僕と姉さんと雨の海
過去最長。コンセプトさえ守れない書き手って。
じっとりと汗が背中を流れていく。
これが自宅ならばうだるような暑さに耐えかねていただろう。
だけど今はこの汗さえも気分を高揚させるスパイスのひとつにしかならない。
「いやあ、爽快だね」
そこかしこに漂う焼きイカの香りは、まあ別荘という雰囲気を盛大に粉砕してくれているけれど、馴染んだそれはかえって小市民な僕にとっては楽しみさえ覚えるものだ。
「うむ、やはり海はよいで御座るな! ああ、夢にまで見た生水着……生きていてよかったで御座る」
「大地は本当、欲望に忠実だよね」
「欲望に不実な人間はいずれ身を滅ぼすでござるよ?」
忠実過ぎるのはいかがなものだろうね。
ちなみに。
今浜辺にいるのは男性組のみ。女性組は十分ほど前に更衣室にいったきりだ。
やはりというかなんというか、着替えに時間がかかるものらしい。
なぜかリリスも付いて行っていたけど、まあその場のノリだろう。彼女はテンション低い割にノリはいいから。
「しかしまあ拙者、テンションうなぎのぼりで天を衝く勢いで御座るが、はて、皆はそうでもないで御座るな」
大地が僕らを見る。
いや、そりゃあ内心楽しみにはしているけど、君がやたらとテンションが高いせいで醒めてしまってるんだよ。
ジュス様は既にパラソルの下で居眠りに入ってるけど。本当、どこでも寝るなこの人。
「ジュス様、暑くないですか?」
「問題ねえ。適度に熱量遮断してるから」
「え……ああ、本当だ。よく見たら琥珀の光が……」
パンタグリュエルを使っているらしい。世界さえ砕く力の結晶がクーラー代わりだった。
ジュス様は単身でも最強だけれど、棄剣パンタグリュエルを使うと真剣に手のつけようがなくなる。のだけれど、どうもそのパンタグリュエル。何でもできるがゆえにろくなことに使われないという悲しい宿命を背負ってしまっている。
「ジュスティード殿は枯れているでござる」
「これでも老人なんでな」
実年齢だと確か二千歳前後だったっけ。それでも元いた世界では大分若いらしいけど。
「相変わらずジュス様は生きてるスケールが無駄にでけえな」
「でかいといえばシスターマリジョア殿がいないのは悲しいで御座るな。あの水着姿は壮観で御座ったが」
「……君は」
話を一瞬でそっちの方面に戻された。
もう頭の中が完全に茹で上がってる。
「というか大地、君いっつも幼女幼女言ってるような気がするんだけど」
「ははは、空殿それは早計というもの。拙者ロリコンで御座るが上は四十代下は一桁からオールラウンドに網羅している生粋の紳士で御座るよ?
大きいのも小さいのも平等に愛する。これぞ正しく男の器量というもので御座ろう。
そう。
翼殿のような均整のとれた胸も水津弥殿のような清純さ溢れるちっぱいのも日ノ影殿のようなふくよかなのも涼莉殿のようなロリコン御用達のもリア殿のような美乳もパンドラ殿のような成長期真っ只中のも十乃殿のような見た目は合法手えだしゃ違法も百羽殿のような正しくおっぱいも千影殿のような我らが希望合法ロリも、そして、いかにも外国産なあの巨大なシスターマリジョア殿のも!!
全て!
いいでござるか?
全・て!
全てを受け入れずして何が男と言えようか?! 言えるわけがない! 在り得ないのでござる!!
夢と希望と愛とロマンが詰まった、胸! そのすべてを受け入れてこそまさに紳士、漢!!
そうで御座ろう、皆の者?!」
「「「死ねばいいのに」」」
いい事語ってる風だけど生粋の変態じゃねえか!
できればもう口を閉じててくれないかな!
あまりの酷さにジュス様まで声を合わせてたよびっくりだよ!!
