僕と姉さんと夏の日差し
およそ一時間にわたる恐怖のデッドコースターを乗り越えた先に、それは現れた。
僕らを出迎えたもの。
照りつく太陽。
青い空。
白い雲。
香る潮風。
そしてでっかい、ダイオウイカ。
「なんでだあああああああっ?!」
思わず帽子を叩きつけてしまった。陽射しが肌を焼く。暑い。というか熱い。
いや、落ち着いてもう一度確認してみよう。
肌を焼く陽射し。
抜けるような空。
そびえ立つような雲。
頬を撫でる海風。
そしてでっかい、ダイオウイカ。
「だからなんっっっっっっでだあああああああっ?!」
最後の一文だけは動かし難かったらしい。おのれ。
海は目の前。砂浜に降りる堤防の上に並んで立った僕らの前の海には、見上げるほどに巨大なイカがぬーん、と存在していた。
ていうかダイオウイカでさえないよねあれは。海からビルがそびえ立っているみたいなサイズがあるんだけど。なにあれ。
「と、言う事で……」
絶句する僕らに、柔らかな声。振り返る。
光璃さんが、頬に右手をあてて、可愛らしく首をかしげてみせた。いちいち絵になるな、この人。
千影さんは寄り添うように日傘を差している。こうしているとお嬢様とその従者、という関係性に凄まじい説得力が出るのは僕が単純だからだろうか。
「海で遊ぶ前に、イカ退治、宜しくお願いしますね」
「なん……だと……」
なんでも。
夏の始まりの時期からこの海岸に住み着いてしまったらしい。
邪魔ではあるものの、普段から人がいるわけでもない別荘。特に困る人もいないからと放置していたのだが、ずっと放っておく理由もない。
そこで渡りに船とばかりに、うってつけの連中が海を所望したということで。
「交換条件だったのですけれど……翼ちゃん?」
「だって言ったらこなさそうな人が何人かいたんだもん」
姉さんの不満いっぱいの視線は主に僕とリアさんとジュス様に向けられていた。すい、視線を横にスライドしてそらす。リアさんは苦手なはずの太陽を見上げ、ジュス様は寝ていた。
僕が言うのもなんだけど、本当に駄目だな、この集団。
「まあそんなわけだから、みんなお願いね」
「え、姉さんは?」
「やんないよ?」
やんねえのか。
「んじゃあ、あたしもパス。日中に激しい運動とか趣味じゃないし」
続いてリアさんが一抜け。
「俺もねみいからやんねーぞ」
続いてジュス様が抜けた。こんな時だけ目を覚ますんですか、あなたは。
「あ、わたしもパス。あれ、一応このあたりの神様でもあるみたいだから。わたしがでちゃうとちょっと大事になりすぎそう」
ああうん、綺月のその事情なら仕方が無いね。
こんなところで神話大戦開かれたらたまったもんじゃない。
とうか、ことごとく主力級の人たちから抜けていくなと思ったけど三人のうち人間ひとりしかいないや。これはメンバーがすごいと思うべきなのか綺月がすごいと思うべきなのか。両方か。
「あ、拙者もここは辞退させて頂きたく」
「え? なにいってんの、ダメに決まってるじゃない、そんなの」
「当然の如く却下されたでござる?! な、何故で御座るか?! 正直拙者未来のびっくりアイテムもないしぶっちゃけ参加しても役立たないでござるよ!!」
「僕が参加するんだから参加しないと。いや、イヤじゃない。無理じゃないってば。いいから。いいから。最初だけ、最初だけだから」
「それ最後まで参加するフラグで御座る!!」
いや。
途中退場の可能性も大いにあるよ、君と僕の場合。
「とにかく無理でござる! 大体あのイカ、足を除いて見える部分だけで優に五メートル以上で御座るよ? 自衛隊とかそう言うの呼ぶレベルだと思うのでござるが!!」
「あんまり騒ぐとみんなで海に行っている間君だけ別荘の中で待機させとくよ」
「さあ何をグズグズしているで御座るか! さっさとあのイカ野郎を片付けるで御座るよ!!」
見事なまでの手のひら返しだった。なんかもうここまで欲望に忠実だと逆に感心する。と同時に、イカ関係なく閉じ込めておいたほうがいい気がしてきた。
さて。
ということで。
僕らVS巨大イカ(推定二十メートル以上)とのマッチが決まったわけだが。
戦闘メンバーは僕、夕陽、大地、リリス、涼莉、千影さん。
「え、千影さん?!」
「はい……」
どんよりとした空気を漂わせて、メイド三姉妹の長女が立っていた。
「え、アレ退治に参加するんですか? だって、どう考えても無理だと思うんですけど」
千影さんはメイドさんだ。それ以上でもそれいかでもない。なので超能力も魔法もなければ重火器を扱えたりもしない。……しませんよね?
