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円ら屋

 寝静まった夜道の先で、一軒の店が地面を照らしていた。

『呪具 (つぶ)ら屋』と軒から小さな看板を下げている。

「邪魔するぞ」と江弥華が暖簾を捲った。七大十もなんとなく「お邪魔します」と後に続く。

「遅いやないの!」

 いきなり怒鳴られて、七大十は面を食らった。

 一段高くなった畳の間に、花魁のような着物姿の女性が赤面した顔を隠した。

「ん? 誰と間違えたんだ?」

 江弥華が、弄るような口調で詰め寄る。まるで、誰に間違えられたか分かっているみたいだった。

「ちゃうねん、ちゃうねん」

 と、その女性が首を振るたびに、頭に挿した銀色の簪が、シャラン、シャランと音を奏でる。

 江弥華が畳の間に腰を下ろす。

 女性が気持ちを切り替えるように、勢いよく膝に手を置いた。

「ご用は?」

 ほとんど睨みつけるように、江弥華に目を向けた。

 江弥華が七大十を顎で示す。

「はーん、新しい子ぉ、買ったんやねぇ」

 女性が七大十へ、値踏みするような目を向けた。

 七大十の体が無意識に強張った。そういう世界だと分かっていても、まだ慣れない。

「ええ年頃やね……いくらしたん?」

「三両」

 江弥華がドヤ顔で答えた。

「そら、随分値切ったなぁ」

「傷モノだったからな。強引に値切ってやった」

 と、江弥華が武勇伝を語るように言う。

「そう」と女性が相槌を打って、七大十に向き直る。

「どうも。(まどか)です。よろしゅうね」

 円が軽く首を傾げた。

「あ、七大十です。こちらこそです。よろしくお願いします」

 まさか、自己紹介されるとは思わず、七大十が慌てて挨拶を返した。

 円はすぐに視線を切って、「明日から慣らしなん?」と江弥華に問いかける。

 江弥華が「ああ」と頷き返した。

「ほんなら、いつものでええね」

「頼む」

 円が二度、手を叩いた。店の奥から渋めのおじさんが颯爽と現れた。

「江弥華ちゃんの一式。供物は要らんで」

 円の指示を受けて、渋いおじさんが奥へ戻っていく。

「で、そちらさんの供物は?」

(そちらさん? 今名乗ったばっかりだけど?)

 七大十は驚いて円を見た。しかし彼女は悪びれもせず、帳面に筆を走らせている。

「トウモロコシ、海老、山芋だな」

 と江弥華も訂正する気がないようだった。

「ちょっとごめん、一服ええ?」

 帳簿を付け終えた円が言った。煙管を取り出し、江弥華の許可を待たずに火をつける。

 七大十も前世では喫煙者だった。そのせいで、つい体が反応してしまう。

 円が江弥華から顔を背ける。咥えた煙管の火皿から橙色の光が灯った。

 紅を塗った唇の隙間から、「ふう」と煙が吹き上がる。

(——鰹節の出汁の匂いだ……)

 七大十の頭に実家の味噌汁が浮かんだ。

 気が付けば、涎が溢れている。

 湧き上がった食欲は、思い出した実家の味噌汁に対してか、それとも煙草の煙に対してか。答えは明白に分かっていた。

「……食いたい……」

 七大十の足が無意識に半歩踏み出していた。

 驚いて固まる円を背後に、江弥華が「止まれ」と立ちはだかった。

「違う違う。間違った」

 七大十の口が誤魔化すように笑みを作った。

「食いたいじゃなくて、吸いたい。オレ、前世で煙草吸っててさ」

 と勝手に口が回った。それほど重度の中毒者だったのかとショックを受けると同時に、自分が恐ろしかった。

「だからさ、一服だけ……頼むよ」

「ダメだ。下がれ」

 江弥華にそう言われた瞬間、カッと頭に血が上った。

「良いだろうが!」

 声を荒げた。

(ビビらせてやる!)

