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僕と彼女と彼女の迷い

また期間開きましてすみませんそして長くなってすみません……。


誰々を出して話作れよ、というご意見等有りましたら、ええ、非常に有り難いです。

 夏祭りまであと十日。

 僕の街で夏祭り、といえば水津弥神社の例祭のことを指す。

 例祭は八月二十五日。この日は奇しくも、綺月の誕生日でもある。

 水津弥綺月、十四歳の誕生日である。

 しかし先にも述べたとおり例祭――神社の祭りの中でも特に重要な祭りであるため、普通の誕生日のようなことは、できるはずもなくて。

 だから僕らにとって綺月の誕生日は、その翌日の二十六日。綺月の家が落ち着いてから、という感じなのである。

 その日には、普通の誕生日のようにプレゼントをわたしたりお祝いをしたり。

 そんな習慣になっている。



 さて、水津弥神社の例祭。通称水無神霊祭では、ひとつ見物となるものがある。

 一般には公開されていない、祭りのピークの時間つまりは十八時から二十時の間中、ほぼずっと続く巫女の舞である。

 さすがに二時間ぶっ続けでは倒れてしまうので間に何度も小休止を入れるが、それでも過酷な作業であることに違いはない。

 その舞を踊るのが、五年前から綺月の役目となっていた。

 そして。

 その舞を見守るのは、僕らの役目だった。それは綺月が舞う前からそうだったし、綺月が舞うようになってからもそうだし、そして、今後。綺月が舞い続ける限りはそうだろうと思う。



 夏祭りまであと十日。

 綺月は準備に忙しい。





『あの子の相手をして欲しいのよ』

 そんな電話がかかってきたのは、夕陽が山の稜線にかかろうかという時間だった。綺月のお母さんにしては唐突な話なので驚いた。

 あのおじさんのストッパーだけあって、綺月のお母さんは非常に常識的な人だ。理性的な人と言っても通じるだろう。ただしおばさんと言ったら怒る。大人げなく怒る。泣きながら怒る。『おかあさんって呼んでいいのよ~』というかそれしか許してくれない。

 まあともあれ、基本的に常識的な人であるが故に、こんな時間にお願いごとでいま来てほしい、なんて言葉は滅多にない。

 だから僕は。

『わかりました。すぐ行きます』

 即答した。

 受話器を置くと僕の真後ろに立っていた姉さんに振り返らないまま晩ご飯は適当に済ませるようにお願いした。振り向かずに。いや、振り向いたらなぜか逃げられない気がしたんだよ……。

 ただまあ姉さんも不満そうな声を出して背中に抱きついてきてうーあー唸っていたけれど、快く、うん、送り出してくれた、よ?

 ともあれそんなこんなで僕は神社の階段の前に立っている。

 境内に続く階段は傾斜が急で、お年寄りにはやさしくない造りになっている。そんなわけで階段の横には小さな鳥居と社殿があり、そこでもお参りができるようになっている。分社の距離近すぎだろと思わなくもない。

 さて。

 さっさと階段を登ればいいのだけれど、問題があった。

 わざわざ階段から社殿へ意識を逸らしたくなるような問題だ。

 階段を見上げると……その頂上、大きな鳥居が見えるのだが、その中央に立つ人物が見えた。

 熊か何かかと思うような体躯の作務衣姿の男性。この距離からでは顔は見えないが、近づけば顔の右半分を覆うほどの大きな傷を負った顔が見えるだろう。若いころ、ヒグマに一撃貰ったという噂だ。死ぬて普通。

 彼こそ神の拳骨を持つ男、水津弥熊護である。

 なぜかその彼が階段の上から僕を見下ろしていた。

 まさか僕を待っていたのだろうか。しかしなんというか、あの鬼気迫る気配は待っているというより待ち受けるというか、こう。

 敵意が……すごく、大きいです……。

 あれー僕何かしたっけー?

 しきりに首をひねる。

 いっそ山道へと回りこむことも考えたけれど、あの人の場合なぜか一般道より山道のほうが移動速度が増すという謎スキルがあるので逃げきれる気がしない。

 いやいや待て待て、そもそも僕が逃げる理由なんてないわけで、うん。

 ここは素直に正面突破だよ、ね!!