そんな彼女が、なぜ?
「お嬢様が、お昼にバーベキューでイカを食べたい、と」
ざざーん。
潮騒が優しく僕らを包む。
きらきらひかる海は宝石のようで。
僕らは揃って、イカを見た。
「そうか……もう、お昼の時間か」
「まあ確かに、あんだけの量なら腹一杯になってもまだ余るよなぁ」
「いくらでも食べられるで御座るな」
「……食欲、旺盛」
「にゃっ。お昼なの?」
「……まあ、そういう事でして。戦力にならないとは思ったのですが、せめて足の一本だけでも、と」
千影さんは両手にナタを構える。いや、今どこから出した。僕の目が確かならスカートの中から出てきたぞ。
「あら、女のコのスカートの中に興味が有るんですか?」
「その発言は誤解を招きますよね!!」
あとナタをぷらぷらしないで。怖いです。
「はいはーい、それじゃあみんな、こっちは荷物を片付けておくから頑張ってねー」
「はーい。姉さんもお昼の用意お願いね」
お互いに手を振る。みんなは歩いて数分の所にある別荘へと行ってしまった。
……さて。
どうも、マジで僕らでこの巨大イカをどうにかしろ、ということらしい。正気かおい。
「……まあ、飯が豪華になると思えばいいだろ」
「そんな軽い考え方でいいのかな、この巨大生物は……」
だって、ぬーん、って感じだし。
とてもじゃないけど石を投げてどうにかなるようなものじゃねえ。
「まあとりあえず……ちょっかいかけてみっか」
どこか投げやりな様子で。
夕陽が手のひらをかざす。すると、手のひらからバチバチィッ! と光が走る。
青白い光はそのままイカに着弾。青い燐光を放って弾けた。
「んぎょおおおおおおおおっ!!」
イカが叫んだ。
「え? イカってあんな声で鳴くの?」
「さあ……鳴いたんだからなくんじゃねーの?」
どう対処したらいいのか、いまいちわからない。が、戸惑っている暇はなかった。
「まずいで御座るよ、今の雷撃でイカがこっちを完全に狙っているで御座る!!」
「とにかく、砂浜に降りよう!」
いざ、イカを倒すべく、僕らは砂浜に降りる。
ざく、と靴の裏で砂浜の柔らかい砂を踏む感触。僅かな高さを降りただけで、一気に夏の匂いが強くなる。
感傷的なきぶんに浸れそうなところだけれど、目の前にはでかいイカ。うん超絶ぶち壊しだね!
「あぶないっ!」
イカの触手が振り上げられ――ずどん、と音を立てて振り下ろされた。
標的になったのは夕陽。おもいっきりたたきつぶされてる。
いや、大丈夫?
「ちっくしょう、イッテェ!!」
自分に打ち付けられた触手を蹴り飛ばして、半分砂にうまりながら夕陽が出てきた。さすが、ちゃぶ台飛ばしに耐える鋼鉄ボディ。あの程度の質量速度ではびくともしないのか。
「夕陽、毎度思うけど君本当に人間?」
「お前に言われるのだけは心外だっての!」
「いや僕は大概普通に人間やってるよ。ザ・一般人」
「いやいやいやいや、正直どっちもどっちでござらんか」
未来人にツッコまれた。なぜだ。
「ってそんな事をしている場合でもない、か!」
横薙ぎに振るわれる触手をしゃがんでかわす。
ぶうん、と後頭部を防風がなで、心臓がひやりと縮こまる。
「やばい、マジで死ぬかも……!」
「おいおい弱気なこと言うなよ。マジで不吉だから!」
「……大丈夫、任せて」
ビビる男ふたりの前に立ったのは、いつの間にか水着姿になっていたリリスだった。
リリスの水着は黄色いワンピースタイプで、ところどころに花柄のフリルが飾り付けられていた。
腰には長いリボンがついており、動くたんびにひらひらと揺れる。
で。
手には巨大な、チェーンソー。
「……………………え?」
「……とう」
紐を引っ張ると、きゅいん、ときらびやかな効果音と共にブルルンと豪快な音をエンジンが奏で始めた。
「あー……と、あの、リリスさん?」
「なあに、夕陽」
「もしかして、すでに変身済み?」
リリスさんはコクリと頷いた。いつの間にか変身してたらしい。いや、というかですね。
