矯正課程
「起きろ」
突然、腹に衝撃を受けて、七大十は目を覚ました。
重い瞼をこじ開けると、腰のあたりにパンパンに膨らんだ背嚢が転がっている。
「……おはよぅ……」
寝起きのガラガラ声で挨拶し、七大十は背嚢の口を広げた。
「毛布……?」
「あと、二日分の水と食料だ」
「ぇ……何で……?」
起きたばかりで、頭が回らない。
七大十は答えを求めて、江弥華を見た。
最初に目を引いたのは、唐草模様の青地のジャケットだった。
ハーネスベルトが腰の上からジャケットを締め付けて、四つの腰嚢がくっついている。そしてカウボーイブーツで爪先から脹脛までを隠し、黒のパンツに覆われた太ももにはポーチが二つ。腰を一周するベルトには、昨夜、江弥華が作っていた花火柄のナイフがぶら下がっていた。
七大十は答えより、江弥華の服装に興味が湧いた。
両手に嵌めた黒手袋と、鎖を握った左腕には焼き印で汚れた革を巻いている。
右手首に数珠を四重に巻き付け、首から下げた勾玉が光る。
そして、襟元に雲紋のバッチ。陰陽紋を思わせる白と黒の渦を巻いていた。
(おでかけかな?)
しかし2日分の水と食料が必要になる場所が浮かばない。
七大十は頭を捻った。
(旅行か? でも水と食料くらい、旅行先で買えるよな……。……うん、分かんねえや)
七大十は思考を放棄して、笑顔を作った。
「似合ってるね」
と声をかける。
本当は「かわいいね」も付け加えたかったが、江弥華の性格的に喜ばないだろうと判断して、心の内にそっとしまう。
江弥華の目がすっと細くなった。
フンと、江弥華が鼻を鳴らす。
「立て。仕事だ」
そして、鎖が引かれた。
背嚢を背負って、江弥華の家を出る。
門を潜ると、朝日の柔らかな光がキラキラと通りに満ちていた。
人気の無かった昨夜の道に、黒に身を包んだ人々が歩いていた。
江弥華に続いて、七大十も外套に身を包んだ山高帽子の流れに乗る。
道が交差するたびに人の流れは太くなった。
皆一様に眠気と疲労が顔に出ている。
「異世界も朝の風景は一緒なんだな!」
七大十は江弥華の背中に語りかけるが、無言。
「あー、どこに向かってる?」
めげずに今度は、仕事に関係ありそうな質問を投げかけるが、黙れと言わんばかりに鎖を引かれた。
トボトボと、江弥華について行く。
次第に見えてきた大きな建物の群れ。人の流れが方々に散っていく。
道の終点に一際大きな建物が口を開けて待っていた。
見覚えのある赤レンガの外観。圧迫感を煽る横広がりの建物。中央には丸い屋根があり、その上から小さな塔がこちらを見下ろしていた。
「東京駅……?」
しかし入り口には『稲瀬藩陰陽庁』の文字があった。
「江弥華、あれ、オレの前世にもあったぜ!」
という七大十の言葉が届く前に、江弥華がその建物に入った。
七大十も続いて足を踏み入れた。
中はしんと静まり返っていた。
ロビーに置かれたテーブルから、カウンターに並んだ列から、掲示板に群がった人垣から。
誰もが江弥華に畏怖の視線を向けていた。
しかし次の瞬間には、何もなかったかのように、ワッと喧騒が押し寄せた。
江弥華に鎖を引かれて歩き出す。やはり江弥華の前には人混みが割れて道ができていく。
当然、七大十も付いて行くが、体が勝手に会釈してしまう。
