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僕と姉さんと僕のお願い

 自分の作品を見なおしてみると、ギャグを暴力的な描写に頼っているな、と。

 もっと会話やら無茶なシチュエーションで笑わせられるよう、努力したいですね。

 最近、そんな作品を読んだのでそんなことを考えました。

 八月になってすでに二週間が過ぎた。

 長い夏休みも、確実に終わりへと向かっていることが、カレンダーを見る度に実感できる。なので、なるべくカレンダーには視線を向けないようにしながら過ごしていた。

 そんな日のこと。





 あいも変わらずの陽射しを横目に、僕は朝から掃除をしていた。

 あの海から帰ってしばらくはのんびりしていたが、流石に毎日だらだらするには夏休みは長すぎる。活動的ではないことを自覚している僕にとってもそれは同様だ。

 ならば活動的を絵に描いたような涼莉はというと、今日も外に遊びに行っている。

 姉さんは遊びに来たリリスと自室にいる。まあ、ガールズトークにでも花を咲かせているのだろう。ましゅまろは姉さんのクッションがわりだ。

 時刻はすでに昼。

 綺麗になった部屋を見回し、ぼくはうん、とひとつ頷いた。

 こうして部屋を綺麗にしているのには、実は理由がある。なんと両親が帰ってくるらしい。あちらも仕事の休みがまとまってとれたとかで久しぶりに家族で過ごそうという話になっているのだ。

 ましゅまろの事はどう説明したものかとも思うがなるようになるだろう。何しろ僕の両親で何より姉さんの両親なわけだし。


 さておき。


 そんな掃除も一段落して僕はベッドにゴロンと横になる。開け放たれた窓からふわりと風がそよぎ、レースのカーテンを揺らす。陽光がちらちらと踊り、閉じたまぶたの向こうから瞳を焼く。

 と。

 机においていた携帯電話がなった。

 体を起こして机に歩み寄る。手にとったその画面に表示されていた名前は……姉さん?

 おかしいな。部屋にいると思っていたんだけど。掃除している間に外に出たのだろうか。いや、流石に姉さんが外に出る気配を見逃すなんて事はありえるはずがない。そんな事考えるだけ無駄で無意味だ。

 ふむ。

 まあ出れば分かるか。そんな当然の事を考えて、通話ボタンを押した。

「もしもし姉さん、どうしたの?」

『うんー。掃除が終わったみたいだから、ちょっとお願いしたいことがあって』

 なるほど。掃除機が止まるのを見計らっていたようだ。

 というか。

「はぁ……いやそりゃあ、無茶な用事でもなければ別に構わないけれど……姉さん自分の部屋だよね」

『うん、そうだよ。リリスもいるよ』

 それは知ってる。

「ええと、なんで電話? こっちに来るなりするのも面倒とかそんな状態?」

『まっさかー。おねーちゃんは空に合うためならどんな壁だって壊してみせるよ』

 ありがたい話である。

「あははは。まあ、電話で話すより直接話すほうがわかりやすいし、僕そっちに行こうか?」

『んーん、いいよ、わたしが行くから。あ、空、今部屋のどのへん?』

「え? 僕なら今机の前にいるけど」

『そっかー』


 ざしゅ


「『わかったー」』

 姉さんの声が電話と肉声でダブった。

 そちらを振り向くと、今まさに小麦粉かと思わずツッコむレベルで細かく刻まれた壁がふわりと崩れ落ち、笑顔の姉さんが姿を表したところだった。壁が崩れる音にふわりって。

 あかん。

 あかんて。


「『あれ、空。どったの?」』


 姉さんが首を可愛らしくかしげる。

 けれど。けれども、だ。

 僕は混乱する思考をなだめるように、携帯を閉じた。


「姉さん……あのさ、何してんの?」

 何してんの、ていうか、何してくれてんの?

