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異常な豊作

「そういえば、お名前を聞いてませんでしたな」

 と地主が手を叩いた。

 ずいっと、顔を近づける。獰猛さを感じさせる笑顔だった。

 江弥華がそれに一瞥をやり、

「墨廼江弥華だ」

 無愛想に名乗る。

 次いで七大十が小さく手を上げた。

「あ、金倉七大十です」

 自分も名乗るのが、自然な流れだと思った。

 しかし「お前じゃねえよ」という顔が、二つ揃って振り向いた。

 江弥華が軽く、地主に頭を下げた。地主が手を振って微笑を返す。

(……オレ、何か間違ったことしたかな?)

 と、七大十はそのやり取りを見ながら首を捻った。

「いや〜、しかし——」

 と地主が会話の舵を取る。

「貴方が最年少で一級まで昇りつめた、墨廼江弥華様でしたか! 藩の端にまで名前が届いておりますぞ!」

 地主が、七大十の自己紹介はなかったことにして、江弥華に話を振った。

 しかし、持ち上げられた江弥華の表情には、喜びも謙遜もなかった。つまらなそうに「ああ」と声を出して、口を閉ざした。

 あまりの無反応に、地主が額の汗を拭う。助けを求めて七大十に視線を送った。

 七大十は即座に話題を繰り出した。

「えっと、依頼は猩々(しょうじょう)の討伐、だったですよね?」

 地主が大仰に頷く。

「おおー、そうでした! 猩々の討伐。……しかし今年はほとんど被害がないのですよ〜」

 それを聞いた瞬間、江弥華の眉がピクリと跳ねた。

「……どういうことだ?」

 低く冷たい声だった。

 ブワッと地主の額に汗が噴き出した。

 手拭いで汗を拭き取りながら、しどろもどろに言葉を紡いだ。

「ええ……例年通りなら猩々に稲を食い荒らされているはずなんですが、今年は全くと言っていいほど被害がないんですよ。かと言って罠にかかっていることもなく……。ま、まあ、とにかく今年は豊作なんですよ!」

 最後は笑顔で締めくくった。

 しかし江弥華は考え込むように、視線を彷徨わせた。

「もっと良い材料を見つけた……? 発情期がずれた……? いや、猩々を襲う鬼が生まれたと考えるのが自然か……」

 ブツブツ呟いてから、江弥華が地主を睨み上げる。

「……それは陰陽庁に報告したのか?」

 声が、耳がかじかむくらいに冷たい。

「ほ、豊作のことをですか? いや、でも収量記録は藩に送っておりますから――!」

 額の汗がツゥーと顎先まで流れる。

 見苦しい言い訳というのを、七大十は初めて目の当たりにした。

 一瞬、江弥華の眉間に皺が寄った。

「違う。猩々被害がないことだ」

 地主が目に見えて焦り出した。手拭いがもう一枚出てきたが、とても足りる量の汗じゃない。

(なんか、土砂降りの車のフロントガラスみたいだな)

 一生懸命に汗を拭く地主を見て、思った。

 額と頬に手拭いを押し当てた地主が、顔を取り繕って首を傾げる。

「ああ、そっちですか? いいえ、上げてません。喜ばしいことですが、わざわざ上げるほどではないかと」

 江弥華の眉間にまた皺が寄った。江弥華がうつむき加減に指で眉間を伸ばし、深く息を吐いた。

「……猩々の動きが不自然だ。山に異常が起きている可能性がある。すぐに報告を上げろ。私は柵と罠を見回ってくる」

 宣言するなり江弥華が七大十から鵺の手綱をひったくり「厩舎に繋いでおけ」と地主に押し付ける。

「来い」

 鎖を引かれた。

「今から?!」

 長旅直後の見回り仕事に、七大十は足を踏ん張って抵抗を試みた。

 しかし七大十の足がズルッと滑り、諦めた。

 トボトボ歩く七大十の背中を、

「夕飯を用意してますが!」

 と地主の声が追い抜かす。

(山の異常より飯の心配かよ)