(オレ、日本人すぎるなー)
と思っていると、猫の尻尾を二本生やした男性とすれ違った。
通り過ぎた後に、こっそり振り返る。
油で汚れた作業着に『有限会社』の刺繍が見えた。
その男性だけじゃない。
腕中に目玉が付いている手術着の男性や、土壁のような真四角な体を、伸びきったTシャツとスカートで覆っている女性。
胸から鎖を垂らした異形の者たちが、死んだ瞳で、どこか羨まし気に七大十を見ていた。
七大十の足がゆっくりと止まる。視線が自分の両手に落ちて行く。
肌色で五本の指の普通の人間の手が、まだ、ちゃんとある。
グン、と鎖が強く引かれた。
つんのめった七大十を、江弥華が冷たく睥睨する。
江弥華に引きずられて着いた先はカウンターだった。
江弥華の襟元のバッチと同じ、白と黒が渦を巻いた雲の紋様が大きく描かれている。
女性の受付嬢の三人が顔も上げずに、書類にペンを走らせている。
「いいか?」
江弥華が一番近くにいた受付嬢に声をかけた。
受付嬢の手が止まる。ビクンと肩が跳ねて固まった。
「ッスー……」
と、呼吸音を立てながら受付嬢が顔を上げ、パッと一瞬で表情を明るくした。
「式神の登録ですね!」
言って、登録用紙とペンを江弥華に差し出す。
江弥華は慣れた様子で空欄を埋めていき、くるっと用紙を半回転させて、受付嬢へ滑らせた。
サッと目を通した受付嬢が「はい、受理します!」と判を押し、カウンター後方に置かれた箱に用紙を丁寧に入れた。
しかし受付嬢が振り返らない。何故か気合いを入れるように、肩を上下させて深呼吸した。
「江弥華様は——」
と、受付嬢が振り返る。
「——只今、藩主指名依頼を受けてらっしゃいますよね……?」
「ああ……そうだが……」
江弥華が構えた様子で頷いた。
対する受付嬢は、両手を何度も握り直してから、恐る恐る顔を上げた。
「すぐに……向かわれたい、感じ……ですよね?」
受付嬢が途切れ途切れに言う。
腰は引けているのに、瞳だけが江弥華を探るように上目がちに揺れている。
「向かわれますか……?」
受付嬢の声に不安と懇願が滲んでいた。
「いや……」と江弥華が怪訝な表情のまま首を振った。
「規定通り、コイツに矯正課程を受けさせるつもりだが……」
と、江弥華が七大十の肩を小突いた。
受付嬢の肩がストンと降りて、「良かったぁ……!」と天を仰いだ。
「上から、「絶対受けさせろ」って言われてて。ああ、良かった! 流石は一級ぅ! その辺、ちゃんとしてますもん!」
受付嬢が安堵の笑みを浮かべ
「じゃ、なんかいい感じの依頼、見繕ってきますッ!」
と登録用紙を抱きながら、裏に引っ込んでいく。
「なんだったんだ?」
と小首を傾げた江弥華に、
「矯正課程って何?」
と、七大十はどうしても聞いておきたいことを尋ねた。しかし
「仕事だ」
返ってきた答えは、たったの三文字。
「仕事……? オレが矯正されるための……? 仕事の内容は?」
「知らん」
「知らんって……。ちょっとひど過ぎないか……」
「——だから今、依頼を見繕って貰ってるだろ」
「ああ、そっか。……いや待って。オレの何が矯正されんのさ?」
「チッ」
舌打ちが聞こえて、心臓がキュッと縮こまった。
(怒らせた。しつこかったか……? でもオレにも聞く権利くらいあるだろ?)