 ということを考えた愚かにも程がある一分前の僕をぶん殴ってやりたいんですけど。

 誰かハイパーゼクター持ってないですかね。

 おじさんが無言で僕を見下ろしている。僕はのけぞるようにして、かろうじて笑顔でおじさんを見上げていた。なんていうかこう、顔をそらしたらそのまま締め出されそうな。

 じいぃぃぃぃぃぃぃ…………っと見つめ合う事数分。

「………………っぽ」

「おいまて熊オヤジ」

「誰が貴様の父親かあああああ!!」

 いや違、そうじゃな、いやあの。

 襟首つかまれてグイグイ前後にシェイクシェイクブギーな胸騒ぎ。古。

「貴様そうやってはっちゃんを奪っていくんだな、そうなんだなぁああああああ!!」

 熊の咆哮が夕焼けに消えていく。声、というか轟音に脳みそが上下にクラッシュする。ちょ、あの、勘弁願う。

 脳が揺れて相手の言語をが聞こえるのに理解する余裕が無い。あががががが。


「ちょ、あの、おじさ、吐き気、うえぉ」

 あ、なんか限界、やば。

「はいもうお父さんちょっと落ち着いてー」

「があああああああああっ!!」

 ぱ、と襟首が解放された。何事かと思ったが、どうやらおばさ……綺月のお母さんがおじさんにアームロックをかけてくれたらしい。

 ちなみに綺月のお母さんの体格は綺月より少し大きい、くらいのもので、おじさんと並ぶと遠近感が狂う。その体でおじさんにアームロックをかけているんだから、だまし絵でも見せられているような気分だ。

 というか、なんかめりめり腕から音がしてるんですけど。それ以上いけない。

「まったくもうこの人は、しかたがないんだから……うふふ、まあ、そんなところも可愛いのよ~」

 ぽ、と頬を染めて体を揺らすけれど、その動きに合わせておじさんが小さく悲鳴をあげている。あの、のろけるは結構ですがせめておじさんを開放してあげてください……。

「あの、おばさ」

「え?」

「綺月のお母さん、そのへんで……」

 一瞬笑顔の裏に修羅が見えた。軌道修正は強引だったが、どうやらセーフのようだ。今日は判定甘い日らしい。

「うーん、でもゆっくん離しちゃうとすぐに空くんに襲いかかっちゃうよ。あ、性的な意味は無いからね!!」

「なぜ最後に一瞬たりとも考慮しなかった訂正を加えるのか……」

 慄然とする。彼女の頭の中ではその可能性が多少なりとも存在しうるのだろうか。可及的速やかに捨ててほしいな、その可能性……。

「ええと……それじゃあお言葉に甘えて、僕は行きます。綺月は裏ですか?」

「ええ、舞の練習をしているから」

「わかりました」

 綺月のおばさ、

「え?」

 綺月のお母さんに軽く頭を下げて! そのまま社殿の裏へ足を向けた!!

 ……僕の周りにいる人で僕の心を読めない人って、誰かいないかなぁ。





 神社の本殿の裏手には小さく道が続いている。人目につかないように作られたその道の先へ行くと、からくり式の鍵が埋め込まれた壁が立ちはだかる。十三の工程を経てその鍵を開けて、小さく開いた隠し扉を通ると、小さな神楽殿がそこにある。

 水津弥神社の祭神は気難しい方のようで、あまり人の多いところは好きではないそうだ。そんな祭神さまのための舞を捧げる場として、この神楽殿があるらしい。

 神楽殿の入り口の横に人がギリギリ通れる道があるのでそこに入る。水津弥の一族と許された人以外は、招かれざる客として、入り口を使うことは許されていない。

 膝まである高さの草を踏みしめて裏手に回るとそこには湖がある。

 湖は広く、幅は百メートル近くあるだろう。水源になっているのか、色は澄み決して浅くはない水底までも見通せそうなくらい。周囲も緑が豊かで夏の夜だというのに熱気より水気を強く感じる。

 神楽殿の裏面には壁がなく、縁側の様にも見えるけれど実際には階段の形になっており、これを観覧席と呼ぶ。観覧席から床がまっすぐに湖に向かって伸びた先が舞台になっているのだ。

