牛鬼
牛鬼は、かん太が言っていた通りの巨体だった。
膨らんだ腹部は炭を塗り込んだような黒。鎌状の足は殺意を具現化したように鋭かった。そして角を生やした頭部は、怨念に染まった若い男の顔。
(怖いよりキモいが勝つな……)
目を逸らしたら襲ってきそうで、七大十は目を離せなかった。
「囲め」
大悟郎の低い声が、静まり返った森の中に響き、舟がゆっくりと方向転換する。
牛鬼の八つの眼球に、三隻の舟が歪んで移り込んでいるのが見えた。しかし牛鬼は、常に七大十の乗る舟に体の正面を向けている。
冷や汗を流した七大十の後ろから、
「……応援を呼ぶべきだ、親方」
と、かん太が牛鬼まで届かないくらいの声量で囁いた。
「要らん」
大悟郎に進言を却下されて、かん太が語気を強める。
「オイラは、転生者を店に並べることを優先すべきだと思う」
かん太の言葉に七大十は驚いた。
牛鬼への警戒がとぎれないよう、そっと後ろを振り返る。
十歳そこらの子供とは思えない真剣な表情で、かん太は大悟郎の返答を待っていた。
「……一丁前なこと言いやがって」
どこか嬉しそうに大悟郎が言った。
大悟郎がいつの間にか手にしていた札。
真ん中の「燕」の文字が青白く光り、
「ふぅッ!」
と大悟郎が札に息を吹きつけた。
瞬間、札の中から押し出されるように青い燕が飛び出して、下流の方角へ、森を越えて飛んでいく。
「陰陽庁に報告は飛ばした。これでいいか、かん太?」
「十分だよ。ありがと!」
大悟郎が鼻で笑ってから、また団子を頬張った。
森に静寂が戻った。
牛鬼を睨み据える大悟郎。牛鬼は八つ目で三隻を捕らえたまま動かない。
牛鬼の呼吸に合わせて水面が揺れ、舟の立てた波と衝突する。波はだんだんと高くなり、船底に当たって「ちゃぷ」と音を立てた。
「ウガアアアアーー!!」
牛鬼が咆哮を上げた。
――ザバン! と牛鬼の腹部が勢いよく持ち上がった。
瞬間――、
「「「発・磊投破家!」」」
3人の声が重なる。
射出する礫の弾丸。しかし牛鬼の遥か頭上で交差する。
(ノーコンかよ!)
七大十が睨んだ先で、大悟郎が「む?」と首を傾げた。
(む? じゃねえよ! 大人しく応援頼んどけよ!)
とは言えず、七大十は行き場のない苛立ちを押さえ込むように歯を食いしばった。
しかし歯を食いしばっていたのは七大十だけではなかった。
牛鬼が悔しそうに、持ち上げた自身の腹部を見上げている。
人面ゆえに牛鬼の表情の変化が手に取るように分かった。
ギリギリと歯を食いしばり、まるで何かを捻り出そうとしているように気張った表情。
(もしかして……)
と思った次の瞬間、怒りの形相で鎌足を川底に叩きつけた。
「ガアアアアーー!!」
牛鬼の雄叫びと。
「撃てぇ!!」
大悟郎の号令が重なる。
耳をつんざく銃声音。
七大十が耳を押えて周りを見れば、褌の男たちが牛鬼に向かって一斉に銃を乱射してした。
牛鬼が鎌足を交差して頭部を守る。弾丸を弾く足の隙間から覗く表情が、さらに苛立ちを深めていく。
牛鬼がうざったそうに鎌足を振り回した。しかし八つもある目に弾丸が入り、目に砂が入ったみたいに、顔を背ける。
舟に囲まれて「ウガア!」「ウガア!」と威嚇して足を振り回す牛鬼。
自然と七大十の緊張が緩んだ。
「あの……もしかして、糸が出せないんじゃないですか……?」
七大十は、未だ戦闘中にも関わらず、先程思ったことを言葉にした。
「みてえだな」
と大悟郎が七大十の仮説を支持する。そこにかん太が七大十の後ろから顔を出して、会話に加わる。
「牛鬼って、本当ならもっと森の奥にいるはずなんだ。きっと、糸が出せないから追いだされたんじゃないかな?」
「いや、それはねえ」
大悟郎が言った。
「牛鬼は個体数が少ねえ。だから同族をめちゃくちゃ大事にする。例え足がすべて欠損しても絶対に見捨てない。そういう鬼だ」
それを聞いた七大十が(何か人間みたいだ)と感想を抱いた途端、防虫学の講義風景がフラッシュバックした。頭に浮かんだ講義のスライドにはカマキリの画像が映し出され――。