「何って、何が?」

「いやさ……なんでいきなりのっけから腕っ節に訴えかけるの?」

「そうだねえ。空に早く会いたかったから、かな!」

「うん、ありがとう」

 それは素直にうれしいのでちゃんとお礼を言っておく。

 しかし。

 しかしである。

「今日はダメだよ姉さん……! 今日に関してはなんかよくわからないけど、そういう物理的な方面に訴えるのはよくないと思うんだよ姉さん!!」

 いや。

 本当によくわからないんだけどね。

 今日に限ってはそういう気分だったのだ。本当に。いきなりダメになった感があふれてどうしようもないけれども。

「うーん、空がそういうのならそういう日も有りかなって思うけど……」

 姉さんは腕を組んで難しい顔をして。

 自分の中で何かしらの答えを出したのか、うん、と答えを出した。

「弟のお願いを聞いてあげるのもおねーちゃんの役割だものね! わかったよ空、今日は刃物は使わない。その方向で行こう!!」

「ね、姉さん……!!」

「空……!!」

 僕らは駆け寄って、ひっしと力強く抱き合った。

 あ、落ち着くなこの体勢。


 と、和んでいると。


「……ふたりとも、なにしてるの」

「リリス、そんな事もわからないの? これはね、姉弟の絆を確かめ合っていたんだよ!!」


 完全に呆れ顔のリリスに、抱き合ったままの姉さんが声を自信で輝かせて答えた。

 どうでもいいけれど、抱き合っているとリリスの絶対零度の視線が僕一人に集中的に浴びせかけられて、少々居心地が悪い。

 まあ確かに、いくら知り合いの前とはいえちょっぴり距離感が近すぎる状況ではあるか。

 名残り惜しくはあるものの、お互いに腕を放して――放して――放――。


「あの……ちょっと姉さん?」

「絶対にノゥ!!」


 離れて、とお願いする前に答えを提示されてしまった。


「いやあの、姉さん?」

「いいですか空。おねーちゃんはさっき空のお願いを聞きました」

「うん」

「では空は今度はおねーちゃんのお願いを断るべきではないのです。なので空は、今日一日中おねーちゃんを甘やかしなさい」


 部屋に沈黙が降りる。

 感情の読めないリリスの視線を受けながら、姉さんの言葉を吟味する。

 ふむ。


「…………なるほどさすが姉さん、一分の隙もない完璧な理論だ…………!!」


 なぜかリリスが驚愕に目を見開いた。なぜだ。


「それにしても姉さん、急に甘やかせなんて言っても難しい議題だよ。普段から多少やっていることならまだしも、普段やらないことをいざ突き詰めろ、というのは、実に難しい問題だと僕は思う」