自問が頭の中をぐるぐる駆け巡る。
しかし七大十は口を噤んで俯く。
江弥華が踵を返した。ロビーのテーブル席で待つらしい。
付いて行こうとした七大十を、「んん!」と誰かの咳払いが呼び止めた。
「矯正課程は、式神が最終的に鬼化した人間を殺せるように、段階的に人の形に近い鬼を討伐させて、式神の良心的呵責を取り除く……そのための、制度」
さっきとは別の受付嬢が、書類にペンを走らせながら言った。
何か恐ろしいものを聞いた気がした。けれど七大十の心は温かかった。
「すみません、ありがとうございます」
小さく頭を下げると、顔を背けたままの彼女が、また咳払いをした。
ちょうどその時だった。
「江弥華様ー!」
カウンターの裏から、髪の束を掲げた、先程の受付嬢が戻ってきた。
テーブル席から江弥華が戻ってくる。
七大十は気まずさから、半歩横にずれた。
受付嬢がカウンターの上に8枚の依頼書を並べた。手書きの文字が、読む気も失せるほどびっしり書かれている。
江弥華が依頼書をしばらく眺めて、四枚を受付嬢に返す。
「……えっと?」
受付嬢が困惑した顔を江弥華に向け、江弥華が冷ややかに見つめ返す。
「早く藩主依頼に戻るべきなんだろう?」
「えっ!? ……まあ、そうですけど……」受付嬢の視線が泳ぎ、
「……ええ! まあ! いいでしょう!」
色々と飲み込んだ様子で頷いた。目に決意のようなものが燃えている。
江弥華は依頼書を丸めて踵を返した。
「ちょっと! 依頼内容の説明はー?」
受付嬢が慌てた様子で呼び止めるが、江弥華は依頼書を振って断った。
庁舎を出ると街は完全に起きていた。
店は営業を始め、買い物客が行き交い、人力車や荷車が人の間を縫って走っていた。
遠方に、煙を吐く煙突の影が見える。
鎖が引かれる。
急いで江弥華に追いつくと、依頼書を押し付けられた。
七大十が開いて目を落とす。
『対象:樹木子』『内容:剪定』
(剪定って庭師の仕事だろ?)
七大十が首を傾げた。
顔を上げて口を開きかけるが、引き結んだ。
(どうせ江弥華は答えてくれない……。行けば分かる。きっと行けば、江弥華もさすがに教えてくれる……はずだ)
七大十は依頼書を小さく折りたたんでポケットに仕舞った。
飲食店が立ち並ぶ一画を、人を追い抜き避けながら進んでいく。
「ん? かん太じゃないか」
江弥華が声を掛けた先に、買い食い中のかん太がいた。
「あ、江弥華様!」
両手に団子とメンチカツを持ったかん太がこちらに駆けてくる。
「朝から買い食いとは、見習いのくせに羽振りがいいな」
「へへへ、孤児院の皆には内緒にしといて」
「かん太が稼いだ金だろう。好きに使ったらいい」
扱いがまるで違う。
江弥華の綻んだ口元を見て、七大十は静かに項垂れた。
「大悟堂は、今日は休みだったか?」
「ううん。昨日入荷した中に、自動車関係の前世持ちがいたから」
「藩の人間が来るのか。長丁場だな」
江弥華とかん太の話しを聞くうちに、七大十は強い疎外感を覚えた。
そのせいで、「七大十兄ちゃん!」というかん太の声に一拍遅れて顔を上げた。
「今から矯正?」
「あ、うん。そう」
「じゃあ、これから樹木子の剪定かー。オイラ達の街を、よろしくね!」
眩しいほどの無邪気な笑顔だった。
よろしくね、なんて聞き慣れた挨拶が無性に心に沁みた。
沈んだ気持ちが上向く。
「……任せろ」
その言葉が自然と口から漏れ出していた。
かん太がニコリと頷き返して、
「じゃあ、オイラこっちだから」
と、江弥華に会釈して去っていった。
江弥華が歩き出して、七大十が付いて行く。
七大十がそっと依頼書を入れたポケットに手を置いた。
(矯正課程だか何だか知らないが、江弥華の命令をこなしきってやる。……大丈夫、人に合わせるのは得意な方だから)
数回、横道にそれる。
長屋ばかりが連なる一画を進むと、急に開けた土地に出た。
「ここだ」
江弥華が足を止める。
長屋を切り取ったように、金網の柵が土地を一周している。
何もないその空間の真ん中で、柳の木が一本、風もないのに揺れていた。