とかなんとか馬鹿げた事をやっていると、ずばばばばば! と謎の音が猛スピードで近づいてきた。
おやなんだろう、と振り返った僕の目に。
大量の砂をまきあげて全力ダッシュしてくる涼莉の姿が映っ
「そー(↑)らーっ(↓)!!」
「おごぼはあっ!!」
たと思ったら某ゲームハード機の発音よろしい声と共にすげぇタックルぶちかまされて砂の上を転がった。それこそ、もうもうと砂を巻きあげて。
なんとか受身はとったけれど背中で砂浜を滑ったせいですっごい肌がひりひりする。
思わず、お腹の上に馬乗りになっている涼莉に怒鳴りつけた。
「って、涼莉なにするのさ! 危ないじゃないか!!」
「にゃぁっ!!」
叱ったけれどなんのその。太陽よりも明るい笑顔が返ってきた。ああだめだこの娘。完全にテンション振り切ってる。先程までの大地なんて比じゃない。
ネコミミは頭の上で忙しく動き回っているししっぽは落ち着きなく左右をふりふり。
体は謎のリズムで左右に小刻みにゆれている。
そう。涼莉、性格も習性も完全に猫のくせに、水も海も嫌いではないし積極的に入る。ていうか普通に潜水までこなす。
色々と突っ込みたいところはあるけれど、遠くで大爆笑している吸血鬼が普通に太陽の下で水着姿になっている事を考えるとなんかもうどうでもいいや。
ちなみに、涼莉の水着は白だった。白と言っても、いつぞやの白スク水……ああうん、ちょっとこれを思い出すのは一旦タイムで。
とにかくアレではない。さすがに姉さんもそこまで悪ふざけはしなかったらしい。
涼莉が身につけているのは白地に小さく薄いプルーの模様が入った水着。上下に分かれていて、スカートのようにひらひらとした布が可愛らしい。
よほど全力で走ってきたのだろう。よくみると全身にうっすらと汗をかいていて、髪の毛が頬にはりついていた。
しっぽにはやっぱり赤いリボンと鈴。どうも姉さん、これはゆずる気はないようだ。
「とにかく涼莉、さすがに暑いよ」
「空は暑がりなのねっ」
いやその評価は如何なものか。ともあれ、腰の上から涼莉を退かす。
「あはは! 空、だらしないわよー」
「いや姉さんさすがに全力疾走の涼莉は受け止めきれないって」
やって来た姉さんの手を借りて起き上がる。
「少しくらいは勢いを殺せるでしょ?」
「油断してなければね……さすがに不意打ちであの速度に対応するのは無理だよ」
さらに言えば、これで後身長や体重が成長すると、待ち構えていても耐えられそうにない。
正直一年前より威力の上がり方が半端ないのだ。いつか轢き殺されやしないかと内心では戦々恐々としていたりする。
「頑張りなさい、男の子なんだから。弱音は吐かないの」
「姉さんの男の子像はきっついなあ。でもまあ、頑張るよ」
「うんうん、それでいいよ」
満足そうに笑う姉さんの水着は、スポーティなセパレートタイプだった。色は明るいオレンジで、白い肌によく映える。
姉さんが着ると色っぽいというより動きやすそう、という印象をうけるのは果たして僕が弟だからだろうか。いや、似合っていることは確実なんだけれど。
大地と夕陽の反応は……ああ、大地は既に鼻を抑えてるし夕陽は興奮して海に向かってなにやら雄叫びを上げている。なんかもう逆に清々しいなあの連中は。
髪を後ろでアップにまとめた姉さんは、なんとなく新鮮だ。
「さあ空! お姉ちゃんの水着姿はどう?」
「当然、よく似合ってるよ。ちょっとびっくりした。姉さん、あんまり肌出すの好きじゃないし」
「日焼けが苦手なだけだよ。まあ、その辺は斬っちゃえばいいんだけどね」
姉さんの斬撃は基本的に斬れないものはないので。
紫外線とかも無条件にカットできる。
「斬ってるの?」
「やだなあ空、そんな事するわけがないじゃない。だってこう言うことも含めて、想い出でしょ?」
「……そうだね。うん、そう思う」
姉さんは自分の技能をフル活用する事に一切の躊躇いはないけれど、何にでもそれを持ち出す事はあまり好きではない。
そんな姉さんを見習って、僕も涼莉やジュス様の力に安易に頼らないように気を付けているけれど……まあ、今後とも精進って所だろう。
「さあ空。もうお昼も過ぎちゃったし、あんまり楽しめないんだから、早く海であそびましょう」
「なのっ!」
「とわっ?!」
腕にしがみついた姉さんと、背中に乗っかってきた涼莉。バランスを崩すけれど、今度はどうにか耐え切った。