 一歩前に踏み出した——つもりだった。

 足元がふっと軽くなった気がした。

 視界が暗転する。

 風圧が全身を叩く。動いているという確かな感覚。

「チッ!」「きゃ!」

 暗闇の中で舌打ちと悲鳴が聞こえ——。

 七大十は棚と箱に囲まれた、店の奥に立っていた。

 眼前に、先程の渋いおじさんがのけぞって、七大十の顔に鼻息が掛かる。

 瞬間——鎖が強く引かれた。

「かは!?」

 七大十が土間に叩きつけられ、肺の中の空気が押し出された。

 次いで、

「ごふ!」

 と七大十の首が踏みつけられる。

 胸の上から青く冷たい瞳が向けられる。

「すまない、円。煙草を消してくれ」

 江弥華が七大十を見下ろしながら言った。

 ブーツの踵が七大十の気道を潰し、鎖の根元を握る。

 命の危険を感じた七大十が必死に身を捩る度、視界がチカチカと明暗を繰り返す。

 それがより一層、七大十を焦らせた。

「動くな」

 江弥華の命令。到底聞けるわけがない。

 もがき苦しみ、江弥華の靴を殴る。しかしびくともしなかった。

 だんだん薄れて行く意識。血が冷めていくような感覚。

「30秒か」

 江弥華が立ち上がった。

 退いた瞬間、肺に空気が流れ込む。

 涙を浮かべながら、身を起こした。咳込む口から粘ついた唾液が飛び散るが、構う余裕はなかった。

「何が起こったん!?」

 店の隅から円が叫ぶ。

鬼態術(きたいじゅつ)だ」

 聞き慣れない単語に、七大十が顔を上げると、江弥華がこちらを見下ろしていた。

 ギラギラした瞳に、芽生えた憎悪が吹き飛ばされる。

「円が吐いた煙に反応していたな?」

 七大十は怯えきった表情で、首を縦に振った。

 江弥華が顎を触って俯いた。

「歩行時のみ黒煙化。距離は10メートル。発動条件は足を動かすこと、か」

 呟いて笑う江弥華から目が離せなかった。

 言葉に出来ない感情が胸の中を渦巻いている。

「でもそんなことあるん?」

 円の問いに、江弥華が「ある」と即答する

「土が供物のやつがいるからな。詰まるところ、鬼素さえ含んでいれば供物になるんだ」

「でも人が吐いた煙やで? 人間用やから鬼素抜きもしとるやろし……」

「いや、昔は煙草が体に溜まった鬼素を外に出すと信じられていた。実際は微量過ぎて汚染を止める効果はないらしいが」

「……つまり?」という円の声に、

「ってことは……?」

 七大十の口から零れた声が重なった。

 江弥華が七大十を見下ろして、口角を上げた。

「肺から溶け出た鬼素が、コイツの鬼態術を誘発したんだろう」

 それが江弥華の推察らしい。

 七大十が無意識に胸を押さえた。

 心臓が高鳴っている。

 掌から慣れない異物感が返ってくる。

(——なんなんだ、これ……?)

(好き?)

(違う)

(憧れ?)

(違う)

(じゃあ、なんだ?)

(——分からない)

(でも——)

 自分の鎖を握ってみたとき、鎖の端を握る江弥華の左手を見たとき、胸中の靄が形になろうと蠢いた。

 突如、バン! という音が店内に響いた。

 畳に押し付けられた漆喰の盆。

「お待たせしました……。江弥華様一式、ご用意が整いました」

 さっきぶつかりかけたおじさんの、苛立ち交じりの低音ボイス。

「煙草を頼む」

「煙草入れたって」

 江弥華と円の声が重なった。

 目を丸くして互いを見合い、笑いあう。一瞬、華やかな雰囲気が漂うが、

「入れましたよ」

 不機嫌そうなおじさんが場を冷ました。

「助かる」

「やるやん」

 おじさんは、美女二人の賞賛を顔色一つ変えずに受け流した。

「ご確認を」と江弥華を促す。

 七大十も感情の言語化を放り出して、覗き込んだ。

(ざん)』『(はつ)』『(りゅう)』『(てん)』『(かく)』『火』『水』『土』『風』

 盆の上に札の山が並んでいる。

 江弥華が札を一つ一つ立てて、札を纏めた紙帯が落ちないことを確かめていく。

「——問題ない」

 腰嚢(ようのう)に札の束を入れる江弥華に、円が七大十を一瞥してから近寄った。

「えらい珍品引いたねぇ」

「だな」と江弥華が左手を開いた。掌から伸びる鎖。

 江弥華の口角を吊り上げた。

「……まあ、使い道は多そうだ」

 ドクン、と七大十の心臓が高鳴った。

 江弥華の言葉が、すとんと胸中へ落ちて、靄が晴れたような――。

(——この人だ)

 江弥華が一瞥をくれる。

 青空の結晶みたいな、澄んだ青い瞳。

 円に向き直る江弥華。

 清流みたいな青い髪が揺れる。

「世話になった」

 江弥華が投げた金貨が盆の上をチャリンと跳ねた。

「多すぎるで!?」

「迷惑料込みだ」

「迷惑なんかしてへんよ」

 金を受け取ろうとしない円を、江弥華は目を細めて見やる。

「商人なら、出された金は黙って受け取るものだろう」

「なら、江弥華ちゃんは受け取るん?」

 むっとした円が言い返した。

「私は仕事以上の金は取らん」

 江弥華が勝ち誇ったように鼻で笑った。

「そんなんうちもなんやけど!」

 と言う円に軽く手を上げて、江弥華が店を出る。

 暗い夜道を、江弥華が先行して歩く。

 その後ろ姿を、七大十は見つめていた。

(墨廼江弥華)

 心の中で彼女の名前を呟く。

(誰かの特別に、なれるとしたら、)

「――この人だ」


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