 七大十は八つ当たり気味に後ろを睨んだ。

 二羽の鵺に挟まれてなお、地主の体が一回り太って見える。

「客間に置いといてくれ。適当に頂く」

 江弥華が一瞬顔を向けて、その場を後にした。

(……でも確かに腹は減ってんだよな)

 七大十は腹をさすりながらついていく。

 空は茜色に染まっていた。どこからか味噌汁の匂いが漂ってくる。

 周辺の家から感じる視線。炊事場の換気窓から人の影が見える。

「外から来た人間がそんなに怖いもんかね……」

 呟いた瞬間、バタンと窓が閉められた。

「ふふ……」

 七大十が笑いをこぼして、江弥華の後ろをついていく。

 家は、村から外れるにつれて見窄らしくなった。そして立板と布だけの長屋がポツンと、村の端に追いやられていた。

 家畜用かと思った。けれど人が入っていく。

(犬小屋でも、もう少しマシだぞ)

 ゆらゆらと体を揺らして女が歩いていた。ボサボサの髪に白髪が混じっているが、まだ若そうに見える。

 玄関代わりの布を捲って、女がこちらを振り向いた。無気力な目の下を、そばかすが浮いている。何か言いたげに口を開くが、すっと顔を背けて家に入った。

 七大十はどっと体が重くなった気がした。女の疲れ果てた姿に釣られたのだろうと思い、頭を振る。

 胸の鎖が、立ち止まるなと言わんばかりに、七大十の体を引っ張った。

 村を抜ける。

 稲と桃の香り。

 肌寒い風が七大十の顔面を叩く。

 棚田の土は乾き、干された稲が並んでいる。

 山が、尾根を伸ばして、根寝占村を囲っていた。

「……ちょっと待て……これ登るって言わないよな」

 雲で隠れた山の頂上を仰ぎ見て、七大十がうわぶいた。

「猩々次第だ。奴らがその辺にいないようなら……登るしかない」

「何でだよ!? 猩々がいないなら登る必要ねえだろ!」

 七大十が必死に訴えるが、江弥華の足は止まらない。

「そのいないことを、証明せねばならんだろ」

「そんなの悪魔の証明じゃねえか!」

 フッと江弥華が鼻で笑った

「別に山の隅まで探す必要はない。山の中腹を散歩するだけだ」

 そして薄い笑みを七大十に向ける。

「庁の連中に何か言われても、探したけれどいなかった、と言えればいい」

 山から吹き下ろした風が、江弥華の青髪をなびかせた。

 棚田の先に丸太を並べた塀が聳え立っている。丸太を杭打ちにしたその塀から、無数の棘が突き出していた。

 上段は上向きに、中段は横向き、下段は下向きにーー。木製の棘が村の殺意を表していた。

「ヘッ……猩々嫌われすぎだろ」

 七大十が卑屈に笑った横で、江弥華がボソッと呟いた。

「……気持ちは分かる」

 まさか江弥華が他人に共感できる人間と思わず、七大十が目を丸くした。

「一年かけた成果物が横から掻っ攫われるんだ。殺意を抱くには十分過ぎる」

 そう言って、江弥華が田んぼに流し目を送った。そして、

「私なら相手が人間だったとしても殺すかもしれないな」

 と。

「――オイ、冗談だろー?!」

 数拍遅れて、七大十が明るく声を出した。

 しかし江弥華は何も答えず、先を進んだ。

 七大十の草を踏む音が、やけにはっきりと聞こえた。

 畦道の先の塀で、小さな扉が閉まっていた。

 江弥華がかんぬきを取って、扉を上げる。

 暗い塀の向こう側に、西日が差し込んだ。

 扉で切り取られた茜色の光を江弥華のブーツが踏み締め、次の一歩で影を踏む。

 江弥華が横顔を向けて呟いた。

「……当然、冗談だ」

 江弥華の青い瞳が、闇の中で光って見えた。

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