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【後編】オランダ洞窟の真実 ~徐福と大和朝廷~  作者: 如月妙美


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第五章 神武東征の真実と分族の決断

 奏上文の後半部分は、徐福の孫世代に起こった重大な決断について詳述している。それは、一族を二分し、一部を「高天原」と呼ばれる北方の地へ送り出すという歴史的な決定だった。

「島の人口は七千を超え、食糧生産の限界に近づいていた」

 南国の島は確かに豊かだったが、台風や旱魃による被害も深刻だった。特に、稲作に適した平地が限られているため、人口増加に対応することが困難になっていたのである。

 徐福は十年の歳月をかけて、北方の土地を詳細に調査させた。その結果、現在の九州北部から本州南部にかけての地域が、稲作により適していることが判明した。気候が安定しており、広大な平野があり、しかも大きな河川により灌漑が可能だった。

「正月元日、アマミキヨ王は重大な決断を発表した」

 この日の儀式の様子も詳細に記録されている。島民全員が地底湖の近くに集まり、徐福が自らの決意を語った。その言葉は、現代の研究者をも深く感動させるものだった。

「我らの血筋を二つに分かち、一つは永遠にこの聖なる島を守り、一つは新天地で大いなる国を築くべし。これにより、我らアマミキヨの名は万世に続くであろう」

 分族の方針は明確だった。各家の長男長女は島に残り、次男次女以下は北方へ向かう。これにより、どちらの集団も家系の継続が可能になる。そして、定期的な交流により、両集団の結束を維持するという計画だった。

 北方派遣軍の指揮官に選ばれたのは、天照の次男「伊波神輿いは しんよ」だった。奏上文によれば、彼は祖父徐福の才能を最も多く受け継いだ人物で、特に軍事戦略と政治手腕に優れていたという。

「神輿に授けた三つの宝物」がここで登場する。まず「ガジュマルの杖」、これは島の聖木から作られた指揮杖で、先端には始皇帝から下賜された羅針盤が装着されていた。次に「八咫鏡」、天照が使用したものと同型の青銅鏡である。そして「草薙剣」、これは徐福が始皇帝から拝領した宝剣だった。

 これらこそが、後に日本の皇室の「三種の神器」となるものの原型だったのである。

 神輿一行の北方への旅立ちは、島民総出で見送られた。四千人の男女が数十隻の船に分乗し、新天地を目指したのである。その光景は、まさに「天孫降臨」の原型だった。

「高天原」に到達した神輿は、そこで「神武じんむ」と名を改めた。これは、前漢武帝への敬意を表すと同時に、さらなる東征への決意を示すものだった。奏上文によれば、神武は「ヤマト」と呼ばれる豊かな盆地を発見し、そこで大王の位に就いたという。

 一方、島に残った集団も重要な役割を担っていた。彼らは地底湖の守護者として、また本家の血筋として、アマミキヨの伝統を維持し続けたのである。そして、北方の神武王朝と定期的に使節を交換し、両者の絆を保ち続けた。

 この分族こそが、後に「神武東征」として神話化される歴史的事実の真相だったのである。


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