僕と姉さんと迫り来る白い影
おっさん群生。
日ノ影の別荘地はいくつかあるそうで、今回やって来た海辺の他にも山や雪山、農場や渓流などにもあるそうで、それぞれ絶好のロケーションなんだとか。
姉さんは雪山には行ったことがあるそうだけれど、僕は今回のこの海辺の別荘が初めてだ。
さて、この別荘だけれど、海辺ということもあり潮の香りを常に感じることが出来る。
今僕が歩いている道は別荘から離れた森の中なんだけれど、それでも潮風と波の音は遠く近く響いてくる。少し不思議な感覚だ。
海風が流れこんできているので、この時期の夜でも多少の蒸し暑さは感じるものの風を常に感じることが出来るため、体感温度はやや低くなるのも、過ごしやすさの理由の一つなんだろう。
やや強めの海風が吹く。
木々がざわめき、波音のような、それでもたしかに違う調べを奏でた。
「……それにしても、さすがに夜の森は方向感覚が狂うね」
一本道でなければとっくに迷っていただろう。
それにしても。
「いきなり肝試しだなんて、姉さんらしいというかなんというか……ねえ、ましゅまろ?」
ましゅまろは特に反応無く、僕の後ろをふよふよと浮きながら付いて来ていた。
……というか。
「なんでお化けを引き連れて肝試ししてるんだろう僕は」
色々とおかしい気がする。
おかしいといえば涼莉がやたらとお化け妖怪の類を怖がっているのもおかしいと思う。ちょっと鏡見てこい。
さて。
肝試しです。
『夏と言えば!』
という姉さんの言により二人一組で始まったこの肝試し。くじびきで僕のパートナーになったのはましゅまろだった。
別荘からやや離れたところにある森の入り口に集まって、千影さんお手製のクジでグループ分けをしたのだ。
まあ男と組まされるよりはマシだろう。
森に入るのは僕らが最後。それぞれの組はそれはもう賑やかな様子で森に入っていった。
……ひどい光景だった。
さてせっかくなのでその光景をダイジェストでお送りしよう。
一組目は大地とリアさんのコンビ。必死で逃げようとする大地がマントでぐるぐるに巻かれて引きずられていった。こんな感じで。
「おおっとぉ! 暗くて足が滑って意図しないながらもおっぱいダイブで御座――おああぁぁぁぁぁっ! マントが、マントがああああ!!」
「はいはい静かにしな。いい子にしてりゃあ呼吸くらいはさせてやるからさ」
「いやそれ禁止されたら生物としてもはや終わりってなんか本当に呼吸が苦しくなってきたで御座るよ?!」
「ほれいくぞー。やれいくぞー」
「おふ、あふ、のふぅ! あ、あれ。なにやらちょっぴり気持ちよくなってきたで御座る」
「………………」
「あ、あれ? リア殿? ちょ、な、お」
おあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………。
悲鳴が森の奥へと吸い込まれていった。
続いて出たのは姉さんと千影さんペア。いや、千影さんは仕事があるからと全力で拒否した上にくじにも入っていなかったのに何故か姉さんが引き当てるという、なんかこう、時空が歪む事態が発生した。結局抵抗する千影さんは姉さんに引きずられていった。ドナドナ。
「いえ、おかしいですよね。なぜ入っていないはずの私のクジが入っているのですか」
「さー、なんでだろーねー。ほらほら千影ちゃん、いくよーん」
「いえ、ですから私は今から別荘にもっどってみなさんのベッドの準備をですね」
「だいじょーぶだいじょーぶ。ほら、ちょっとだけちょっとだけ、先っぽだけだから」
「何がですか何をですかどうするんですかっ?!」
「そんな疑問にお答えするためにもさあ千影ちゃんいざ出発!!」
「ちょっと、待っ! お、お嬢様、お嬢様ー!!」
必死に手を伸ばすけれどだっこされた千影さんは抵抗むなしく森の奥へと消えていった。
