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僕と姉さんと僕のやり方


 綺月の舞に招待されたのは姉さんに僕、涼莉に夕陽。ここまでがいつもどおりで、今回はなぜかリリスとリアさんも招待を受けていた。

 この行事は閉鎖的で滅多に他の人を入れたりはしない。なのでお願いしても入れてもらえないことがほとんどだ。

 姉さんとの付き合いが長いリリスはともかくなぜリアさん? と思ったのだが、電話口で告げられたのは『なんかそういう事なんだって』という、綺月本人も事情をよくわかっていない言葉だった。

 その時点で嫌な予感がしたことを否定はしない。





 携帯をしまい、先に中に入ったみんなを追う。

 電話の相手は母さんだ。どうも、夏休みに帰ってくるという予定がなぜか長引き、夏休みの終わりにようやく帰って来られるようになったのだとか。

 あのふたりが予定を崩さざるをえない、という時点でこちらも嫌な予感ビンビンである。

 なにしろ誰も彼も厄介事には事欠かない面々だ。誰かの事情が何かに絡んでどんな化学反応を起こすのか想像もつかない。

 実際、この間のターミネイトなロボット軍団は大地関連の気配が強いし。その割に対処したのがシスターだったりしたので、これが後々どんな厄介事に発展するのかいまから想像もできない。

 それはさておき、ようやく両親が帰ってくる時期が確定したところというわけだ。祭りに間に合わなかったのは残念だけれど、それぞれ事情があるのだし仕方ない、か。



 さて。

 嫌な予感が山ほどだけれど、今はそれを一旦忘れて綺月の舞を楽しむとしよう。


 ……なんて。

 そんな呑気なことを考えていたんだから僕も大概だ。





 ぐるん、と視界が回転した。言葉には何一つ誤りはない。

 つまるところ、本当に世界のほうが回転したのだ。座っていた僕は宙に浮いているような状態。では他のみんながどうしているかというと、天井になった床に僕から見て上下逆になって張り付くように、座っていた。

 お前が逆転したんだろそれは、などと思うかもしれないがそれはない。

 なぜなら。


『やあやあやあ、実に六年ぶりかな少年。今度は忘れてくれていないよな?』


 僕の正面に、僕と同じく逆さになった世界に立つ、男性とも女性ともつかない存在がいるのだから。この場、この空間においては全ての理の最上位に位置する存在が、僕を正位置として向かい合っている。ならば正しいのは僕で間違っているのが世界だ。

 水津弥神社に祀られた神……だと思う。名前は知らない。僕にだけは絶対に教えない、と神社の人々に面と向かって言われたからだ。無論、目の前の神様もそれは同様だった。むしろ彼ないし彼女がそれを望むから教えられないのかもしれないけれど。