 舞台の広さは十五メートル四方の正方形。木造で、漆の塗られたつるりと綺麗な床板が印象的。

 まるで湖に浮かんでいるようにも見える。

 ……そんな舞台の中央に、白い布がもふぅっ、とこんもり山を作っている。

 ピクリとも動かないその物体を遠くから見て、僕はさてどうしたものかと首をひねる。

 ひとまず靴を脱ぎ、舞台に続く床に上がる。床の幅は人一人がギリギリ渡れる程度でしかないので、とても慎重に歩く必要がある。

 あれはまあまず間違いなく、綺月に違いないだろう。舞の練習用の衣装に違いない。周りには刀、剣、鈴、槍、弓。鮮やかな装飾が施された神楽舞のための道具がごろんと転がっている。

 僕の記憶が正しいならば、これってそれぞれそれなりに重要な意味があったと思うんだけどな……祭りの意味でも文化的な意味でも。まあ、持ち主の感覚としてはこんなものなのかもしれない。


「……………………、綺月ー?」


 びくぅっ!!

 と、なにやら震える布の山。近くで見れば、それが巫女服であることが見て取れた。これもまた、普段綺月の着ているものと比べて華美であることが分かる。そもそも重ね着前提の時点で普段着るものとは一線を画しているといえる。

 もぞもぞと巫女服のはしからぴょこんと綺月の顔が出てきてこちらを見た。

 寝起きの瞳が茫洋と僕を見つめる。

「…………やあ」

「…………うん。…………うん?」

 視線がふわふわと宙をうろつき首をしきりにかしげて。


「にゃあああああああああああっ!?!?!?」


 ずばばばばっ!! と素早く衣装を整えてダッシュで離れた。

「て綺月危なあああああああっ!!!!」

「きゃああああああああああっ!!!!」

 慌てすぎたせいで、危うく舞台から湖に転げ落ちてしまうところだったけれどギリギリ踏ん張った綺月。心臓に悪い。

「んにゃ、にゃんで空がいきなりいるのよ!」

 綺月は真っ赤な顔で抗議の声を上げた。まあ、理由はよく分かる。いくら親しい間柄とはいえ、僕も寝起きの顔はあまり見られたいものでもないしね。

「綺月のお母さんに呼び出されたんだよ。相手をして欲しいって」

「お母さああああああああああん!!」

 綺月が真っ赤な顔で神楽殿へ向かって――より正確にはその更に向こうでイチャついている母親に向かって盛大な抗議を叫んだ。

「っていうかなによ、来るなら来るって一言くらいあってもいいじゃない!」

「いや、神楽殿には電話ないじゃない……」

 更にいうと電波も入りづらい。神楽殿と湖の範囲に限っては極端に。おそらく神様の不思議パワァでも働いているのだろう。

 人間嫌い、というわけでもないらしいけれど……煩わしいのが嫌いなのかもしれない。まあ会ったこともない存在に対しては想像で語る以上はないし、それにしたって人間とは存在の法則が違いすぎて想像の範囲の外にも程がある。考えすぎても意味は無いだろう。

「はあぁぁぁぁ。それで、こんな時間に律儀にお母さんの言葉を聞き入れたってわけ?」

 こんな時間。

 確かにこんな時間、だろう。

 家を出た時間ですでに日は沈みかかっており、すなわち現状夜である。空は薄紫色で太陽の気配を残して入るものの、それは一刹那おきに夜の深い青に溶けていく。

 やがて月が昇る頃には、舞台も湖も夜の色に染まることだろう。

 舞台は水面から五十センチ程度の高さしかないため、夜の闇に沈んだ舞台で踊る綺月は水の上で舞う妖精のようにさえ見えるに違いない。

 毎年綺月の舞を見るのを楽しみにしているのは、その幻想的な光景に浸ることができる、というのが大きい。

 さすがにその幻想をぶち殺すことは誰にもできないだろう。

「綺月のお母さんの……というかまあ、綺月が困ってるんだろうなって思ってね。本番まで十日っていうのは、時間があるようで意外とないだろうし、せっかくなら万全の舞がみたいじゃない? 僕、綺月の舞は大好きだし」