ちなみにお嬢様こと光璃さんは苦笑を浮かべて手を降っていた。
夕陽はリリスと一緒に、やたら賑やかな様子で森に入っていって――二秒後に謎の音が聞こえて唐突に無音になった。何があったのか、誰にもわかんない。
「よっしゃあリリスさん行きましょう!」
「おっけーまかせて。たとえどんな魑魅魍魎が出てこようとマジカル倒す」
「おっとそいつは俺も負けてらんねえぜ! じゃあな空、お先に行くぜっ!!」
「ああ、うん。なんかもう肝試しのテンションじゃないよね」
「はっはっは! 任せとけってんだ!」
何をだ。
「よっしゃあ、行っくぜええええ!」
「やー」
ずどどどどど、と森へと突進して暗がりに消えたふたりは。
「え」
「あ」
と、声を残していきなり静かになった。
見ていた僕らが絶句した。
何があったんだろう。何かあったんだろう。
その状況に怯える涼莉ときょとんとした様子の十乃ちゃんが、ふらふらと森に入っていって、今度は何もなかった。いや、いちいち虫や葉擦れの音に怯える涼莉の声が響いていたけど。君、猫だよね一応。
「にゃっ?! え、行くの、これで涼莉たち行くの?!」
「うんまあ。姉さんの事だから本当にまずい事はないと。うん。まあ。思うよ?」
「空がとっても自信なさげなのっ!!」
「す―ずちゃ―ん。ほら、行くよー」
「う、にゃあぁぁ……」
「あははー。すずちゃんお耳がペタってしてるのです。かわゆいですねー」
にははー、と笑いながら涼莉なでくりまわす十乃ちゃん。ほんわかした顔は幸せいっぱいだった。
「ほらすずちゃん、手をつなげば怖くないのです」
「う、うにゃあ」
片や普通に、片や怯えながら。森への道を入ってく。
「……に、にゃぁっ?!」
「すずちゃんすずちゃん、それは虫がはねただけなのですよ」
「ふ、ふぅ。びっくりしたの……にゃああああんっ?!」
「ちょっぴり風でゆれただけですよー」
そんなやり取りをがずっと聞こえていた。うん。どっちが歳上だか分かんねえなもう。
そして続いたのはジュス様と光璃さん。誰がやるか俺はもう寝るんだと言っていたけれど結局参加。それでも歩きながら寝る辺りあの魔王様はもう処置なしだと思う。
「それでは参りましょうか」
「……つうか、俺は置いてけよ。もうここで寝てるからよ」
「そういうわけにも行きませんから」
じ、と光璃さんが真っ直ぐにジュス様を見やる。
「……はぁ。。わかった。わーかったよ。しゃあねえ行くよ……くかー」
「あらあら」
深い溜息をついたジュス様はそのまま寝てしまい、それを見た光璃さんは苦笑する。しかしジュス様。そのまま前進し、森へと入っていった。
光璃さんはそれに苦笑を深くすると、後ろをついて行った。
なんだかなぁ。
と、思っていると。
「ぐわははははは! ここがジュスティードのいる世界か!!」
「うわぁなんか空間の裂け目からいかにも悪っぽい筋骨隆々とした黒ずくめ黒マントのオッサンが出てきた!!」
「……空、どうしたの、その説明口調」
いやなんとなくそうしたほうがいいような気がして。
「くくく、感じる、感じるぞジュスティード貴様の力をな! ふははは! お前の命運もここまでよ!」
「あー、すごい勢いで森の中に。ジュス様を追っかけてきたのか。ふーん」
「ねえ空。わたし、あの光璃さんが二人っきりを邪魔されて黙っていると思えないんだけど」
そうだね。
僕もそう思うよ。
それを裏付けるように。
「ひ、ぎゃあああああっ!! き、貴様この私に何を――あ、ちょ、痛、痛い、痛いってば。あ、いやマジでそれ洒落に――無理無理無理! さすがにそれは無理があるだろ殺す気か貴さ――あ、いやすみません調子のってましたまじすみません土下座します。え? 焼き土下座? いやさすがにそれは本当勘弁、あ、いや、やめ、無理。人間の体はそっちには曲がらないしそんなところにそれは入らないって! ああああああやめていやだあああああああ!!!!」
