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猿塚

「うっ……!」

 穴を覗き込んだ七大十が口を抑えた。

 穴の底から逆鉾の竹槍に、十体の赤毛の猿が串刺しされて死んでいる。

「……妙だな」と横から江弥華の冷静な声を聞いた。見れば、江弥華が平然と猿の死骸を見下ろしている。

「猩々の頭の向きがおかしい」

「コイツが……猩々……」

 呟いて、七大十が確認する。

 確かに、猩々の死に様は共通していた。

 猩々の死骸のすべてが頭を下にしている、まるで落とし穴の竹槍に頭からダイブしたみたいに。

「まさか、自殺した……?」

「フン、人間じゃあるまいに」

 と、七大十がボソッと呟いた言葉を、江弥華が一笑に伏す。

「普通、落とし穴に落ちたら、どう落ちる?」

 と江弥華が聞いてきた。

 七大十は引っ張り出した前世の記憶の中からドッキリ番組の映像を思い浮かべて答えた。

「……足から、落ちる」

「だろう」と江弥華が頷いた。

「野生の生き物が自殺するとは考えにくい。しかも十体以上が同じ場所で。……ならば何者かに投げ込まれたと考えるのが妥当だろう」

 江弥華が穴の中を睥睨して呟いた。そして江弥華が腰嚢に手を入れた。

「まあ、死骸に真偽を教えてもらおうじゃないか」

 言って、江弥華が団子を投げ寄越した。七大十が慌ててキャッチする。手の上に青色の団子が転がった。

「引き上げろ」

 血も涙もない命令と共に渡された山芋由来の青い団子。

「えぇ……」

 団子と死骸を見比べて、七大十が食い渋る。すると江弥華は「一体でいい」と呆れ混じりに鼻で笑った。

「一体……一体ね。よし、食べるから……よし……よしッ!」

 七大十が意を決して団子を頬張った。

 逆剥けを剥かれたような鋭い痛みが肘まで駆け抜け、皮膚と筋肉が紐上に解けて広がった。

「痛った~……まだ慣れねえな~」

 七大十が感覚を確かめるように、バラ鞭に変わった両腕を軽く回す。

「早くしろ」

 江弥華にせっつかれて、

「あーはい、一体ね。——一体だけだからね!」

 七大十は掛け声代わりに念を押して、串刺しの猩々一体に向かって、腕を振り下ろした。ビュンという空を割く音と共に、肘先の肉紐が伸びて猩々の死骸を絡め取る。

 瞬間、ぬるッ——、とした感触が全身を駆け抜け、総毛立った。

「ひやぁ~~!?」」

 七大十の喉から細く甲高い悲鳴が漏れる。

 一刻も早く死骸を離したくて、竹槍から引き抜こうと力を入れた。

 ぬずッ——と肉と皮がずれたのが分かった。

「皮だけ回収しても意味がないぞ」

 江弥華が無責任に言ってくる。

(んなこと分かってるよ!)

 七大十が内心怒鳴り返し、

「ひぃいぃぁあぁあぁ~~~~!!」

 と、七大十が目を固く瞑り、苦悶の表情で力を入れた。

 石油色の腐敗した体液が七大十の肉紐を伝って糸を引いて滴り落ち——。

「ん〜〜、どうじゃあ!」

 と、一思いに引き抜いた死骸を地面の上に投げ捨てた。

 ぐちゃん!