「……暑いってば、ふたりとも」
そう言ってみるけれど。
「「空は暑がりなのね」」
思ったとおりの、答えが返ってきた。
時刻は既に午後二時を回っている。
夕方には引き上げる事を考えると、そうたっぷりと遊ぶ時間は取れないだろう。
とはいえ、明日は丸一日たっぷり時間があるのだ。無理になにもかもをやり尽くすこともないだろう。
そう考えて、泳ぐのは後回し。ひとまず、浜辺を探索してみることにした。
「おや、ひとりでふらふら、どこいくんだい?」
「リアさん」
サングラスをかけたリアさんに声をかけられる。
リアさんは赤いビキニの水着を身につけている。
その上から薄手のパーカーを羽織り、サングラスもかけている。
背丈は姉さんと同じくらいだけれど、姉さんよりもいくらか女性的やわらかさを感じさせる肢体をチェアに寝かせて日光浴。もう吸血鬼って設定忘れたくなってきた本気で。
飲んでいるドリンクがトマトジュースって辺りで辛うじて設定に気を使っている気がしなくもないけど、逆にあざとすぎてもうなんとも。
組んだ足を崩して、リアさんが起き上がる。
「ネコミミとメイドっ子と魔女っ娘は砂遊び。翼は鬼人と未来人を引き連れて沖の島まで遠泳か。あんたは参加しなくていいのかい?」
「砂遊びで天守閣なんて高度な技能僕にはありませんし、体力馬鹿に今から付き合っていたら明日まで持ちませんので」
違いない、と笑いあう。
「ちびメイドとでかメイドは?」
「……千影さんと百羽さんですか? さあ、僕もみかけていませんが」
一度全員砂浜に集まったのは見ているんだけれど。
「ふーん。ま、お嬢様が何かしら企んでるのかもね。あの娘はあの娘で、中々に攻撃的な魂の持ち主みたいだし」
そりゃあもう。
僕の知る限り最上級のドSですからね。
その光璃さんはというと、完全に眠ってしまっているジュス様の隣で本を呼んでいる。
ちなみに光璃さんは水着ではない。
薄手のワンピースに着替えた彼女は、静かな瞳で海を見つめていた。どことなく頬が上気しているように見えるのは、気のせいではないだろう。
なぜ彼女がそうしているのかというと、そもそも彼女は日光が得意ではないのだ。お嬢様というキャラに最大限配慮している辺りこの吸血鬼よりよっぽど親切だと思う。
「……なに? 言いたいことがあるなら聞くけど?」
「や、別に」
言ってどうなることでもないし、そもそも設定に忠実だったなら一緒にこうしてでかけたりなんて出来ていないわけで。
文句など、あろうはずもない。
「……って、綺月の姿が見えませんね」
「ああ、神域の娘か。そういや、いないね」
パッと見える範囲、彼女の姿はなかった。
ふむ。
「まあ、綺月の事だから心配はないでしょう」
「そうかい」
ひとまず、その場を離れるために歩き出した。
と。
「ああ。そうそう」
背中越しに声がかかった。
顔だけ振り返る。リアさんはまた寝そべって、腕を組んで空を見上げていた。
「これでもあんたらの保護者としてここにいるからね。どっか行くときは声を掛けるように伝えといてね」
「……綺月を探しに行く、なんて、一言も言っていませんが」
「なら偶然あったときで構わないよ」
ひらひら、と手を振るリアさん。
……むう。
釈然としないものを感じながら、僕は前を向きなおした。
岩場をひょいひょいと渡っていると、打ちつけられ千切れた波が全身を少しずつ濡らしていく。
どうせすぐに乾いてしまう程度だけれど、次から次に降りかかる霧雨のような飛沫で、僕の体はしっとりと水気を帯びていた。
波の音だけが支配する空間。
日ノ影の私有地だから、雑多なざわめきの欠片もない。
そんな中。
「綺月」
「ひぅっ?! あ、あれ、空? いつからそこにいたの?!」
岩場のすき間に、見慣れた少女がいた。
気配を消していたからか、僕の接近には気づかなかったらしい。
大袈裟な反応で、綺月は振り返った。
その調子に、ふわりと髪をまとめるリボンが揺れた。
綺月の水着は赤と白を基調にした水着で、下がプリーツスカートみたいな感じになっている。派手な色合いだと思ったけれど、いつもの巫女服を連想させるせいか違和感はまったく感じない。
肌が白くてきめ細かく、水が滑るように落ちていっている。
まとめた髪は濡れて艶やかに輝く。