「大…………っ!!」

 綺月の声が甲高くひっくり返って湖面に反響した。

 夜の闇に溶けこみかけて表情はよく見えないが、あんぐりと大きく口を開いて硬直していることだけはよくわかった。

「綺月、大丈夫?」

「大……っ、丈夫、よ、うん……平気、平気だから。うん、いつものことだし……」

 なにやら綺月の様子がおかしい。

「急に動くから心臓に負担がかかったんじゃない」

「違くて」

 綺月が手のひらをパタパタとゆらす。

「負担はむしろなくて、どちらかと言うと重さがなくなったからこうなってるの」

 わかんないだろうけど、と締めくくられた言葉はそのとおり、僕には難解なものだった。





「それで、今年はどうしたの?」

「今年って、あなたね……」

「けどもう毎年恒例みたいなものじゃない、これ?」

「うー……」

 綺月が抗議の視線を向けてくるけれど、これをさらりと受け流す。

 何しろ事実なのだから。

 神楽舞を初めてからというもの、綺月は毎年大なり小なり躓きを見せた。それは物理的なものだったり心理的なものだったり大なり小なりの障害が、彼女の前、或いは中に存在したからだ。

 僕なら上手くはぐらかすだろうし夕陽ならそんなものを気にしないけれど、綺月はまっすぐだから、そういった壁のひとつひとつと真っ向から向き合う。

 ある意味で不器用とも言えるだろう。もっとも、そういった性質を好ましいと思えるけれどね、僕は。

 ズボンを膝までまくり上げて舞台の端に腰掛ける。ひんやりとした水が足を包む。

 街の喧騒から隔絶された異界のような場所だけに、心の落ち着きもまた格別だ。

「また、舞ができなくなったんじゃないの?」

「そ、そんなことないもん! 去年と同じようにちゃんと踊れているわ!!」

「去年と、同じ?」

「うぐ……」

 綺月の反論は、思ったよりも深刻な内容だった。

 なにしろ。

「去年と同じように舞うようにしているの? それとも……去年と同じようにしか舞う事ができないの?」

「それは、その……え、と……」

「…………ああ、うんごめん。綺月のお母さんが僕を呼ぶんだから、そういう事だよね」

 こくり、と頷いて、綺月も僕の隣に腰を下ろした。

 長い緋袴を大きくめくり上げ、太ももまでその白い脚が顕になる。

 綺月は沈んだ様子でその事を深く気に留めている様子もない。

 うん。まあ。

 本人が気にしていないのなら僕がわざわざ忠告するのは筋違いというものだろうねいや別に眼福とかそういうのではないのだ。うん。

 まあ実際のところ暗い表情の綺月を見ていると僕まで一緒に沈んでしまうので、無理にでもテンション上げないといけないんだよね。

 幼馴染みふたりにはどうしても引きずられてしまうので、これはまあ僕の性分なんだろう。

 なのでテンションの上げ方についての抗議は受け付けない。大事の前の小事。

 さて。それはさておき、綺月の舞について。

 創作ダンスでもないので、そりゃ自由に踊る、というわけにはいかない。

 綺月の神楽舞は、無数にある基本となる一連の動きを、舞い手本人が自由に組み合わせ継ぎ接ぎすることで大きなひとつの舞とするのだ。


 神楽舞は神に捧ぐものである。

 そしてこの場合、捧げるものは綺月の心そのものだ。綺月の今その瞬間の心の有り様を、水鏡の様に舞に映して祭神に捧げるのだ。

 心の有り様は常に変わる。鏡のように見える水面でも、そこに見えない流れがあるように、常に同じであることなどあり得ない。

 故に、昨年と同じ舞になるなどあるはずのないことなのだ。

 そうなってしまうとすれば、それは、綺月が今の自分の心を映し出すことができていないという事。要はスランプに陥っているのである。

 これは今までにはなかったことだ。

 先にも述べた通り、綺月はとても素直な心根を持っている。

 故にその舞は毎年違った印象を与えるものだった。その時の感情が毎年同じ、なんてあるわけはないのだから。

「何かあったの?」

 綺月は口をつぐんだ。けれどそれは答えることを拒絶したのではなく、答えをうまく表現できないがために、認識の混乱を嫌っての事だった。証拠に、何かを考えるように膝の上で両手を組み、両手の指をゆっくりと絡ませる。その仕草は悩ましく、艶かしい。