 なぜかリリスが愕然と口を開いていた。何故に。


「どうしたの、リリス」

「うん……その……。普段のあなた達は、違うの?」


 リリスにしては珍しい、煮え切らない言葉の首を傾げる。姉さんも首を傾げるものだから、お互いの頭がぶつかった。

 思わずそちらを見ると、姉さんもこちらを見ていた。それがなんだかおかしくて、小さく吹き出して笑いあった。


「そうそれ、そういうの」

「へ?」

「だから、あなた達。普段からお互いに甘やかしてると思うの」


 再び姉さんと視線を合わせる。その瞳に浮かぶのは理解不能の困惑だ。



「僕ら普段は結構お互いドライだよねえ」

「そうよねえ。姉弟で人前でベタベタするのもどうかと思うし。あ、でも涼莉にはついつい甘くなっちゃうのよね」

「ああ、その気持は僕もわかるよ。うん……って、リリス? ちょ、どうしたのさリリス?!」



 なぜかリリスが真っ白になって立ったまま気絶していた。





 リリスが立ち直るのにおよそ十五分を要した。

「全く驚いたよ。急に気絶するんだもん。どこか調子が悪かったりするの?」

「悪いのはどちらかと言うと、現実」

「リリスはたまに難しいことを言うわねー」

 大事には至らずほっと胸を撫で下ろす僕に対してリリスは呆れと不満の入り混じった表情を見せた。

 部屋は姉さんの部屋。姉さんはベッドに腰掛け、その前に僕が座る。その前にちいさな机を挟んでリリスが座っている格好だ。

 姉さんはまるで肩車の時のように僕の肩に足をかけ、頭の上に顎をのっけている。


「たまに思う」

「うん?」

「あなた達、ちゃんと血は繋がっているの」


 何を当たり前のことを。

 僕と姉さんは正真正銘血縁関係のある姉弟である。そこに疑う余地など一片もない。

 個人的にはもう少し男らしさのある精悍な顔つきになりたいとは思うものの、それなりに似通っている顔もある種証明にもなるだろう。


「や。性別を変えたクローンとか」

「それもうただの血縁以上の関係だよね」


 そもそも現代技術では人間の完全なクローン技術は確立されていない。異世界にはあった。未来にあるのかはしらない。ジュス様は自力で作れそうだけれどスーパー魔王大戦が始まったら嫌なので聞きたくない。


「そもそもリリスはどうしてあたしと空のことをそんな風に思ったのー? こんなに家族仲良く暮らしているのに」

「そうだよ。父さんは別に帰って来なくてもいいけど帰ってきたらちゃんと親として扱うし。別に帰って来なくてもいいけど」


 いや、割と本気の意見で。姉さんが苦笑したのを、頭に伝わる振動で感じた。


「まあ、お父さんは空の事大好きだもんねえ」

「愛が重い……」


 父さんのスキンシップは、なんというべきだろうか。重いというか、くどい。全身に重量としてのしかかると言うよりは底なし沼に両足膝まで突っ込んでいるような感じ。

 具体的に言うと、僕が構わなかったら凹んだりえんえんとつきまとうのではなく、すっごい残念そうな表情でブツブツひとりごとを呟きながらじっと見てくる。ちらりとそちらを見ると、いかにも気にしていない風を装っているものの、無理しているのがバレバレなのだ。

 くどい。

 ちなみに僕はまだましな方で、姉さんがかまってくれないと僕より数段面倒くさくなる。空気の重さのレベルが違う。

 さらにいうと母さんと喧嘩すると心が死ぬ。

 豆腐メンタルにも程がある。


「まあそんな感じで、うちは普通に仲のいい家族だよ」

「普通……」


 リリスが神妙な顔で黙りこむ。はて。

 ああ、そういえばリリスは一人暮らしだったか。さては家族のことを思い出しているのかも知れない。

 リリスの家庭の事情なんかは、僕はほとんどが知らない。姉さんなら多少知っていると思うけれどその姉さんが今何も言わないのだし、僕からなにかいうのは差し出がましいというものだろう。

 僕はふと思いついた。


「なんなら、今度夕陽にこんな感じでスキンシップしてみたら?」





 ――――。

 いや、軽い冗談のつもりだったんだ。

 別にからかうとかそんなつもりはなかった。ただ、リリスがもうちょっと積極的になってもいいんじゃないか、なんて思ったりしただけでさ。

 手始めに、僕ら姉弟のスキンシップをお手本にするなら簡単だろうし、ハードルもそんなに高くないでしょ?

 だからさ、まさかリリスがそこまで、ほら。

 過剰反応するとか思わなかったんだよ。





 ぐしょり。

 と、湿っぽい、重い、生々しい音が目の前を埋め尽くした。

 僕が聞いたのは『ひぁっ?!』というリリスのやけに可愛らしい悲鳴。次の瞬間にはそれだった。

 何が起こったのか理解できなかった。

 ただ、たっぷり十数秒かけて周囲をぐるりと見回す。

 やはり何が起きたのかはわからなかったけれど、結論として残った結果だけははっきりと理解できた。

 部屋中に臓腑が飛び散り、僕と姉さんの直線上以外のベッドが消失し、その向こうの壁にぽっかりと穴が開いて、青空が見えていた。

 吹きつける熱気が風となり前髪を揺らす。

 ふむ。

 なんだかよくわからないけれど、結論としては。そうだな。

 リリスが放った『何か』により、僕ら姉弟を含む直線上が削り取られるところだったけれど、右腕をつきだした姉さんがその『何か』を斬り裂いたお陰で僕と姉さん(と、その周囲のベッド)だけは無事で済んだ、と。まあそんな感じだろうか。