「変身フォームに水着なんて、あったっけ?」
「用意した」
「用意できるんだ……」
僕の疑問に返ってきたのは非常に分かりやすい答だった。
リリスはチェーンソーを大きく振り上げ、歌うような声で言った。
「魔法少女リリカルリリス。成長期の胃袋を満たすために、参上」
「ずいぶん個人的な目的のために現れたなまた」
「……おなかすいた」
相変わらず燃費悪いな君は。
呆れる僕だったが、夕陽は違う反応。
「おう! ですよね! さあ行きましょうリリスさん! 今日の昼飯を豪華にするために!!」
「……らじゃー」
夕陽は風に乗って。リリスはポップなBGMを引き連れて、空へと舞い上がる。
「いっくぜぇええ!」
「いっくよー」
夕陽の拳とリリスのチェーンソーが、左右から同時に放たれた。
「暴風、パーンチイイィィ!!」
「マジカル十三日の金曜日ー」
うねる風の拳と、ホッケーマスクをかぶったリリスの斬撃。
同時に放たれたそれは大きくイカの頭を歪め――。
「おぎょぎょぎょぎょっ?! ぶぺーっ!!」
「う、おわああああっ?!」
耐え切れなかったのか、なんか墨が吐き出されてきたんですけど!!
慌てて避ける。砂浜にヘッドスライディング。ああ、びっくりした。
振り返ってみてみると、さっきまで僕のいたあたりはべっとりと墨が溜まっていた。
……いや、ていうか。
「うわあ……みんな、気をつけて! こいつの墨、まるでコールタールみたいにでろってしてるから、捕まると面倒くさそうだよ!!」
「なんと、面妖な!」
なぜかいつの間にかすんごい距離をとっている大地が遠くで驚いていた。あいつ本当どうしてくれようか。
「空、へいきなの?」
「涼莉……涼莉はいい子だなぁ」
どこかの未来人とは違い、素直で他人を思いやる心がある。うん、本当にいい子だ。
思わず頭をなでなで。なでなで。なでなで。
涼莉も、うにゃ、と一声鳴いてされるがままだ。
「さてと、どうしたもんかな」
海を見ると、夕陽とリリスは繰り返しイカに対して攻撃を仕掛けている。しかしどうも、一撃が決定打になっていないようだ。どうにも、攻撃力を吸収されているように見える。
ふむ。打撃や斬撃はききにくい、か。
となると別のアプローチが必要になるんだけど……この場において空を飛べるのはあのふたり。僕も涼莉もそんな技能は持っていないし、すぐ傍で海を観ている千影さんも同様だ。大地? いたね、そんなの。
「あのあたりだと、足は付きそうにありませんね。となると、向こうからこちらに来ていただかなくてはならないわけですが……」
「それも難しそうですし。うーん」
困ったな。
「では」
ひょい、と。
視界に横から手が伸びてきた。
その手は、円にまとめられた糸を持っている。
「…………千影さん?」
「来てくれないのであれば、釣り上げるしかないかと」
……ですよねー。
糸を――釣り糸と、続いて差し出された針を受け取る。
「……………………あの、」
「どうしましたか、そんなにじっと見つめて?」
「いやあ、こんなでっっっっかい釣り針、いったいどこから取り出したのかと思って」
「女のコには秘密が多いのですよ」
素敵な笑顔でおじぎする千影さん。
この人、なんだかんだで謎が多いな。苦労人だけど。や、本当に苦労人なんだよこの人。
「…………なぜこの状況で空さんの視線に多分の同情成分が見え隠れするのでしょう」
「いえなんでもありません……頑張りましょう、お互いに!」
「え、あ、はあ」
戸惑う千影さん。まあいいや。
「で、これだけど……」
釣り糸に針を結びつける。
手元を見る。
海を見る。
遠い。
海岸から現場までおよそ五十メートル弱といった所か。
引っ掛けるにはいささか心もとない距離である。
「うーん、涼莉、手伝ってくれる?」
「にゃっ!」
ぴん、と立てた涼莉に釣り糸を手渡す。
ぶんぶんぐるぐると振り回したそれを――涼莉投手投げたァー!!
真っ直ぐにぶっ飛んでいく釣り針は。
ズドオオオオォォォォォンッッッ!!!