カチッと七大十の中で何かがはまった。
「……性的カニバリズム」
口をついて出た言葉。七大十が息を詰まらせる。
「あ?」
大悟郎に凄まれて、七大十は「いや、あの……」と目を彷徨わせた。
「交尾のあと、メスがオスを食べる奴です。昆虫とかでよくある共食いで……」
しどろもどろに言葉を重ねる七大十の真横で、「……あり得るね」とかん太の真面目な声が聞こえた。視界の端から身を引くかん太が見えた。
「きっと……きっとそうだよ、七大十兄ちゃん!」
後ろから興奮したかん太の声がする。
七大十が軽く頷き返すが、視線は無意識に牛鬼の腹部に吸い寄せられた。
「キィィイイ!!」
途切れない弾幕に、ついに我慢の限界を迎えたのか、牛鬼が天に向かって奇声を上げた。その真っ黒の腹部をよくよく観察すると、確かに歯型や切り傷が確認できた。
「グルアアアア!!」
と牛鬼がこちらを睨みつけ、巨体を大きく引き絞り――突進。
水面から巨体が浮き上がるほどの大跳躍。
振り上がる鎌足。七大十を睨む眼光。
七大十が反射的に身を硬くした。
大悟郎の背中が視界を遮る。その、下段に構えた右腕から黄金が張り出していた。
牛鬼が、その大きすぎる顎を開く。
人一人、丸呑みできそうな口。隙間なく並んだ牙。
「ムリ」の言葉が心に浮かんだときだった。
突然、無数の髪の毛が牛鬼の巨体に絡みつき、動きが止まる、直後。
「アタァーッ!‼」
カンフーのような奇声。
牛鬼の脳天に、ジャージの男子高校生の頭突きが突き刺さった。
牛鬼の眼球が白目を剥きかけるが、
「グギィィィ!!」
振り下ろされた鎌足。大悟郎の拳が唸る。
ガギン、と金属音。
鎌足が宙を舞う。
牛鬼の驚愕した表情。八つ目が一瞬、飛んでいった鎌足を追うが、次の瞬間には恐怖の表情に変わった。
引き絞った黄金の右腕、力瘤が隆起するように金塊が競り上がる。
「金剛拳!」
大悟郎が拳を振り抜いた。舟が傾き、甲板に水が上がるほどの反動。
殴り飛ばされた牛鬼が弧を描いて川底に沈む。川の中から飛び出した八本の足が空を掻いて藻掻くが、ブクブクと上がってくる気泡が次第に小さく、少なくなっていった。
七大十は場の空気が弛緩したのを感じた。
(勝ったんだ)
と肩の力が抜けていく。
同時にあの男子高校生が気になった。
牛鬼に頭突きしたあの一瞬、彼の頭が異様に尖がって見えたのだ。
彼が乗っていた舟に目を向けるが、居ない。代わりにマタギの男が鎖をブンブン振り回している。まさかと思って鎖の先を見れば、尖がり頭の彼が起立の姿勢のまま、ブンブンと舟の上空を旋回していた。
「マジかよ……!」
呟くと同時にワンピースの女に目を向ければ、舟の際で項垂れ、彼女の髪が川底に沈んだ牛鬼へ伸びていた。
七大十は頭を抱えた。
(……訳が分からない)
内心呟いたが、脳が勝手に分析を始めて導き出した推測を囁いてくる。
(——団子だ)
大悟郎の舌打ちが聞こえて七大十が目を向ける。
「妙に軽いくせいに、妙にしぶといな」
と大悟郎が団子を頬張った。瞬間、右腕から隆起する金塊。
川底から大粒の泡が浮上し、「ミィヒィ~~!」と甲高い笑い声が響いた。
ぐるりと水中で態勢を立て直した牛鬼が水面から顔を出す。
大量の鼻血と欠けた前歯。
牛鬼がオレに向けてにんまりと嗤い――腹部を振り上げた。
「「「発・磊投破家!」」」
三方向から射出した礫の弾丸が牛鬼の顔面を襲い、ボンと水柱が立つ。しかしそこに牛鬼の姿はなかった。
「どこ行った!?」
辺りを見渡す七大十の視界が一瞬暗くなった。
轟く銃声。
褌姿の男たちが一斉に天上に向けて銃を乱射した。
見れば、牛鬼が樹上を飛び回り、陽光を反射する糸が、負傷していたはずの腹部に繋がっている。
「急に何だよ!? 機動力が違い過ぎるだろ!」
先まで身を固くして銃撃に耐えることしかできなかったのに、今や銃弾が牛鬼の動きに追いついていない。大悟郎も他の陰陽師も転生者も手をこまねいて見ているしかできていない。
縦横無尽に動き回る牛鬼。その八つ目はやはり七大十を見続けている。
(……なんだよ!?)