そんな声が聞こえて。
「………………」
「………………」
僕と綺月は名も知らぬおっさんに黙祷を捧げた。
そして綺月と百羽さんペア。本来なら前に立つべき綺月なんだろうけど、こういう雰囲気は苦手で。なので百羽さんが前に立って森に入っていった。割と意気揚々と入っていった百羽さんの悲鳴が聞こえたのは、十三秒後だった。
「ああもう、本当に苦手なのよね、こういう雰囲気」
「で、では僭越ながらこのわたしが前をいかせていただきます!」
「え、大丈夫ですか百羽先輩」
「任せてください! たまには先輩らしいところも見せないと、ですから!」
「うーん……まあ、そう言うのならお願いしていいですか?」
「はい! それじゃあ、行きましょうか。空さん、お先に失礼しますね」
「ええ、お気をつけて。綺月も気をつけてね」
「ええ……本当に、ね」
ぽつりと、綺月は疲れたような顔で呟いて。
ふたりは森へと入っていって。
「ふへ? へひゃっ! ふぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!?!」
気の抜けた悲鳴が聞こえてそれっきり。
とまあそんなゴタゴタしつつ僕らの番。
ルールは簡単。森の奥にある神社の境内に『宝』が置いてあるのでそれを取ってこい、というわけだ。お昼の間にメイド三姉妹の長女と次女の姿が見えなかったのは、どうやらこれの準備をしていたらしい。
ついでに、いくつかビックリ系トラップも仕掛けたとの事。
準備側の百羽さんがなぜ悲鳴をあげるのかは謎だが。
道は一本道で、出口は別荘の裏側に出るらしい。
森に入っておよそ十分。道行は昼間に三十分掛からない程度、ということだった。彼女たちの歩幅と僕の歩幅の差、夜という時間を考えても、まだ半分も行っていないだろう。
「……しっかし、やっぱり何か仕掛けられてたのかな、あのくじ」
ましゅまろを振り返る。相変わらずふよふよと付いて来ていた。こちらをみようとする気配さえない。うんまあ。
さておいて、僕がそう思ったのは単純に組み合わせが『いかにも』過ぎたからだ。姉さん、あれで他人の色恋にお節介を焼きたがる節があるし。とはいえ、お膳立てをするだけで自分から積極的にけしかけたり、という事はむしろ嫌いらしく。
勝手に状況を用意するくせに踏み出すのも結論をだすのも自分でやれ、という割と投げやりなスタンスだったりする。
大地は単に一番扱いが適切な人に任せただけみたいだけど、それにしても巻き込まれるみんなはまあ、大変だなぁ、と。
「ま、僕は平和だからいいけど……なにましゅまろその目は」
ありえないものを見るような目をされた。表情の変化が非常に分かりづらいましゅまろだけれど、最近はその違いも判るようになってきた。口を聞かないくせ漫才について視線だけで語り合う(しかも合間合間に大爆笑する)姉さんには及ばないけれどコミュニケーションは取れていると思う。
「にしても、前の人たちはあんなに賑やかだったのに僕らは何も無いねえ。正直何かはあるだろうって覚悟はしてたんだけど」
「…………みえないだけじゃね」
「え?」
一瞬聞こえた声に振り返るけれど、ましゅまろはあさっての方向を見ていた。けれど確かに今のはましゅまろの声だった。
ふむ。
彼女(?)は少なくとも僕よりも長生きしているようだし、何かしら勘に触れた部分があるのかも知れない。
となると油断はできない、か。いや、もとより油断をするつもりはないのだけれど。一番目だったら間違いなく油断していただろう、ってことはさて置いて。
軽く耳を澄ましてみる。
聞こえてくるのは波の音、風の音、木々の音。そればかり。
……いや、これは?
しくしく、しくしく、と。
泣き声……だろうか。すすり泣くような音が。
「……え、嘘、まさか」
リアル心霊現象っ?!