 と周りに腐敗した体液が飛び散る。

 同時に鬼態術の効果が切れた。

 肉紐——解けた皮膚や筋線維——が、絡み巻き付き束になって、元の形に戻っていく。

「待って! 拭かせて! ——あ、江弥華、お願い拭いて!!」

 しかし七大十の懇願虚しく、江弥華に両腕を突き出した時には、皮膚の亀裂がスーと修復された後だった。

「マジで、最悪……」

 七大十が両腕をだらんと垂らした。

 腕の中に入った汚水が体に染み込んでくるような不快感。

 七大十が腕をかきむしったりつねったりを繰り返す横で、江弥華は淡々と猩々の死骸を検め始めた。

「……顔に何か……張り付ているな」

 江弥華の言葉に、「ああ、そうなん?」と七大十が木のない返事を返した。腕を掻きながら、一応と、猩々の顔を覗き込んだ。

 竹やりで貫かれた顔面に一枚の紙が張り付いている。

 しかし血で茶色く変色し、何か書かれていたとしても読めないだろうと思った。

「……ん?」

 と、死体の顎の下を覗き込んだ江弥華が声を上げた。

 七大十も一緒に除きむと、死骸の顎の下で紙の端がわずかに捲れていた。

 江弥華が端を摘まんで、破れないようにゆっくりと剥がし——出てきたのは想像通りの猿の顔。そして江弥華が摘まみ上げたその紙は短冊のような長方形だった。

「それ、札じゃない……?」

 と訊いた七大十に、江弥華は「ああ」と首肯する。そして無造作にその札を捨てて、立ち上がった。

「ため池までもうすぐなはずだ。行くぞ」

 言って江弥華が登り始めた。七大十が肩を落としてその背中を見つめる。

 とても追う気にはなれなかった。

(マジかよ……。便器に手突っ込むより嫌な思いしたのに、紙切れ一枚剥がしておしまいかよ)

 七大十が内心で悪態を吐くが、追わなければならない。

(もうそろそろ、鎖が引かれな……)

 立ち上がる直前に、七大十は何となく猩々の死骸を一瞥し——。

「ん?」

 と違和感を覚えた。

 仰向けの死骸の足が、左右で厚みが違う。

(右膝の高さが、左よりも一段低い……気がする)

 七大十は、然したる抵抗もなく、死骸の右足を持ち上げて——目を見開いた。

 太腿の肉を噛みちぎった丸い歯型。

 七大十は気付けば、江弥華を呼び戻していた。

 歯型を見せた瞬間、江弥華の瞳が、さっき捨てた札を見る。

「供物に……したのか……?」

 と、声を震わせて江弥華が背後を振り返った。

 七大十が追った視線の先で、落とし穴が口を開けている。落ちてくる獲物を待っているというより、中から化け物を吐き出そうとしているように。

 七大十が生唾を飲み、穴の中に目を凝らす。

「……ため池まで、行く必要はなさそうだ」

 と江弥華が言った。

 七大十が江弥華の横顔を見ると、落とし穴から左にずらした一点を見つめていた。

 穴からほど近い木の根元。

 不自然なほど一箇所に集めまった枝の山と、燃えカス。

 明らかに焚火の跡だった。

「誰かが……野宿してる? こんなところで……?」

 七大十が息を飲んだとき、

「キィーー!」

 と山の奥から金切り声が響いた。

 横目に、江弥華が腰の雑嚢に手を忍ばせたのを視界の端で捉えた。

「――よし……来い……!」

 七大十は自分しか聞こえない声で気合いを入れて腰を落とし、山の奥を睨んだ。

「キィ! キィー!」

 甲高い声が一直線にこちらに近づいてくる。

「……猿?」と七大十が眉を顰めたと同時。

「猩々だ。内臓は傷つけるなよ」

 後ろから江弥華の指示が飛んでくる。

 山の奥から赤い輪郭が浮かび上がった。

 赤い獣毛に覆われた小柄な体躯。折れた左腕を引きずって、息も絶え絶えに、山の斜面を駆け降りて来る。

 何かから逃げる、その猩々の顔面は、恐怖に怯えた人の顔。顎に付いたイボのような大きなホクロが何度も後ろを振り仰ぎーー七大十と目が合った。

 時が止まったかのように、猩々が動き止めた。

 みるみると絶望に歪む男児の顔。

 人面ゆえに、猩々の感情が手に取るように分かった。

「……胆嚢はもういい。顔は傷つけるな」

 と江弥華が赤い団子を七大十に渡した。

 七大十は、後ろと自分とを見比べる猩々から目を離さずに、その団子を口に運んだ。

 七大十の指先から鉤骨が伸びーー。

 猩々が決死の形相で襲いかかって来た。

「キシャァー!!」

 猩々が土を蹴り上げ、飛び掛かり、顎門が開く。

 黄ばんだ牙が糸を引き、七大十の視界を埋め尽くし、

「うあああああ!!?」

 がむしゃらに振った鉤骨が、猩々の腹に突き刺さった。

 だが猩々の勢いまでは止められない。

 猩々が七大十の体に組み付き、肩に牙を突き立てーー七大十の視界が、ぐにゃん、と歪んだ。

「うああああ!?」

 七大十の悲鳴が上がる。

 体に火がついたように一気に熱くなり、競り上がった胃酸が喉を突く。

 七大十が千鳥足でよろめいた。

 後ろへ倒れる最中、「ああ!!」と猩々を振り払う。

 七大十は地面に頭をぶつけながら、「ギィ!」という悲鳴を聞いた。倒れ込んだ視界に、すぐさま立ち上がった猩々の背が逃げていく。

 ――同時に。

「チッ」

 江弥華の舌打ち。

 見上げた先で、江弥華が札を振り下ろした。

「発・磊投破家(らいとうはか)

