続閑話・僕とみんなと帰路の途中
うぉー。年内に夏旅行編終わりたかったのですがー。
== 家主の場合 ==
そろそろ時刻は昼になろうかという頃。秒刻みに強くなる太陽の光の下、彼女はぐるりとぼくらを見回した。
すでに別荘は戸締りを終えており、レンタルした車も近くの日陰に停めてある。
「皆さん、忘れ物はありませんね?」
『はーい』
引率者よろしい光璃さんの言葉に全員が返事をする。
……って、全員?
「ぅえっ! ジュス様今返事しました?!」
「お前はたまに俺をすっげぇバカにしてるよな……」
ジュス様の胡乱な目付きにたじろぐ。いや、だって普段は呼吸するのも面倒だって……。
そんな僕らを見て、光璃さんはくすくすとしとやかな笑いを漏らした。
「空君はときどき、本当に迂闊ですね。素直さは美徳であると同時に悪徳でもありますからね」
「う……はい。キヲツケマス」
軽く反省。まあジュス様だってほとんど寝ているけれどいつも寝ているわけでもなし。たまにテンションが高い日があってもいいのかも知れない。
ジュス様のテンションが高いせいか光璃さんのテンションも高いと言うか、機嫌が良さげというか。まあ悪いことではないと思うわけで。
「…………ふぅ。空」
「ん? 何、姉さん」
「んー。まあなんでもないんだけれど……」
「なんでもないって割には、随分と割り切れていない顔みたいだけど」
「空は勘は鋭いのにもったいないなぁってこと」
よくわからなかった。しかし姉さんはどことなく満足している様子でもあったので、特に問題はないか、うん。
「さて、相変わらずダダ甘い自己完結をしている親友の弟はおいておくとしまして」
「すみません、いま軽くdisられた気がしますが」
「おいて帰りますので……リアさん。安全運転でお願いしますね?」
光璃さんの笑顔がリアさんに向かう。それを受けた彼女は軽く手を振って余裕の表情で答えた。
「なぁに任せなって。来るときの運転でアタシの運転の安全具合は理解できただろ?」
その瞬間。
一昨日前の悪夢を全員が思い返しただろう。少なくとも僕は思い返して喉がカラッカラに干上がった。全員大なり小なり同じリアクションだ。特にぐるぐる巻きにされて車に載せられていた大地はよっぽど怖い思いをしたのか、顔面を真っ青にして全身ガタガタ震えていた。
光璃さんは形のいい眉をひそめて、眉間に皺を寄せた。
「リアさん。対向車や前後の車の安全も確保して欲しいのですが」
「安全だったじゃん」
「貴女がマントやら影やら霧やらで切ったり飲んだり吹き飛ばしたりしようとした車の悉く、誰が守っていたと思うのですか」
「感謝してるよ、お嬢様☆」
「――――――うふ」
あ、今光璃さんイラッときた。しかし息を深く吐いたけれど、かなりキテるな、あれ。
ていうか今のは僕もイラッときた。握りこぶしの親指から中指までを伸ばして逆さにして、人差し指と中指から目を覗かせて舌を出してウインク。うん、だからキャラにあってねゴブハッ。
みぞおちにめり込んだのはいつの間にか忍び寄っていたマントだった。
膝ががくりと落ちる。
「……な? どっかの人外魔境だろ」
「ジュス様、気づいてたのなら止めてくださいよ……」
「迂闊なお前が悪い」
呆れ顔のジュス様。うんまあ。
光璃さんは僕らのやり取りでいくらか冷静さを取り戻したらしい。
「とにかく持ち合わせている常識も自ずから破っていては意味がありません。常識的な運転をお願いします」
「あんたがwww 常・識・と・かwww この淫乱ピンクがwwwww」
――刹那。
ぐしゃり。
と。
他人を苛立たせる笑いを見せていたリアさんの姿が、紙を丸めるようなあっけなさで潰れた。
「…………、え、と」
全員の視線が一点に集まる。
顔を伏せ、右手をつきだした彼女――光璃さんに。
「――――。さ、帰りましょうか」
「待って待ってストップストップ。今すんごい怖い光景が見えたんですけど。人体ってああいう形にひしゃげていいんですか」
ちょっと僕らの日常とはジャンルが違うんですけど。涼莉とか尻尾を逆立てて姉さんにしがみついてるよ。超怯えてる。いや気持ちはわかる。僕もちょっと今の光景はやばかったちびる。十乃ちゃんもぽかーんと。あれトラウマになったらどうするんだ。
つうか。
「光璃さん……あなた今のはヤンデレとか飛び越えてただの癇癪ですよ?」
「だって! 今の反応は常識から考えて失礼にもほどがあります!!」
「まあ」
言いたいことは分かる。分かるんだけど。
ぐるりとこの場の面々の顔を見回す。
……常……識……?
