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報告と責任

 山から降りる頃には、太鼓の音は止んでいた。

 一つ、また一つと明かりが消えて、夜に沈んだ根寝占村は村人の寝息が聞こえるほど、静かだった。

 その中で、まだ煌々と明かりを灯した一軒家。村の中で唯一土塀で囲まれた豪邸に、江弥華と七大十は通された。

 地主の家だ。

 その奥の間で、ズズスッ、と七大十はうどんを啜った。

「果物から食べるの珍しいね」

 隣に座った江弥華に話しかけた。

 江弥華は黙々と、ドライフルーツみたいな、茶色いシワシワの何かを食べている。

「加牟豆美桃だ」と江弥華が答え、「体内の鬼素を抜くための薬だ」とまた口に運んだ。

 七大十が鼻を鳴らして傾げる。

「そんなに臭いしないね」

「酒と日光で飛ばしてるからな」

「……まさか、手作り?」

「市販だ。食べてみるか?」

 二人の間に置かれた小鉢に、七大十が箸を伸ばす。

 食感はドライフルーツそのもの。しかし味は、

「……無味……」

 渋面した七大十を江弥華が鼻で笑った。

「味がない方が飽きないだろ」

「え、毎日食べるの?」

「毎食だ」

「……この世界の人、みんな?」

「人による」

 と、江弥華が桃を平らげて、あら汁を流し込んだ。

 ちゃんと咀嚼している顎の動きを見てから、七大十は自分のあら汁を箸で混ぜた。

 汁椀の中で、数切れの小さな豆腐とネギだけが泳いだ。

 七大十が「あれ?」と首を傾げる。

 江弥華が、皿からはみ出るほど大きな鯛の煮つけを箸でほじくるが、七大十のさらには小ぶりな魚が三匹しかなかった。代わりに皿の余白を埋めるようによそわれていた大根を口に運ぶ。

(美味い。……美味いんだけど……)

 七大十は釈然としない顔で大根を飲み込んだ。

「……これさ、言っていいか分かんないんだけど……。オレの料理だけめっちゃ質素じゃない……?」

「おかわりとを頼めばいいだろ」

 言って、江弥華が茶碗蒸しの蓋を取った。七大十の盆にはない品だ。もくもくと上がった湯気を見ながら、納得いかないと首を傾げた。

「夕飯はお気に召しました?」

 と襖が開いて、地主が入ってきた。

 いきなり入ってきたくせに、不安げな顔で江弥華の顔色を窺っている。

「問題ない」

 という江弥華の答えに、

「ああ良かった。奮発した甲斐がありました」

 地主が胸を撫で下ろした。

 地主が江弥華の対面にドカッと胡坐をかいた。地主が前のめりに体を傾けた。

「――して、何が分かったんですか?」

 江弥華は魚の身をほぐしながら言った。

「その前にまずーー、貴方は猩々がいない状況を不思議に思わなかったのか?」

 まるで世間話を始めるような口調だった。

 地主の目が、一瞬、言葉を探すように左右に揺れた。

 七大十が内心ニヤニヤしながら、地主の言葉を待った。

「お、思いましたとも!」

 地主が唾を飛ばして言い張った。

 七大十が唾の軌跡を目で追って、胸を撫で下ろす。

(――危ねえ……! 江弥華の料理にはかかってない)

 しかし地主は、なおも唾を飛ばして抗議する。

 七大十はそれを聞きながら、おしぼりを渡すタイミングを探した。

「しかし我々には稲刈りがあります! 納期があります! 人手に限りがございます!」

 ダン、と地主が机を叩いた。

(ここだ)と思うより早く、江弥華がおしぼりを地主の前に投げる。

「……失礼」

 地主が不服そうな顔を赤くして、おしぼりを口に当てて喋る。

「……猩々がいない、大いに結構でございます。寧ろ有難い。猩々に時間も人も割かなくていいわけですから。正直、猩々がいない原因の究明なんて、稲刈りのあとで良かった。もとからその予定でしたしな!」

 本当に調べるつもりだったかは疑わしいが、地主の言い訳は概ね筋が通っている。

「うん……」と漏らした七大十の声を、耳聡く拾った地主がニヤリと笑った。

「それが農家の常識です。鬼の居ぬ間に稲刈りですよ」

 言い切った地主が膝叩いてふんぞりかえる。その顔は『勝った』と書いてあるようだった。

(くそぉ……)

 と思う反面、納得できる。

 しかし七大十は江弥華が言い負かされるところを見たくなかった。

 黙って食事を続ける江弥華に

(言い返せぇ……、言い返せぇ……)

 と念を送る。

 江弥華が静かに箸を置く。

 そしてピンと伸びた背筋が、江弥華の声を響かせた。

「その通りだ。理は、あなたにある」

 唖然とする七大十の前で、江弥華が頭を下げた。

「責める意図は無かったとは言え、言い方が悪かった」

 そして、

「済まない」と。

(そんなことない!)