 室内にぶちまけられた臓腑はしばらくその場でうぞうぞと蠢き、脈動した後で、黒い煙を上げながら消失していった。

 室内を染め上げていた赤黒い液体も、同時に消えていく。

 あとに残ったのはでっかい壁が空いて奇妙にベッドを壊された姉さんの部屋だ。

 とりあえず状況を理解して、僕は頭を抱えた。

「いやあのリリス、姉さんの部屋を大変なことにするのは勘弁してくんないかな」

「これをやらかした最初に言われるのがそれとは思わなかった」

 リリスが若干引いてた。いや、引くのは部屋をボロボロにされた姉さんじゃないかと。 しかし姉さんは小さく笑った後、困ったような声で、

「リリスは慌てん坊ね」

 と言っただけだった。相変わらず僕の頭の上に顎を乗せているせいで表情は見えないが、きっといつもどおりの穏やかな笑顔を浮かべているのだろう。

 と。

「う……」

 リリスが顔を真っ青にしてカタカタと細かく震え始めた。

 こんなに暑いのに、なぜか寒そうだ。

「つ、次はちゃんと、気をつける」

「うん、おねがいねー」

 そう言って姉さんは僕の頭を軽く撫でた。はて。なんだろう。

 妙な沈黙が部屋を支配した。

 しかしその時だった。

 震えるリリスが何かを捉えたのか、目を見開いた。

「あ」

 と口まで開いて、彼女はすぐにポケットから携帯電話を取り出す。何かしらの操作をした後……こくり、とひとつうなずいて。

「翼」

「うん? ああうん、そっか。はい」

 リリスのかけた声に姉さんは形で笑いながら答えて、右腕を振った。

 鋭い銀の光が太陽光を弾いて、一瞬だけ視界を横切る。

 姉さんの刃物については、今までに一度しか実物を見たことがないため、その詳細な形状は実は解らない。こうして見るたびにどうにか捉えようとしているんだけど……やっぱり無理だなこれ。

 そもそも普段は切断という結果だけを現出させているみたいで、実態はないようだし。姉さんは特技の一言で終わらせてるけど無理ありすぎる。

 そんな事を考える僕の横を。


「おげべらぁっ?!」


 音速で馬鹿が通り過ぎた。

 速度と質量によりもたらされる破壊については、一瞬前に姉さんが行った切断で微塵に砕かれ、リリスの魔法が生んだ空気のクッションに馬鹿が着弾する。


「お、おおうぅぅ……」


 馬鹿――もとい、夕陽は目を回していた。リリスがクッションを消すと、その体がポトリと落下してそのままリリスの膝の上に頭が着陸する。一緒にぼとぼとと落ちた二つの小さな物体は、ちらりと視線を向けて興味が失せたのか、ぽいぽいとこちらに向かって放り投げてきた。なんというか、とてもわかりやすい。

 僕は呆れよりも感心しながらその二つを受け取った。

「あら、ポチにタマ。ひさしぶりね」

 僕の腕の中におさまった二つに、姉さんが声をかける。

「…………しかしこの二匹いつ見ても」

「そだねー。立派なつちのこだねー」

 …………相変わらず、姉さんにとってこの二匹はつちのこ扱いのようだ。

 姉さんの超常現象……というより幻想に対しての否定っぷりにはもはや感心するより他にない。

 僕の手の中に収まった二匹は、大きさで言うならば小型犬程度の大きさである。見た目は確かにつちのこのように見えなくもないが、平べったくはない。頭も蛇のそれではなく、人間を簡略化したような形だ。