「空様。その常識を疑う視線に私たち姉妹を含めるのをやめてください」
「いやこの面々に付き合えている時点で結構」
「ならば筆頭は空様という事になりますが」
う。むぅ。否定できないのが悲しい。
「ていうか姉さん、さすがに今のは止めて欲しかったよ……」
「うーん、でも今のはリアも悪かったものねー。それにほら、昔からよく言うじゃない。ケンカするほど仲が良いって」
「仲良くなんてありませんっ!!」
白い頬を朱に染めて光璃さんが否定する。
……そういえば。
「まあ常識は置いておくとして」
「空君?」
「お、置いておくとして!」
透明な笑顔が怖いけれど強引に話をすすめる。光璃さんは基本的に笑っているんだけれど、笑顔で喜怒哀楽全部表現できるのはすごいね! ただそのぶん怒りに触れた時がすっごい怖いけどね!!
目が笑ってないんだよ……!!
「リアさんの言う淫乱ピンクって何ですかね。貶すにしてもずれているというか」
というか光璃さんの今日の服装はライトグリーンのワンピースに麦わら帽子。ピンクなんて派手な印象はどこにもない。スカートの裾のレースにしても、派手と言うより華やかさを添えている印象。
と。
「んー? 知りたいかい、少年」
「どわああああああああっ?!」
唐突に背中にずしりとした重みがのしかかる。右肩から聞こえてきた声は、まさに今しがたくしゃっ、と跡形もなく潰れたはずのリアさんだった。
「び、びび、っくりしたぁっ!! いきなり背後からよっかからないでください心臓に悪い!」
「いーじゃんいーじゃん。ほれ、いい感触だろ?」
背中のやわらかぁいのについてはノーコメントで。ええ。つうか近い。息が頬を撫でる。甘い香りで脳が痺れる。やめろ。僕をどうするつもりだ。
「にしてもひっどいわよねぇ。猫娘や見習いメイドの心配はするくせに、アタシの心配はしてくれないんだ?」
「いやまあ……ぶっちゃけあれでどうにかなる人とも思えなかったので……」
『心臓に杭? 死ぬわけねーじゃん』って公言してるし。
まあそれはさて置き。
「まあそうですね。単純に野次馬根性ですが気にはなります」
「あっはっは! いいねえ、素直なヤツは好きだよ。周りに誰もいなけりゃ口づけてやりたいくらいだ……いやいや冗談だよ。冗談だからほら、その殺気を抑えなって」
姉さんと綺月から放射される冷たい殺意に脳髄が麻痺しそうになる。いや、なぜ僕が怒られてるんですかね……。
「ま、単純な話なんだけどな。なあお嬢様?」
「……なんですか?」
「そう警戒しなさんなって。別に変なことじゃないよ。ふつうのコトさ」
はあ。
その割には、声に既にイタズラ混じりの笑いが混ざっているような気がしますよ?
「お嬢様さぁ……今日は、花が綺麗よね」
「花?」
光璃さんが首を傾げる。それは皆同様だ。ぱっと見える範囲の周囲に目立った花はない。
「……あ」
と、その時何かに気づいたのか、千影さんが声を上げた。
「……あ、いえ別になんでもありません。ありませんとも、ええ」
すぐに無表情で取り繕うが、その表情には若干の焦りが見えた。
はて。
一体。
リアさんは相変わらず無言だ。無言で僕に寄りかかっている。いい加減どいてくれないだろうか。いや、この状態が嫌だとか言うことではなくて、むしろなんかこう、いろいろと、うん。まあ、あれなんだけれど、ともあれ暑い。
首を捻って視線で訴えかけようとするが、リアさんはニヤニヤと光璃さんを見ているだけだった。ていうか何だこの人の肌。すっごい綺麗なんだけど。
場違いなことを考えていると、リアさんの視線が全く動かずに、一点を見つめていることに気がついた。
それを追う。
無論たどり着くのは光璃さんなのだけれど……視線が固定されているのはこちらを睨む顔からやや下がっていて……。まあその、なんといいますか。なんでこの女は楽しげに他人の胸を見つめているんでしょうね。
「……空君? 何をじっと見ているんで…………す、か…………」
僕の視線が至らぬ箇所を見ていることに気づいたらしい光璃さんが苦言を呈そうとしたが、途中から言葉が途切れ、だんだんと顔が赤くなっていき、最終的には真っ赤になって。
「……な、なななななななな!!」
「あっはっはっはっはっは!!」
