僕と姉さんとしろいおばけ
僕と姉さんはまあなんて言うか、似ていない、と思う。
中学生と高校生。歳の差は二つ。そういった点を考慮する以上に、なんか、違う。
姉さんはなんというか、こう……言葉に出来ない様な人で、まあ色々とつきぬけているところがあるのだ。
僕としては改めて欲しいのだけれど、なかなか聞き入れてもらえない。
今日も、そんな事のひとつだった。
「姉さん、これ、なに?」
僕は頭を押さえて、尋ねた。
マンションの自宅で晩ご飯の準備をしていたところ、姉さんが帰ってきた。
そしてエプロンをしたまま(友人の言うところの主夫スタイル)玄関に向かったところ、先の発言が飛び出した次第である。
ねえ、姉さん。
「もう一度聞くよ姉さん。そのズタ袋、何?」
さすがの僕にも、色々と限界とかあるんだけどなー。
しかしそこはさすが姉さん、悪びれない。
「うん、拾った!!」
ニッコリと太陽のようなスマイルの姉さん。
ちなみに姉さんは高校の制服姿だ。夏の青空に映える白いセーラー服は姉さんにとても良く似合っていて、身内の贔屓目をなしにみてもかなりのものではないかと思っている。なにしろ、幼なじみの(男)が毎年この季節になるのを楽しみにしているくらいなのだから。
そんなに僕に目を潰されるのを楽しみにしているとは知らなかった。
ちなみにそんな姉さんと僕は割と顔が似ている。無論、姉さんが男顔なのではなく、僕が女顔なのだけれど。これを幸運と呼ぶか不幸と呼ぶか幼なじみ(女)と一日論争をしたけれど、結論は『似てなければ何も悩まずに済んだ』という当たり前のものだった。
話題がそれたから戻そう。
姉さんが手にしているのは、真っ白いズタ袋――のようなもの。
なぜか頭に三角の白い布がついていたりはんぺんみたいな手がついていたり表情が(○△○)デフォルトだったりと。
まあ。
つまり。
――また姉さんが変なモノをもって帰ってきました。
うーん。
まあ。
「幽霊かぁ……」
しかもコテコテの。
そんな僕のひとり言が届いたのか、姉さんはきょとん、と目をまん丸にして。
「あははは! やだなぁ空、ユーレイなんているわけがないじゃない!」
「はぁ……」
姉さんの明るい否定に僕は気のない返事を返すことしかできない。
我が家には確実にオカルトじみた存在が潜んでいるんだけれど、姉さんにとってそれはちょっぴりかわった『何か』であって決して常識の外にあるものではないらしい。
「ええと、それで結局それは、何?」
さて姉さんはコレを一体何と判断してもって帰ってきたのか。
「ましゅまろ」
「え?」
「だから、ましゅまろ」
「マシュ……」
「あまいよー」
「た……」
食べたんだ……それ……。
とろけるような幸せいっぱいの姉さんの表情だけれど、その事実に僕の心は猛吹雪ですよ。
呆然としていると、僕の足を叩くものがあった。
視線が自然と下がる。
「ああ、涼莉……」
それは小さな猫だった。毛並みは美しく色は青みがかった灰色。宝石みたいな瞳がこっちをじっと見ていた。
小さな前足でたし、たし、と僕の足を叩いている。
うん、まあ。つまりメシよこせってことだよね。
はあ、と深くため息を付いた。
そんな僕を見て姉さんは、とても心配そうに。
「どうしたの、空。そんな疲れた顔をして。そんなんじゃ、幸せが逃げて行っちゃうよ」
二人三脚でね、とドヤ顔でのたまった。
原因に心配されるというのも、なんというか色々と納得がいかない。あと二人三脚って相方は誰なんだろうか。
包丁をリズムよく上下させる。
とととと、と小気味のよい音がまな板から響く。
刻んだキャベツをボウルにいれて、つくっておいたドレッシングを軽くふりかけて混ぜる。
夕食を作りながらも、僕の意識は今にいる姉さんに向かっていた。
姉さんはもって帰ってきた幽霊をクッション替わりにしてリビングでくつろいでいる。どうやら座り心地はいいらしい。涼莉は姉さんに近づきたいようだが、幽霊の存在にきょどきょどしていた。たまにこっちを見るのは助けろってことなんだろうけど……うーん。
サラダの仕上げにレモンを絞った。