「う、ううむ。確かに綺月は何か警戒している様子だったし……何かがいてもおかしくはない、か……」
しかし心霊現象。心霊現象かぁ。
あんまりいい思い出はないんだよなあ。ましゅまろみたいな意味不明のお化けならまだしも、実際問題地縛霊とか怨霊とか、そういう物に関わってろくな目に遭ったことはない。そういうものなのだから当然といえば当然なんだけど。
「うん。ひとまず気を付けようかましゅまろ」
「はいよー」
声に振り向く。
やっぱりそっぽを向かれていた。
なんというか。
あんまり喋りたくないタイプらしい。となると、この間の異世界の時は例外だったんだろう。
うーん、そう考えると彼女の性格というかメンタルというか、そういう部分はさっぱり把握できてないな僕。
というか人語を操る彼女は人間の霊魂なのか別の何かなのかもよくわかっていないし。
むぅ。
と、考えていると、だんだんと泣き声がはっきりと聞こえてくるようになってきた。
「……近い」
ごくり、と息を飲む。
気のせいか、空気も生温かい、湿り気のあるものになっていた。
夏や海のせいではない。生理的に受け付けない熱さ、とでも言うべきだろうか。まるで全身に汗をびっしょりとかいて、クーラーの付いていない蒸した部屋にいるときのような、厄介な熱気。
そんな感覚を覚える。
慎重に足をすすめる。
コース上から外れたとろにいてくれれば無視できる。けれどそうでない場合は――最悪、コースを外れて草を掻き分けることになるかも知れない。夜中に道を失うようなマネは避けたいけれど。
「――――っ!!」
息を飲む。
暗い木々の影の中。何かがいた。すすり泣く声は、どうやらそれから聞こえてきているらしい。
くぐもった、太い声。
シルエットは、大きめ。
あれは一体、なんだ?
木の影に隠れ様子を伺う。こちらに気づいた様子はない。
その時、月が雲から顔を出したのか。月光がそのシルエットに降り注いだ。
「――――っ!!」
僕は息を飲んだ。
「…………なんてこと」
ましゅまろは嘆くような声を上げた。
そこには、あまりにも惨たらしいものがあった。正直、視界に入れてしまったことを後悔するような。
ぎしり、と全身が恐怖と絶望で軋みを上げた。ああ、僕はまだ過去を捨て切れていないのだと実感する。
僕は。俯いて。
そっと、それを見なかったことにして、道の先を進む。
大丈夫。あれに害はない。けれど、あれに関わることもできない。
ましゅまろもそれを理解しているのだろう。先程までとは違い、僕の隣に並んでいた。
ぼくらがみたもの。
それは。
「う……うぅっ。ふぐっ。ぐすっ! うあああああ……」
両目から大粒の涙を流し。髪にパーマをかけられ。ほっぺたは赤く塗りつぶされ。鼻には割り箸をつめ込まれ。
全身の服をずたずたに引き裂かれて辛うじて大事なところは掻くせていたけれどそれだけでパンツ丸出しで全身を荒縄で縛られてセクシーポーズで固定され頭に風林火山のちっこい旗を立てられおまるの上に配置されて咥えさせられたおしゃぶりからシャボン玉を延々と吐き出しスクワットをし続ける、ジュス様を追っかけていたオッサンだった。
漂ってきた熱気はオッサンから発せられていたのだ。
「ひどいよ……こんなのってないよ……っ!!」
「ああ……あいつは存在の全てを陵辱されたんだ……」
僕らは涙をのんだ。
そして誓う。
あのドSだけは絶対に怒らせないようにしよう、と。
ていうか僕を監禁してたときから大分悪趣味になりやがりましたねお嬢様っ!!
それから十分ほどで神社に出た。
森の中にポッカリと開いた穴。月明かりを遮るものはなにもない。
その中心に、小さな社が立っていた。
そして、目立つ場所にRPGにでも出てきそうな、いかにもな宝箱が。
なるほど、これが宝ってことかな。
「……何か仕込まれてないだろうね」
主催が渚姉妹から姉さんに変わった時点で何があってもおかしくないイベントに成り代わっているのだ。注意してし過ぎるという事はないだろう。
念の為にましゅまろには離れていてもらう。
僕は宝箱の蓋に手をかけた。ぐ、と力をいれるけれど動かない。なかなかに硬い、重いもののようだ。
ふむ。