がばっ! と両手で胸とスカートを押さえる光璃さんと、それを見て大笑いするリアさん。
それを見た反応は様々だったが。
「あ。あー」
「ああやっぱり、そういう事だったんだ」
綺月と姉さんが何かを納得していた。
はて。
なんだろうか。
と。
「……はっ!! お、おい空、つまりコレはそういう事だったのか?!」
興奮した様子の夕陽がにじり寄ってきた。鼻息が荒い。暑苦しい。落ち着きなよ。
「え、いや、何が?」
「ばっかお前つまりほらあれだよ! 今日の光璃さんのブラとぱん」
言いかけた所で夕陽の姿が音もなくふっと消えた。僅かに視線の端に残った残像を追いかけると、海上を水面と平行にぶっ飛んでいた。
えー……いやまあ、言いたいことは。
「空君……今、何か聞きましたか?」
「さあちょっとよくわからなかったですね一体何を言いたかったんでしょうか夕陽のやつはははは」
「空殿今のでわからなかったのでござるかでは拙者が代わりに教え」
興奮していた目の前の馬鹿が馬鹿みたいな勢いで空に飛んでいった。
頬を上気させてきっと僕を――というか、僕の後ろに隠れるリアさんを睨みつける光璃さん。まあ気持ちは理解できる。恋する人の前で今日の下着の色とかバラされたら、うん、気の毒だ。リアさんもわかっててやっているだけに相当あくどい。
というかね。
「あのリアさん、さっきからなぜ僕の両肩を掴んで離さないんですか?」
「あっはっは。やだな少年。おねーさんを見捨てるってのかい」
「僕の姉は一人しかいねぇよ」
「…………、う、うん。ごめん、ちょっと悪乗りしすぎましたすみません……何この姉弟怖い」
炎天下のせいか、リアさんの額から滝のような汗が。ところで、なぜ話をしている最中に目を反らすのだろうか。
が、僕らのそんな事情なぞ今まさに漁船に釣り上げられた夕陽のごとくどうでもいいと感じている人物がいた。無論、光璃さんである。
――いやまて夕陽大丈夫か。なんか網まみれになってるけど。大丈夫か。
「空君……その人を庇うつもりですか……?」
「いやいや待って待って! 光璃さんよく見てくださいよほら、僕の意志なんて関係なく盾にさ「いやあ少年は優しいなあ! 困ってる女は見捨てられないってやつだろう本当今の世の中も捨てたもんじゃないねえあはっはっはっは!!」」
ギリギリ、と、両肩が砕かれんばかりの握力で締め付けられる。
勝手なことを言うなよ吸血鬼……!!
「やっぱりそうなんですね……! そんな女に誑かされるなんて、翼ちゃんに代わって再教育が必要なようですね!!」
「やめてくださいほんとにいやまじで! ていうか光璃さん再教育って、本当に昔のあれ反省しているんでしょうね?!」
「いいから空君そこをどいて下さい! そいつ殺せません!!」
「いやぁん、殺されるぅ」
「危機感のない吸血鬼と違って僕は真剣に命やべぇんですけどギャラリーになってる人たちは車に荷物積み込んでないで助ける素振りくらい見せて?!」
普段は協調性とか皆無ゴーイングマイウェイな連中のくせにこんな時だけ妙な連携を発揮していた。いやむしろだからか! 自分に関係ないからさっさと帰ろうとしてるのかみんな!!
吸血鬼もしなつくって色気を出してるんじゃないよ!!
ていうか光璃さん両目が青く光って全身から謎オーラを吹き出して髪が生きているみたいにゆらゆら広がっているのですが。なんだあれ新種の神話の存在か何かか。
「ていうかメイドさんたちは?! あなたたちの主人が人類の枠を踏み外す勢いで暴走していますよ?!」
「ええまあ、正直空様の命が尽きるのが先か私の胃袋に穴が空くのが先か……かはっ!!」
「喀血?! 千影さん既に胃に穴空いてるんじゃ?!」
まあ。
この面々に囲まれて、常識人かつ献身的で客観視も持ち合わせている人の主人がああだと、神経はゴリゴリ磨り減っていくのみ、だろう……。既に意識が飛んでいる百羽さんはある意味幸せかもしれない。
職業意識から自己を保ち続ける千影さんには賞賛の声を送りたいところだが、本人目が虚ろだよほら。この場で一番悪くない人なのにね。
「姉さんちょっと流石にこれ僕無理なんだけどいろんな意味で!!」
いろんなとはつまり、ビジュアル的にだったり精神的にだったりトラウマ的にだったりと、まあそんな感じで。
助けて! 僕なかなか結構切実だよ今!!