「まさかまた会えるとは思いませんでしたけれど……いったい何の用事ですか?」


 よりにもよってこのタイミング。

 綺月の舞を見ている最中にこんな真似をしてくれやがって。



 初め、僕らは舞台に向かって、思い思いに並んで座っていた。

 僕は姉さんと涼莉に挟まれて座り、姉さんの隣にはリアさんがあぐらをかいていた。

 リアさん相手に姉さんの隣を奪取しようとしていた愚かな男は少し離れた場所でリリスに介抱されていた。

 綺月の両親はさらに離れた場所、神楽殿の隅で仲良くならんで座っていた。

 まだ日の沈まない時刻から始まった舞は静かに、時に激しく動きを変化させながら、優雅、という一言を体現したかの様に進んでいた。

 まず最初に槍を用い、弧を描く動作を連鎖させた円舞が始まった。次に一旦舞台袖へ戻り、その手に取ってきたのは弓。綺月の背丈よりも長い長弓である。

 舞台の中央へ立つと、彼女は上体を大きくそらし天へと弦を引き構えた。番えるべき矢は存在しないが、そこに確かな光の矢を幻視するような、見事な構え。

 そのまま彼女は呼吸さえ殺しじっと時を待っていた。

 そして。

 日が完全に沈み、月が顔を出した刹那、であった。

 綺月の指が弦から離れ。

 僕がこんな状態になってしまったのは。



 水面へ雫が落ちるように、天から湖の中央へ降りてきたのはひとつの影。

 薄いヴェールを幾重にも重ねた衣は水のようにきらめき、全身を覆い隠すほどに長い髪にはウェーブがかかっている。その色は青みがかった黒で、あるいは海の色を連想させる。

 表情は一貫して笑顔。しかしあまりにも透き通った笑顔は逆に感情を感じさせない。

 声はアルトとテノールの間を行ったり来たりして、人間離れした美貌も相まって性別がいまいち判然としない。そもそも性別のある神なのかもよくわからないけれど。

 そんな存在と目があった瞬間、世界が僕を放って回転した。



 はあ、と息をつく。

「あの、いったい何の用ですか? ていうか僕に用なんかあるんですか? ないですよね?」

『ははは、その自分の都合のいい方に話を決めてかかる辺り、君本気で私のことが嫌いだね?』

「いやむしろあなたが僕のこと嫌いでしょう……」

 記憶はあやふやだけれど、すっげぇ嫌われてるなー、と思ったことだけはしっかり覚えてるからな。

「まあ別にそれはいいです。あなたが本当にこの神社の神なのかどうかもよくわかりませんし」

 なにせ自称である。道を歩いていて自称神様に出会った六年前の僕の気持ちを想像してほしい。結構な絶望感だよ。

「今でも覚えてますよあの第一声。『ああ少年、私そこの神社の神様なんだけどちょっと話しようね?』って半ば強制ですからね偉そうに」

『いやいやいや、だって神様だし実際偉いし?』

「偉いっていうかエライことやらかしてくれてるだけですが」

 何しろ世界回転してるもんで。ていうか綺月の舞に集中させてくれませんかっていうか、あんたに奉納されてるんじゃないのかアレ。

「というかリアさんに用があるんじゃないんですか、どっちかといえば」


 床を見上げる。こうして文字に表すとひどく滑稽な感じだが、とにかく行動を書き起こせばそうなる。

 今日のイレギュラーはリリスとリアさんだ。特にリアさんは綺月がわざわざ僕に電話をしてまで呼んだのだから、何かあるんじゃなかろうかと思っていたんだけど。

 ちなみに床の上ではみんな相変わらず綺月の舞に見入っている。僕がこうしていることや、まして神が存在することなど微塵も気づいている様子はない。少なくとも見た目は、だけれど。

 僕の言葉に目の前の彼――うん、性別がよくわからないけどとりあえず彼としておこう。

 彼は苦笑を浮かべた。いや、これはどちらかと言えば諦め、か?


『さてさてさて、正直なところ私としては彼女には会いたくはなかったよ。いやマジでな。ぶっちゃけ何しでかすかわからないし?』

 ああ、気持ちはよく分かる。

 リアさんは一見するとジュス様と同じぐーたら族のような印象を受けるけれど、実際の彼女は無闇に活動的だ。自分のアンテナに引っかかったものに置いてのみ、という前置きはつくものの、その行動力と実力でやりたい放題なのが実情である。

 しかもその方向性が小学生男子レベルの無邪気さと邪悪さを持っているのだからタチの悪さが極まっているといえよう。

「けど綺月に今日ここに来るように伝えさせたのはあなたですよね」

『そうそうそう、それはそうなんだけどさ……いやだってあの人、面白そうとかそういう理由で乱入してきそうだし? そうなったらいくら私でも止められないからね? あれ、神域の存在としては極まってるんだよ?』