 我が家のましゅまろを人間のシルエットに近づけた、といえば近いだろうか。

 さらに言えば、その存在の是非は置いておくとして、いたとして少なくとも赤だったり青だったりはしないだろう。


 赤い方がポチで青い方がタマ。

 瓢箪のようなふざけたシルエットにちょこんと尻尾が生えていて、腰には黄色と黒の縞模様の布をつけ、頭にはそれぞれ一本と二本の角を持っている。

 風神ポチ。雷神タマ。

 日本古来より存在する、神にも等しき鬼。即ち鬼神の類である。


 そんな鬼神も姉さんにより無力化され今や夕陽の動力源兼ペットであるのだけれど。

 無論最初に出会ったポチとタマはそりゃあもう恐ろしい姿だったのだが、キャンプの邪魔をしたことで姉さんの逆鱗に触れ、このようなおいたわしい姿に。

 今では夕陽の家で日がな一日ゴロゴロ転がり、テレビを見てゲームをして暮らしている。随分といいご身分である。


 それにしても。

「一体これは、何事?」

「はいこれ」

 僕の疑問に素早く答えたのは姉さんだった。さすがの素早さである。

 姉さんが差し出したのは携帯電話。そこにはメールの文面が映し出されている。

 曰く。

『翼ねーさんへ。

 夕陽の馬鹿がおばさんを怒らせました。

 無理です』

 文面からわかるが、綺月からのメールだ。

 内容は簡潔で、それだけに状況が切迫していたこともよくわかる。

 着信時間はおよそ二十分前だ。

 つまり。つまり、だ。

「姉さん…………これ状況絶望的なんじゃないの…………」

「そだねぇ……」

「いやいやいや、しみじみ言われても!!」

 夕陽のおばさんを怒らせた。

 言葉にすると簡単だけれどその実恐ろしい意味を含んでいる。

 簡単に言うと、彼女の怒りは神霊を刺激する。彼女自体は普通の人間なんだけれど、普通の人間を土足で踏み越えた強さが神霊を怯えさせるらしい。

 で、そうなると綺月の周りの神様も騒ぎ出す。綺月にとってその状況は非常にストレスのかかるものらしく、その状況が長く続くと健康にも影響してしまうらしい。

 そして綺月が綺月の父親が荒ぶる。綺月の父親は神霊相手に拳ひとつで渡り合うという、古代神話から飛び出てきたような人物である。


 スーパー町内大戦の開幕だ。

 夕陽の母親と綺月の父親は高校時代からのライバルであり、普段はそうでもないが機会があると喧嘩と言う名の迷惑行為が勃発する。

 三年前、響が丘の週末と呼ばれた金曜日から日曜日にかけての戦いでは、天が割れ地を裂き風が唸る大騒ぎとなった。

 勝敗を賭けてダフ屋が駆け抜けオッズはほぼイーブン。露天が立ち並び地元テレビが実況番組を緊急構成、ラジオでは一時間おきに状況が放送された。公式サイトのアクセスは三日で百五十万アクセスを突破。物販の待機列は二時間待ちの長蛇となり、転売屋まで発生する騒ぎとなった。

 ちなみに勝敗は引き分けとなり、賭けは親の総取りとなった。

 三日後、街の教会が綺麗にリフォームされた。因果関係については伏せておく。


 そんなわけで、夕陽とおばさんの喧嘩は余計な事態を招きかねないので僕としてはなるべく避けたい。

 先の説明だけだと楽しそうだけれど、目に見えない部分で何故か僕がバチかぶる羽目になるのだ。もういやだ。あんなの命がいくつあっても足りない。

 文字通りの意味で『命拾い』をするなんて経験人生に必要なかった。


 さておき。


「……そもそもなんで夕陽はおばさんを怒らせたの?」

「補講がばれたって」

 ああ……黙ってたんだ、それ…………。

「その上海に行くとは何事だって」

 ああうんまあ、それは確かに……そっか、許可、とってなかったんだ、夕陽…………。

「それ、全部リリスにメールできたの?」

「ううん矢文」

「矢文?!」

「多分手投げ」

「手投げて」

 槍投げならぬ矢投げ。というか気分的に投げ槍を表したかったんだろうな……。

 リリスに知らせをよこすあたりわかっているというかなんというか。次から夕陽が何かやらかそうとした時にはまっさきにリリスからおばさんへと情報がわたるだろう。

 しかし問題は今である。

 ひとまず、夕陽とおばさんの喧嘩を止めなくてはならない。ならないのだが。


「夕陽が完全に目を回してる……これ引き渡して騒ぎ収まると思う?」

「寝てるゆうちゃんじゃおばさんの怒りは収まらないよー。ぱわふるに発散させないとー」

「だよねぇ」

 姉さんの言葉にため息をつく。状況は非常に悪い。おばさんと正面切って戦える相手となると僕の知る限り多くはない。

 ジュス様、姉さん、リアさん、シスター……くらい、かな。神父さまに関して言うとサンドバッグとしては非常に優秀なんだろうけど、いちいち五体ぶっ飛ぶのでビジュアル的にホラーとかになるのがちょっと。うん。