「……ぁれ?」
イカにぶち当たって突き刺さって、ちょっぴりその巨体を海面から浮き上げた。
どぱああぁぁぁん、と巨体が海水に沈む。
しいいいん、と静まり返る。波が寄せて返す音が静かに満ちる。
イカがゆっくりとこちらを向いた。
……あははー、気のせいかな? なんかメチャクチャ、怒ってるとか、まさかそういう。
「ズモォォォォォォオオオオオオッッ!!」
「ですよねえええええっ?!」
明らかに怒った様子でいかがこちらに向かってきた。
ていうか、速ッ?! メチャクチャ速いよっ?! 怖っ!!
「千影さんここはまずい早く逃げ」
いない。
こつ然と姿を消していた。
「空、千影、あっち」
見れば、すでに百メートル以上離れた場所にその姿が見えた。
「いくらなんでも手際が良すぎませんかねえっ?!」
などと文句を垂れている場合じゃない。僕らも早く逃げないと!
「涼莉、逃げるよ!」
「にゃあっ!」
全力で逃げる。念のため、千影さんとは反対方向に。視線の先では大地が背中を見せて逃走していた。巻き込んでやる。何な何でもあいつだけは巻き込んでやる!!
当然僕らにイカが向かってきた。その巨体が迫るせいで、軽く津波じみた波まで生まれていた。
「うおおおああああああっ?!」
押し寄せる波に足をとられる。離れないように涼莉を抱き寄せた。
引く波に引きずられないように足を踏ん張る。靴の裏の砂が一斉に波に持って行かれ、足首まで砂に埋まる。
イカは直ぐ目の前まで迫っていた。
「……ぐっ!」
どうする、このままじゃあっ?!
その時、僕らをかばうように人影が滑りこんできた。それは……。
「大地っ?!」
「ふっ、空殿だけならともかく、幼女が一緒とあらばかばわねばならぬというもの!」
何この言い草、超殴りてえ。
「さあふたりとも、ここは拙者に任せて逃げるで御座る――って言い終わる前に全力逃走で御座るか?! せめて最後までカッコつけさせてほしいで御座うごぁっ?!」
背後で悲鳴が聞こえたかと思うと、逃げる僕の横を大地がバウンドしながら転がっていった。まるでゴミのようだ。
壁役にすらなってねぇ。あたりまえだけど。
「くぅ、ギャグキャラ出なかったら間違いなく今の攻撃で死んでいるで御座るっ!」
……無限に立たせ続けたら壁になりそうなことを言い出した。
「って、馬鹿な事を考えている場合じゃない!」
すぐ後ろに迫っていたイカの触手を左右にかわす。砂や海水が舞い散り、顔に振りかかる。
「涼莉大丈夫?!」
「大丈夫――空後ろにっ!」
「え? ――げっ?!」
二本の触手が同時に振り下ろされようとしていた。
さすがにこいつは、ヤバイ!
すると、僕の腕の中の涼莉が素早く飛び上がり、一本の触手に噛み付いた。
「ズ、ズモオォォオォッ!」
暴れるイカ。食い下がる涼莉。
と、ひときわ大きくイカが暴れて、涼莉が放り出された。
危ない危ない危ない危ない! 放物線を描く涼莉を追いかけて――間に合……ったああああっ!