「大丈夫安心して下さい。痛いのは最初だけです」
「いやああああああ!! 光璃さんの場合それ後で気持ちよくなるとか慣れてくるとかじゃなくて単純に許容量オーバーして気絶するから後半痛み自体を感じていないだけじゃないですか!!」
「んじゃあアタシは最初から最後までいい具合にしてやるよ? ねっとりしっとりぐっちょりね」
「意味分かんない所で張り合おうとするなよ!!」
リアさんがあくまで『痛み』に主眼を置いていることだけは理解できた。
無意味に拷問とかうまそうだもんなこの人。いや人じゃないけども。
「放せえええええ!!」
「あっはっあっは! まあまあ、あと十秒でいいから」
「その十秒で僕に新たなトラウマがマリアナ海溝並の深さで刻みつけられるんだよ!!」
「じゃあ記憶には残しませんから、さあ空君!!」
「いやその理屈はおかしい。……ていうか光璃さん目的! 目的変わってますけど?!」
「そんなことはどうでもいいんですさあ! さあ!!」
ちょ。
ま。やめ。
何このテンション。意味わか――
――――――――。
== 年少組の場合 ==
世界の車窓から。あのBGM、ほのぼのしてていいよね。
今の僕の心持ちも結構似たな感じかな。膝の上に載せた涼莉の猫耳がピクピク動くたび、頬に触れてちょっとこそばゆい。けれどそれがどこか心地よくもある。
電車の窓の外を流れていく木々と、その向こうでキラキラ輝く海をぼうっと眺めながら。
「…………うっ」
「そらー……」
不定期に襲ってくる謎の虚無感と戦っていた。なんかこう、唐突に胸の中にぽっかりと穴が開いたような気がして、感情のない涙が零れそうになるのだ。
響空、中学三年の夏である。
「…………楽しかったんだよ」
「うん。涼莉も楽しかったの」
そう。楽しかったんだ。
だというのに。
「…………なーんで、謎のトラウマを刻まれてるんだろう」
「うにゃー……」
しょぼん、と尻尾まで力なく垂れ下がる涼莉。いや、涼莉のせいじゃないからね。
「うー、そらさん、ごめんなさいですよ」
隣で肩を落とす十乃ちゃん。君が落ち込むことはないんだよ。悪いのは目の前でグースカ寝てる吸血鬼だから。
ていうかもう鬼でいいよ。肝心の吸血シーン見たことないし。
……うむ。
「おにー、あくまー」
こっそりひっそり。そぅっと声を出してみる。
ガタンゴトン ガタンゴトン
反応はない。完全に寝ているのだろうか。
「年増ー」
「アァンッ?」
「ひぎぃっ?!」
ほらやっぱり狸寝入りだよ!!
「う、うにゃーっ!!」
「り、りあさんだめですよっ! そらさんもほら、謝りましょう!」
フカーッ! とリアさんを威嚇する涼莉と間に入ってくれる十乃ちゃん
……うわぁ超ありがたい。さっきとは別の理由で涙でそうだよ。これが人の心ってやつか。
「ちっ、ロリコンめが……すぅ……」
「ちょっと待ておい。人にあらぬ嫌疑だけ残してさっさと寝るな」
なんてことを言うのだろう。
ロリコンって。だいたい僕の年齢と涼莉や十乃ちゃんの年齢ではそんなこと言われるような年齢差なんかない。いや、だからって手をだそうなんて思わないからね?
しかしまあなんというか。
十乃ちゃんはどう見ても僕――下手をすれば姉さんと同年代にさえ見える。涼莉は化け猫で、実年齢は実は小学校低学年並。
……おや? ロリコン成立するか?
うー……ん?
うん。
ノーカンで。
そんな感じで一人で結論を出していると、涼莉が僕をじっと見上げていた。はて何だろう。
「空ー、ろりこん、って、なんなの?」
「……んのアマぁ」
恨みを込めて目の前の吸血鬼を睨みつけるも、当の本人は窓から差し込む陽射しを浴びてすやすやお休み中だった。
教育に悪影響が出かねないので、今後年少組とは距離を取らせたほうがいいか……?
「えーっと、そうだねえ……まず前提として僕はロリコンではないと、それを言っておくよ」
「うにゃ」
「はいですよ」
あれ、いつの間にか十乃ちゃんまで参加してる。まあいいけど……幼女ふたりを相手にロリコンの定義を説明するって、なにこの罰ゲーム。
ま、まああれだね。別に僕に後ろめたいところなんてないんだし。うん。何一つ臆することなんてない。
「そうだなぁ……ええと、」
……いや。
ていうかこれ、どう説明したらいいんだ。
『君たちみたいな年代の女の子にハァハァペロペロする人達のことだよ』
とか言えばいいのか。
いや。
無理だろ。無駄に怯えさせてどうする。しかし変質者とはまた違う……よなぁ? 思想というか嗜好なわけだし。とにかくうまくぼかして説明できればいいの、か?
