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白紙の札

 庁舎を出ると、通りは活気に溢れていた。

 食欲をそそる香りが飯屋から漂ってくる。

 真剣な顔で昼食を悩む人々の間を縫うように七大十は江弥華を追い、すぐに人混みが開ける。少し閑散とした道具屋が建ち並ぶ一画だ。

 その中でも一際立派な店が、大きな暖簾を揺らしている。

 遊女姿の店主が切り盛りする、円ら屋だ。

 タバコの鬼態術が発動して江弥華に殺されかけた記憶がよみがえり、七大十は苦い顔で喉を擦った。

 円ら屋の小さな丸い看板の下に、籠を積んだ荷車が置かれている。

(商品の搬入かな)

 七大十は首を傾げ、江弥華に続いて暖簾を潜った。

 一段上がった畳の間に、赤い着物の裾を広げた円が座っていた。煙管をくゆらし、土間を睥睨している。その視線の先には、飛脚然とした男が膝をついて手を擦り合わせていた。

「この通りだからさぁ、頼むよぉ。札の仕入れ先を紹介してくれよぉ」

「嫌や。あっこはウチと専属結んでます」

 円が煙草の煙を「ふう」と、へらへら笑っている男の顔面に吹き掛ける。

 ゴホゴホと咳き込みながら立ち上がった男の目が据わっている。

「あ、(ヤバい)」

 七大十が反射的に一歩踏み出していた。

「邪魔するぞ」

 隣から聞えた冷たい声。

 水を打ったように店内が静まった。

 店にいた誰もが、江弥華を振り向いた。

 男が怒りと嘲りに口を歪ませて何か言いかけるが、江弥華の胸元を見て、慌てて口を閉ざした。江弥華の階級章に気付いたのか、逃げるように店を飛びした。

(すげーな、一級)