 理不尽だよねー? と同意を求められた。まあ、言いたいことはわかるけども。

 つまり外から何かされると止めようがないから先に自分の領域に取り込み、その上で隔離をしたと。陣取り合戦みたいな話だ。

「で、僕をこうして隔離したのってなんか理由があるんですか。リアさんがちょっかいをかけるなんて、ほとんど起きないだろう偶然まで排除して、随分厳重ですけど」

 よほど邪魔に入られたくない内容なのだろうか。厄介事の匂いがプンプンする。

 そもそも六年前の顛末を考えるに、彼がまともな話を僕に持ってくるとも思えないのだけれど。


『さてさてさて、君に提案だ。君はもう知っているだろうけど、彼女の進学を阻む話が出ていてね? それを君には呑んで欲しいんだけれど、どうだろう?』

「死ねよ」


 あ、つい反射的に言葉が。


「ああすみません、ちょっと答えを急ぎすぎました。ええと、ですね、つまりあのー……」

 目の前の彼は相変わらず感情を見せない笑顔のまま。僕の言葉に気分を害することもないらしい。さすが自称神様随分と上から見下ろしてくれている事なのだろう。

『君君君、目が完全に据わってるよ?』

「気のせいじゃないですか」

『はてはてはて、君の逆鱗は君の姉だと思っていたのだけれど、そうでもないのかな?』

「いや、僕割となんでも突っかかるタイプですよ。ええ、今も猛烈に腸が煮えくり返る感じですがなんとか抑えてるだけですしね」

 抑えきれてないなあという表情をされた。なぜだ。


「まあともかくいきなり『死ねよ』はさすがに言葉が過ぎました。そう言われるだけの事を言ったにしてもさすがに口にするのは話が違いますからね。なので今のは失言でしたすみません。

 ええと、だからまず言葉を選んで柔らかい表現をする事で歩み寄りの姿勢を示したいと思うんですよ。つまり、そう。

 失礼ですがあなた、ここおかしいんじゃないですか?」


 頭の横を人差し指で三度ほど叩いてみせた。

 我ながら随分とソフトな表現になったと思う。

 なのになんかすっげぇ微妙な表情なんですけど。いや、表情は変わらず笑顔なんだけど雰囲気というかなんというか。リリスの無表情より百倍わかりやすい。浅いんだろうか、人格の底が。

「………だめですか?」

『いやそのなんだ……言葉を選んでそれかぁ……っていう気分、かな?』

「ですか」

 ダメか。そうか。言葉選びって難しいな。

 そう考えると政治家とは便利な職業である。なにせあの人達、外国が何かしたらとりあえず『極めて遺憾』って言っていればいいだけだし。

 ふむ。どうしたものか。

 とか言っているうちに綺月の舞が弓から鈴に変わった。ちょっと見逃した。なんてことしてくれやがる。

「まったくもう、存在自体が邪魔くさいんですから」

 ははは、と軽く笑う。

 笑いを誘ったつもりなのだけれどノッてくれなかった。ノリ悪いな自称神様。

「どうしたんですか、笑っていいんですよ? せっかく冗談を言ったのに」

『ははは、そうか、冗談だったんだね?』

「だって冗談にでもしていないと存在が許されないじゃないですかあなた」

『………………』

 はて? なぜ黙るんだろう。

「どうしたんですか? 脳に何か障害が……ていうか神様って脳みそあるんですかね。あれ生物に必要なだけですし存在が根本から違うモノは必要なんでしょうか。まああっても所詮ないようなものだし別に変わりないですか。ていうかそうか、それなら別に障害が発生しようもないし発生しても意味無いですよね、元々おかしいようなもんなんですから。あれ、じゃあなんで黙るんですか?」

 考えてみたけれど一向に答えが出ない。ふむ。

「まあいいですよね、貴方のことは所詮些細な問題ですし」

 結論はそうなった。

 彼は相変わらずの笑顔のまま、しかしどこか心理的な距離が開いたような、そんな空気が漂う。

 おかしい。相手の理解を得ようと言葉を選んで発言し、相手の理解を深めよう思考しているのになぜこうも心の距離が開いてしまうのか。種族の差だろうか。しかしリアさんの遠慮皆無な距離の詰め方を考えると種族の差とも……いや、彼や彼女のような存在は単体でひとつの種族のようなものだっていうし、比較に意味は無いのかもしれない。