「空、どうしたの?」
「ああいや、ちょっとどう説明したらいいかと思って。
うん、まあ簡単に言うと、君たちくらいの子どもが好きな人のことだよ」
嘘は言っていない。かなりソフトに言い換えはしたが。
が。
「「…………」」
その僕の発言にふたりはぽかーんと口を開いて固まってしまった。
え。なにそのリアクション。
戸惑う。すると、
「ふぇっ」
「ええええええっ?!」
涼莉の瞳に涙が浮かんだ。え、なに、どういう事?!
想定外のリアクションに焦燥感。と。冷たい視線。
「ひぃっ?!」
通路の向こうで光璃さん相手にガチ説教かましていた姉さんがこっちを見ていた。瞳からハイライト消えててまじ怖い。ちなみに光璃さんに対する説教は僕に対するやりすぎについて。なにをどうやりすぎたのかは徹底的にぼかされていたけれど、どうもそのぼやっとした部分から判断するに……人権という言葉について、真剣に考える時期が来ているのかな、とか思ったり。
ともあれ。
「ええと、ど、どうしたの涼莉も十乃ちゃんも?」
「だ、だってです……」
「そらが、そらが……」
「うん、僕が?」
「だって、そらが……涼莉たちのこと、きらいって……」
……うん?
ちょっと言っていることがよく理解できなかった。なぜそのような結論が出てきたのかが全くわからない。
ていうか横では十乃ちゃんも涙を浮かべて僕のシャツの袖の端っこを握りしめていた。辛うじて溢れる事を免れているのが、逆に罪悪感を否応なく刺激する。
つまりまあ崖っぷちということだが。
「いやあの涼莉とそれから十乃ちゃんも。なんでそんな事を思ったの?」
「うにゃ。だ、だって空が」
「空さんは『ろりこん』じゃないって……言って、ました……」
…………うん?
ええと。僕は確かにロリコンではないのだ…………が…………ああっ?!
先ほどの僕の説明を思い返す。まず前提として、僕はこう宣言した。
『えーっと、そうだねえ……まず前提として僕はロリコンではないと、それを言っておくよ』
そしてロリコンについては、このように説明した。
『ああいや、ちょっとどう説明したらいいかと思って。
うん、まあ簡単に言うと、君たちくらいの子どもが好きな人のことだよ』
つまり。
『僕はロリコンではない』→『ロリコンとは涼莉たちくらいの歳の子どもが好きな人の総称である』→『僕は涼莉たちくらいの歳の子どもが好きではない』という。
ええええええっ?! なにそれどんな印象操作っ?!
「え、と! い、いや違うそうじゃない!! 僕は涼莉も十乃ちゃんも嫌いじゃないってばむしろ好き! 大好きだよ!!」
「う、にゃ……そ、そう、なの……?」
「そうだよ。当たり前じゃないか」
涙を流したせいだろう。頬を染めて潤んだ瞳でこちらを見上げる涼莉には、どこか普段とは違う雰囲気を覚えた。……いや違う。違うから。って僕はなにに対して言い訳をしているんだ。
「そらさん、私たちのこと、嫌いじゃないですか?」
十乃ちゃんも、僕の腕に触れながら、覗き込むような上目遣いでこちらを見ていた。うん、なんていうか、うん。
「そりゃそうだよ。君たちを嫌う理由なんて、何ひとつないんだから」
僕の言葉をふたりはようやく信じてくれたらしく、ほっと息をつきながら視線を合わせ、微笑みあった。胸の暖かくなる光景に僕も思わず笑みをこぼして、
「じゃあ空はろりこんなのねっ!!」
「絶対にノゥだ!!」
直後に叩き落された。
「……ち、ちがうんですか?」
はっ?!
ぷるぷる、と震えながら涙を浮かべる十乃ちゃん。やばいさっきよりも限界早い。どうするこれ。
見れば膝の上の涼莉も一瞬浮かび上がった気分が下がっている。一度上げてしまっただけに殺気よりも深く落ち込んでいる様子だ。
……あれ、ちょっと待って。今の僕って意図せずに結構悪い男になってない?
通路の向こうからの視線はやっぱり冷たいし。目の前の吸血鬼は寝ているつもりなんだろうけど、口元がにやけてて腹立たしい。ちくしょう。
「ええと……だから、さ……」
しかしこれ、汚れを知らない少女二人に同説明したらいいんだよ! 助けを求めて綺月の席を見ると。
「……ひぃっ?!」
なんかガン見されていた。瞳の中によくわからない感情が渦巻いて見える。ならばとその隣りの百羽さんを……やべぇこっちも似たような目付きだったー!!