 ガタリと七大十は反射的に腰を浮かした。しかし、胸の鎖がピンと突っ張る。

 思わず江弥華を睨んだ七大十を、江弥華の鋭い視線が一瞥した。

 そして青い瞳がドヤ顔の地主を射抜く。

「――だが、貴方の村を疑っていない訳ではない」

 瞬間、――ダン!

 地主が両手を机に振り下ろした。

「違う!」

 と、立ち上がった地主が怒号を放った。

「根寝占村は無関係だ! 江弥華殿も我々に理があると言ったではないか!」

 太い人差し指を江弥華の澄ました顔に突きつけた。

 部屋がしんと静まり返った。

 七大十と地主が江弥華の言葉を待った。

 一触即発の空気の中、江弥華がゆっくりと所作で頬杖をつく。「ふっ」と小さく笑って、地主に上目を送った。

「利はあるだろう? 利益の利が」

 ガッと地主の目が大きく見開いた。怒りを堪えて鼻息が荒れる。血管が浮かんだ首筋。噛み付かんばかり歯を剥いて、大きく息を吸い込んだ。

 地主の怒号に備えて七大十が身構えた、ときだった。

「冗談だ」

 江弥華が笑った、悪戯が成功した少女のようにあざとく。

 七大十はその笑顔に魅入ってしまった。地主もポカンと立ち尽くしている。

 口を半開きにした七大十が見つめる中で、江弥華は何事もなかったように、地主の湯呑に茶を注いでいる。

「まあ、座れ」

 コトン、と目の前に置かれた湯呑を、地主は目を剥いたままで見つめる。

(……もう、座るしかないぞ)

  七大十が内心で語りかけた。

 地主の下唇が震えていた。何度か口が開いたが、何も言葉は出なかった。

 しかし観念したように目を閉じて、溜息と一緒に胡座をかいた。

 その一連の動作を見届けた七大十が江弥華の横顔を盗み見る。

 江弥華が薄く笑って目を閉じた。

 そして瞼を開くと、青い瞳が憂いを帯びていた。

 次いで、落ち着いた声が七大十の耳を撫でた。

「穴があった」

 語る江弥華は妖艶だった。まるで悲しい事件を思い出す夫人のように畳の上に流し目を送り、

「……穴があった。」

 と繰り返す。

「山の中腹よりも少し手前。臭いがした」

 江弥華は頭に映像を浮かべるように瞳を閉じて続ける。臭いを思い出したのか、眉間に皺が寄る。

「……肉と臓物が腐った……そんなひどい臭いだった……」

 七大十は隣で見惚れつつも困惑した。

 江弥華が同じ人物と思えなかった。あまりにも表情が、豊か過ぎる。

「私は臭いの元を探した。そして見つけた、大きな穴を」

「……ふむ」

 地主が唸った。記憶を探るように机の角を見つめる。

「あの辺りは、たしか……」

 と、地主が湯呑に手を伸ばした。

 七大十の視界の端で江弥華が口元を隠したのが見えた。

 細めた瞳から憂いが消えている。

 横目に映る江弥華の本音の笑み。

 氷山の底を繰り抜いたような青い瞳が、釣れた獲物を見るように、わずかに薄く笑っている。

 ゴクリ、と七大十の喉が鳴った。

 パン!

 と、何も知らない地主が手を叩く。

「落とし穴だ!」

「……そう、落とし穴だった……」

 そっと目を閉じた江弥華が品のある声音で頷いた。

「そして……中に、十体の猩々が死んでいた」

「ほう……!」

 地主がまるで物語を聞く子供みたいに身を乗り出していた。

(——さっきまでの激怒が嘘みたいだ)

 七大十は、湯呑を握りしめた地主の手を見て思う。

「——だが、落とし穴に嵌ったんじゃない。投げ込まれたんだ」

 江弥華の言葉を聞いて、地主がわずかに頭を傾げた。

「だから——」

 と江弥華が七大十を一瞥して続ける。

「——猩々の一体を引き上げさせた」

 と。

(————させた、か……)