少し気合を入れて、もう一度フタを開ける。ぎし、と古臭い音を立てて僅かに蓋が開いた。そのまま開いていき、そろそろ月光で中が見えるようになる、といったところで。
「あ」
「え?」
「呼ばれて飛び出てジャジャジャ」
ごっ。
ごしゃっ。
「……あれ?」
ええと。
ちょっと今の三分の一秒間の間の出来事を説明させてください。
僕が蓋を開けていると、ましゅまろが声を上げる。僕が振り返り、ついでに蓋から手を放す。謎の声が聞こえたかと思うと、何かぶつかるような音と共にそれが途切れる。蓋が嫌な音を立てて閉まる。
だいたいそんな感じで。
視線を宝箱に戻す。
「…………どうしようか、これ」
指が。
指が、宝箱から出ていた。ただし蓋にはさまっている。しっかりと。あの重い蓋に。
「…………これ僕が悪いってことになるのかなぁ?」
ましゅまろに尋ねてみるけれど素知らぬ顔をされた。半分は君が原因でもあると思うんだけれど。
開けたほうがいいんだろうか。
いやまあ開けたほうがいいんだろうけど、ものすごい抵抗が。だって今出てこようとした声、なんか無闇にテンション高そうだったし。呼んでないっての。
「つうかさ」
「あれ、どうしたの、ましゅまろ」
「いやふつーに疑問に思うんだけど、メンバーの大半が女の子なのにそんなクソ重い蓋の宝箱を用意するの、あんたの姉は?」
「……ああ、そういえばそうだね。あれ、じゃああれなんだろ?」
「さあ。まあ、あんまりいい気配はしねえし。ミミックっぽい感じはするけど」
ミミック。
ゲームなんかでは宝箱や壺なんかに化けたモンスターとして描かれることが多いけれど、本来的には擬態の意味、だったっけ。
擬態、擬態、ねえ。
「……ねえましゅまろ。ってことは今僕、凄く嫌な予感がするんだよね」
「残念ね、あたしもよ」
あーだりぃちょーだりぃ、といった雰囲気のましゅまろ。
そんな僕らが見ている先で。
「ああああああんっ! んもう、なにするよのぉおおおおおおっ!!」
宝箱がばかりと開き、ぐにゃりと形を変え、人の姿をとった。
その人型は右手を押さえて胸に抱え込んだ。
それを見る僕らの心境は『さっさと逃げてりゃ良かった』である。
だって。
「んもうっ! 人がこんなに痛い目を見ているのに放っておくなんて、なんてコたちなのかしらっ!!」
妙にしなのある仕草。くねくねと腰を動かすミミックは、完全にオッサンだった。先ほどから続いてまたオッサンである。オッサン祭らしい。これがまたやけにガタイがよくて、ボディビルダーにしか見えない。なんだろう、せっかく昼に水着で目の保養をしたのに抉りたくなってくるこの衝動。誰か助けて。結構切実に。
しかも一番酷いのは、このオッサンよりにもよって全身タイツ姿だった。真っ白な全身タイツのオッサンがオネエ言葉でくねくねしてる。
角刈りの頭と彫りの深い顔には違和感がないのに。もみあげとヒゲが繋がってちょっとダンディな雰囲気なのに。
全身に視野を合わせると、うん。地獄。
なんだろう、さっきから試される肝がちょっと違う気がするんだけど。どうするのこれ。どう収拾つけてくれるの。
ミミックはこっちを見て片目を瞑り、腰と片手を付き出して。
「うふふ、そんな悪いコたちには、お・し・お・き・よ☆」
なんて、指を振りながら言いやがった。
あ。
無理。ちょっとこれ無理。色々と精神的な限界がどんぶらことやってきてるんですけど。
「まままままましゅまろさん、ここここれどどどうにかななりませんんか?」
「いいから目を合わせるのをやめなさい。ある意味児童ポルノよりも先に取り締まるべきものだからあれは」
うん、そうだね。ぶっちゃけ現行法で十分にとっ捕まえられる種類の生き物だ。
その白い生き物はくねくねしながらゆっくりすり足でこっちに来ていた。
来るな。頼むから。土下座してもいいから。行くなら都庁とかにしてください。きっと知事と仲良くなれるから君なら。
心底関わり合いになりたくない存在っていうのは結構久しぶりだなぁ。逃避する思考の片隅でそんな事を考える。
「ふふん。そんなに緊張しなくてもいいのよ、優しくしてア・ゲ・ル」
ぞわっ。と。全身がね。うん。
「あああああああもう無理色々無理だってこれ!! 肝じゃなくて何か別の覚悟を試されてるもん絶対そうだよこれ!!」