「どうしたんですか? 仲良くしましょうよ?」

『ほうほうほう、君にはそのつもりがあるというのかな?』

「だってそうしてさっさと話終わらせないと綺月の舞に集中できないじゃないですか」

『ははは、君は少し建前を覚えたほうがいいよ?』

「いやだなあ、さっきから建前全面に押し出してソフトかつ丁寧な物言いを心がけているじゃないですか」

『………………』

 だからなぜ黙る。


 ふう、とため息をつく。

 綺月の舞に視線を戻す。意識はずっと向けていたけれど、やはり視界に収めてこそ、この光景を刻む意味は出てくるというものだろう。それが何者に奉納されているのかは僕には正直関係のない話だ。

 そう。

 関係ない。

 目の前のコレが別の何かに……例えばそれこそリアさんにすげ変わったところで、僕としては構わないのだ。

 …………やんないけどね。あの人がそんな面倒ごとを受けてくれるなんて思わないし、そんなの僕も面白く無い。何より綺月が嫌うやり方だ。

 鈴が鳴る。しゃん、しゃん、と音が水面に反射し、雨のように降り注ぐ。

 くるりと身を廻す。袴の裾がふわりと浮き上がり、朱色の華が舞台に咲く。

 ひとつにまとめた黒髪を風に流し。

 薄く開いた瞳で世界の果てまで見渡して。

 世界の真ん中で月光を一身に浴びて。

 ふと、その視線がこちらを向いた。

 一瞬。

 ほんの刹那。

 それでも彼女は、視線でこう告げた。


――そんなところで何してんのよ。

――ちゃんと私の舞、見てくれてるの?

