式神契約
(御契約品か……)
七大十は座敷牢から出て、狭く暗い廊下を歩いていた。
首から下げた木札が歩くたびに揺れる。それがまるで「やったな、七大十」と胸を小突いてくるみたいに感じられた。
木札の文字を見たくて頭を下げると、「さっさと歩け」と棍棒で背中を押されて、廊下の奥の重厚な扉がガチャと開いた。
潜れば、応接間だった。
シャンデリアに並んだ蝋燭の火が部屋をオレンジ色に染めている。
でんと置かれたローテーブルの向こう、三人掛けのソファに青髪の少女が足を組んで座っている。その右手側、ローテーブルの端の一人掛けのソファに座った大悟郎が身を乗り出して、せっせと書類を並べていた。
「お、七大十兄ちゃん」
と、お茶を出し中のかん太が笑顔を向けて、ひらひらと盆を振る。これから知人が奴隷になろうというのにまるで悪気も罪悪感もないようだ。
(——日常なんだろうな)
七大十は軽く受け入れ、首に掛かった値札をかん太に見せた。
かん太が目を丸めて固まる。そして一瞬、どこか責めるような目で大悟郎を睨んだ。
大悟郎がかん太を睨み返す。何事かを呟いて顎で部屋の外を指した。
肩を落としたかん太が、七大十とすれ違う間際、「江弥華様の前」、と小声で囁いて部屋を出て行った。
七大十が言われた通りに少女の前に立って、見下ろした。
(この娘がオレの主人か……)
完璧なパーツ。完璧な配置。美人のお手本のような顔面。
見惚れた。
少女の瞳が見つめ返る。氷山から削り出したみたいな冷たい瑠璃色の瞳。
彼女の艶やかな唇がパッと割れる。
「見づらい。座れ」
「え、はあ」
七大十が困り気に頷く。
視線を四方に飛ばすが自分が座っても良さそうな椅子が見当たらない。
他に座れそうな場所は、もう少女の隣しかなかった。
「じゃあ、その、失礼します」
と七大十がテーブルを回る。少女と大悟郎が目を見開いて見てくる。
(あ、やっぱ違うっぽい……)
七大十が固まったタイミングで大悟郎の咳払いが部屋に響いた。
「床だ、馬鹿」
「え、あ、そうですよね」
へらへらと笑いながら床に正座する七大十。
どんどん耳が熱くなっていく。
「じゃあ契約の手続きを始めるぞ」
大悟郎が少女の前に紙を滑らせた。
「軽くでいいよな?」
「頼む」と少女が頷き、大悟郎が書類に目を落とす。
「えー、留意事項、第一条、鬼素汚染による肉体変状。お前はこれから式神として鬼素を取り込み呪素を主人に提供する装置になりますが、残留鬼素によって体が異形化していきます。で、第二条、最後には鬼化して自我を失うので、討伐対象になります。で、次は江弥華殿。式神が鬼化した場合は速やかに討伐すること、もしくは陰陽庁に討伐依頼を発行すること。最後、第四条、鬼化前の肉体及び精神の変異は個体適応反応の範疇とし陰陽庁は介入しない。要は討伐されんのは完全に自我を失ってからってことだ」
暗唱しているみたいだった。止める間もなく、聞き馴染みのない単語ばかりでほとんど頭に入らず、分かったのは式神になることと、——最後には殺されることだけ。
(冗談じゃない! 討伐されない方法があるはずだ。だいたい鬼素って何だ? それを取り込まなきゃいいんじゃないのか?!)