 さて。

 それでは僕も考えなければならない。

 僕が呼ばれたのは、そのためなのだ。僕が綺月のお母さんに期待されているのはつまりそういう事なのだ。

 綺月に神楽舞を。

 彼女の望む舞を。

 彼女の心の澱を掬い上げ、檻を開く。

 実に親心溢れているといえるだろう。あの人はただ、娘が悩んでいるのを見ていられないだけなのだから。

 そして。

 幼馴染が苦しんでいるのなら万難排して力になりたいと思うのは当たり前のこと。


「去年の舞以外でつなげようとするとどうなるの?」

「んー、なんか足が途中で止まっちゃうっていうか……練習にもならない感じ。去年通りの動きをしようとするとなんとか続けられるから、ひとまずそれで型の練習だけはしてるんだけど」

「なるほどね。とはいえ、いまだに型の練習ってそんなにやるものなの? どうせ毎週やってるんでしょ?」

「最後の追い込みのあるなしじゃ、やっぱり完成度は変わってくるのよ? 腕の角度の一度、足を踏み出す一センチで全然変わってくるんだから」


 そういうものなのか、と素直に感心する。

 それにしても難儀な舞である。彼女の心を表現するものであるがゆえに、彼女の心が受け付けない表現はどうあっても本人が続けられないらしいのだから。一種の自己催眠のようなものなのかもしれない。

 故にひとつひとつの動きにはゆったりとしたものから相当に激しいものまであるらしい。極端なのは見たことないけれど、激しいものになるとさながら格闘ゲームの連撃系超必殺技ばりの動きになるらしい。

 少々コツがいるが二段ジャンプまでなら出来る、とかよくわからないことをたまに言う。

 ちなみに、一番動きのないものは、とにかく静止するそうだ。可能な限り呼吸まで抑え、その場で石のようにぴったりと。それはそれで辛いとのこと。

 その時の心を表現するのだし、まあ確かに色んなパターンがあっても良いのだろう。今までは毎年、綺月は落ち着いたコンディションで神楽舞に望んでいたしね。もしも直前にノーミソフットーするような怒りを覚えたら、そんな舞もみれたのだろう。いや、見たくないけどな。


「まあともあれ何が原因なのかがわからないと解決なんてどうしようもないね」

「だから困ってるんじゃない……ああもう、空に八つ当たりしたってしょうがないわよね……はぁ」

 ……落ち込んでるなー。

「別にさ」

 苦笑が浮かぶのを自覚する。

「八つ当たりくらいいいじゃない。そんな事で喧嘩するような間柄でもないし……もし喧嘩したって、すぐにまた元通りになれるんだから」

「……そうかしら。わたしは、空ほどわたしたちの関係を……わたしの心を信用できないよ」

「いつになく弱気だね」

「弱気にもなるわよ。毎年毎年、この時期になるといつもそう。あれが気になってこれができなくて、結局、誰かに助けてもらってる」

「たまにはいいじゃない。僕なんて誰かの助けがなかったら人生何回やり直すはめになってることか…………いや待てよ、しかしその原因は手を貸してもらってる相手なんだよな、大抵……」

 何やら僕の立場には重大な瑕疵というか矛盾というか、盛大なマッチポンプの存在が見え隠れしている気が。

 身内が原因の破滅を回避するために別の身内の力を借り、今度はその身内がやらかしてまた別の身内の力を借り……。


「やめよう。考えると泣きそう」

「空……」


 あなた、今更――と視線で呆れられている気がした。気がしただけだ。言葉にはなっていないので思い過ごしである。

 思いは口にしなければ伝わらない。もっとも、口にしたからといって正確にそれが伝わるとは限らないわけで――――いや、待て。


「空、どうしたの? いきなり人生に絶望した?」

「なんで唐突に僕を破滅に追いやりたがるの、皆。違うからね、僕明日も元気に生きてるからね?」

「…………からの?」


 何もねえよなんの期待してんだよ。


「いや、おふざけはいいから。ていうか君さっきまですっげぇ沈んでたのにこっちが沈んだらすごい勢いで浮上しててくってなんかずるいよ」

「や、なんかそんな空気かなって思って」

「ひどい思い違いだから。僕自分に優しい生き方を志してるからね」

「かーらーのー?」


 だからねえよ。

 落とせ。落ち込むなとは言わないけれどとにかくそのテンションは落とせ。

 綺月がぱしゃぱしゃと両足を軽くばたつかせて水が跳ねる。その姿は可愛らしさに幻想的な雰囲気が混ぜあわさり魅力的この上ないが、可愛けりゃ全て許されると思うなよ。

 そうやってイタズラっぽい笑みを浮かべられると怒るに怒れないけどな!