「姉さん。ごはんだよ」
「わあい。ありがとう空、愛してるよ」
「だったらたまには姉さんが用意してくれてもいいじゃない。僕よりもずっと上手なんだし」
「おねーちゃんは空の手作りのご飯が食べたいんだよ」
うん、いい笑顔。
こんな笑顔で断言されたらとてもじゃないけれど反論できない。
特に現状不満があるわけでもなし。料理は手間だけれどそれだけに楽しみや甲斐というものもあるわけで。
だったら、たまに出てくる姉さんのおいしい料理を楽しみに待つ、位の気持ちでいたほうがこころの健康にもよさそうだ。
まあぶっちゃけ、姉さんを制御できる気がこれっぽっちもしないって言うだけの話なんだどね。
涼莉のご飯を器に用意する。幽霊を気にしながらもやってきた涼莉は、行儀よくその場にちょこんと座った。
幽霊は相変わらず(○△○)な表情でころんと床の上に転がっていた。姉さんに押しつぶされて息も絶え絶え――っていやいや息していないでしょ君。まあいいか。
それでは。
「「いただきます」」
二人の声と、にゃあ、という涼莉の声が綺麗に揃った。
「それで姉さん、あの白っこいの、一体どこで拾ったの?」
「うん。あのね、学校の帰り道に、こう」
と、手をふよふよゆらゆらとゆらして。
「ぷかぷかしてたから、たたき落として」
「随分乱暴だね!」
「柔らかそうだったから」
「まるで理由になっていない……」
相変わらずの自由な発想に戦慄を覚えるね。
「で、そのままにしておくのも可哀想だったからもって帰っていたんだけど、途中で少し小腹が空いたのね」
「うん、加害者が何いってんのって感じだよね」
「でも夕食も近いし何か買うのも……って思ってたら、ちょうどいいものが目の前にあるじゃない」
「いやあ、そこでそれを食べるって発想は出てこないかなぁ僕なら」
「まあまあ。それで食べてみたらふわふわして甘くておいしいから、ああそうかましゅまろだーって」
「とりあえず味と食感以前に考慮すべき情報はあるとおもうんだけど、無視なんだね姉さん」
床の上の幽霊を見る。思い出しているのか、プルプルと震えていた。まあ確かに食感はよさそうだけど。
そんな事を考えていると邪念を感じ取ったのか、はっとした様子の幽霊と目があった。
(○△○)
いやそんなじっと見られても。
ていうかこれ今更だけど幽霊だよね。幽霊でいいんだよね。全体的なフォルムが『ねないこだれだ』の例のアレをふっくらさせた感じで手ははんぺんみたいな三角形で頭に三角巾が付いているっていう、まあ幽霊というか『おばけ』って感じなんだけど。
……さすがにこのタイプの幽霊は初めて見たなぁ。
食べる人はもっと見たことがないけど。
夕食はつつがなく終わり、後片付けは姉さんに任せて僕はお風呂に入る。
こちらをじーっとみる幽霊の視線が気にならないでもなかったけれど、まあなにか悪さをするようにも見えないし。
「ふひー」
今日一日の疲れがお湯に溶けていくみたいな感覚。
当面問題はないとしても、あの幽霊、これからどうしよう。ていうか姉さんをどうしよう。
まさかと思うけれど、全部食べつくしたりしないよね……いや、するかも。気をつけてあげよう。
あと、ペット許可のマンションだけども飼う場合は管理会社に連絡が必要なんだけど、ええと、幽霊ってペットになるのか? あ、だめだ電話の向こうでくすりと幻聴が聞こえた。まあどこか汚すってこともないだろうし、いいか……。
「ていうかもー、またなんで変なモノを拾ってくるかなぁ」
癖だとはいえ。
趣味だとはいえ。
まあ姉さんにとっては醍醐味なんだろうけれど。
姉さんはよく物といわず者といわず、よく拾ってくる。未来人異世界人超能力者は見たのでそろそろ宇宙人でも拾ってくるんじゃないかと密かに考えている。実際拾ってきたらどうしよう。
でまあ、なにかしらごちゃごちゃやったりやらなかったりしてどこかに言ったりその辺に居着いたりとまあ色々あるわけで。
今回もおんなじパターンになるのかどうか、今からやや気が重かったりするのです。
「とはいえ、姉さんの事だからそうそう大げさな事にはならないと思うけどね」