小柄な体を驚きに縮めて、大きな瞳をさらに大きく開いていた。
思ったより。驚かせていたらしい。
「や、偶然」
「ぐ、偶然ね! ……え、偶然?」
偶然でしょ。
「……砂浜から軽く三百メートルは離れてて岩場の奥で影になって外からはまず見えるはずのないここに来たのが、偶然?」
「僕が探検を割と好きなのは綺月も知ってるでしょ?」
「うん、まあ……」
知らないところ程、好奇心を刺激される。僕でなくても大抵の男子はそんなもんじゃなかろうか。
「うーん……」
「……ええと、綺月?」
「あ……うん。人払いの結界とか認識逸らしの守護とか色々してたはずなんだけど……まあ空だし……いいか」
なにやらぶつぶつとつぶやいているけれど、最後には僕を見て、何かを諦めたような苦笑を浮かべた。
一体何なんだろうか。
「で、綺月は何をしてたの?」
「…………え? あはは、そんな、別に何もしていないわ」
うん。そうかそうか。
ちなみに。
綺月は何にしても真っ直ぐな気性なので、はっきり言って嘘が下手だ。気付くなという方が無理なレベルで。
というか。
「隠したいものを両手で抱えて振り返るのは、もう語るに落ちるとかそういうレベルを通り越してるよ綺月」
「え? あ!」
急いで隠そうとするものの、既に手遅れ極まりないのだけれど。
綺月の抱えるそれは、亀だった。ウミガメ。しっぽがヒゲのような白い毛になっている。
とはいえ。
綺月がわざわざこっそりとやって来たのだから、ただのウミガメではないのだろう。
つまり。
「まったく……またひとりで抱え込んで」
「うう……ごめんなさい……」
「神様だよね、その亀」
問う僕に、綺月はこくりと、首だけで肯いた。
水津弥綺月について、そういえば詳しく語ったことはないと思う。
僕のひとつ下の幼馴染み。姉さんを除くと誰よりも長い付き合いになる。それこそ夕陽よりも、だ。
性格は真面目で真っ直ぐ。それも、我を通すのではなく、人と折り合いをつけられる真っ直ぐさを持ち合わせている。まあ、時に頑固だけれど。
体格は年下ということを考慮に入れても小柄。たぶん学年でも下から数えたほうが早いだろう。ぶっちゃけ涼莉と張り合うレベル。身長とかまあその他もろもろ。
家業の影響か肌の手入れは入念にしているとのことで、シミひとつないきれいな肌をしている。
腰まである艶のある長い黒髪も、風にサラサラと融けるように柔らかい。
そんな彼女の家は神社で、彼女も巫女をしている。
単に家の手伝いという訳ではない。彼女は正真正銘、巫女をしている。巫女としての資質を有している。
彼女は神を愛し、神に愛される。そういう魂の持ち主らしく、彼女の周りにはいつだって何かしらの神様が存在しているのだそうだ。とはいえ、僕に見えるのはごく一部だけれど。
綺月はそんな自分の資質について、色々な経験を通して折り合いをつけながら生きている。
それは役目である以上に、彼女の望みとなり、その原動力でもある。
だから、と言うべきか。
彼女はそちら側の事情に、僕らを巻き込むことに消極的だ。
まあ、色々あるのだろう。思うところが。
神域に下手に関わると大抵の人間は人生が歪められるそうだ。それもかなり、悪い方向に。
だからまあ彼女が僕らがそういった事に関わることに懸念を示す事は判るのだけれど……。
僕らが彼女がひとりでそういう事に関わるのに、同様の懸念を持っていることを、何で理解しないのか。
若干、不機嫌になるのを自覚し、抑える。
綺月は勘が良いので、こちらの感情の変化を敏感に捉えるからだ。彼女の性格は分かっているのだし、ことさら萎縮させては申し訳がない。
しかしまあ、随分と。
「亀だね」
「うん亀」
「浦島太郎とかに出てきそう」
「本人じゃないけど、何人かは載せて連れてったらしいよ。海底世界に」
あるんだ海底世界それにまず驚きだよ。
「ほ、ほ、ほ。驚いたかの、少年」
「うわあ」
亀が喋った。普通に。
……いやまてよ、よく考えなくても涼莉も猫で普通に喋ってるな。
「……まあよくある事か。ふう、一瞬驚いたけど、うん。大丈夫」
「よくある事かなぁ?」
綺月が首をかしげていた。実際によくあるのだから仕方ない。
猫にましゅまろによくわからないものまでまあしゃべるしゃべる。
「ほ、ほ、ほ。随分と変わった運命に恵まれておるようだの、少年?」
