転生
七大十がこの世界で最初に目覚めたのは、川の中だった。
河原に打ち上げられた体を起こすと、褌一丁の男たちが気を失った人たちを舟に運んでいる。
寝ぼけた頭に無数の「?」が浮かんだ。
(……今日、オレの誕生日で……誰からも飲みの誘いがなくて……そんでベットで酒飲んでタバコ吸って……。あら? そっからの記憶がない……)
「いや待て、もしかして……サプライズ?」
辺りを見渡して陰から見ている友達を探して、気付く。
気を失った人たちは皆、服に血痕が滲んでいた。
ゾッとして七大十が自分の部屋着を確認した。
スウェットの裾が焼け爛れている。
「嘘だろ……!」
搔き毟った髪がチリチリに焦げている。
心臓がギュッと縮んだ。総毛だったのに、汗が噴き出した。
目の前を流れる運河。
喉奥から変な笑い声が込み上げてくる。
「三途の川……?」
七大十がぼそりと呟いた瞬間、
「違うよ」
と真後ろから声がかかった。
飛び上がって振り向くと、10歳前後の少年が興味深そうに七大十を見上げている。
「めっちゃ早いねぇ」
と少年が感心してから、にんまりと白い歯を見せて笑った。
右手を差し出してくる。
「オイラ、かん太。兄ちゃんは?」
「……七大十」
怪訝な表情が抜けないまま、七大十はかん太の右手を握り返した。
するとかん太は嬉しそうに笑って「七大十兄ちゃんって呼んでいい?」と聞いてくる。
その太陽のような明るさが、現状への恐怖や不安そして緊張で凝り固まった心をほだしていく。
「おう、まあ……いいよ」
勝手に眉毛が上下する。自分でも気持ちの悪い返答をしてしまったと、内心恥じ入った。
「じゃあ、七大十兄ちゃん、とりあえず舟に乗ってよ」
かん太が腕を引っ張った。
川のほとりに三隻の舟が停まっていた。ギリギリ十人乗れるくらいの小さな木製の舟。船尾にだけ何枚も鉄板を継ぎ接ぎして、蒸気エンジンが乗っている。
七大十が舟に乗り込むと、甲板の真ん中に、気を失った若い男女が寝かされていた。
女の方は、もこもこのパジャマ姿で、襟から裾に掛けて血痕が残っている。男の方は左半身がボロボロに擦り切れたスーツ姿だった。
七大十はその姿を見て(ああ、そうなんだな)とすんなり受け入れてしまった。
「やっぱオレ、死んだんだな」
口に出してみた台詞はどこか他人事のようだった。
「ま、転生だけどね」
かん太がエンジンの焚口に真っ黒な石を放り込みながら、爆弾発言を放り込んできた。
「え? え?」
と期待と困惑が混ざった顔で、じりじりとかん太に近づく。
かん太がマッチを探しながら「ステータスって言ってみなよ」と一瞬目線を上げた。
七大十ははやる気持ちに従って、右手を突き出した。
「ステータス!」
何も起きない。
「ステータス・オープン!」
やっぱり何も出ない。
「ね、異世界でしょ?」
かん太がエンジンにマッチの火をくべながら言った。
エンジン上部の排気口から黒煙が立ち上り、内部からシュッシュッと音がする。
「いや……ステータス見れるんじゃないの……?」
七大十がおずおずと尋ねると、かん太は不思議そうに首を捻った。
「ん? 七大十兄ちゃんの元いた世界がステータス見れるんでしょ? だって目覚めた転生者がみんな言ってたよ? スキルがどうとかレベルがどうとか、よく喚いてたけど……」
「いや――」
七大十がかん太の誤解を解こうとしたとき、舟に男が二人乗り込んで来た。
彼らもやっぱり褌で、素肌の上に煤で汚れた羽織を着ている。
そして最後にもう一人、2メートル超の筋肉ダルマが川から舟の縁に手を掛けた。
舟がぐわんと大きく揺れて、乗り込んだ大男が船首に腰を下ろす。
「大悟郎親方だよ」とかん太が小声で呟いた。
その大悟郎も、例にもれず褌一丁。
全身に隈なく入れ墨を刻み、首と名の付く部位に何重にも数珠を着けて、耳にはこれでもかとピアスを開けている。
何より目を引いたのは彼の右腕。アームレスラーのように太い腕からいくつもの金塊が張り出していた。
「出せ」
と泣く子の親ごと卒倒しそうな圧のある声が森に響き、三隻の舟が進み始めた。
かん太の舵で早歩きくらいの速度で舟が進み、河岸から離れていく。
「あ!」と七大十が腰を上げた。
「ちょっと待って。まだ人が残ってる……」
と河原で横たえた老人を指差した。
「アレは殿さんだ」
船首から低く響いた。大悟郎が片眉を釣り上げて嗤っている。
七大十がもう一度老人を見るが、チェックか柄のセーターで当然まげを結ってはいない。
怪訝に眉を顰めた七大十に、かん太が口を挟んだ。
「牛鬼が来ても、あの転生者を食べてる間に逃げられるでしょ。だから置いていくの」
「つまり殿だ」と大悟郎が補足する。
(だったら、その牛鬼が出てきてからでもいいだろ。遭遇してもないのに殿もへったくれもあるかよ)
という台詞が喉をつつくが、大悟郎が怖くて言えない。
