近づく雑音
突然、顔に何かが覆い被さった。
「なあ!?」
悲鳴を上げて、ソレを取り去る。毛布だ。
江弥華を見れば、ニコリと笑いかけている。しかし目だけが笑っていない。
「座れ」
低い声で、地面を叩く。
「寒いだろ? 肩から毛布を掛けろ」
言って、背嚢をまさぐり、干し肉を出した。
「腹がへったな?」
否とは言わせない眼力で江弥華が手渡す。
「鬼素浄化牛舎で育った高級品だ」
江弥華が眼力をそのままに、声のトーンを高めて言った。
七大十が両手で受け取った。
妙に分厚い。だか、見た目は確かに干し肉だ。七大十は干し肉を大きな口に運ぶ。しかし、フワリとえびせんの匂いが香った。
見れば、赤色の団子が干し肉に挟まれている。
「火を通さなくていいやつだぞ」
だからさっさと食え、と江弥華の目が命令していた。
江弥華が呪素を得ようとしている。
察した七大十は「旨そうだ」と猿芝居を挟んで干し肉の供物サンドを頬張った。
七大十の指先が十字に割れる。
「寒いだろ。手を温めろ」
と江弥華が布を被せて、七大十の手を隠した。
布の下で鉤骨が伸びる。
「寝るぞ。出発は明朝だ」
江弥華がそう言った瞬間、ザーという音が大きくなった。
江弥華が横になる。毛布を頭まで被り
「早く寝ろよ」
七大十に背を向けた。
と思ったら、毛布がもぞりと動いて、江弥華が顔を出した。
「いいか、早く寝るんだぞ」
念を押されて、七大十も横になった。
背中に、硬く湿った感触が当たる。
(絶対、寝れない。寝れるわけがない)
そう思いながら目を閉じると、妙な安心感に包まれた。
ザーというテレビの砂嵐みたいな音が心地良い。
ドクン、ドクン、と心拍のような一定のリズムが眠気を誘う。
(あ、寝る)
七大十の瞼がゆっくりと、閉じる。
――カサーー。
茂みが揺れる音。
七大十の意識が急浮上する。
目を固く閉じた暗闇の中、何かが近づいてくる気配。
七大十は恐怖で指一本動かせなかった。
微かに江弥華の寝息が聞こえる。
不安と心配が七大十の心を揺さぶった。
(寝たフリだ)
冷静な頭が宥めるが、不安が心を埋め尽くしてくる。
近づいてくる、砂嵐の音。得体の知れない心音が、強張る体を解すように、ドクンと脈打つ。
(大丈夫、大丈夫だ)
と、いつの間にか握りしめていた拳を開いた。
しかし(待てよ)と七大十が気付く。
拳を握れていたということは、鉤骨が引っ込んでいたということだ。
武器を失った七大十に不安が押し寄せた。
限界だった。
七大十が「んん〜!」と声を出して、気配に背を向ける。
薄目を開けた先で、江弥華が目を閉じている。仰向けの胸がゆっくり上下していた。
安心感を掻き立てようとする雑音が耳障りだ。
(本当に寝てる……? いや、まさか……)
内心の声すらうるさかった。
(起きてる……よな?)
限りなく願望に近い確信。
(起きてんだろ!? なあ、どうしたらいい……? オレは、何をしたらいい!?)
その焦燥が七大十の喉を震わせた。
「江弥華!」
ごく小さな叫びが、情けなく森に響いた。
ザザッ!
と大きな音が鳴り、雑音が止まる。
(――いる。オレの上に何かが、いる)
七大十はすぐに目を閉じた。
頭のすぐ横に手が置かれたのが分かる。
サーという、微かな雑音。
七大十の耳元で、ドクンと鳴る。
猩々の腐臭。
息が顔にかかる。
震え出しそうな体を必死に抑えた。
サッと雑音が遠ざかった。
頭の横に置かれた手が離れていく。
七大十はバレないように安堵の息を吐いて、目を薄く開いた。
仰向けの江弥華の体に、長い白髪がかかっていた。
七大十が息を殺す。
ザーと音を立てながら、頭を江弥華の寝顔に近づけて、「キィ」と鳴いた。
動け、助けろ、と脳の片隅で七大十が叫ぶ。
動けない。
クチャ……と肉を食む音。猩々の脚が白髪の中に消える。
カサ。
紙が擦れた。
江弥華は変わらず寝顔を晒している。
(なら……まさか……)
江弥華に掛かる白髪の中。
黒い爪が摘んだ紙きれが、青白く光った。
そして、江弥華の顔にゆっくりと下ろしーー。
七大十が叫んで飛び起きると、同時。
江弥華がぐりんと首を捻った。
「隆・斬・挫空礎岩」
江弥華の頭の下が光った瞬間、岩の刃が空を切り裂いた。
「ギュィ!?」
白い塊が大きく飛び退る。
切り飛んだ白髪が舞い落ちる中、江弥華がゆらりと立ち上がった。
「山姥か……丁度いい」
そう呼ばれた怪物、女物の着物に身を包んだ山姥が驚愕に目を見開いていた。
額から生えた一本角が、垂れ下がる髪を縦に割り、その異形の相貌を晒していた。
唇はなかった。張り出した歯茎から針のような牙が並んでいる。
焦りの表情を浮かべた山姥が、何度も白髪に指を通す。
ザーザザーザーと、不規則な砂嵐音が鳴り響く。首を伸ばして開けた口腔から、ドッドッと早鳴った心音が聞こえる。
「耳障りだ」
言った江弥華が足元の札を踏み締めた。
札はまだ青く光っている。
「――開襖」
江弥華が静かにつぶやいた瞬間、岩の刃が山姥目掛けてスライドした。
「ギギッ!」
横っ跳びに大きく避けた山姥の髪を、岩の刃が切り裂いた。
山姥が怯えた表情で後退る。腰は完全に引けていた。
その様子を江弥華が冷たく見やる。
突然、鎖が強く引かれた。
七大十がつんのめりながら江弥華の横に並ぶが、
「式神が、陰陽師の横に並んでどうする」
と江弥華に背中を押し出せた。
困惑顔の山姥と目が合う。
人の面影が色濃く残る顔面。顎先の大きなホクロが、七大十の記憶を刺激した。
(山の上から逃げてきた、あの猩々の顎にも……)
「余計なことを考えるな」
後ろから江弥華の声が飛んできて、ハッと思考を切り上げた。
山姥が首を左右に振っている。
ザッザッザッと短く音が切れる。
ドクン、ドクンと大きく脈打っている。
お前なら勝てる、そう言わんばかりに山姥の瞳が弧を描いていた。
「支援はしてやる」
と後ろから江弥華が言った。
煙草の匂いが唾液を誘う。
「やり方は問わん。殺せ」
七大十の目の前に、黄色い団子が投げ落とされた。