――ほら、そんなんじゃ見辛いでしょう。さっさと戻って来なさいよ。


 不満と、不安。

 それでも信頼の感情を寄せてくれる視線に、僕は当然と軽く肩をすくませた。


「わかってるよ。すぐ戻る」

 彼の言葉は聞き終えた。

 ならばこの場に用はない。少なくとも、綺月に対する義理は果たした。彼女の奉じる神に付き合ってやったのだ。十分だろう。

「てことで僕は戻りますよ」

『おいおいおい、返事を聞かせてもらっていないよ?』

「返事って……」

 また、わかりきったことを。いや、あえて聞いているのだろうけれど、それにしても趣味の悪いことだ。

 ため息を深く、はあ、と落とす。水面に向かってはいた空気が昇っていくのを夢想して。


「死ねっつってんだろ。てめえがここの神じゃなかったらこの瞬間に八つ裂きだからな。せいぜい綺月に感謝してろ」


 とりあえず。

 感想。直球でね。

「悪いけど綺月と一緒の高校に行くのは僕の予定に既に入ってるんで。綺月がどうしても嫌だってのなら仕方ないですけど外部要因は邪魔なんで問答無用で排除ですよ」

 人の人生勝手に狂わせないで欲しい。本当、この神様はなんて変なことを要求してくれるんだか。

『ははは、そうかそうか、それが君の答えか、しかしまあ、それを受け入れられる状況でもなくてね? 悪いけれど君はここで少し教育を、』

「教育的指導が欲しけりゃそれが好きそうな知り合いを呼びますよ」


 あえて相手の言葉を遮り。

 懐からそれを取り出す。


「コレがなんだかわかりますか?」

『さてさてさて、その赤い珠が君の切り札なのかな?』

「いやまあ」

 気まずく視線をそらす。

「切り札というか……自爆装置、ですかね」

 ははは、何しろ。

 さっきの暴言、間違いなく聞かれてるだろうからね。

 僕は息を止め、取り出した珠を口の中に放り込んだ。放り込んだ珠は固く、しかし熱い。それを奥歯に挟んで。

「――――っ!!」

 噛み砕く。


 ぶわり、と。肌が粟立つ。背筋が凍る。

 砕かれた珠は刹那のうちに破片の一片までも元の液体へと還り、脳髄を溶かすような甘みと芳醇な血の香りが口の中に溢れた。

 そう、血。血の香り。この珠はそろそろ存在自体忘れていた、リアさんと僕の出会いの日に、僕にくれたあの珠玉である。

 そこでようやくその正体に気づいたのか、彼が初めて笑顔を崩した。それに内心で嫌味な笑いを上げた。ふはははは。

 は。ははは。

 いや無理、コレキツイ。だばだば血が溢れてきて、口から血がヤバイレベルでドバドバと、いやいやちょっとまって笑えないってば!!

「おごごばががげべごほぼぼぼぶべば!!」

 助けて!!

 彼に歩み寄るも彼は笑顔のまま全力で距離を取る。なんて野郎だ神様のくせに! ニーチェさんやっぱり神さまなんていなかったね!!


「あったりまえじゃん。ていうか、神なんざに頼るなんてどんだけ日和ってんのさ。そんなのより頼りになるアタシがいるでしょ?」


 唐突に、第三の声が耳元で囁いた。

 金糸が眼前を埋め尽くしたかと思えば、喉を押さえて苦しむ僕を屈んで見上げる深紅の瞳が現れた。

 同時に、口の中の血が幻のように消え去る。


「しっかしあんたも無茶するね。ていうかその使い方はどっちかっていうと裏技だったのよ? まさかそれを真っ先に使うなんて、やっぱりあんたも頭おかしーわ」


 ケタケタと笑い、ぽんぽんと僕の腹を叩く。

 しかし僕はどこか呆然とその姿を見ていた。

 リアさん。間違い無くリアさんだ。その美しい金の髪も、深紅の瞳も、笑った口から覗く牙も、透き通り何より力強さを感じさせる声も、全てリアさんのものだ。コレを同じように持つ存在がこの世に二つ存在するなど、それこそ世界に対する冒涜だろう。

 けれど、けれど、である。


「あの、リアさん……?」

「はいはいっと。何しでかすかわかんないから隔離されてたリアさんだよ」

 あ、やっぱり地味に根に持ってる。いやそれは良くて。

「ええと、その姿は?」

「ああこれ? いやあ、翼がなんかどんどん機嫌悪くなってきてさ、そっちに気ぃとられてたらこっち来る時に力を置き忘れてきてさ」

 見ると。

 確かに姉さんの隣にはリアさんがいた。こちらにいるのと同じ姿に変化してしまっているが。

「あんた、翼が機嫌悪くなるようなことでもしてたのかい?」

「いや特にそういう事はなかったと思いますが」

 ないよな、別に? 

 首を傾げながらリアさんを見下ろす。 その角度は普段より随分と深い。

「いやぁ、しっかしこの高さの視界ってのもなかなか新鮮だねえ」

 ちょこちょことした動きで周囲を動きまわるリアさん。いやもうこれはリアちゃんと呼ぶのが相応しいのだろうか。


 ええ。

 リアさん、ちっちゃくなっちゃった。


 さてさて、どうしたものかこのカオス。

「いやあしっかし、こういう空気も久々だわー。昔はあっちの神こっちの神がいちいちちょっかいかけてきたもんなんだけどねえ。最近はどいつもこいつもおとなしくていけないわ」