「なんでさっきからオレばっかみてんだよ!?」
ずっと抱いていた疑問が口から噴出する。
「クソ!」
そう悪態を吐いたのは自分なのか、大悟郎なのか、はたまた他の誰かなのか分からない。しかし誰もがそんな顔で、懸命に牛鬼と戦っている。
まだ小さな子供のかん太でさえ、歯を食いしばって舵を握り、牛鬼の狙いが定めにくいように舟を蛇行させている。
(……なのに、オレだけなんもしてねえ……!)
銃の一丁でも落ちていないかと、七大十は甲板を見渡した。
そして見つけた、横たわる転生者の横に置かれたライフル銃を。
七大十が飛びついた。同時に背中に何かが張り付いた感覚。
七大十の指が銃の肩紐に触れた。瞬間、強力な力で体が引き寄せられる。
(ヤバい!)
と思った途端、視界がやたらゆっくりと流れた。
甲板から離れた両足。宙に浮くオレを、船上の全ての人間が目を見開いて見ていた。
(あ、銃)と冷静な自分が思い出す。指に掛かったままのライフルを引き寄せようと腕を引く。しかし自分の腕とは思えないほど怠慢に動いた。
あまりも遅い。
七大十が振り返って牛鬼との距離を測る。
喜色満面の牛鬼が後ろの二本の鎌足で器用に糸を手繰り寄せて、前足を振り上げていた。
(多分、間に合わない)
そう直感した七大十が肩紐を強く握り直した。
直後、ゾーンが解けたみたいに視界が元に戻り、牛鬼の顔面が一気に迫った。
迫りくる鎌足の切っ先。牛鬼の八つ目が勝利を確信したように見開かれた。
「うらああああ!」
七大十が叫び、ライフルを牛鬼の目玉に目掛けて投げ飛ばした。
ライフルが牛鬼の主眼に直撃する。
「グギャ!?」と牛鬼の短い悲鳴。
充血した目玉が七大十を睨み、振り下ろされた鎌足。
慣性に従って宙を舞う七大十の体。
無理やり捻った横腹を、鎌足の切っ先が切り裂いた。
「ぐぅっ!?」
燃えるような痛み。
傷口を押えた七大十の視線の先で鎌足の刃がぐりんと返り――。
「「斬・励輪瀑布!」
円形の水刃が、七大十の真横を追い越した。
牛鬼の鎌足が切り飛ばされて水に沈む。
次いで七大十の体に髪の毛が絡みつき、
「金剛砲拳!」
四肢を拘束された七大十の目の前で、黄金の棘を生やした巨大な拳が、牛鬼の顔面を粉砕した。
グンと七大十の体が強く引き寄せられ、甲板に叩きつけられる。
肺の中の空気が押し出され、チカチカと暗明を繰り返す視界。
途切れかけた意識の中、歓声が聞こえた。
ヨロヨロと身を起こす七大十の視界に銃を持ち上げた男たちが映る。
(終わったのか……?)
そう思った瞬間、視界が急速に暗転する。
「七大十兄ちゃん!」
と駆け寄るかん太の声。
「大、丈……夫……」
と七大十は口を動かして、意識を手放した。