 ただの使役動詞だ。

 けれど自分も一緒に調査していたことを示す動詞だ。

 上下関係はあれど、仲間に使うような、そんな言葉な気がする。

 七大十は胸が温まるのを感じた。口元は引き結び、噛み締めるように深く息を吐いた。

「ちょーっと、待ってください!」

 地主が右手を江弥華に突き出して言った。

 感傷に浸っていた七大十が現実に引き戻され、地主を睨んだ。

「なぜ、猩々が投げ込まれたと思ったんです? その根拠は?」

 と、地主は真剣な顔。しかし七大十は、地主の目の奥に嘲りがあるのが分かった。

「逆に問おう。落とし穴に落ちたことはあるか?」

 隣から、いつもの調子に戻った江弥華が問うた。

「え……?」

 そう声を漏らしたのは、地主なのか自分なのか分からなった。

 江弥華は、さっきまでの悲しみに暮れた貴婦人など最初からいなかったとばかりに、顎を上げて、地主を見下している。

 地主も七大十も面を喰らった。

 同時に、七大十は内心焦った。

 江弥華がお茶を注いだのも、演技していたのも全て、根寝占村の誰かが猩々を殺し回っている現実を、地主に受け止めさせるためだと思ていた。

(———ここで演技を止めたら、コイツは絶対にこの問題から逃げるぞ)

 だが、七大十の予想に反して、地主は汗を拭いながら江弥華の問いに答えた。

「……そりゃあ、まあ……ありますとも。男児皆が通る道ですから」

「ならば、教えてくれ」

 今度は江弥華が身を乗り出した、小首を傾げるおまけ付きで。

 江弥華が尋ねる。

「隠してもいない落とし穴に十人も落とすことは可能か?」

「いいや」

 と、答えた地主の眉が得意げに持ち上がる。

「十体とも、全く同じ体制で落とすことは?」

「不可能」

 と、若い子に教えを垂れるように地主の頬が緩んでいる。

 しかし———。

「猩々十体の顔面に、等しく竹槍が刺さるように落とすことは?」

 その問いで、地主が口を一文字に引き結んだ。

 真意を探るように江弥華を見やり、ゆっくりと口を開く。

「……無理です、絶対に」

 言って、「ズズズ」と茶を喉に流し込んだ。

 コトリ、と空になった湯呑が机に当たって音を鳴らす。

「我が村の、住人をお疑いでしたね……?」

 地主がそう呟いて、上げた瞳に静かな怒りが宿っていた。

「その状況証拠なら鬼の仕業としか、考えられませんが?」

 ひどく丁寧な言葉遣いだった。

(……確かに。——さあ、どうする、江弥華?)

 と七大十が隣に視線を送った。

「私も最初はそう考えた……」

 と江弥華が懐に手を忍ばせる。そして一枚の紙切れを地主の前に滑らせた。

 猩々の顔から剥がした燃え残りの札だ。

 地主は目を剥いてそれを凝視している。額に浮いた汗が、地主が札を知っているということを教えている。

 分かるんだ、と七大十が思った横で、江弥華が札を回収した経緯を説明した。その間、地主は札から目を離さなかった。

「———札が燃え残るのは、呪素を均一に充填出来ていないからだ。呪術を覚えたばかりの初心者が最初に躓くところでもある」

 と江弥華が言って、札を摘まみ上げて地主の視線を上げさせる。

「——貴方の村に、陰陽師を目指している者はいるか?」

「いいえ」と地主の首が小刻みに震えた。

「見たことも聞いたこともございません」と付け加える。

 そして、半ば縋るような表情を浮かべた。

「他の陰陽師の可能性はございませんか?! 去年お越しくださった陰陽師殿のものか、……もしくは、別の任務で山に入られた陰陽師殿のものとか……!」

 江弥華が目をすがめて顔を傾けた。地主を上目遣いに睨みながら、紙片を指で叩く。

「先も言ったが、札が燃え残るのは初歩的な失敗だ。その段階で試験を受けても陰陽師はなれない。あと、現行呪術に鬼に札を貼る呪術は存在しない」

 江弥華の声が低かった。

「いや……その……ハハッ、そうなんですか……」と地主の目が泳いだ。顔中を汗が流れ、地主は袖を何度も顔に押し当てた。

 七大十が視線を感じて地主を見ると、地主が袖の間から助けを求める視線を送っている。

(はあ?)

 と思いながらも、ずっと気になっていたことを聞くことにした。

「あのさ、呪術って誰でも使えるの?」

「当然だ。正しい手順を踏めば誰でも使える」

 江弥華が面倒臭そうに答えた。

「あー……そうなんだ……。そっか……」

 七大十が膝に視線を落とした。

(誰でも出来る。なら……オレにも出来るってことか?)