「恵まれてるのかなあ……まあ退屈しないのは確かかな」
「退屈は人を殺すでの。良き哉、良き哉」
深い温かみを感じさせる老人の声。
僕の周囲にはいないタイプの性格だ。
「それで綺月。この神様は一体どうしたの?」
「ああ、うん。
ほら、さっきイカがいたでしょう? あのおっきいの」
「うん。見た目だけじゃなくて味もなかなかに大味だったね」
「で、あのイカがこの辺りを占領していたせいで、本来この辺りを管理しているこの神様は、ここに追い込まれてたらしいの。
それで、本来の場所に戻そうと思ったんだけど」
「本来の管理者? じゃあ、あのイカは外来種かなんかだったの?」
「ふむ。まあ、説明すると少々、長くなるのう。
簡単に言うと、縄張りを持たぬはぐれもの、と考えればよい。この辺りの水質が気に入ったのじゃろうな」
なるほど。
そこに僕らがやって来て、図らずもあのイカを倒し、挙句に食べてしまった、と。
「おかげで僕らが苦労するはめになったんですが。自分でどうにかしようとか思わなかったので?」
「ほ、ほ、ほ。手厳しい。ま、居つくと言ってもせいぜい数年から数十年。その程度、隠居しているのも悪くないかと、思うての」
数年から数十年を、その程度、ですか。
ううん、夕陽じゃないけれど、生きているスケールが違いすぎる。
「ところで、その管理って言うのはなにするの」
「うん。それなんだけど、たぶんそろそろ影響が出てくると思う」
と、綺月が言ったところで。
急に風が強くなり、黒い雲がかかり、波が大きくなってきて。
はい、急な雨が降ってきました。
土砂降りです。
雨粒はビー玉サイズかとでも思うほどの大きさで、肌に当たればバチバチと景気のいい音を立てて弾ける。
バケツをひっくり返したかのような猛烈な雨は数メートル先の綺月の姿を雨のカーテンで遮り、その表情を隠してしまうほど。
周囲が岩場ということもあってか、雨粒が弾ける音が全方位から脳みそを揺さぶるような勢いでたたきつけられる。
端的に言って。
とんでもない豪雨がやって来た。
「あのイカが自分好みの環境にしてたせいで、ぶり返しが一気に来たみたいなの」
「あんのイカめ……」
焼いて食べるとか、生ぬるいやり方だったかちくしょう。
「……で、これ放っておくとまずいの?」
「うーん。この神様が管理してくれていれば、このくらいの雨でも土砂崩れ、なんてことにはならないんだけど、あのイカ、結構テキトウな管理しかしてなかったから、何処にどんな影響が出るのかわからないみたいで。
なるべく早いほうがいいと思う」
「あんの、イカめええぇ……」
まったく。
まあ仕方ない。
「それで、その神様をどこに戻せばいいの」
「え、ええとね、それが、その……」
綺月が海を指さす。正しくはその先にある物。
雨の幕に覆われて見える黒いシルエット。
あれは。
「……姉さん達が遠泳してた島か」
とんだ伏線だなおい。雑にもほどがある。
まさか砂遊び組にも何か伏線があったりしないよね。ないか、さすがに。
……ないよね? 顔ぶれが顔ぶれだけにいちいち心配だ。
ともあれ。
「この天気の中、あの島まで行くのはちょっとオススメできないんだけど。ていうか亀なんだし、自力で泳いで行けないの、神様?」
「そうしたいのはやまやまなのじゃが、ここしばらくまったく運動しておらんかったからのう。正直、島まで泳ぐ体力もないのじゃよ」
ほ、ほ、ほ、と笑う海亀。
いや結構笑い事じゃないと思うんだけど。海亀が海で泳げないって何の冗談だろうか。
……例えば数十年後、あのイカが自然とどこかに行っていたとして、果たして彼はどうやって島まで戻るつもりだったのだろうか。
というか、いくら岩場にいると言っても乾くんじゃなかろうか。
考えれば考えるほど、この亀、耄碌してるんじゃないかと言う疑念が。大丈夫なのか、こんなのに管理任せて。さらに言えば、そんなところでみんなで遊んでて。
「空、どうしたの?」
きょと、と首を傾げる綺月。
まあ綺月が問題視していないからいいか。こと神様関連で彼女の感覚に勝るレーダーは存在しない。
「まあ、君がやりたいことは理解したよ。けどそれこそ僕らに早く相談するべきだったよ。
この雨じゃあ、泳いで渡るなんて言語道断だし、船を出しても似たり寄ったりじゃないかな」
「う……ん……」