八方塞がり感が溢れている。ふさがっているのに。しかも電車の中では逃げ場がない。というか、逃げたら家に帰ってからが怖い。
「ええとね、だからね? 嫌いじゃないんだよ、本当だよ?」
「ひぐっ……えぐっ……で、でも空は、ろりこんじゃないって……」
状況詰み入ってるな僕! さっきの説明が完全に前提として固定観念になっているせいで話が完結してしまう! 信用度高いな僕そしてそれが今は恨めしいちくしょう!!
「ぷーくすくす、おいみろよ大地、どこかの誰かが子ども泣かしてるぜ?」
「ははは夕陽殿。男児ならともかく女児を――否、幼女を泣かせるとはははは、世の中には罪な男が居るものでござるな」
……おのれ。リアさんが眠る席の向こう側から届く声が心底恨めしい。
「ふぇ……」
げ。
アホな事考えて現実逃避している間に、ふたりはいっぱいいっぱいの状況だった。
あ。
これ、ちょ。
「あはははは! 冗談だよふたりとも大丈夫僕はロリコンだからさ!!」
捨て身。
捨て身である。もはや己の下手なプライドを守っている場合ではない。あとで夕陽たちというかまず目の前の今にも吹き出しそうな吸血鬼に真っ先にからかわれるのは覚悟するしか。
ひそひそ……
ひそひそ……
ひそひそ……
ひそひそ……
「……あ」
今の声はさぞかし車内に大きく響いたのだろう。車両中の視線を独り占めしていた。
しかも、世のお母様がたは凄まじく胡乱な目を向けてきている。当然だ。休日の電車の中でロリコン宣言をするような男、僕でも不審人物だと断定する。
しかもその男、現に小学生くらいの女の子を膝の上に乗せているのだ。
まあつまるところ。
ええまあ変態ですよ、ええ。
「っ!! ち、違っ! 僕はロリコンじゃ‥‥‥っ!!」
「「じぃ‥‥‥‥っ」」
少女二人の純粋な視線が!!
「…………ぼ――僕はロリコンだちくしょおおおおお!!」
うれしそうに手をつなぎ合ってきゃっきゃと喜ぶふたりと、頭を抱えてため息をつく綺月の姿が印象的だった。
ということで。
海沿いの列車の中、ひとりのロリコン野郎が誕生した瞬間である。
唯一救いがあるとすれば、ロリコン宣言のお陰で涼莉も十乃ちゃんも上機嫌になってくれたこと、だろう。
その結果、普段以上に甘えてくるふたりの相手をしている僕に対する視線がさらにこう、あれな感じになったのだが。
もはや諦めるしかない。
== 綺月の場合 ==
「ありがとう、ロリコン。わざわざうちまで荷物を運ぶのを手伝ってくれて」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「そうだロリコン。せっかくだし、うちに上がっていったら? お茶くらいなら出すわよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「ところでロリコン。お茶うけに羊羹があるんだけど、芋と栗、どっちのほうが」
「もう本当に勘弁して下さいお願いします」
限界だった。
「ち、ちょっと、こんなところで土下座なんてやめてよ!!」
「いやもうほんと、勘弁して下さい」
僕は今、この世界で最も美しい土下座をしているのではないだろうか。
土下座の中の土下座。土下座オブ土下座。ザ・土下座。DOGEZerの最高峰に立っている確信がある。いらねえよそんな確信。
さて、そんなわけで土下座をしている僕であるが、綺月がうろたえているように、確かにやや場所がまずかったようだ。
まあ、神社の鳥居入ってすぐ。参道のど真ん中で土下座って。神様も引くんじゃなかろうか、さすがに。
綺月の荷物を運ぶのを手伝いに来てるのに何をしてるんだろうか、僕は。
「まったく……言い過ぎたわ。ごめんなさい」
「うん、いや。僕の方こそ」
無論、こんな所で土下座をかましたのはある種の意趣返しである。無論、その姿勢、心意気共に全身全霊をかけてはいたがあと数分後でも構わなかったわけで。
でもね。
「仮にも荷物を運ぶのを手伝っている人間相手にロリコン連呼って」
「電車の中で堂々と宣言した人間がなに言ってるのよ」
はい。そのとおりです。まったくもって返す言葉もない。
「いやでもあの状況はどうしようもないよ」
「そんなの簡単よ。『僕はロリコンじゃないけど君たちのことは好きだよ』くらい言えばいいんだから」
「………………あ」
なんと。
確かにその通りだ。状況に流されて正しい判断が下せなかった僕のミスでもある。
うわぁ。
「…………うん、なんていうか。はぁ」
「鳥居の真ん前でそんなため息なんかつかないでよ。まったく」