「はあ……。あの、それはいいんですけどリアさん。さっきから人の足をよじ登ろうとしているのは何のつもりですか一体」

「え? ああ無意識」

 なんか当然のように答えられたけど意味がわからない。

「なんかさぁ、体が小さくなったせいか人肌こいしいんだよねー」

 よじよじ昇り、最終的には僕に肩車の形で乗っかってしまった。

「さあ、それじゃあお仕置きタイムと行こうかね」

 ふん、と声を張るリアさん。

 ちなみにリアさん……いやもうこの際リアちゃんでいいか。リアちゃんの身長は綺月や涼莉と同じくらいか少し低いくらいである。それでも千影さんよりは身長高いんだよな……。まあともかくそのくらいの身長だと、実際肩車するには少々つらいものがある。単純にバランスが取りづらいのだ。ぐらぐらと足元がおぼつかなくなる。

 そして最大の問題は。

 リアちゃんは肩車をして俺の頭を抱きかかえるようにしているわけだが。

 その、ですね。

 当たるんですよ、頭に。ぷにぷにと柔っこいものが。ええ。

 これは良くない。非常に良くない。

「やれやれやれ、貴方にだけは会いたくないと常々思っていたのにまったく、願いどおりににはいかないのがこの世界の常なのかな?」

「無駄に策を巡らせるからダメなのよ。だって柵があったら壊したくなるじゃない」

 あの、リアちゃん。

 あんまりぐりぐり動かないでもらえないでしょうか。押し付けられてぐにぐに変形する感触で頭がどうにかなりそうでして。

 ていうかほっぺたに密着しているふとももの感触も地味にヤバい。なにこれ人間の肌ってこんなにサラサラしてるものなの。そんなものがほっぺたに触れる離れるを繰り返してなんだこれどういうことだ新手の拷問か。

 リアさんどう考えても行動が幼児化している。話している内容や思考は今までどおりのようだが、行動がいちいち子供っぽい。たぶん、リアさんがリアちゃんだった時がこんな感じだったのではなかろうか。

 ふむ。となると綺月と同じくらいの年齢の時だろうか。どんな年の重ね方になるのかわからないけど。


 ぐにぐに。ぷにぷに。ふにふに。


 なんていうか、まあ、うん。成長は人それぞれだよね。




 ダンッ!!




「ひいっ!?」

 空から降ってきた音に怒られたかのような気がして悲鳴を上げてしまった。

 見上げると、綺月が強く床を踏みしめた音だったようだ。

 ……なぜ今の音が僕を責めているように聞こえたのかは、気づかないふりをしたほうがいいのだろう。ていうかあんまりノロノロしてると今手にしている剣でぶった斬られかねない。

 剣を手に持った綺月の舞は、月光を時折刀身に反射させ、その光を湖面に落とし、更に湖面の波飛沫がそれを受けて輝く、というピタゴラスイッチのような現象とともに進む。

 普段鏡のように静かな湖面に波を立てるのが、今の綺月の踏み込みというわけだ。

 剣、というようにその手に持つのは両刃で長さはさほどないものだ。柄から刃先までせいぜい僕の腕の肘から先と同じくらいの長さだろう。

 刃先の一部だけが鏡のように磨きぬかれた刃に狙って光を落とす、というのは簡単な作業ではないはずなのだが、綺月はそれを当然のように舞の動作に混ぜる。動きに淀みはなく、しかし人としての迷いを映すかのような所作が所々に含まれる。