なんとか広げた両手で涼莉をキャッチする。
「ふう、危ない。涼莉、無茶しちゃダメだよ?」
「ふ……にゃあ?」
……なぜか涼莉が顔を赤くして表情をとろんと蕩けさせていた。
何事か。
「そういえば」
「うおあ、千影さんっ?!」
いつの間に背後に。
小さいから気付かなかった。
「何か不穏な思考を感じますね……それはともかく」
千影さんはちらりと涼莉を見た。
「猫は生のイカを食べると腰を抜かすとか」
「……ああ、そういえばそんな事も」
涼莉をうちに置いた当初は猫の飼い方の本をよく読んだものだ。
確かに、焼けばいいけど生のイカはよろしくないとか。脚気みたいな症状がでるらしい。
とはいえ。
「……これ、なんかちょっと違いません?」
涼莉の様子はビタミン不足による腰砕けというより、熱に浮かされるような様子だ。
「まあ涼莉さんは少々変わった存在ですし、猫のルールがそのまま適用されるわけでもないのではないでしょうか」
「はあ」
まあ、妖怪だし。
「は……あ、ぅん……。空ぁ……」
腕の中で涼莉が息苦しそうに、瞳を濡らしてどこか艶のある声であえぐ。
ううむ。どうしたものか。
「そ、そそそ空殿幼女の状態がすぐれないというのなら拙者が! 拙者が今すぐに面倒を」
「とりあえず壁になってこいよ君が面倒だから」
「あんまりでござるよ空殿!」
だって。
気を遣う要素がもはやどこにもないんだもの。
この状況でも欲望に忠実というのはある意味尊敬できる。
「グ、ズウゥゥゥッ!!」
「っと、さすがに何時までもコイツを無視はできないか」
ずんぐりと目の前にそびえ立つイカを見上げる。さて、どうしたもんか。
と思った瞬間。
「どっせええええいっ!!」
横から飛んできた夕陽が、イカを蹴り飛ばした。
「よう、空、大変だな」
「見ての通りだよ」
肩をすくめる。
「いきなりイカがぶっ飛ぶからびっくりしたぜ。にしてもあいつ、全然攻撃が効いてねえんだよ。どうすりゃいいと思う?」
「どうって。うーん」
姉さんがいれば問答無用で真っ二つにできただろうし、リアさんやジュス様なら力押しでどうにでもできただろう。
とはいえこの場にいる面々だと少々難しい注文であると言える。
けれど姉さんがこうして送り出した以上、やりようはあるんだろう。
なら答えは。
千影さんを見る。
「? どうかしましたか」
「いえ」
光璃さんが彼女をここへ寄越したと理由は、昼ごはんにイカを追加したいからだ。
ということは。
つまりそういう事か。
「リリス、火は用意できる?」
「用意できる。けどあれをすぐに焼くのは無理」
ふむ。
「じゃあ火をかけるんじゃなく、火の中に飛び込んでもらおう」
幸い、条件は揃っている。揃わされた、と思わなくもないけれど。
「大地は釣り糸を持って。リリスは火の用意。夕陽はイカが来たらうまいこと空に放り投げて」
「承知」
「……ん」
「了解っと」
「よし、じゃあ」
イカが起き上がってこっちを向く。
「そろそろランチと行こうか」
「「おう!」「おー」」
「ズモオオオオオッ!!」
掛け声とイカの絶叫が重なる。
凄まじい勢いで砂煙をあげながら突進してくるイカを。
「よ、い、しょおぉぉっとぉぉ!!」
滑り込んだ夕陽が風で空に舞い上げる。
大地の握る釣り糸が勢い良く引きずられるけれど。
「ふん! 甘いで御座る!!」
ぴぃん! と糸が張り、上昇の勢いが止まる。
そのままイカは自由落下を始め。
「……マジカル」
リリスがチェーンソーを消し、代わりに巨大な鉄板を砂浜の上に生み出した。
「地獄のホットプレート」
ごぉん、とどこからともなく取り出した杖を叩いたとたん。
星のエフェクトが舞い散り、光が溢れ、鉄板から凄まじい熱気が吹き出した。
その上に。
「ゲキョォォオオオオオッ!!」
落下するイカ。衝撃で鉄板がやや歪む。
熱気で暴れるイカの足がブンブン振り回される。
「危ないなあ……すみません千影さん。ナタ一本もらえますか」
「ええ、かまいませんけれど」
涼莉を片手で抱えなおし、ナタを受け取る。
暴れる足の一本に狙いをつけ。
「――せいっ!」
投げた。
くるくると回転するナタは、見事足の根元に突き刺さり、長い足の一本切断した。
切断された足は勢いのままに空へ飛んでいった。
「あらお見事。しかし、リリス様でも切断できなかったものをよく切ることができましたね」
「熱で固まり始めてますからね。あれならなんとか」
「ああ、なるほど」
すでにイカは暴れることもなくなり、じっくりと焼け始めていた。
いい具合に空腹を刺激する香りが広がっていく。
「ともあれ、これでひとまず片付いた、ってところですかね」
空のふたりを見上げながら息をついた。
「ええ、そうです――いえ、最後にもうひとそうどうあるようです」
「は?」
千影さんの言葉に疑問を覚え、そちらを見ると、すたこらさっさと逃げている最中だった。その場に残される僕と大地。
その上に、影が落ちた。
……うーん、なんだろうね。なんだかすんごい嫌な予感が。
見上げると。
細長い物体が。
…………。
「さっき切り落としたあしかああああああっ!!」
どんな偶然だ! 完全に油断してた!!
