ。時は金なりというけれど、こうして歩いている時間が嫌いでない以上使い方としてはありだろうし。熱いのは嫌だが。そんな言い訳を考えていたせいか、それの接近に遅れた……などということがあるわけもなく。
くるり、とその場でステップを踏んで背後から抱きつこうとした姉さんをかわす。視線の端を姉さんの髪がふわりと揺れるのを追いかけて。
「残念そっちは残像です」
「はぁっ!?」
かわして振り向いたと思ったら背中から抱きつかれた。目で追っていた姿は当然消えている。
「ふふん。おねーちゃんの気配に気づくのはさすがだけど、まだまだ甘いよ」
「いやまあ僕が姉さんの気配を逃すなんてあり得ないから別にそれはいいんだけど、何いまの残像って新しい芸」
「なんかやってみたらできた」
なん……だと……。
「コツは早く動くことだね!」
そういうのはコツとは言わない。水の上を走るには足を早く動かせばいいってのと同じだ。
ツッコむ気力もない僕にぐてー、と寄りかかる姉さん。
「姉さん?」
「あっづぅい……」
これ以上はないというほどに実感のこもった声だった。
「だったら離れようね常識的に?」
「え?」
「え?」
あれ、何、僕がおかしいの?
きょとん、とお互いを見る。互いに自分のどの発言がおかしいのか理解できていない表情だ。
いや、僕はおかしくないよね。暑かったら離れるよね、ふつう……。
「ちょっと待って空。それじゃあ、おねーちゃんが空にくっつきたいって思ったら、その日の気温に左右されないといけないの?」
「いやまあ、大体そんな話になるのかなぁ?」
「えー。そんな地球やだなぁ。空にひっつきたい時にちゃんと涼しくなるくらい気を効かせてくれないものかなぁ」
「言いたいことは理解できるけどさすがに無理があるんじゃないかと……」
姉さんが世を嘆くようにため息をついた。いやしかしながらさすがに気候はいかんともしがたい問題なので。
「まあ別に姉さんが我慢できるならいくら抱きついててもいいよ」
「あれ、いいの?」
「そりゃまあ」
暑いは暑いが姉さんが抱きつくのを我慢出来ないレベルでもないし。
「なあんだ。それじゃあこれで……空、リアのニオイがするよ?」
「――――」
きゅ、と後ろから首に回された腕に力が入ったのを感じた。抱きしめから締め上げにシフトし始めてるんですけど。
「いや、あのですね姉さん。それはあのー、ほら。リアちゃんがなんか、やたらと僕に登りたがって」
「そんな! おねーちゃんだって空に登ったりしたことなんてないのに!!」
衝撃受けるポイントそこかよ。
「登りたいの姉さん……?」
「おねーちゃんがやってないことを空にやっている人がいるというのが許せません」
「あー」
なんとなく理解できてしまったというかなんというか。
まあ僕も正直、例えば綺月や涼莉が誰かに肩車とかされてたら意味不明の嫉妬を覚える可能性があるだろうし。姉さんにんなことやっているクズがいたら燃やすし。
「うー、でも羨ましい気持ちもあるなぁ。リアを肩車したら気持ちよさそうだよねえ、柔そうで」
「…………」
何が、とはあえて聞き返さなかった。聞き返したら負けだ。
「うちの涼莉と見た目同じくらいなのに。やっぱりパツキンのチャンネーは成長が違うのかなぁ」
「姉さん最近おっさん化に歯止めが効いてないけど大丈夫なのその方向性で!?」
どんな姉さんでも受け入れは余裕だけれどもだからと言って歓迎するかどうかは別の話だからね?
「んー、でもほら、みんなどんどん綺麗に成長してるじゃない? 正直見てる方としてはウハウハなわけですよ」
「いやまあ」
同意はするけれども。
「けどそれなら姉さんも綺麗になってるし、お互いさまじゃない?」
「にははははー、照れる照れる」
ぐいぐい、と体を押し付けてくる姉さん。はははじゃれるのはいいけどなぜ拳を脇腹にあててるの姉さ……ちょ、痛、地味に痛っ!!
「空は女の子泣かせるような大人になっちゃだめだよ?」
そして脈絡ないね!
「今まさに女の子に泣かされそうなんだけどその辺についての弁明は!?」
「お姉ちゃん無罪で完全勝訴」
「意味分かんないけど謝るつもりがないことだけは伝わったよ……」
なぜか自慢気だった。姉さんは大体僕の想像を越えてくるよね。時々ではなく大体。
ちなみにあの勝訴の紙、事前に用意しているらしい。それから、外に出てから広げないと裁判所から怒られるそうだ。うん、どうでもいいね。
「ていうか何、姉さん不機嫌?」
「うーん……不機嫌っていうか、うーん……?」
姉さんは首を傾げる。それはいい。なぜ背中を登る……ていうか完全におんぶだこれ! さっきから恐ろしいほどに会話と行動がリンクしない!!