 他の面々だとちょっときつい。僕? 二秒持てば全人類から褒めてもらっていいだろ。

 しかしまいった。どうしたものか。

 …………うーむ。


「選択肢がひとつしかない!!」


 誰一人として、お願いしてまともに聞いてくれそうな人がひとりを除いていない!!


「……………………と、いう事で、あの、姉さん」

「ぱんぱかぱーん!!」

「ひぃっ!?」


 姉さんがいきなりファンファーレを鳴らした。びっくりして悲鳴を上げてしまう。

 な、なんでしょうか、姉さん。


「本日、おねーちゃんは空と約束をしました!!」

「え、約束……?」


 それって何のこと……………………あ。


「姉さん、それって、ま、さか……」


『弟のお願いを聞いてあげるのもおねーちゃんの役割だものね! わかったよ空、今日は刃物は使わない。その方向で行こう!!』


 お、おおう…………なんという事だ。これぞまさしく墓穴……!!

「う、うごご……なんというタイミングの悪さ……」

 頭を抱えると、ぼそり、とリリスがつぶやく。

「ていうか翼、狙ってた」

「へ?」

「空に電話をかけた理由」

「……………………、…………、あ。あ、あああああああ!!」

 綺月のメールが姉さんに届いた時間、姉さんが僕に電話をかけてきた時間。

 確かに、タイミング的にはバッチリだ。


「気づいても遅いでーす。おねーちゃんは弟との約束を破れませーん」


 姉さんはベッドの残骸の上でくるくる回って踊っている。う、ううううう……………………。

 短くない逡巡の後、僕は覚悟を決めた。


「……………………て、下さい」

「なぁに空、聞こえないよー?」

 くっ! この人本気で楽しそうだな! そんな顔も素敵だけどな!!

「お願いだから、おばさんを止めて下さい!!」

「うーん…………ただで?」

「…………お願いを、聞きます」


 姉さんはうむ、と満足気に頷いたあと。

「おねーちゃんだからね、空にお願いされちゃったらしょうがないよね! さ、リリス、行こう!!」

 満面の笑みを浮かべて、壁の穴から外に飛び出していった。

 リリスも夕陽の頭をクッションに載せ替え、僕をちらりと見て、外へと飛び降りていった。

 あとに残ったのは僕と夕陽のみ。

 姉さんが行った以上、おばさんもそのうち怒りを収めてくれるだろう。

 …………はぁ。

 なんていうか。

 手のひらの上だなぁ、僕。

 精進しないとな、と。そんな事を考えた、夏の午後。
















 その後の僕の末路について



 なんというか、まあ。

「姉さんの好物、フルコース、ねえ……」

 今日の晩御飯だ。

 姉さんのお願いは、好きなものをたらふく食べたい、ということだった。

 先日の騒ぎのあと、それをお願いされてから三日、僕はあらゆる準備に時間を使う羽目になった。

 姉さんの好物はどれもこれも時間がかかるものばかりで、手間も相当なものになる。

 さらに材料も少々変わったものを多く使う。異世界の生き物とかさ。

 おかげで大変だった……。

 そんなだからめったに作らない。けれどあの条件でお願いしてしまった以上、僕としては受け入れざるを得ない。

 空に向かってかめはめ波じみたビームが連続で放たれたのを目撃した以上、命があることを感謝せねば。



「……………………ふと思ったんだけどさ」

 床に転がるましゅまろを見る。

「僕ってもしかして、すっごい人たちに囲まれてるよね」



 何を今更、という表情が胸に痛かった。


 そんな夏の夜。


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