 試しに、机の下で人差し指と中指を立てて、札を構える真似をした。

 しかし、(———違う)と江弥華を見た。

(誰でも出来るものの中で、一流になることが凄いんじゃないのか……?)

 七大十が、江弥華の階級章を見て、拳を握った。何故か無性に誇らしく、俯いた顔が緩む。

「村で特異な呪いが流行っていないか?」

 と、そんな七大十に気付きもせず、江弥華は質問を重ねた。

「そういう報告は、上がってない……ですね……」

 たはは、と地主が誤魔化した。

 江弥華の眉間に皺が寄る。質問を重ねるごとに声が低くなった。

「村の空気感はどうだ?」

「いやぁ……」

「……噂話とか、入ってくるだろう?」

「ん〜……」

 江弥華が眉間の皺を揉み解し、

「なら、罠の管理は誰がやっている?」

 と、ため息混じりに聞いた。

「ああ、それなら」と地主の顔が華やいだが、すぐに難しい顔に戻った。そして首元の汗を拭きながら、江弥華の顔を上目遣いに覗き込む。

「あの、何故それを聞くのでしょう? 何か関係があるのでしょうか?」

(もう答えろよ!)

 七大十が内心、悪態を吐いた。

 江弥華も同じことを思ったらしい。今にも舌打ちが出そうな顔だ。

「……古い餌を残したまま、新しい餌が置かれていた。猩々は馬鹿じゃない。何でもすぐに学習する。……だろ?」

 さすがに地主が頷いた。しかしその惚けた顔が神経を逆なでする。

「で、管理者は?」

 江弥華が投げやりに尋ねた。

 地主は、今から言いにくいこと言いますよと、スーッと音を立てて息を吸った。

「実は、門番の倅に任せていたのですが、最近は猩々も居らんということで、流民の男衆に罠の見回りと餌の取り替えを任せておりました」

 江弥華と七大十が揃って頷く。

「……流民……緋猪岩の民か」と江弥華が言った。

「へえ……。稲刈り時期の人手不足解消に招致しました。しかし……猩々がいないのに、罠の管理をさせるのは横暴だー、と反発がありまして……。それならやらなくていいと言ってやったのです」