 舞は綺月の心そのもので、その意味解釈はそれを受け止める僕らの理解に委ねられる。

 そして綺月は、自分の心の正しい理解を他人に強要しない。理解されないことで悲しんだり怒ったりは当然するけれど、それを当然だと、そう受け入れている節がある。

 だから僕は勝手に理解したつもりになって、勝手に都合のいいように解釈するのだ。

 その結果として。


「さてリアさん」

「ちゃんでいいわよ」

 あ、はい、そうですか……。声に多分に笑いの成分が含まれているなぁ。

「ではリアちゃん」

「はいはーい、何が望みなの? 血種をくれてやったのはアタシだからね。今この場においちゃ、あんたのお願いくらい聞いてやるわよ」


 僕は、彼を見た。まっすぐに。彼は諦めの表情で肩をすくめた。

 何をされてももはや抵抗の余地はない。それが理解できている人の顔。だから。


「この結界を粉々に砕いて、綺麗な背景にでもしてしまって下さい」

「あいよ」


 きょとん、と彼が笑顔の種類以外の表情になるにの満足を得て。

 彼の思い通りを砕く僕の答えに、肩の上の彼女が僅かに嗤った気がした。





 頭からいった。

 いや、そりゃそうだよ。

 今まで正しく反転した世界にいて、元の状態に戻されたらそりゃあ頭から落ちるよ。

 ごつん、と脳天に突き刺さる痛みに悲鳴をあげる余裕もなくのた打ち回る。


「……楽しそうじゃないの」

「そう見えるのなら病院に行く事をすすめるよ」


 じわりと涙のにじむ視界の向こう、綺月は舞を続けていた。

 僕が落下したのは、舞台の端のようだ。湖に落ちなかったのは幸いというか、リアちゃんのせめてもの優しさだと思えばいいのか。

 ちなみにリアちゃんはというと、落下直前で背中から離れた感覚がしっかりあった。見れば狭い通路でくるくると回っている。たまにこちらに注がれる視線は愉快そのもの、といった感じだが。

 どうにも、見た目通り子供らしい無邪気っぽさと本来の愉快犯的な部分がカオスに混ざっている気配が。ていうか元に戻らないのかよリアちゃん二体に増えてるぞ。姉さんが涼莉と一緒に抱きかかえて大層幸せそうなんだが。