浜辺で集合後、解散してから綺月をずっと見なかった。
それこそ一時間以上だ。
きっと、この場所へすぐにやってきて、ずっと考えていたのだろう。どうすれば、この神様を『僕らの手を借りずに』島へ戻せるのか。
綺月は見た目のとおり、体力がある方ではない。いくら神様の守護に恵まれていると言っても、そこには自ずと限界が生じるし、神様を助けるために別の神様の力を使うと余計な干渉が起きるので、彼女は好まない。
悩んだ結果がこれ。では、まあ綺月が落ち込むのも判る。
それでも僕らを巻き込みたくないという考えも理解はできるけれど、さすがに寂しい。
さて。
うじうじするのはやめにしよう。
ぽんぽん、と、うつむく綺月の頭を軽くたたく。
雨に濡れた髪のしっとりとした感触。
はっとみ上げられた瞳は夜のように深い。
雨に遮られた程度で見えなくなるような、そんな儚い光じゃない。
「ともかく、こうしていても風邪を引きそうだし、何か方策を考えようか」
「うん……ありがとう。空」
「いいよ別に。それに、こんな雨が何時までも続いてちゃあ、せっかくの海が台無しだからね。
あなたを戻したら、この雨も止むんですか?」
「ほ、ほ、ほ。そうじゃの、せっかくじゃし、主らがここにおる間は良い陽気としておくのもよかろうの」
「お、言質いただき、と。じゃあひとまず綺月、神様は僕が抱えるよ。
一旦浜辺まで戻ろう。ここだと、いつ高波にさらわれるかもわからないしね」
岩場とあって少々水の流が入り組んでいる。予想外の水の流は、思いがけない事故につながりかねない。
危ないので、綺月には僕の腕にしっかりと捕まってもらうことにして。
僕と綺月はゆっくりと浜辺まで戻った。
さすがに、別荘まで引き上げたのだろう。
浜辺には誰も残っていなかった。
ひとまず、神様を下ろす。
「ふむ、久しぶりの砂の感触は、やはり良いの」
ほ、ほ、ほ、と笑う亀。だから笑い事じゃないって。
「さて、問題はこれからどうするかだけど……」
小舟で出るのは無理だろうけど、それなりに丈夫そうな船でもあれば。
と。
「あれ、空。あれは……」
綺月が何かに気づいた。
そちらを見ると。
「…………なんでだ」
頭をかかえる。
「ほ、ほ、ほ。見事なものじゃのう」
神様は感心していた。
「うわあ、すごい。いや本当にすごいわよこれ」
綺月は感心を通り越して若干引いていた。
底には、砂で作られた船があった。
豪華客船。高さは僕の身長以上。
うん、ちょっとね、意味分かんないよね。
そっかあ、天守閣じゃ物足りなくなったかあ、あの連中。
ちなみに天守閣の砂の城はというと、この雨と風の中しっかりと耐え、さらには押し寄せる波さえもきっちりと受け止めていた。
うん、どう考えても砂の強度じゃない。
「……リリスか」
どうせ、またわけのわからない魔法でも使ったのだろう。
あるいは光璃さんだろうか。あの人ならテレキネシスで構造強化ぐらいやりそうな気がする。
「この船なら、なんとか乗れないこともない……か?」
「勝手に使っちゃっていいのかなぁ」
ううん、まあ確かに。
あの三人の事だからきっとすごい楽しいノリで作ったに違いない。そう考えると、心が痛むけれど。
背に腹は代えられないだろう。
そうだ。あれだ。明日の天気を手に入れるためだ。うん。
そんな言い訳と理論武装をして、決断する。
「よしじゃあ、この船で島まで向かおう!」
「そう、ね。たしかに、悩んでいる場合じゃないよね」
「ほ、ほ、ほ。かたじけないのう、ふたりとも。ほ、なにやら船の名前が書いてあるようだの。ええと」
あ、ちょ、ま、せっかくふたりで無視したのに。
「てぃ、たにく? ふむ、異邦の言葉はよくわからぬ……ん、なんじゃふたりとも?」
「いえ、別に……」
綺月が小さくため息を付いた。気持ちはよくわかる。
これから海へ出ようというのに、その名前はいささか、縁起が悪すぎる。
で。
ね。
ちょ、いや。
あの。
船には、乗れた。
なんと上の部分が蓋になっていて、それを外すと中に乗り込むスペースがしっかりと出来ていたのだ。
もう何かの大会に出たらいいと思う。
で、それはいいんだけど。
「きゃああああああああああああああああっ!!」
「揺れる揺れる揺れる揺れる!! 綺月しっかり掴ま……あのちょっとつかまり過ぎ……ってああまた揺れる揺れる揺れる揺れる!!」