 そう思いながら、悔しそうに荷車を引く男を見送っていると、

「……邪魔したか?」

 と江弥華が言った。

「いや、助かったわ」

 と円が首を振っている。

 そして急に円がこちらに目を向けた。

 カン、と円が竹筒に煙管を打ち付け、筒に蓋をする。

 気を遣わせたと小さく頭を下げると、円が目礼を返を返してくれた。

「行商人が札を仕入れるのか?」

 江弥華が、男が去った方を振り返って問うた。

「何や農村で仰山売れるらしいで」

 と円がパンパンと手を叩く。

 店の奥から女中が顔を出し、円が「江弥華ちゃんの一式、持ってきて」と指示を出した。

「農民が札を買うのか?」

「らしいわ。ウチにも来たで。白紙の札ください、言うて」

「白紙だと?」

 江弥華が目を細め、円が頷く。

「ウチは置いてないです、ごめんなさいねー、言うたけど」

 考え込んだ様子の江弥華が、自身の顎を撫でる。

 すかさず、七大十が「あの」と手を挙げた。

「普段、白紙の札ってあんまり売れないんですか?」

 七大十が会話に参加するとは思っていなかったのか、円は一瞬目を丸くした。

 が、すぐに微笑みを浮かべて「いいや」と柔らかく首を振った。

「商品ですらないねん。札ってな、呪文書いて始めて札なんよ。白紙の札ってそれもう短冊やん?」

「他に何を欲しがった?」

 江弥華が割って入った。

「供物団子やね。いきなりお財布ひっくり返してな。一番安いのください言うて、買える分だけ全部持って行ったわ」

「……それはいつの話だ?」

 江弥華が円の横に腰を下ろす。

「そやねぇ」と円は記憶を探り、指を四本折った。

「……うん、四人やね」

 江弥華と七大十が揃って言葉を失った。

「四人おんねん、供物だけ買うてくお客さん。みんな、大体2週間おきかなー。ただなあ」

 と円は頬に手を当てて心配そうに言った。

「来るたんびになあ、目に見えて髪が伸びて白髪が増えとんねん。元々やつれきっとったし、なんや見てられん感じで」

 円が辛そうに目を伏せた。

 悔やむようなその表情に、我慢していたセリフが口をつく。

「……売ったんですか?」

 何かあると分かっていたくせに、という思いが喉につっかえる。

「商売やからね」

 円は当然のように言い切った。

 七大十は声を失った。円が土間に流し目を送っている。

 丁度その時、女中が盆を抱えてやってきた。

 札の山と、三色の団子の山。

 数量を確認する江弥華の横で七大十が目を見開いた。

 転生初日、江弥華の自宅で供物を粉砕機に突っ込んだ記憶が蘇る。

「団子も買えんの?」

 話しかけるなと言わんばかりに江弥華が睨んだ。

 その代わりに円が嬉しそうに答えてくれる。。

「これウチが始めた仕立てなんよ。こない面倒なこと毎度やってられんて声くれて始めてん。手間賃頂くけどな、これが賢いお金の使い方やね」

 円が胸を張る。そして江弥華の数量確認が終わるのを待ってから

「江弥華ちゃん、ウチ考えてんけど、鬼退治んときに煙管に葉っぱ詰める余裕ないやろ思て、コレどうやろ」

 と薄い紙でフィルターと一緒に煙草を巻いた棒を取り出した。前世で七大十が慣れ親しんだ紙煙草だ。

 江弥華が煙草を摘んで眺め、戦闘をイメージするように目を閉じて、煙草を口に運んだり話したりを繰り返した。

「悪くない」

「ほな、用意するわ。二十本でええ?」

「ああ。どのくらいかかる?」

「まだ慣れてへんから……に、三十分は見て欲しいわ」

「……なら、参考書を見せてくれ。準一級昇格試験対策用のやつだ」

「参考書? まあええけど」

 円が女中に指示を出して暫く、分厚い参考書が届いた。

『準一級陰陽師昇格試験対策総覧』

 江弥華が表紙を捲る。

「懐かしいな」と微笑みながら、ページを送る。

 お気に入りの箇所があるのかと、七大十もこっそり覗き込んだ。

 挿絵の一つもない、文字だけの紙面。

『関連法規』の中表紙で江弥華の手が止まり、1ページ戻った。

 例題:現行の効果札及び属性札を用いて、喪失呪術「累影写し」を理論上再現する方法を述べよ。また、倫理的、法的制約についても言及せよ。

 そして設問の最後に但し書きがあった。

 使用は厳禁であると。

 江弥華の指が呪術名を叩く。

 顔を上げれば、江弥華が札の山を見つめて、鼻で笑った。

 江弥華が参考書を閉じて、円に返却する。

「何? ニヤニヤしてー。そない面白いん、これ?」

「いや……」と江弥華が首を振る。

「それには模範解答がないだろ。私の解答が合っているのか、気になってな」

 江弥華が口元に手を添えた。

「あかんえ」

 円がピシャリと言う。

「陰陽師辞めたいん、江弥華ちゃん?」

 まさかと、七大十が見つめる先で、江弥華が虚空を見つめていた。

「大丈夫だ」

 手で隠した江弥華の口元はウズウズと緩んでいた。

 女中が小さな木箱を持ってくる。中には棒状に巻かれた煙草が入っていた。

 江弥華がさらっと数を改めて、金を払う。

 知らない人間の肖像画が描かれた紙幣だった。

「確かに」

 と円が言い、

「また来る」

 と江弥華が煙草を腰嚢に入れた。

 七大十が江弥華に続いて店を出た。

 昼下がりの陽光。路地の日陰にたむろした小さな子供が金平糖を分け合っている。

「戻るの?」

 江弥華の首肯が返ってくる。

 歩き出した江弥華の後ろ姿に声をかけた。

「あの本さ、陰陽師じゃない人も読むのか?」

 微かに振り返った江弥華の顔に影が落ちる。

 七大十を一瞥した、青い瞳が冷たく輝いて見えた。

「さあな」

「でも、だったら、あの女の人はどうやって知ったんだよ!」

「どうでもいいだろ、そんなこと」

 七大十は絶句した。

 江弥華が分からない。この世界の倫理観が分からない。

 立ち尽くした七大十の体を、強引に鎖が引き摺った。

 江弥華に連れられて、加牟豆美桃林の入り口に戻ってきた。

 江弥華が借りてきた鵺に跨って、三度目の移動。

 流石に体が慣れてきたのか、腰の痛みが少なかった。

 そのせいで、考えてしまう。

(――オレが間違っているのか)

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