「とにかく、そのへんの話は置いておくとして」

「置いてっちゃうんだ」

 ちゃうんだよ。

「ふと思ったんだけど、もしかして綺月、もう今年の舞は踊れてるんじゃないかと思って」

 そんな僕の言葉に。

 綺月はきょとん、と首を傾げた。

「いや……だからそれができないから落ち込んでるんだけれど……」

 まあ、そうなんだろうけれど。

 正確にはそう思い込んでいるんだろう、というのが僕の結論なのだが。


「だからさ……『去年と同じ舞にしたい』という思いがあるから、去年と同じようにしか動けないんじゃないかなって思ったんだ」

「――――」

 綺月、が目を見開くのを見て、言葉を続ける。

「この場合問題になるのは二つ。ひとつは、綺月がその事を意識できていないってこと。綺月のどんな思いがそんな舞にさせるのか自覚していないから、思うように舞えていないって感じるんだと思う。そしてもうひとつは、その事を綺月が嫌っていること。去年と同じように舞う事自体は規則から外れることでもないしね。それでも、そうなってしまうことを受け入れられないっていうのはきっと…………」


 ふと、言葉に詰まる。

 果たしてこれは、僕が告げていいものなのだろうか。

 これは彼女の心を暴く行為だ。

 決してほめられた行為ではないしそこに正当性があるとも思えない。

 その事に躊躇いを覚えていると。


「いいよ、空」


 綺月の優しい眼差し。

 慈しみの光を湛えたそれに、ふ、と心の重みが消え去った。


「教えて。空がわたしに、それをおしえてちょうだい?」


 それはもしかしたら、彼女の甘え。

 だから僕は――彼女の甘えに、甘えよう。


「綺月はきっと、怖かったんだと思う。変化が。去年と――今までと何かが変わってしまうことが」

 それが何なのか、なにに由来するものなのかまでは、僕にはわからないけれど。

 そして。

「それと同時に、変化を恐れる自分を許せないんだと思う。綺月は真っ直ぐだから」

 真っ直ぐで、足を進めることに強い意志を持っているから。

 それはある意味道を定めたからこそ持ちうる強さであり、それゆえに曲げることのできない強情さでもある。

「僕や夕陽は未来とか将来とか、そういうのがあやふやで現実味がなくて、ふらふらふわふわしてるけど……綺月にとってはそうじゃないからさ。

 目指すものがあるけどやっぱり変化が怖くて――でも変わることを恐れる自分を認めるわけにはいかないんだと、そう思うよ」

 その心は気高いけれど。

 孤高であるがゆえに孤独にも苛まれる。

 そういう意味では綺月に最も近いのは姉さんかもしれない。

 姉さんは自由だけど……つうか自由すぎてちょっとどうしようもない感はあるけれど、あの自由さにしたって縛るものが何一つないが故の部分があるし。

 縛られた綺月も縛るものがない姉さんも、その立ち位置に並び立つ者が存在しないという点においては同じ境遇だといえるだろう。

 僕の言葉に綺月は顎に指をあててしばし何かを考えている様子だった。

 難しい表情で湖面をじっと見つめている。そこには納得と反発の感情が半分ずつうかがえた。

 しばらくして、ちら、とこちらに視線を投げた。

「……いやでも、ここは変えたいところなのよね」

 何やらつぶやいている。意味はわからないが。ううむ。

「うん……でも、そうね。なんとなく分かった気がする。わたしが何を思っているのか。何を思うことを避けていたのか」

 ふう、と深い息をついて、綺月は空を見上げた。

 いつの間にか夜空には星と月。天の中央に白い輝きが浮かび、散りばめら輝きもそれに負けないくらいに存在感を発している。

 空はどこまでも暗い。そして、どこまでも賑やかだ。その光のそれぞれが、数千年の距離を離れているとしても、今この瞬間は同じようにこうして見えている。

 孤独の中で輝いている。


「わたしね……高校生できないかもしれないの」


 綺月のつぶやきに、言葉を返す事ができなかった。

 心底、肝が冷えた。