「全面的に同意するけど泣くなってのあたしだって泣けりゃ泣いてるわよこんなの!!」
「おちつきなさい。順番に相手してあげるからん」
「「帰れえええええええっ!!」」
変態と僕らの距離が近づく毎に僕らのSUN値がいい具合に下がっていっている。バールのようなものでもあれば僕は既に暴挙に出ていただろう。
「え、何、なんなんですかあなた。宝箱の擬態をしてたのに何でそんな格好になるんですか? 何でそんな言葉遣いになるんですか? ちょっと僕の理解を超えるって言うか理解したくないんですけど」
「え? だって素敵じゃない、この格好にこの喋り方」
ああ。
根本的根源的に分かり合えないものなんだな、と。
うん。理解できた。
「…………じゃあ、どうやったら帰ってくれるのかだけ教えてくれませんか」
「えええ? もう帰らなきゃだめなのぉ? せえっっかく時空の狭間を越えてきたのに」
うん。帰ってください。
帰れ。マジで。
「ついでいうと二度と出てきてほしくないです。二度と僕らに絡んでこないでください。正直何であなたが出てきたのか誰にも理解出来ないんですよ」
はっきり言って姉さんの趣味じゃない。何かしらの事故で巻き込まれて出てきた……ああうん、さっきのオッサンか。たぶんそうだろう。
余計な物引き連れてきやがって。
「ふぅ。ま、仕方ないわ。急がないと元の世界にも帰れないし。あ、もちろんあなたが残って欲しいって言うのなら」
「すぐ帰れ」
「あらやだ、つれないのね」
うふ、とウインク。
ふらついて、隣に浮かぶましゅまろに寄りかかる。
「タスケテー」
「無理っていうか嫌だ」
ですよね。
僕も逆の立場ならそうする。
「んでも、すぐに帰るのも面白く無いわ。それに、絶対に帰らなきゃならない、というわけでもないんだもの。だからちょっと、遊びましょうよ」
「……遊ぶ、ねえ」
いやな予感しかしないけれど、しかしてこいつがこの世界に残り続ける事のほうが絶望的に嫌すぎる。
「あんまり遅くなるとみんなが心配するから、すぐに終わるものがいいんですけど」
「ええ。すぐ終わるわよ。
――そう。それは漢と漢のプライドを賭けた真剣勝負。敗北は尊厳の死。勝利は新たな次元への階梯。
魂がぶつかり合い精神が競い合う。
心技体運己の全てを賭ける事のできる真の勇者のみが立つことのできる戦場。
その競技の名は!」
「き、競技の名は?!」
両手を絡め手のひらを天に向け、両足を開き腰をくねくねと動かすミミック。
精神の昂りからか全身に汗が浮かび顔が赤く染まる。
そして、きつく閉じられた瞳がカッと見開かれ競技の名が告げられる。
「――野球拳!!!!」
「「死ねええええええええ!!!!」」
僕の蹴りとましゅまろの体当たりが同時に炸裂。ミミックが吹っ飛んで三回程バウンドした。まあ、特にダメージはないようですぐに立ち上がってきたけれど。
「驚いたじゃない。なにするのよ」
「お前が何を言ってるんだ」
もう口調がぞんざいになるのを止められない。止めたくない。
「え、何、競技名は?」
「野球拳」
「誰がするの」
「あたしとあなた」
ばかじゃないの。
ばかじゃないの?!
「意味が分からないよ!」
「いいじゃないのそれであれが帰るんなら。やりなさいよ」
「って後ろから刺されたー?! ちょっと、自分がやるんじゃないからって何言ってんのさ!」
こんなの絶対おかしいよ!!
はっ!
いや待てよ、まだ逆転の目は残されている!
いつぞやの吸血鬼とシスターのように、ルールが違っている可能性は捨てきれない!
「よし、まずはその野球拳のルールを説明して!」
「あらん、やるきなの? 勇気のあるこは好みよ。
野球拳のルールは簡単。まずはジャンケンをするの」
ふむ、ここまでのルールは同じだ。
「掛け声でね、ジャンケンをして、そうして、負けたほうは服を――」
う、ルールに差はないか。
さすがにあんな事はそうそうあるわけもないか。
「相手に脱がされて、スッポンポンにされた方が負けね」
………………。
虫の。
虫の声が、いやに喧しい。
「……え?」
「あら、そんなに難しいことは言っていないわよ? 掛け声でジャンケンをして」
うん。
その次は?