情けない自分に落ち込みながら、老人から逆方向に目を逸らした。
そんなことはお構いなしにかん太が七大十の肩を叩く。
「牛鬼ってのはね」とそれは無邪気な表情だった。身振り手振りで牛鬼の恐ろしさを教えてくる。
「人の顔にね、牛の角を生やしててね。蜘蛛の体で、この舟よりも大きいんだ。そんでね、人間を虐めるのが大好き。逃げる人間を蜘蛛の糸で捕まえて、鎌みたいな足でちょっとずつ、ちょっとずつ、切るんだよ」
ずいぶんと詳細だった。まるで見たことがあるみたいに、と七大十は思ったが、きっとあるのだろうと思い直した。何せここはそういう世界らしいから。
「へー、それは怖いな」
七大十はかん太の会話に付き合ってあげることにした。
そうすれば、船首からずっと見てくる大悟郎に背を向けられるし、老人のことも少しは忘れられそうだと考えたからだ。
「でしょぉ!」とかん太が嬉しそうに歯が覗かせてから、怖がらそうと声のトーンを一段下げた。
「この森には牛鬼がうじゃうじゃいるんだよぉ……。今にも、あの木の影から出てくるぞぉ……!」
かん太が舌を出して恐怖を演出する。
七大十は自分の肩を抱き、「マジか。怖いな!」と辺りを見渡した。
日本のどこにでもあるようなただの森にしか見えない。しかし鬼がいると言われたからか、何となく空気が普通より湿っているような気がした。
その不安を増長させるように。
――カン。
と老人を置いてた河原の方角から、誰かが木を叩いたような音が聞こえた。
すっと大悟郎が立ち上がり、音がした方向へ目を眇める。
――カン。
さっきよりも少し大きい。近づいて来ている。
大悟郎が並走する2隻に目線を送った。七大十も追うと、それぞれの舟に、2人の人物が大悟郎に目線を返していた。
狩衣の優男と幽霊のように立ち尽くした赤いワンピースの女。そして、マタギの男とずっと頭を振っている学校指定ジャージを着た男子。
女と男子も多分転生者だと、七大十は直感した。
しかし彼らの胸から錆びついた鎖が伸びている。そして鎖の端は、優男とマタギの手の中に握られていた。
七大十は怪訝に眉を顰めた。何だか薄ら寒いものを感じる。
――カン。
音が七大十の意識を引き戻す。
――カン、カン、カン。
間を置かず鳴り続ける音が、確実に近づいてくる。そして
カン……カンカン、ガンガンガン——!
急速に接近してきた。
音の正体を確認するより先に、大悟郎の号令が響いた。
「全速前進!」
蒸気エンジンが唸りを上げる。
排気口から炎が噴き出し、爆発寸前に振動する。
しかし速度はやっと小走り程度。
森の中の木が音を立てて倒れ、地鳴りのような足音が接近する。
追いつかれる。
どうすんだと大悟郎を仰げば、暢気に団子を食べてやがる。
カッとなった七大十が息を吸った瞬間、大悟郎が腕を振った。
白い物体が七大十の横顔を掠めて、ビタンとエンジンに当たる。
見れば四枚の札がタンクに貼り付いていた。
青く光った「纏」と「風」の文字。
大悟郎が静かに唱えた。
「纏・肩掛風三郎」
煙突の炎が微かに揺れたと思った瞬間、船首が持ち上がるほどの急加速。
バランスを崩した七大十が甲板に手をついた。とても立っていられない。嵐の中にいるみたいだった。
「うああああ!?」という七大十の叫びが一瞬で掻き消え、大量の飛沫が口に入ってくる。
舟の縁にしがみ付いた七大十。
気を抜けば体が吹き飛ばされそう状況にも関わず、かん太が七大十を呼んだ。
「石炭! 入れるの! 手伝ってー!」
七大十が反射的に頷く。蒸気エンジンまでの水平な崖を進み、石炭が入った木箱を支えに体を起こした。しかし石炭を入れるスコップがない。
「かん太ー! スコップはー?!」
「どっかいったー!」
七大十が仕方なしに素手を石炭に伸ばした時だった。
川岸の地面が爆ぜた。
振り返る。
飛沫の中に黄みがかった八つの目玉。
牛鬼の顔面が視界を埋め尽くした。
振り上がった鎌のような脚。
見開いた七大十の視界の中で、やけにゆっくりと降りてくる。
そこへ
「オォォオオオ!!」
金塊の拳が横切った。
大悟郎の右腕が牛鬼の顔面に減り込んで、その巨体を殴り飛ばす。
川底に叩きつけられた牛鬼の巨体。水柱が樹上まで上がった。
「さすがに逃げ切れんか……」
と呟く大悟郎の右腕は、太腿よりもずっと太く、メリケンサックのように拳から金塊が突出している。
「腹ぁくくれよ、てめえら……」
大悟郎の命令に「応」と男たちが静かに応えた。
大悟郎が再び団子を口に運ぶ。右腕から金塊が隆起する。
ざばん、と牛鬼が体を起こした。水面から上げた顔面が半分拉げている。
恨みに塗り潰された八つの目玉が、
「……なに? 何でだよ……?」
後ずさる七大十を睨んでいた。
その視線を青く光った札が遮った。
「さあ来いや、蜘蛛野郎」
大悟郎が獰猛に歯を剥く。