いやまあ、軽いからいいけどさ。ちなみに夕陽はとてつもなく思い。高身長に加え筋肉の付き方が僕の比ではないせいだろう。人生初お姫様抱っこは二年前の夕陽だったがあの恨みは未だに忘れない。なんて体験を塗りつけてくれる……。
なんだこのどうでもいい話。余談もいいところだ。
「お母さんたちが帰ってくるのはいいんだけど、おねーちゃんの役割取られちゃうからさー」
「…………役割?」
姉さん、わが家でなんか役割あったっけ……。
割と真剣に悩みだした僕の脳天に連続チョップが叩きこまれた。軽く表現したが連続具合がどうみても名人級の秒間十六連打。脳みそ揺れる。
「おねーちゃんは我が家においておねーちゃんという立場を守るという立派な役割があるよ?」
「その役割は取られようがないよね」
どうやって奪うのだろう。洗脳か? 可能な人に心当たりがあるのが笑えない。
しかし姉さんは納得せずにピシピシとチョップが続く。おかげで歩いているだけなのになんか乗り物酔いのような気分に。
「なんだかんだでお母さんは涼莉とベッタリしてるし、空もお父さんの世話を何かと焼くし。おねーちゃん暇だよー」
「あー、うんまあ、あまり帰って来ないし帰ってきた時くらいは、ねえ?」
微妙に帰って来なくていい気持ちと歓迎する気持ちが混ざってる後ろめたさもあるし。
「あのふたりが帰ってくると大体大変なことが起きるし」
それは否定出来ない。今回帰りが遅れたことからして嫌な気配が漂っている。
でもね姉さん。普段から大概大変な目に遭ってる貴女の弟がここにいるんですよ。規模や面倒くささのグレードは上がるけど。
「けどさ、姉さん」
僕は苦笑する。
だって、そうやって僕におぶさる姉さんの声は。
「なんだかんだで、嬉しいと思うよ」
僕と同じに、弾んでいたのだから。
だから、普段はできないけれど。
たったふたりの姉弟の時くらい、素直に言葉にしてみるのもいいだろう。
とかね。
そんな事思ったらこれですよ全く。
「うふふ、やっちゃった」
「やっちゃったじゃないよ母さん。何しでかしてくれてるのさ母さん……」
自宅の玄関が吹っ飛んでた。
比喩でも何でもない。物理的に完全に破壊されていた。
「父さんもさ、何見てたの?」
「いやあ、はっはっは」
はっはっはて。あんたら。自分ちを。
「もう、お父さんもお母さんも常識をちょっとは考えないとだめだよ?」
姉さんがやれやれといったふうに口にしているがそれは普段僕があなたたちに対して考えていることなんですよ、ええ。
よっぽど衝撃的な光景だったのか、涼莉は猫の姿で姉さんによじ登ってガタガタ震えていた。かわいそうに……。
リアちゃんズは僕の左右に立ち、それぞれ大笑いと無表情。
そして。
大地が焦げてひしゃげた玄関に転がっている。
「…………何したの、大地?」
「ロ……ロリ少女に飛びつこうとしたら……張ってあったワイヤーが切れて……爆発、したで……御座る…………」
姉さんに視線をずらす。どう考えても母さんを狙った姉さんのイタズラだ。
普通に考えたらイタズラでは済まないトラップなのだが、母さんなら問題なく回避するだろうからイタズラで済む。ちょっとただごとじゃねえよ今更だけど。
「テヘペロ☆」
初めて見る姉さんのリアクションだこれ! 可愛いからまあいいか!!
「それにしても、それだけじゃないよね、この有り様」
入り口が完全に破壊されている。壊れ方に何種類かの法則性があることから、複数回の爆発が怒ったんだと思うんだけど……。
「いやあ、あまりにも良い爆発っぷりだったから、つい他のトラップも一緒に発動させちゃった」
「母さん、大地だったからよかったけど他の人にはやらないでよ!? 洒落になんないからね!?」
「いや空殿拙者現状洒落にならん状態なので御座るがっ!?」
いやまあ大地だし……。あと幼女と見たら飛びつく習性が原因である以上自業自得です。
そんなこんなで。
夏休みの終わり、僕の日常にちょっとした変化が訪れたのである。まる。