「勝ったほうが負けた方の服を一枚、無理矢理剥ぎ取る」
「余計悪質具合が上がったあああぁぁぁっ?!」
つまり。
僕はじゃんけんに負ければ全身タイツのマッチョに服を脱がされて。
僕はじゃんけんに勝てばこの全身タイツを剥ぎ取らなくてはならない、と。
なにそれ。
勝っても負けても地獄じゃん。不毛にもほどがある。そしてミミックさん、顔を赤らめないでください。
「……ああ、まあいいじゃん、もう、やっちゃいなよ」
「心底嫌だよ! 大体そっちはいいの、一回負けたら終わりだよ?!」
「うふふ、心配は無用よ。これでも元の世界じゃあこの手の勝負では負け知らずなんだから。
そう、これは敢えて自らを追い込み背水の陣を背負う覚悟の装束。あたしの、魂の形よ!!」
「どんな魂だ……う、ううう……」
嫌だ。本当に嫌だ。でも、ここで勝負をしないとミミックは自分の世界に帰らないだろう。
やるしかない。やるしかないんだ。
「に、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……」
自分に言い聞かせるけど全然効果ない。正直誰かに変わってほしいけどこの場にいるのはお化けのましゅまろ。脱ぐべき物なんかひとつもない。いやたとえそうじゃなくても女の子にそんなマネさせられないけどさ。
「…………受けて立つ」
「……へえ、いいじゃないの坊や。その意気よ」
にやり、と顔の彫りをさらに深めて笑ったミミック。
ぐわんと両腕を広げてがに股になった彼は、気合充分といった様子。
「かかってきなさい!!」
気合はわかったから見た目をどうにかしろ。
五分後。
そこにはパンツ一枚で座り込む哀れな中学三年生の姿が。
「……あんた、その」
「ましゅまろ。いいから。何も言わないで」
情け無さ過ぎて視線も合わせられない。
ていうかこのミミック、ジャンケン強すぎる。靴下と肌着とシャツとズボン。靴下は片足ずつだったから計五回の勝負だったのだけれど、あいこは一度足りともなく全てストレート負け。なにこれ意味分かんない。
あと一回。あと一回でスッポンポン。真剣にヤバい。歴戦の猛者だという彼の言葉には何一つ嘘はなかった。
「う、ふふふん。これであと一回であたしの勝ちよ」
ばちんと音を立てるようなウインクが炸裂する。うぐぐ、なんかもうここまで来ると生理的嫌悪より単純に悔しい。
けど、タネはもう分かった。
これは、単純に種族の差。いかんともしがたい互いの間に歴然と存在する隔絶。
要は動体視力と反射神経だろう。僕もそれなりに自信はあるものの、ミミックは次元が違う。おそらくというよりほぼ確実に、僕が出す手を、その動きをみてから出す手を変えている。
これが人間なら、開いたり閉じたり、という動きが必要な上に判断から変化までの時間がわずかなり必要になる。しかしミミックは擬態する存在。手の形を望むものに一瞬で変形させることなど造作も無いだろう。あとはその判断を素早く正確に行えるか否か。彼はそれを実践しているだけ。
勝ち目は、ない。
けれど負けたくないし、負けるわけにもいかない。
肝試しに行って森から出てきたらスッポンポンって軽く見積もっても露出狂の変態じゃないか。この歳でそんな業を背負えるか。
「……仕方ないわね」
「ましゅまろ?」
覚悟を決めたとき、ましゅまろが前に出た。
「めんどうだけど、あたしが相手してやんよ」
「あら可愛らしい物体だこと。だけれどあなた、脱がせるものがないじゃない」
脱ぐものって言えよせめて。
「そんなんじゃあ、負けたときには食べちゃうくらいしかやることがないんだけど――いいのかしら?」
一瞬、ミミックの瞳に嗜虐の色が光る。ぞくりと背中を恐怖が走った。
「脱ぐもの。脱ぐものねえ……じゃあ、こういうのでいいわけ?」
刹那。
ぐんにょりとましゅまろの形が崩れて、次の瞬間そこには白い人が立っていた。
「……あらやだ。なんとなくそんな気はしていたけれど、あなた、同類だったのね」
「いやあたしは少なくともあんたみたいな変態じゃねーっての」
肌も髪も、そのすき間から覗く瞳の色さえも白い。
背丈は僕と同じほどだろうか。気だるげな雰囲気は彼女の口調そのままだ。
その身に纏うのは重厚かつ荘厳、絢爛かつ華美な十二単。そう。十二単である。色のないその姿との対比で自分の視覚が壊れてしまったようにさえ感じる。