「ほ、ほ、ほ。さすがに、老体にこの揺れはきつい……うぷっ」
「え、何ちょっと待ってよ神様。亀ってそれありなの、えずくの? やめてよちょっと落ち着い……あああ綺月横から波が着てる波があああああ!!」
「空空空空あー!!」
ぎゅうううううう。
ふに。
やだ何この娘、すっごい柔らかい。
いや。
それどころじゃねえって。
「前に、前に進めえええええ!!」
ちなみにこの砂の船。足でこぐとスクリューが回る仕組みになっている。本当、芸が細かいなおい。
必死になって足を回す。背中に抱きつく綺月が離れないように、回された腕をしっかりと掴む。
前に乗った神様は、うん、ちょっと。出すな出さないでリバースはやめて!!
って。
一際高い波が、船を高く押し上げーー着水。
がくんと、全身が揺れる。
数度の上下の揺れが続き、一瞬、回された腕の力が緩んだ。
「ーーーーっ、綺月!!」
後ろを振り返り、とっさに腕をつかむ。
と、その小柄な体がわずかに浮かんだーー瞬間、今度は横からの波に襲われる。目をとじて、耐える。
ぐるりと頭の中身をかき混ぜられるような感覚に襲われ、それでも、手だけは離さない。
「く……はぁっ!!」
強く閉じていた目を開く。
「へあ?」
「う……その……」
なぜか。
後ろにいた綺月が、目の前にいた。
今にも触れそうな距離に、濡れた瞳が。
雨に冷えた体が密着し、ほてるような熱さを感じさせる。
今の衝撃で何かがどうにかなったのだろう。
綺月と僕は向かい合う形になっていた。
僕の膝の上に綺月が腰掛ける形になり、その両手は僕の胸に添えられている。
しっとりと拡がる長い髪がお互いに絡みついていた。
なんでだ。
「え、え、何こ、え、その……え、ええええええええ?!」
「は、綺月落ち着いて、いいから! とにかく一旦落ち着こう、ね?」
「だ、だってあれ。なんで、だって。さっきまでわたし、空の背中で、でも、手を掴んでて、だから、あれ? なんで、わたし空に抱かれ……? えぇ?」
「いやほら、大丈夫。冷静に考えよう。きっと何も問題ないはずだ。うん」
一つ一つ状況を整理する。
お互いに水着姿。
体は完全に濡れて。
顔は直ぐ目の前。
さらけ出した肌は密着し、互いの熱を交換する。
僕の膝には、その柔らかな感触がのっていて。
全身に絡みつく黒髪からほのかに漂う甘い香り。
しなだれかかる姿がやけに艶めかしい。
「……ふう」
おかしい。
問題しかない。
「…………ふぇ」
あ、やべえなんか綺月が泣きそうなんですが。
タイムタイムタイムタイム! やり直しを、やり直しを!!
お客様! お客様の中にセーブポイントに引き返せる方は!!
「うぇっぷ。
ふぅ。
うん? なんじゃお主らそういう仲じゃったのか」
「そそそそそそそういっ! そういっ! そういう仲って何ですかっ!!」
「ほ、ほ、ほ。じゃから、いわゆる、すてでぃな仲、というヤツじゃな」
「異邦の言葉苦手って言ってたじゃない!!」
あー。
綺月が完全に涙目だ。
……どうしよう、なんか胸がドキドキしてきた。
「……ふむ。このくらいまで来れば大丈夫かの」
と。そこで神様が顔を外に向けた。
「大丈夫って……何が?」
「うむ。ここまで来れば、あとは自力で戻れそうじゃ」
「え……でも、危なくは?」
「まあ多少疲れはするじゃろうが、戻れぬ距離でもない。それに、あの島は海が荒れるほど船が近寄れぬ波が生じる。これ以上は、主らが危険じゃよ」
そういう事は先に言えよ。
普通に島にツッコむ所だったよ。
「というわけで、わしはそろそろ行くよ。
久方ぶりに、人間との語らいができた。ありがとう、ふたりとも」
「……ううん。あなたが、自分の居場所に戻れて、よかった」
「僕は本当にただの偶然だから。それに、僕も楽しかったし」
現在進行形で脳みそどうにかなりそうだけど。
「ほ、ほ、ほ。それじゃあの」
と。
亀はわせわせと船の上へと上がり。
「ほ」
と笑って。海へ飛び込み。
ーーふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃん。
甲高い音。
「「……は?」」
船の中で二人の声が重なる。
と。
ふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃんふぃん!