「だが、新しい餌は設置されている」

「いや~、流民の中に誰か責任感の強い者がいるんでしょうな~」

「それが誰だかは?」

「すみませんが、分からんです……」

 奥の間に沈黙が下りた。

 江弥華は、何か言いたげに地主を見るが、軽く頭を振って視線を外した。

 地主の鼻息だけがはっきり聞こえる。

 部屋の外から、ダダダダ———と足音が聞こえ、襖が勢いよく開いた。

「優二が! 優二が!」

 と十歳くらいの男の子が半狂乱で叫んだ。

 立ち上がりかけた七大十を鎖が無理やり座らせる。振り向けば、江弥華が面白がるように目を細めていた。

「どうした!?」と地主が腰を浮かす。

「すみません!」

 と、今度は十五歳前後の男子が飛び込んできた。その男子が、半狂乱の男の子の頭を鷲掴み、一緒に土下座する。

「栄一郎様、子供が一人居りません! 草履が……草履が……! 厠に片方だけ落ちておりました!」

 男子が床に向かって叫んだ。

「優二です! 弟です!」

 そう言って顔を上げた男の両目から涙が溢れていた。震える体が再び頭を下げる。

「……お願いします……! 優二を探してください……、もうたった一人の家族なんです……!」

 呻くような声だった。発狂する自分を押し殺すように、自分の襟元を硬く握りしめている。

 最初に動いたのは七大十だった。

 立ち上がり、部屋を飛び出さんとするが、鎖がそれを許さなかった。

 七大十が振り返り江弥華を睨むが、江弥華が鎖を握ったまま、地主に視線を送っている。

「異常事態をほったらかしたツケ、とまでは言わないが。——猩々がいなくなって、矛先が人間に向いたようだな」

 そして江弥華が鼻で笑う。

「さもありなん、てところだ」

 地主が頭を抱える。

「……どうしたら良かったんだ」

 そして縋るように江弥華に、その蒼白の顔面を向けた。

「どうすれば……私はどうすればいいですか……?」

 江弥華がゆっくりと立ち上がった。冷たい視線が地主に降り注ぐ。

「責任」

 と江弥華が言った。

 地主の顔が絶望に染まる。

 江弥華が腰を曲げて地主に顔を近づけた。

 流れ落ちた青髪がまるで釣り糸のように垂れ下がった。

 窓の外で、月が軒下から顔を出して、部屋を覗く。

 そのとき、江弥華の蠱惑的な囁き声が耳朶を打った。

「責任……取りたいか?」

 七大十の鼓膜に、江弥華の蠱惑的な声が染み込んだ。

 地主の表情に希望が差し込んだ。まるで目の前に天使が舞い降りたかのように、震えた両手を江弥華に伸ばす。

「取りたくない」と地主の首が右に振り始めたのを、江弥華は口角を吊り上げて見守った。

 しかし寸でのところで「いや、でも……!」と地主が思い止まる。

「報告は私がしよう」

 江弥華が言った。

「はあっ?!」と地主が顔を上げた。心が揺れ動いているのが手に取るようだった。

「内容は、そうだな……。猩々十体の死骸を確認。強力な鬼の出現の恐れあり。住人への直接被害は現状確認できず、ってところか」

 江弥華が悪い笑みを浮かべた。

(嘘は言ってない。でも真実を全て言ってもいない)

  地主も同じことを感じたのだろう。生唾を飲み込んだ拍子に、顎がコクリと上下する。

「どうだ、私の案に乗らないか?」

 江弥華が囁いた。

 地主が亀のように首を伸ばして、小刻みに小さく、だが確かに頷いた。

「なんで!?」

 悲鳴じみた男の子の声。

「弟が消えて、なんで被害なしなんだよ!?」

 その言葉が、呑気に江弥華の弁に関心していた七大十の胸に重くのしかかった。

 地主も保身に終始していたことを恥じるように顔を伏せている。

 しかし江弥華だけが冷めた青眼が子供二人を見下ろしていた。

「……散歩してるだけなんじゃないか?」

 江弥華の一切の感情も籠らない声が奥の間に響いた。

 男の子の顔が絶望に染まり、隣で聞いていた十五歳男子が激昂した。

「んなわけねえだろ!」

 江弥華に掴み掛らんと襖の敷居を跨ぐ。

 七大十が慌てて間に入った。

 ズカズカと部屋に押し入った十五歳男子の顔に赤い団子が当たって、七大十は慌ててそれを拾って食べた。

 鉤骨を十五歳男子の首元へと向けた。

 男児の足が急ブレーキを掛ける。悔しそうに顔で鉤骨を一瞥して、怒号を江弥華にぶつけた。

「偉そうにしといて、結局、男に護ってもらうのかよ! 陰陽師つっても、やっぱりただの女なんだなァ!」

 そして最後に小さく「クソが」と小さく付け足した。

 その物言いは、どこか負け惜しみに聞えた。

 怒りに染まり江弥華を睨み続けるが、七大十には江弥華が怒ってくれるのを望んでいるように見えた。

 江弥華がゆっくりと文節を切りながら言った。

「直接、被害を、現状、確認、できず、だ。貴様は十を超えても人の言葉が分からないのか?」

 七大十は、江弥華の嘲笑が目に浮かぶようだった。

「だから被害が出たって伝えに来たんだろうが!」

 男子が叫んで前に出た。鉤骨の先が彼の喉元に当たり、一滴の血が流れ――。

「やめぃ!」

 野太いが怒声が奥の間を揺るがした。

 地主だ。

 部屋に駆け込んだ二人を厳しい眼差しで睨みつけ、大きく息を吐いた。

「今は言い争っている時ではない」

 地主らしくない、やたら落ち着いた声だった。

「江弥華殿、うちの者が失礼した。我々はどうしたら良いか、指示を頂けないだろうか」

 まるで人が変わったように、地主が責任者の顔で頭を下げた。

 目を丸くする七大十の後ろで、江弥華が「そうだな」と指示を出す。

「まずは厠を案内しろ。そして村の人間全員を貴様の家の前に集めろ」

 地主が頷く。

「では案内は私が。その間にそこの二人に私の家の前に集まるように伝えさせましょう」

 そして地主は子供二人に視線を移して「分かったな?」と顎をしゃくって指示を出した。しかし当の二人は決まりが悪そうに俯く。

「緋猪岩の連中なら聞いてくれると思います。……でも、根寝占村の方たちは俺らの言葉なんか聞いちゃくれません……」

「……うん。きっと門前払いです。玄関に出てきてもくれないと思う……」

 地主が腕を組んで鼻息を鳴らし、厳かな声を響かせた。

「なら俺の名前を使え」

 と。

 地主が今日一、輝いて見えた。

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