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供物市場

「お前の供物を買いに行く」

汝牟遅屋(なむちや)大悟堂(だいごどう)』の看板の下で、江弥華が言った。

 それから無言で歩く彼女の後ろを、七大十はひたすらについていく。

 夜空には、前世と変わらぬ月が上っていた。

 土を踏み固めただけの道に、木造家屋がずらりと並んでいる。一階はどこの家も暗く、二階の障子だけが橙色に光っていた。

 だからだろうか、足元がやけに暗い。

 江弥華は慣れた足取りで、すたすたと道のど真ん中を突き進んでいる。反対に七大十は常に後ろが気になった。交差点のたびに左右を確認してしまう。

(さすがに車とか、ないんだろうけど)

 頭で分かっていても、道の真ん中を歩くのは居心地が悪い。

 二人の間に会話はなかった。

 初めは七大十も、江弥華に話しかけたが、「返品するぞ」と睨まれ、黙るしかなかった。

 だんだんと道が荒れてくる。建物も小さく、そして貧相になっていく。

 車社会で生き、アスファルトの上でしか歩いてこなかった七大十の足が悲鳴を上げ始めたころ、道を横切るように、林が口を開けていた。

 林の入り口に真新しい注連縄が渡されている。

 その奥には用水路が流れ、小さな橋が掛けられていた。

 橋を渡り切ると、悪臭が鼻を突く。

「臭くね?」

 と江弥華に声を掛けるが、江弥華は振り向きもしてくれなかった。悪臭の中を変わらぬ足取りで進んでいく。

「マジかよ……」

 七大十は両手で口と鼻を押えて後を追った。

 下水管の中を進んでいるような気分だった。時折、強烈な甘い匂いや酸っぱい匂いが流れてくる。

 腐った果汁と牛乳を拭いた後の雑巾を、鼻に突っ込まれたような。

 気分が悪くなってきた。

「供物、明日にしよう!」

 我慢の限界で、七大十が堪らず叫んだが、

「慣れろ」

 江弥華が無情に鎖を引いた。

(無理に決まってんだろ!)

 怒鳴り返そうとした言葉が、「オウェエ!」とえずき声に潰された。

「着いたぞ」

 江弥華の視線を追うと、レンガの壁がそびえ立っていた。

 煤けた壁に、窮屈そうに並んだ漢字。

『陰陽庁指定供物流通区域・洗馬(あらま)商店街』

 がらんと開いた入り口から悪臭と喧騒が溢れ、いくつもの屋台が所狭しと並んでいる。吊るされた赤提灯には、『卵』『海老・蟹』『根野菜』『青果』などいくつもの文字が揺れていた。

 立ち尽くす七大十。

 江弥華に鎖を引かれて、人混みに潜った。

「何だ……ここ……?」

 客は皆、和装と洋装の二人一組で屋台を練り歩いていた。

 和装に身を包んだ者が平然とした顔で鎖を引き、シャツやパジャマといった洋装の者は、七大十と同じように鼻を押えて、胸の鎖を引かれている。

「これ以上は負けられん!」

「もう一声! なあ頼むよ」

 そんな声が随所から聞え、

「ゴミが、早くしろ!」

「——安物が!」

 罵声が飛び交う。そして時折、えずき声や誰かのすすり泣く声が混じった。

 鎖を短く持った江弥華が、七大十の顔を引き寄せた。

「食えそうなものがあったら言え。買ってやる」

(あるわけないだろ)

 七大十は反射的に思った。どんな高級食材を出されようと、この臭いの中で食欲が湧くはずがない。

 江弥華に引っ張られ、七大十は『卵』の提灯を下げた屋台に向かった。

「おい、あの青い髪……」

 囁く声が聞こえた。

「江弥華だ……」

「……まじかよ」

「見たい見たい!」

 和装の人たちのざわめきが伝播し、視線が集まる。

 しかし江弥華は意に介した様子もなく、屋台に足を運ぶ。

 人混みが割れるように、道が出来た。

「悪いな」

 と頭を下げて、進む江弥華。七大十はなんだか誇らしくなった。何となく七大十も頭を下げながら後を追う。

(あれがオレの御主人様です)