 今までに命の危険を感じたことはいくらでもあるけれど、魂が縮み上がるような痛みを感じたのは初めてだった。

 それほどに綺月の言葉は、致命的なものだった。


「まだ、わからないんだけど……でも、でもね……」

「うん」


 綺月の手を握った。指先だけを、ささやかながら。

 僕らはずっと一緒だった。ほんの一年、小学校と中学校という学年のズレで一緒にいる時間が減った時期はあるけれど、それでもずっと一緒だった。

 綺月の道の特殊性。彼女の才覚。

 それはずっと知っていて、理解していて。だからこそ。 


「……それは、嫌だね」


 心底、それが僕の気持ちだった。








 そして僕らのその後は始まる


 僕の言葉に何か効果があったのか、綺月はひとまず、吹っ切れた様子だった。


「まあ、何が出来るかわからないけど、何かあったら言ってよ」

「うん…………頼りにしてる」


 その言葉を正直に受け取れるわけではなかったけれど、僕は舞台を後にした。

 濡れた足でわたる廊下は少し滑りやすく、少々心臓に悪い。


 あのさあ、と、呟くような声が背中にかかった。床幅のせいで振り返ることも難しい。

 だから、その場で返事をした。

「なに?」

 僕の言葉にしかし返事はなかった。ただ、躊躇いの気配が伝わってくる。

「空さ、わたしの舞、大好きって言ってくれたじゃない?」

「言ったね」

 事実なのだから否定する要素はない。少々気恥ずかしく思うものの。

「じゃ、じゃあさ! その、わたしの事……は?」

「へ?」

 あまりにも。

 あまりにも想定外のその言葉に、無意識に間抜けな声が漏れた。

 何しろそれは疑問にさえならないほど当然で必然で決定的で確定的な事を聞かれたのだから。

 そう。

 例えばそれは『あなたは今生きていますか?』と聞かれているようなことで。

 だから思わず笑ってしまって。

「あははは。普通に好きだよ、綺月の事は。当たり前じゃない」

 おかしくて、湖に転げ落ちないように気をつける必要があった。

 そんな僕の言葉に綺月は、はぁ……、とため息か嘆息を漏らす。そこには呆れやあきらめが滲んでいるように感じられたけれど、気のせいだろうか。

「うん、そうよね……はぁ……舞は大好きでわたしは普通に好きなのね……うん、そう……」

 なにやら一人でブツブツとつぶやいていたが、あのね、と、強い声がかかった。


「あの、さ……わたしは。わたしは、ね……、空のこと、好きだよ」


 何かを確かめるように、噛み締めるように。

 まるで大切な宝物を抱きしめるような声で。

 けれど。


「え……? う……ん? や、僕も好きだよ?」


 ……あれ? さっき僕普通に綺月が好きだって言ったよな。あれー? 記憶違い? 誰かセーブポイントからロードしてくれない?


「いやだからね、そうじゃなくて……あー…………」


 わしゃわしゃと音がする……ってまた手櫛してるんじゃないだろうな……。


「…………うん、いいや」

「え、いやあの、綺月さん?」

「いや、いいから。あんまり翼ねーさんから空借りてるとあとが怖いし、もう帰ってあげて。わたしはもう大丈夫だから。ありがと」

「なんだかもー色々と納得がいかない」

 追い出されている空気満々である。

 まあ、綺月が大丈夫だといっているしひとまずそれで満足するとしよう。

 しきりに首をひねりながら、僕は歩みを再開した。


「まあ、今はそれで満足しておくわよ」


 そんな声が聞こえたのは、果たして空耳だったのか。


 静かな舞の音を聞きながら、湖面に映る星月の中を振り返ることなく、僕は軽い足取りで家路についた。



うわぁ長ぁい。

こっちは手短に読みやすい話を心がけているのに……。

ええと、なんかちょっとアレな雰囲気ですが、まあうん。なんでこうなったんだろう……。


ちょこちょこ、単発だと話がわかんなくなる流れになりそうな……むーん。

とりあえず次回は平常運転に戻ります。ええ。

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