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【後編】オランダ洞窟の真実 ~徐福と大和朝廷~  作者: 如月妙美


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第十四章 新たな発見と研究の継続

 徐福伝説の真実が明らかになった後も、研究は継続された。特に注目されたのは、島の他の場所での考古学的調査である。地中レーダーによる探査の結果、島内の数か所で古代の遺構らしき異常が発見されたのである。

 最初の発見は、ガジュマルの巨木の根元だった。地下約三メートルの深さに、明らかに人工的な石組みが存在することが判明した。慎重な発掘調査の結果、それは古代の祭壇跡であることが分かった。

 祭壇からは、多数の青銅器と陶器が出土した。これらの年代測定により、紀元前一世紀から紀元一世紀にかけての遺物であることが確認された。まさに徐福の時代と一致する年代である。

「これは徐福が設営した祭祀施設の跡ですね」

 考古学者の分析により、祭壇は中国古代の天壇に類似した構造を持っていることが判明した。徐福が故郷の宗教的伝統を島に持ち込んだ証拠である。

 さらに重要な発見もあった。祭壇の中央部から、精巧な石板が出土したのである。石板には漢字で文章が刻まれており、解読の結果、それは徐福自身が記した「島定住の誓い」であることが分かった。

「朕、始皇帝の命により東方に赴き、ついにこの地に理想郷を見出せり。ここに永住を決し、子々孫々に至るまでこの島を守護することを天地に誓う」

 この石板の発見により、徐福の意図がより明確になった。彼は最初から帰国する意思はなく、新天地での永住を前提として行動していたのである。

 島の他の場所からも、次々と遺構が発見された。古代の港湾施設跡、船舶修理場跡、青銅器工房跡など、徐福一行が築いた文明の痕跡が島全体に広がっていることが判明した。

 これらの発見により、島が単なる避難場所ではなく、計画的に建設された古代都市だったことが明らかになった。徐福の都市計画能力の高さを示す貴重な証拠である。

「これは東アジア最古の計画都市の一つです」

 都市計画史の専門家がそう評価した。「中国古代の都市建設技術が、海外でこれほど完全な形で保存されている例は他にありません」

 研究の進展により、徐福に関する新たな史料も発見された。中国の地方史や朝鮮半島の古文書から、徐福船団に関する記述が次々と見つかったのである。

 特に注目されたのは、朝鮮半島南部の古代遺跡から発見された木簡である。そこには「秦人徐福、多数の船を率いて南方へ去る」という記述があり、徐福船団の航海ルートを裏付ける重要な証拠となった。


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