 そんな神楽殿の観覧席では、姉さんとリリスとリアちゃん(B)以外のみんなはきょとん、と突然落下してきた僕らに驚いている様子だった。気持ちはとても良くわかるけれど。


「やれやれ……いつまでもここにいるわけにもいかないね。僕もあっちに戻るよ」

「あ、今立つと危ないわよ」


 膝立ちに鳴った僕の首筋を撫でるようにひゅおう、と刃が通過していった。

 全身がぞっと寒気立つ。今地味に命の危機だったんだけど。


「あの、綺月さん?」

「いいからそこに座ってて。下手に動かれると逆に危ないわよ」


 いや、綺月の腕なら僕の動きに合わせて舞の動きを修正するくらい朝飯前だと思うんですよ。


「いいから」


 ふわ、と。

 光の欠片が降り注ぐ。


「そこで見ててよ」


 リアちゃんが割った世界。

 その欠片が降り注ぐ。月の光を受けて。星の光を繋いで。綺月の剣の剣先に、一欠片、一欠片。

 はらはら、ひらひら。桜の花びらのように降り注ぎ、刃に分かたれ、消えてゆく。水鏡に降り積もり、溶けてゆく。


「そばで見ててよ」


 舞台の床に。水面に。

 ひらり、きらりと世界が降り積もる。

 その中心で彼女は踊る。自分自身をその身ひとつで精一杯に表現する。


「せっかく呼んだんだもん。ちゃんと見てくれてないと、悲しいでしょ?」


 冗談めかして言う彼女は、静かに微笑んだ。

 だから逃がさない、という意志のこもった瞳に苦笑する。

 僕はその場にあぐらをかいて座り直す。すると、その足の間にリアちゃんがぽすんと入り込んできた。綺月は一瞬憮然としてこちらを見たが、苦笑ひとつで自分の舞へと戻る。

 やれやれ、なんというか。

 望外の喜び、というのだろう。こんな特等席で綺月の舞を見ることなんて、きっとたぶん二度とない。

 だからまあ。

 あの自称神様に、少しは感謝してあげてもいいのかもしれない。











 その後の姉弟の帰りの会話



「やっぱり綺月の舞は見てて楽しいわー」

 リアちゃん(B)と涼莉を両腕に抱えてほくほく顔で歩く我が姉は唐突にそんな事を言った。

 まだ熱の残る夏の夜。祭りからの帰り道。僕ら姉弟と涼莉、そしてふたりに分かれてしまったリアちゃんズは一緒に帰途についていた。

 リアちゃんズはいつまで分かれているんだろうか。ちなみに、リアちゃん(A)は僕の肩の上であくびをしている。完全にこどもだこれ……。


「姉さん。その……リアさんがちっちゃくなったことについて、なにかコメントは……」

「え……何が?」

「いや、成長が逆行してるでしょ。結構おおごとだと思うんだけど」

「涼莉だってよく姿変えてるじゃない。それを考えたら別に大したことでもないよ?」


 それは基準がおかしいからだよ! 相変わらず姉さんは超常現象に寛容なのか厳格なのかよくわからないな!!

 いやまあ、深く考えるだけ無駄なのは知ってるけども……。


 体に残る熱は綺月の舞にあてられたからだろうか。内に残る熱を吐き出すように深く息をつき、今日のことを思い返す。

 あの、自称神様。彼はなぜ、あんなことを言ってきたのか。綺月に進学させず、家業に集中させるというのはただの結果。問題は、なぜそんな事をいちいち僕に忠告する必要を彼が感じたのか。

 つまるところ何かが変わろうとしているのか、あるいは変わったのか。それこそ、神ならぬ身の僕にはわからないことだけれども。

 それでも、今の僕らの時間を奪われるのは我慢ならん。


 と。

 僕の気持ちが僅かにざわついた瞬間、姉さんがピタリと足を止めた。


「…………姉さん?」

「空」


 くるり、と振り返る。少女ふたりを抱きしめる顔は幸せに緩みきっている。けれど瞳にはもっと、それとは違う、愉快なものを見た、という色を見て。


「空が今日、何をしていたのかはよくわからないけれど、おねーちゃんがひとつ言いたいことがあります!!」


 にこっと、綺麗な綺麗な笑顔を浮かべ。

 月の光を斬り裂くような鮮烈な光を瞳に宿し。

 僕の耳元に、恍惚さえ感じさせる甘い声を落とした。


「よく我慢できました」


 耳元で囁く声に鼻血が出るかと思った。

 くるりと回れ右をして正面に向き直った姉さんは、幼女ふたりを愛でながらひとりでどこまでもテンションを上げ続ける。

 一方の僕はといえば、その場に立ち尽くしてしまった。いや、歩こうとすると足に力が入らないんだよ……。


「そーいえばさ、疑問だったんだけど」

「…………なんですか?」


 そんな空気なぞ知ったことかと言うように、リアちゃんが思いつきを口にした。


「別にアタシ、あいつを消せたし、そうでなくとも神域の娘に絡まないようにさせることもできたのに、なんであんなどーでもいいことをしたわけ?」

「はぁ……いやまあ出来るというなら出来るんでしょうけど」

 あんまり深い考えなんかなかったしな。

「まあ、そうですね。考えたくもないですけど、僕が人を殺すんなら、あんまり切実な理由は使いたくないんですよ。姉さんにも昔注意されたんですけど」


 あー、空ー。

 生き物の命を奪うなら、あんまりまじめな理由使っちゃだめだよ?

 空は変化球に弱いからストレートに受けたほうが踏ん張れるからー。


 いまいち何が言いたいのかはよく解らなかったけどそんな感じだった。大体あの時は監禁明けで精神状態もちょっとアレだったしな……。あ、ダメだ。思い出したら別の意味で足に力が入らなくなってきた。


「んでまあ後は、綺麗なものをもっと綺麗に見たかったって、それだけですね」


 あんな自称神様相手にマジになってもしょうがない。


「ふわぁ……ふぅん、そう。それよりももう眠いわ。早く帰りなさい」


 心底ただの興味だったんだろうなぁ。

 苦笑しながら、僕も姉さんを追って家への道をたどった。



なんか変な空気になってますが次回はいつもどおりです。

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