そう言いながら綺月もため息をこぼした。とはいえその成分には呆れが多分に含まれているため僕のものとはまた違った色合いではあるのだけれど。
と、ああもう。
「綺月、ちょっとちょっと、手櫛なんかしたら……」
「え? ああ」
僕が原因だとわかってはいるけれど、せっかくの綺麗な髪なのにそんなことをしたら傷んでしまう。男の髪はどーだっていいけど、女の子の髪――さらに言えば綺月の髪はそうはいかない。
そんな僕の内心など構わずに、綺月は苦笑を浮かべながら手のひらをひらひらと揺らした。
「朝に潮風を浴びたせいか、ちょっとべたつくのよね。なんか気になっちゃって」
「お風呂に入るまで我慢しなよ」
「我慢ならないのよ」
「じゃあ、帰ったらすぐにお風呂に入る事。手入れとか大変でしょ?」
「その前にお茶くらい飲んでいきなさいって。荷物運ばせてお茶も出さないなんて、それこそ父さんの雷が落ちるわ」
あぁ、それは確かに。
しかしながらその裏で、存外自分の体を軽く扱う綺月を気をつけて欲しいと言われているのだ。
互いの主張は完全に平行線で、更に言うと綺月の両親の言いつけは実際問題関係ない。例え頼まれなくても綺月のことはいたわってあげたいと思うし、同じように綺月は僕をほうって自分の用事を済ませるなんてことはしないだろう。
難儀だなあ。
ともあれ。
平行線であり、それでもお互いの納得を得たいとなれば。
やることは決まっていた。
で。
「……何このシチュエーション」
「ん、なにか問題があった?」
「いや、何も問題がないというか、問題がなさすぎてちょっと困ってると言うか」
綺月がなんだかよくわからない。
あのあと。
お互いの納得の行くためには、綺月は髪の手入れをちゃんとして僕は綺月のお茶をいただく、ということを同時に遂行しなくてはならない。
そんな訳で。
夏の午後の日差しを浴びながら縁側並んで座り、お茶をいただきながら櫛で綺月の髪を梳く。
ちりん、と硝子の風鈴が音を立て、庭の向こうの竹林を流れる小さな水のせせらぎに色を添えた。
風が吹き、笹の葉の葉擦れの音がここち良い。
上半身は屋根の影に隠れ、裸足になってさらけ出した足が夏の強い日差しにジリジリと灼かれるも、それを癒すような涼やかな風が緩やかに流れた。
綺月の家の庭は、ありのままの自然をそのままに、神社に相応しい風流を感じる事ができる。
そして、そんな家の娘である綺月の髪。
長く、美しい。
それに、ゆっくりと櫛を通す。
沈み込むような柔らかさで髪の中に櫛の歯が埋まる。す、と手を下ろせば、抵抗を感じさせない柔らかさで、指先からするりと抜けてゆく。
ところどころつっかかりを感じた箇所は、傷めないように慎重に手を進める。
落ち着き、心が安らぐ思いだ。
実際、綺月の髪を触る機会なんてそうそうあるわけではない。女のコの髪を戯れに触れるほど異性慣れしていないし、綺月の美しい髪の前では気後れするというのもある。
だから、こうして落ち着いてのんびりゆっくり、お茶を飲みながら綺月の髪に触れるのは、僕にとって結構な役得なのだ。
が。
「綺月? どうかした?」
「え、あ、いやそうじゃなくてなんでもなくて……うぅ……どうしよう、嬉しすぎてどうにかなりそうだよ」
声の後半がよく聞こえなかった。
作業の関係上綺月の表情は見えない。不快感を与えているわけでもないようだから、大丈夫だとは思うんだけれど。
ひとまず、作業を続けることにする。
まあそれはいいのだけれど。
なんか、こう。時間の経過と共にどんどん綺月がガッチガッチと硬くなっていく気がするのだ。
肩こるんじゃないかな。
けどまあ仕方ないかも知れない。いくら幼なじみとはいえ、そこは異性。しかも髪という女性にとってデリケートなものを粗雑な男に触れさせているのだ。緊張も使用というもの。
……ということで、そろそろやめようか、と尋ねたらすごい勢いで『いやいいから続けていいからむしろ続けて』と俯いてそれでもきっぱりと主張された。なぜだ。僕としては一向に構わないけれど。
しかし。
ふむ。幼なじみ。幼なじみか。
よくよく考えてみると、その関係性というものがいかに貴重で奇跡的なのかを思い知る。
はっきり言えば、幼なじみでもないただの同級生だったら、綺月は僕にこんなことを許してなんかいないだろう。
うむ。
そんな想像をすると、ちょっとどころではない寂しさが。
「……空、どうかしたの?」
「へぁ? え、何が?」
「何がって……わたしが聞いているのよ?」
そりゃあそうだけど。
「今一瞬、手の動きにためらいが混ざったような気がしたわ」
そんな微妙な反応まで補足されんの?! 僕の人生難易度どんだけ高いんだよ!!