キャラの強さの割に街を巻き込んだ大騒動、みたいなことにはならないのが不思議だ。何か変なパワーでも発してるんじゃなかろうか。
のぼせる前に風呂をでる。
パジャマに着替えてリビングに戻った僕を待っていたのは。
「――っ! ――――っ!!!」
「ふにゃー! にゃにゃにゃにゃにゃにゃー!!」
「ほーら涼莉、慌てないの」
抑えつけられてじたばたする幽霊と、爪を立ててそれに喰らいつく涼莉。そして押さえつけている張本人、姉さんだった。
「大丈夫だよ涼莉。まだまだいっぱいあるし勝手に元に戻るからね。たんとお食べ」
「にゃー。にゃー」
姉さんの言葉で落ち着く涼莉。やはり母親と慕う相手の言うことはよく聞くようだ。
ていうかね。
「あのー、姉さん。何事?」
「あ、空。うん、涼莉がましゅまろを警戒しているみたいだったから、仲良くさせようと思って」
「仲良く……」
完全に自然界の捕食関係が出来上がっているように見えるのは気のせいだろうか。
「というか猫にそんなもの食べさせて平気なの?」
いや。
それを言うなら人間が幽霊を食べるってのもどうなんだろう。
とりあえず幽霊を引き剥がした。
あんだけびったんばったん暴れられたらさすがに哀れだ。
ついで言うと下の階でラップ音とかポルターガイストとか起きていたら嫌だし。
どうもこのマンション、一般人以外の入居者に侵食されつつあるからね。貴重な一般人を追い出すようなマネはしたくないのだ。
「とりあえず、姉さん。涼莉にあまり変なモノを与えないで。太ったりしたらどうするのさ」
「え? 大丈夫だよ。だってそのコカロリーゼロだもん」
まさかのカロリーオフ宣言。
いや確かに幽霊だからそうなるのかも知れないけど。
「ええと、姉さん? これ、なに?」
ぐい、クッションみたいな白い幽霊を引き寄せる。うわぁ何この手触り。すごい気持いいんだけど。
思わず強く握ってしまった。
幽霊がぎょっとしてこっちを見るけど気にしないようにしよう。今はこの手触りに集中するのが先だ。
「何って、ましゅまろじゃない」
「うん、そうだよね。じゃあ姉さん聞くけど、マシュマロって洋菓子で、そりゃあもう砂糖が当然のように使われてい」
「え?」
「え?」
姉さんがきょとんと首を傾げる。仕草と表情の組み合わせが実に可愛らしい。
「空、何を言ってるの? このコはましゅまろだよ?」
「え、うんだからマシュマロだよね。お菓子の」
そんな僕の言葉に。
姉さんは口を押さえて肩を震わせて笑う。
「あはは、やだなあ空。お菓子のマシュマロはこんなにちっこい白い物だよ? そのましゅまろは、大きくて動いて空を飛ぶじゃない」
「――――――――」
まさかの『ましゅまろ』固有名詞宣言!
ああそういえば姉さん涼莉の事も『猫』じゃなくて『ねこ』ってよく分からない分類してたっけ!!
「ああ、うん……なんとなくわかったよ……」
何を言っても無駄だってことが。
「……まあとにかく、このコも嫌がっていることだから」
そう言って幽霊を持ち上げる。
そして気づいたけど、一回り小さくなっていた。結構食べたね、涼莉……。
むにょん。
幽霊の手応えは弾力的かつサラッとしており、実に心地良い。
……。
えい。
むちり、と。
ちょびっとだけ噛み付いてみた。
甘くておいしかった。
その後。
幽霊は『ましゅまろ』と名付けられて、うちに住み着いた。住み着いたというか、姉さんが囲い込んだというか。軽く監禁である。
そしてそれに伴い、我が家には新たにルールが設けられることとなった。
『ましゅまろは一日に三口まで』
さて少し後日談。
僕は自室で正座をしている。
ちなみに僕の部屋は洋間でフローリングなので、正座をするとちょっと痛い。
なぜ僕がそんな事をしているかといえば。
「なんで食べるかな」
「いえ……」
つい。
ふわふわと宙に浮かぶましゅまろ。喋れたらしい。
しかし声はなんというかこうドスが効いているというか、スケバンというかレディースというか。とにかくそんな感じで。怖かった。
人間、衝動にまかせるとろくなことにはならないね。
反省。