「あのぉ!」と七大十が手を上げた。
「鬼素を取り込まないことってできないですかね?」
「無理だ」
少女が言う。
「お前に許された選択は、私の式神になるか、ここで死ぬかだ」
「同意するなら署名して血判しろ」と式神契約同意書と剣山が置かれ、「拒否するなら首を切れ」と短刀が七大十の前にコトンと置かれた。
唾を飲む七大十。少女がソファに深く座り直して足を組み替える。
その瞳に感情はなかった。オレがどちらを選ぼうが構わないという目。
七大十は同意書を引っ掴み、必死に目を走らせた。
『本同意書は、異界より転生せし者(以下「被契約者」と称す)——式神として主命に服す――。非契約者は――任務に参画する義務——。陰陽師と縁を結び――』
「……縁?」
その単語を見つけて、七大十は顔を上げた。
「決めたか?」
青い髪、青い瞳。透き通る肌はきっとブルべに違いない。
生成AIでも作り出せないような美少女がオレの同意を待っている。
「……決めました」
少女が目を細めた。
七大十は少女をまっすぐ見つめ、目を閉じた。
瞼の裏に焼き付けた綺麗で可憐な姿を確認してから、大きく息を吐いた。
「オレは」
震える指先をテーブルの上へ伸ばし、無機質な硬い感触が返ってくる。
「なりますよ、貴方の式神に」
言葉にして覚悟が固まった。
指先で摘まみ上げた万年筆がくるりと回る。
威嚇か決意のあられか、七大十の柳眉と口角が吊り上がった。
署名する七大十の後頭部に「そうか」と少女の声が降りかかる。
平坦な声だ。安堵も落胆もない。
それでも良かった。
三両が高いか安いか知らないが、オレを選んで買ってくれたことには変わりない。
損はさせない。買って良かったと思われたい。
「選んでよかった」と言われたい。それが「お前がいなきゃダメだ」になって、あわよくば――。
眼前に、自分の名前と血判が並んだ。
息を切らした七大十が呆然と同意書を見つめる。何故か、汗が頬を伝った。
「契約も済ませてくか?」
大悟郎が同意書を奪い取りながら少女に尋ねた。
「ああ」と返答が聞こえて、
「黍紙持ってこい!」
と大悟郎が、店の奥に声を飛ばす。
盆に乗って運ばれてきた黄色の和紙。
少女が無造作に短剣を抜いた。
「なに!?」
七大十の慌てた声。
少女が親指を刃に当てて、切った。
親指の腹から血の雫が垂れる。少女が親指を和紙に押し付けた。
黄みがかった和紙に、まるで肌から透ける血管のように、青い線が薄く浮かび上がった。
呼吸も忘れて見入る七大十の目の前で、和紙が独りでに動き出す。
折り目ができ、皺になり、くりゃりくしゃりと、丸まっていく。
そして最後には、折り目も皺もないつるりとした玉になった。
「口を開けろ」
少女がそれを摘まみ上げて言った。
「ただの黍団子だ。食え」
と七大十の口元へ突き出してくる。
彼女の言う通り、黍の匂いだ。しかし微かに血の匂いが混じっている。
正直、食べたくない。
(でも、美少女からの「あーん」なら――)
七大十が口を開けた。少女の指の第一関節が前歯に当たり、ポトと舌に団子が落とされた。
咀嚼。紙から出来たとは思えない粘り気のある食感は団子そのものだった。
黍の風味と鉄の味が混じり合い、口を切った後に食べているようだった。
嚥下。団子が食道を通って胃に落ちたのが分かった。
(……胸が熱い……)
嬉しくてではなく、血が皮膚と胸骨の間に集まってきているような感覚。
少女が左手を七大十の胸へ伸ばした。
心臓が跳ねた。彼女に聞こえるんじゃないかと思うほどの拍動。
七大十はそっと目を閉じた。ちょうど違和感を覚えた場所に彼女の柔らかな指先が触れ——ジャギン!
自分の胸から金属音が鳴り響いた。
「——え?」
最初、何が起きたか分からなかった。
見下ろした七大十の視線の先に、赤錆だらけの鎖が伸びている。
「世話になった、また頼む」
と彼女が立ち上がった。顔を上げると、左手に鎖を巻き付かせるように握っている。
「おう、こちらこそまた頼むわ」
大悟郎が少女に封筒を手渡して「出口まで送る」と歩き始めた。
少女の冷たい視線が七大十を見下ろす。そして
「立て」
と鎖が引かれた。
内臓ごと引っ張られるような痛み。
七大十は立たされ、彼女の後ろを歩かされる。
鎖が二人の間で揺れている。
物理的に体の中に繋がっているんだと、七大十は嫌でも直感してしまった。
(なら命令を拒否して、強引に鎖を引いたら一体どうなるんだ……? )
想像して寒気が走る。
「あ」
と彼女が声を上げた。
「名を教えてなかったな」
彼女が振り返る。青い髪がたなびいて、青い瞳が七大十を見据える。
「墨廼江弥華。お前は?」
「金倉七大十」
江弥華が軽く頷き、踵を返して歩き出す。
今度は、鎖が引かれなかった。