「いや、ちょっと考え事をしてただけだよ」
「考え事って?」
「いやぁ……」
それを言うのはちょっと……というかかなり恥ずかしい。
「まあその、個人的なことだから」
「そうなんだ。てっきりわたしが何かしたのかと思ったけど」
…………。いや、君と僕との関係について考えてたのは事実だけどさ。
察しがよすぎませんかね。
ふぅ、と息をつく。
「綺月が何かしたってわけじゃないよ。ただ……綺月と僕の関係も、なかなかに奇跡的だなぁって思っただけ」
そうして。
さっきまでの取り留めのない考えを話して聞かせた。
それを聞いた綺月は口を閉ざした。何かを考えているらしい。
「まあ、色々考えてしまうのも仕方ないと思うけれど……そんなに複雑なことじゃないんじゃないのかしら」
「複雑、かなぁ?」
「そうよ。だって空、もしわたしのことを例えば中学校に入ってから知ったとして、わたしを嫌いになったりする?」
「まさか。綺月が綺月であるかぎり嫌いになんてなったりするわけないじゃない」
あまりにもわかりきった答えだったので即答すると、綺月は両手で顔を覆った。え、何。
「……やばい質問がうかつすぎた。どうしようこれ、ちょっと抑えるのきついじゃない」
またしても何かしらぶつぶつとつぶやいている。大丈夫か?
「ええと、綺月?」
「いいから! 大丈夫だから!!」
顔を覗き込もうとするとさっと逸らされた。むぅ。まあ、いいといっているのだからいい……のか?
なぜか自らを落ち着けるように深呼吸を三回繰り返して、綺月は続けた。
「こほん……まあとにかく、そういうわけでしょ。だったら、いつから知っているからどこまでオーケーなんて考えなくていいわよ。わたしだって、中学に入ってから空を知ったとしても、このくらい許すわ」
「このくらい、かなぁ?」
さらりと指の間を抜けていく髪を見ながら首を傾げる。正直、これに触れていられるっていうのは相当大した話だと思うんだけど。
「……まあ、空がわたしの髪をそうやって大事にしてくれるのは嬉しいけど」
「僕としては綺月にも自分自身をもっと大事にして欲しいって思うけどね」
それは髪に限ったことだけではない。
綺月もそれがわかっているのだろう。うぐ、と口ごもる。
「そ、それは今は関係無いでしょ。とにかく、時間はお互いの関係を深く強くするかも知れないけど、感情の理由としては二番三番になるってこと。……そうよ。当たり前じゃない。わたしはいつだって何度だって、こうして、あなたと一緒にいようとするわ」
綺月は。
遠くを見るように頭を上げた。
「そうじゃないと……わたしが、嫌だもの」
嫌、か。
そうだね。僕もそう思うよ。
こうして綺月と過ごす時間。綺月だけじゃない。夕陽も。僕ら三人はそれなりに普通でそれなりに特別な関係だ。少なくとも僕はそう思う。
僕。夕陽。綺月。僕と夕陽。僕と綺月。綺月と夕陽。そして、僕ら三人。
それぞれの関係性で、それぞれの絆で。
そういった結びつきを、僕は失いたくないし、築いてこれたことを何よりも嬉しく思う。
だから。
「そうだね。僕も、たとえ何度人生を繰り返しても、その度に出会って、こうして一緒にいたいよ」
奇跡だから。何度でも手に入れたいし、そうしてみせる。
そう思うのだ。
そして。
「あの……綺月。それは新しい芸風なの?」
綺月が膝に顔をうずめてしまっていた。
「うるさいわねちょっと色々ゲージ上がりすぎてどうにかしたいのにここでそれに乗っかったら翼ねーさんが怖いから必死で抑えて我慢してるのよ悪い?!」
「いやええとよくわからないけど悪くないですはい」
なんだかよくわからないけれど切迫しているようだった。
戸惑ったものの、どうしようもないので髪の手入れを再開する。
結局、綺月は小一時間ばかりそうしていたのだった。
本当に何だったんだろうねぇ……?
残り、姉と弟で夏旅行編終わりです。