 札の軌跡から撃ち出された礫が、逃走する猩々の足元を撃ち抜いた。

「ギィ……ィィ……」

 捲れ上がった土に埋もれて、猩々は苦悶の声を漏らした。

「起きろ」

 と、江弥華の氷のような青い瞳が、起きれずにいる七大十を見下ろした。

 七大十がふらふらと立ち上がる。

 江弥華が二重に見えた。視界がぐわんぐわんと揺れている。

 そして鎖を引かれた。

「待って……なんか……酔ってる、から……」

「猩々なんかに噛まれるからだろ」

 江弥華は強引に猩々の元まで七大十の体を引っ張った。

 猩々は痛ましいほどに必死だった。

 片腕は折れ、両足は複雑に折れ曲がり、それでも逃げようと、猩々は顎と左腕でもがいている。

 七大十と江弥華の近く足音に気づいて、猩々が振り返った。

 恐怖に染まった子供の顔。だが次の瞬間には牙を剥いていた。

「ウガァ! ……ガァ! ガアァァ……!!」

 猩々が最後の力で威嚇している。

 けれど七大十には命乞いにしか聞こえなかった。

「殺せ」

 江弥華が団子を渡す。

 食べた瞬間に歯弾が飛び出す、黄色い団子だった。

 七大十が猩々と団子を見比べる。

 猩々が投げつけた土が、七大十の足を汚した。

 急に団子が重くなった気がした。

 いつの間にか息が荒れ、口の中が乾いている。

 七大十が団子を口に運ぶ。しかし団子を口に入れる寸前で、手が小刻み震え出した。

 七大十の口がゆっくり閉じて、また開く。

「……オレにはーー」

(――できない)

 そう言いかけたときだった。

「お前には、コレが人に見えるのか?」

 江弥華の声が低かった。

 青い瞳が冷たく猩々を見下ろしている。

 江弥華の視線を追うように、もう一度、七大十も猩々を見た。

 全身を赤い獣毛に覆われて、顔に人に似た目鼻が付いている。

「……何に見える?」

 江弥華の問い。七大十が唇を舐めて答えた。

「……猿だ。赤い、猿に見える」

 猩々の威嚇が止まった。

 江弥華の返答はなかった。

 視界の端で、江弥華が一歩退くのが見えた。

 猩々の、落ち窪んだ目が七大十を見上げ、下唇が震えている。

「————ぁん」

 七大十が団子を口に入れた。

 歯が振動し、歯茎が膨らみ——。

 七大十が前に踏み出した。

 猩々の腹の上で七大十が顎門を開く。

「アガガガガガ———ッ!!」

「ギ———」

 射出された歯弾が、一瞬で猩々の腹を食い破った。

「はぁ……はぁ……」

 と肩で息を吸う七大十の足許で、腸も胆嚢もぶちまけて、猩々が絶命していた。

「やった……! やったぞ、江弥華……!」

 七大十が恍惚と緩んだ顔を上げて、期待を孕んだ瞳で振り返る。

 しかし青髪が七大十の視界の端を通り過ぎた。

「……あったか」

 と江弥華が足で猩々の頭を転がした。

 七大十が目を閉じて天を仰ぐ。

「……何がだよ」

 と、苛立ち交じりに言って、七大十が猩々の死骸を見下ろした。

 いつの間にか屈んでいた江弥華が、猩々の顎の下に指を伸ばしている。

 見れば、紙の端がピンと跳ねていた。

 それを江弥華が摘まんで剥がし、デコボコに歪んだ猿の顔が現れた。

 瞬間、剝がした紙が青い炎に包まれ、灰になって崩れ落ち、

「やはりな」

 江弥華が、燃え残った紙片を睨みながら呟いた。

「……どういうこと?」

 七大十の問いに江弥華が答える。

「札が燃え残るのは、呪素を均一に充填できていないからだ。この手の失敗は呪術を覚えたばかりの人間に多い」

 江弥華が猩々の歪んだ顔面を睨んだ。

「……つまり、素人の仕業ってことだ」

 立ち上がった江弥華が無表情で山の麓を見下ろした。

 ドォン、と根寝占(ねねじめ)村から鬼避けの太鼓が聞こえてくる。

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