気づいたときにはもう遅い。足はそのまま落下し――直撃はしないけれど、砂と海水を大量に巻き上げ波を起こした。
大量の海水に飲まれる。
「う、わ――ぷ」
ぐるん、と視界が回転する。砂利と海水に揉まれて、自分がどうなっているのかも理解出来ない。
気づくと、僕は空を見上げていた。
「――は、あ。い、生きてる?」
死んでない。背中にはしっかりとした砂浜の感触。
どうやらきちんと生きているらしい。
よ、よかった……。
隣に視線を向けると大地が上半身を砂浜に埋めていた。名前のとおり大地に還っている。そっとしておこう。
ふと、影がさした。
見上げると、視界の中に逆さまになっ千影さんが映る。
「…………せめて教えてくださいよ」
「すみません。私もひっしでしたので」
そうか?
甚だ疑問だった。おもいっきり疑念を視線に込めてみたけれど千影さんはどこ吹く風だ。
「あっはっは! おーい、平気か空ー」
「……びしょぬれなう」
夕陽とリリスは相変わらず空だけれど、あっちはあっちで水浸しになっていた。リリスの髪も完全に水に濡れてしまって、体に張り付いてしまっていた。
はあ。リリスはともかく、いきなり着替える必要がありそうだ。
「さて。お嬢様たちを呼んできましたのでそろそろやってくる頃かと思います。
ということで、その刺激の強い格好をいつまでも続けているのはいかがかと」
……え?
千影さんの言葉が理解出来ない。しかしそのまま千影さんはその場を立ち去ってしまった。
はて。どういう事だろうか。
体を起こす。
と、何かが僕の体に乗っかっていた。
「……………………は」
涼莉だった。
それはいい。
それはいいのだが。
水に濡れたワンピースはぺったりとその体に張り付き、肌色が透けて見える。
相変わらず息はどこか深く熱く、たまに喘ぐ声は熱っぽい。
スカートは太ももまで捲れ上がり、どこをどうまちがったのか肩がはだけていた。
そんでそのはだけた肩を僕の左手はしっかりと抱いていた。
ふむ。
これは。
「何、してるのかな、空」
そう。
こんな、幼なじみの少女の怒りの誤解を招く程度には、なかなかによろしくない光景ですよね。ええ。まあ。
その。
うん。
後ろを振り向かない。振り向いたらなんかこう、多分一生心に残る傷を負うような気がする。
だからとりあえず、この姿勢のまま言うべきことを言った。
「…………ちゃうねん」
ふぅ、とため息が聞こえた。
ああうんまあその。
「天罰、覿面」
次の瞬間。
目の前が真っ暗になった。
まだまだ海は始まったばかりなのに、そろそろ僕の心は折れそうなのに、まだ次に続くから
イカはなかなかに美味しかった。
みんなにも好評だ。
僕は若干味がわからないけれど。こう。口の中が痛くて。
「……だから事情も聞かなかったのは悪かったって言っているじゃない」
「別に怒ってるわけじゃないよ。あの状況じゃあ誤解を招くのも仕方はないしね」
そもそも猫にイカを食べさせてはいけない、ということを失念していた僕の責任だ。
まあその涼莉はすっかり元気になって熱の通ったイカを元気よく頬張っているわけだが。
「それにしても、みんな水着じゃないんだね」
「うん。先にご飯を食べてからにしようってことで」
集団の中、僕と夕陽と大地は水に濡れた上着を脱いでいる。水着はリリスただ一人だ。そのリリスはといえば、イカをすごい勢いで胃袋に収めていっている。どう考えても自分の体積よりもたくさんのイカを食べている。
「それにしても、このイカ、さすがに全部は食べきれないよね。残ったのはどうするんだろう」
「ああ、それなら海に流せばいいわ。勝手に海に還るから」
「……そういうものなの?」
「そういうものよ、神様だもの」
ふうん。
まあ綺月がそういうのならそうなんだろう。なんて言ったって専門家なわけで。
「なんにせよ、始まったばかりなのにいきなり疲れたよ」
「お疲れ様」
いやもう、本当に。
「でも本番はこれからなんだから、しっかりね?」
「はいはい」
僕は苦笑した。
本番はこれから。確かにそのとおりだ。
海にはまだ来たばかりだし、海水にどっぷりつかったりもしたけれど、堪能したのは太陽の日差しと砂浜の暑さくらいだ。
まだまだ楽しむことは山とある。
「うん――そうだね」
夏も僕らも、まだまだこれからだ。
やけくそのように降り注ぐ陽の光のなか。
僕らは顔を合わせて、なんとなく笑いあった。
涼莉の立ち位置は癒し系マスコット。
のつもりだったのだけれど。あれえ?