同じ高さの視線
この話は、
強くなる話ではありません。
勝つでも、学ぶでも、ざまあでもなく、
ただ「同じ高さで誰かと向き合う」話です。
守られるだけだった少年が、
初めて“並ぶ”経験をする。
それはとても小さくて、
けれど確かな変化でした。
ゆっくり読んでもらえたら嬉しいです。
五歳になる頃には、屋敷の中を一人で歩き回れるようになっていた。
もちろん完全な自由ではない。必ず誰かが視界に入る距離にいて、見えなくなればすぐに気配が近づく。それでも、以前のように常に抱き上げられている状態とは違う。
自分の足で進める範囲が、少しずつ広がっていく。
その日、公爵は珍しく俺を庭の奥へ連れて行った。
普段は来ない区画だ。結界の強度も一段階上で、警備の獣人たちの数も多い。何かあるのだと、子供なりに察した。
「今日は、客が来る」
公爵はそう言って、俺の手を取った。
大きな手に包まれると、自然と歩調が合う。相変わらず無言が多い人だが、説明が必要なときはきちんと話してくれる。
庭の中央に、小さな獣人の子供が立っていた。
狼の耳と、ふさふさした灰色の尾。俺と同じくらいの背丈で、きょろきょろと落ち着かない様子で周囲を見回している。
「……こわい?」
思わずそう聞くと、その子はびくっと肩を跳ねさせ、俺を見た。
目が合う。
一瞬の沈黙。
それから、ゆっくり首を振った。
「ちょっと」
声は小さいが、正直だった。
「ぼくも」
そう返すと、その子の表情がほんの少し緩んだ。
公爵が紹介する。
「こちらはアルト。辺境伯家の嫡男だ」
次に、その子の後ろに立つ大人が軽く頭を下げる。
「息子の社交訓練を兼ねて、ご挨拶に」
訓練、という言葉が少しだけ引っかかった。
でも俺は、目の前の同年代の存在に意識を奪われていた。
同じ高さの視線。
同じ速さの動き。
それが、こんなにも新鮮だとは思わなかった。
「……れおん」
自分の名前を名乗る。
「あると」
アルトも名乗り返す。
それだけで、会話は成立した。
二人で庭を歩く。花を見て、虫を見て、石を拾う。特別なことは何もない。ただ並んで歩くだけなのに、胸が少し浮ついていた。
「れおん、まほう、できない?」
唐突に聞かれる。
俺は一瞬だけ迷ってから、頷いた。
「できない」
アルトは少し考えるように黙り込み、それから言った。
「ぼく、できる。でも、むずかしい」
そう言って、小さな風を起こしてみせる。葉がふわりと舞い、すぐに落ちた。
「でもね」
アルトは続ける。
「れおん、ほん、よめる」
それは、事実だった。
俺はもう簡単な文章なら読める。歴史も条約も、意味は完全じゃなくても理解できる。
「すごい?」
思わず聞くと、アルトは大きく頷いた。
「すごい」
即答だった。
疑いのない声。
その一言で、胸の奥がじんわり温かくなった。
公爵は少し離れた場所で、その様子を静かに見ていた。
何も言わない。
介入もしない。
ただ、俺が世界と繋がる瞬間を見守っている。
帰り際、アルトは少し名残惜しそうにした。
「また、くる?」
「くる」
約束でも何でもない、ただの返事。
それでもアルトは嬉しそうに笑った。
その夜、公爵は珍しく言葉を多く発した。
「同じ年頃の存在は、必要だ」
独り言のような口調だったが、確かな決意が滲んでいる。
「世界は、私だけでは足りない」
俺はその意味を完全には理解できなかった。
けれど、胸の奥で何かが静かに動いた気がした。
この世界には、敵も偏見もある。
でも、同じ高さで笑ってくれる存在もいる。
それだけで、世界は少しだけ優しく見えた。
この話は、
主人公にとって初めての「対等な出会い」を描きました。
魔法ができる・できない。
強い・弱い。
そういった価値基準の外で、
ただ「すごい」と言ってもらえること。
それがどれほど救いになるかを、
この章では大切にしています。
そして、公爵にとっても転機の章でした。
守るだけでは足りない。
世界を与えなければならない。
まだ言葉にはならない決意が、
静かに芽生えています。
この先、
この小さな出会いがどう繋がっていくのか。
見届けてもらえたら嬉しいです。
感想や応援、とても励みになります。
ありがとうございました。