 内心呟いた途端、勝手に口元が緩んだ。

 だがその嬉しさも、屋台の前に立った瞬間に消し飛んだ。

 前世でも一日一回は、トイレで嗅いだ、あの臭い。

 藁を敷き詰めた木枠の中に、長細く茶色い物体が置かれている。

 七大十は絶句した。

 正気を疑って店の人を見る。

「買うのかい?」

 と初老の女性が不愛想に木箱に腰かけ、藁を編んでいる。

 江弥華が「これか?」と聞いてきた。

 七大十は江弥華の正気も疑った。

「いや……」

 と、首を振る。店の人の手前、言わなかったが、食えるわけがない。

(仮にも「供物」っていうなら、最低限、人の食べ物を用意しとけよ!)

 と声を大にして叫びたかった。

 代わりに、七大十は口を開いた。

「もしコレだったらさ、本当に食えるんだよね?」

 江弥華が首肯する。

「火を通せば、普通の卵だ」

「は?」と七大十がもう一度、ソレを見てみる。(ふん)だ。めちゃくちゃ糞だ。

「何が卵なんだよ……。味が?」

「味が」

 そして江弥華が「すぐに分かる」と鎖を引いて隣の屋台へ向かう。

「匂いで探してみろ」

 という江弥華の助言に、七大十は耳を疑った。

「身体に合う供物は良い匂いがするらしいからな」

「嘘つけ」

 とっさに飛び出した言葉に驚き、慌てて江弥華の顔色を窺った。

「真偽は知らん。私は感じたことが無いからな。ただ、お前ら転生者はそう言っている」

 その時だ。

 スッポンで鼻をシュコシュコされているかのような悪臭の中に、甘く優しい香りが紛れ込んだ。

 鼻腔へ意識が吸い寄せられる。

(——コーンポタージュ?)

 そう思った瞬間、頬の奥が痛むほどに、口内に唾液が噴き出した。

「コレだ」

 七大十は迷いなく指差した。

 屋台を取り囲むように吊り下げられた、赤と黒の棘が並んだ、鬼の金棒みたいな物体。

「ほう、トウモロコシか」

 江弥華がソレの名前を言った。

「いくつ?」

「一房」

「十文」

「袋に入れてくれ」

 江弥華が店の男性と短いやり取りを交わし、銅貨を十枚と紙袋を交換した。

「他にあるか?」

 と紙袋を七大十に持たせながら聞いた。

 七大十が鼻に意識を向ける。

「……ある。……えびせんの匂い……あと……とろろ焼きだ!」

「三種か」

 江弥華が呟いた。

 周りで、江弥華を盗み見ていた人たちの小声が耳に入ってくる。

「やっぱ一級は若い転生者が買えていいよな」

「だな。俺らが奮発したって、三十路がやっとだしな」

「地道に仕事してたら、いつか買えんだろ」

「いやいや、女買った方がいいだろ!」

 ダハハ、と大きな笑い声に紛れて、

「3両は吹っ掛けすぎだったか」

 と江弥華が呟いた。手で口元を隠している。

 微かに「良い買い物をした」という声が聞こえた気がした。

 江弥華が進む。人混みが割れて道が出来る。江弥華が通った後には元に戻ろうと、人の壁が押し寄せる。七大十はその壁に挟まないように、ぴたりと江弥華の後ろをついて回った。

 念のためにと屋台を一巡する。

 七大十が、三つの紙袋を抱えて市場を後にする。

 赤黒の棘が生えた、トウモロコシ。

 鋼色で背中に刃がある、エビ。

 素麺のように白くて細い、山芋。

 前世のそれとは色も形も違う食材が、痛んだ七大十の鼻を優しく労わる。

 食欲をそそる香りが、七大十の口を軽くした。

「この後どうすんの?」

「呪具屋に寄る」

 そう言って夜道を突き進む江弥華の背中を、七大十は慌てて追いかけた。

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