第八章 地底湖の発見と石棺の謎
最新の水中探査技術により、調査団はついに洞窟の最深部にある地底湖に到達した。そこで目にした光景は、研究者たちの想像を絶するものだった。
透明度の高い淡水の中に、二つの精巧な石棺が沈んでいる。石棺の様式は明らかに中国古代のもので、表面には龍と鳳凰の浮き彫りが施されていた。これほど精密な石棺が、南国の島の地底湖に存在することは、常識的には考えられない。
「間違いありません。これは前漢時代の皇室様式です」
劉教授の興奮は最高潮に達していた。石棺の材質は中国北方産の花崗岩で、運搬技術を考えれば、これらが中国から持ち込まれたものであることは確実だった。
水中カメラによる撮影の結果、石棺の一つには「徐福」、もう一つには「シネリキヨ」という文字が刻まれていることが判明した。奏上文の記述通り、徐福夫妻がこの地底湖で永遠の眠りについていたのである。
さらに驚くべき発見があった。石棺の周囲に散乱している多数の人骨である。これらの年代測定を行った結果、大航海時代、江戸時代、そして昭和初期の三つの時期に分かれることが判明した。
「オランダ人の骨、江戸時代の琉球人の骨、そして昭和の軍人の骨…」
法医学者の分析により、これらの人骨が異なる時代の犠牲者であることが確認された。つまり、徐福が設計した防御システムは、二千年間にわたって確実に機能し続けていたのである。
特に注目すべきは、オランダ人と思われる骨の近くで発見された金属製の品物である。十字架のペンダント、金の指輪、そして航海用の羅針盤の残骸。これらは間違いなく十六世紀後半のオランダ製品だった。
「伝説は事実だったのです」
花城教授は深い感慨を込めて言った。「四百年前、台風で難破したオランダ人たちは、確かにこの洞窟に避難し、そして二度と戻ることはなかった」
昭和の軍人たちの遺品も発見された。軍用腕時計、階級章、そして坂崎博士の調査ノートの断片。これらの発見により、昭和初期の事件の真相も明らかになった。
調査団は、これらの遺骨に対して丁寧な供養を行った。島の神女の協力を得て、仏教式と神道式の両方の慰霊祭が執り行われた。異なる時代、異なる民族の魂が、この地底湖で安らかに眠れるよう祈りが捧げられたのである。