亀が。
手足を引っ込めた亀が。
引っ込めた部分から白い炎を吹き出して、回転しながら。
島へと、飛んでいく。
「「…………」」
ぽかーん。
顔を見合わせる。
互いに、開いた口が塞がらない。
とりあえず。
それは、海亀じゃない。
それからその後とその後へと
浜へ戻る頃には、波はすっかり穏やかになっていた。
厚い雲はまだ空を漂っているけれど、雲の隙間からは夏の熱い陽射しが差し込んでいた。
海の上に、幾筋もの光の柱がたっている。
きこきこと、船をこぐ。
浜まであと数十メートル。さほど時間はかからないだろう。
「……………………」
「……………………」
船内は、無言。
お互いに密着している状態では、正直会話しづらくて仕方ない。体勢の問題ではなく。
「…………空」
そんな沈黙を破ったのは、綺月だった。
「今日は、ありがとう。きっと、空がいなかったらわたし、どうしていいかわからなかったわ」
「僕だってどうしたらいいかなんてわかんなかったよ。運が良かっただけさ」
とは言ったものの。さて。どうだろう。
この船を作ったのは、果たして偶然かそれとも、誰かの提案があったのか。
「でも、空がいてくれてよかったわ。
正直言うとね、雨がふりだしたとき、もう海は楽しめないんじゃないかって、そんなふうに思ったから」
「そう。なら良かったよ」
君の期待を裏切ることがなくて。
「うん」
静かに笑う綺月。
と、急にうつむく。
前髪で表情が隠れてしまう。
「あの、あのね……空がそんなだからね、わたし、空のーー」
そして。
ひゅかっ。
と、乾いた音が響き。
船が真っ二つに割れた。
「は」
「ふぇ」
間抜けな二人の声が生まれて。
ぼすん、と海に沈んだ。
慌てて海上に顔を出す。
「え、なになになに? 今なにが起きたの?」
「…………翼姉さん」
「え、姉さん? あー、確かに姉さんっぽい切れ味が」
海の表面に、きれいに筋が入っていた。
その筋もすぐに消える。
浜辺から、姉さんが歩いてきていた。海の上を。
足元には琥珀色の光。またジュス様をこき使っているようだ。
「おかえり、ふたりとも。おねーちゃん提案の不沈船はどうだった?」
「ああ、やっぱり姉さんだったのね」
「疲れたでしょうふたりとも。ジュス様に道を作ってもらったから、これで帰りなさい」
そう言って、姉さんがくるりと優雅に振り返り、浜辺に向かって戻り始めて。
「…………翼姉さん」
「なあに、綺月ちゃん」
「ちょっと強引すぎません?」
「そのシュチュエーションが強引だったんだから、幕引きが強引でも文句を言わないの。
相応しいシーンは、きちんと自分で用意しなさい。それなら邪魔はしないであげる」
背中を向けたままの姉さんと海面を見つめたままの綺月の会話は、よくわからないものだった。
ただ、互いの表情が見えないことが、何故かやたら怖いのですが。
「……頑張ります」
「うん、頑張ってね」
姉さんが歩きを再開して。
綺月も、こちらを見ないまま光の道に登った。
「…………ええと?」
女の子って、難しい。
正直、前半分の馬鹿部分と後半の神様部分って別々にふくらませても良かったのですが、馬鹿をやり続けるには力が足りませんでした。
あと大地の発言はもっと露骨だったのですが、この作品はマイルドとかヌルゲーとかを売りにしているので、全体的に表現は控えめにしました。
御座るは何でこんなに馬鹿になったんだろう。
次回。夏らしく、肝試しです。