さらに手首やまとめた髪にも装飾具をちりばめており、その姿はとてもじゃないが、日頃のぐーたらお化けと同じものとは思えない。
「……はあ、重、だる」
まあ、中身はさすがにかわりゃしないみたいだけど。
「……ってましゅまろ?! え、嘘、人間?!」
「そりゃあんた、人語を使うんだから人間……ってわけでもないか、あんたらの場合は。まあそういう事。せーかくにゃ、元・人間だけどねー」
あくび混じりのましゅまろは、どうだと言わんばかりに胸を張り、ミミックに相対する。
「さて。このカッコって割と重いしだるいしいいことねーから、さっさと終わらせようか」
「なるほど。あたしの宝箱の姿と同じで、低燃費仕様の姿がさっきまでのもの、というわけね。それにしても、随分と重装備ね」
「重くて面倒だけど困ったことに慣れてて愛着まであんのよ、厄介なことに」
肩をすくめるましゅまろ。動きに合わせて、しゃん、と髪飾りが幻想的な響きを奏でた。
「さて。二対一になったけど、当然文句はないでしょうね」
「それを当然、なんていう人は中々いないわよ。ふふふ、そういう人、すきよぉ。いいぜ、相手になってやりましょうか」
ミミックの声が一瞬低くなる。本気、ということだろう。
ああ、僕は今まで遊ばれていた。そりゃそうか、それだけの存在としての差が存在したのだから。
それはまあ、当然だし、仕方のないこと。
「ま、そういう事よ、空」
「……わかったよ、ましゅまろ」
そういう事だそうで。
僕は深々とため息を付いて。
「ま、一発で終わらせてやりましょうか」
ぐるりと、腕を回した。
存外腕力あるね、君。
そして。
そして結末とただの結果報告
結論から言えば。
決着だった。
僕らの勝ちだ。
手を出す直前でましゅまろが姿を戻し、僕が手を出した。
ましゅまろ相手に勝つ手を出していたミミックは、当然、ましゅまろ相手に負ける手を出していた僕に負けた。
一対一の、二対一。
直前のスイッチ。
相手が種族としての本能で勝負をするなら、こちらは家族としての技能で勝負するだけだ。まあ、卑怯だとは思うけれど。
「……にしても、助かってよかったよ。ありがとう、ましゅまろ」
「まーあんたみたいな子どもには重い業だわね」
なんだかんだで僕を心配してくれたらしい。有り難い。
そんなましゅまろは当然、いつもの風船みたいな姿に戻っている。口調もだんだん少なくなってきていた。
「で。結局持ってきたそれはどーするの」
「いや本当、どうしようねこれ」
ましゅまろの視線は僕の手の中の物体に向いていた。白い物体。ほのかな温かみの残るそれは、言わずもがなミミックの身につけていた全身タイツである。
正直もってきたくなんてなかったんだけど。
『これがあたしたちの戦いの証。魂と魂、肉体と肉体、精神と精神がぶつかり合った証よ……あなたに、持っていて欲しいの』
なんていいセリフと共に手渡されたらさすがに捨てられない。
まあ言ってる本人は筋肉ムキムキの全裸のオッサンなんだけど。
森の中で身長二メートル近い巨体の全裸のオッサンと向い合って全身タイツを渡される中学三年生。
犯罪臭とんでもねえな。
「……まあ、うん。記念? とか?」
自分でもよくわからないけど、まあ、うん。
「ま、好きにしなさいな。あんたの戦利品なんだから」
「それは違うよ。僕が勝てたのは君のおかげ。というか本当は君の勝利なんだし。ま、さすがにだからと言ってこれを押し付けたりはしないよ」
白い全身タイツなんて、邪魔とかそう言うのではなく、単純に持っていたくない。
「まあよくも悪くも思い出ねー」
思い出、か。
先ほどのましゅまろの姿を思い出す。
見事な十二単だったけれど、さて。あんなものを日常的に着こなす時代はいつまであったのだろうか。
そんな彼女にとっての思い出というのは、果たしてどれだけの深さ重さを持ち得るのか。
そんな事を考えたりする。するけれど。
「ふわぁ……ああ、ようやく出口ね。はあ、騒がしかった」
「だねぇ」
まあ。
僕らがこうしている――こうしていられるのなら、今気にしなくてもいいんだと思う。
あるいは、甘いとか、後手に回りすぎだとか。夕陽なんかには呆れられる性質だとは思うけれど。
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