大首駆除
街の端は、黒煙を吐き出す工場地帯だった。
酸化した機械油の臭いが鼻にこびり付き、あちこちからブシューと蒸気が噴出している。
顎先から汗を垂らした七大十が、鼻を鳴らして立ち止まった。
「……ん? なんか桃の匂いがしない?」
江弥華からの返答はない。代わりに鎖が引かれた。
一歩進むごとに、桃の匂いは強くなり、林が現れた。
街を縁取るように、左右に広がる林。樹上を見上げた七大十が頬を引きつらせた。
「……でっか……」
赤ん坊が入っていそうな程の巨大な桃が、至る所に実っている。
「待ってろ」
林の入り口で江弥華が言った。
(全然汗かいてない……)
関所に入っていく江弥華の背中を、七大十は汗を拭いながら見送った。
林の先には、延々と田畑が広がっていた。ところどころに金網で仕切られた区画があり、樹木子が長い枝を振り回している。
(誰か剪定してるかも……)
七大十が田畑をぼんやり眺めていると、
「行くぞ」
と鎖が鳴った。
桃林の中は涼やかな空気が流れていた。
桃の強烈な甘い香りが、舌の上にへばり付いている気がして、七大十は何度も舌を歯に擦りつけていた。
「食え」
突然、江弥華が団子を投げた。
「——敵か!?」
七大十は手の中に落ちた赤い団子を即座に口に運んだ。鉤骨を構えて、辺りを警戒する。
胸焼けのような、胃のムカつきを無視して辺りを見渡す。
しかし、あるのは落ち葉と雑草ばかり。敵らしい影は見当たらない。
「……え、ごめん。どこにいる?」
視線を左右に振りながら、七大十が小声で聞くと、江弥華がフッと鼻で笑った。
「強襲に備えて呪素を補充しただけだ」
「あー、なるほど。頭良いな」
「常識だ」
先行する江弥華に、七大十が小走りで追いつき、緊張気味に話しかけた。
「……大首、だったけ?」
「ああ」と江弥華が頷いて「依頼書にあるだろう」と七大十のポケットを顎で示す。
確かに書いてはあった、『加牟豆美桃林巡回任務』と。
だが、なんのこっちゃ分からなかった。
(加牟豆美桃は、多分、てか絶対、この木だろ……)
ペチペチと、確認するように近くにあった木の幹を叩く。しかし七大十が予想できたのはそこまでだった。
鉤骨が指の中に戻っていくのを見ながら、七大十が口を開く。
「せめて大首の姿ぐらい教えてくれよ。じゃなきゃ任務になんないだろ?」
「名前の通りだ。人の顔を探せ」
「顔を探せって言ったってさー」
ぼやいた七大十に、江弥華が振り返った。「上を見ろ」と小さく指を立てている。
七大十が指の先を目で追った。
樹上に実った桃の実から、男の顔が笑いかけている。
「食え」
と赤い団子が渡された。
江弥華が手に札を持って、近くの木の根元へ向かう。
「お前の獲物だ。逃がすなよ」
言って、江弥華が札を自分の体に貼った。おもむろに足を振り上げる。
「纏・獄卒褌」
桃の木が大きく揺れ、頭上からブチッと音がした。
慌てて横に跳んだ足元に、桃の実が落下する。
ブーンと虫の羽音が七大十の耳を撫でた。
起き上がった先で、男の顔が笑っている。
ゆらりゆらりと八の字に揺れ始めた顔。耳の位置から伸びた六本の足。七大十に向かって顎から伸ばした二本の触角が跳ねるよう動いている。
「カメムシじゃねーか!」
「騒ぐな。臭気ガスが出る」
江弥華がピシャリと言った。
「え!?」と七大十が大首を見ると、腹が膨れ始めている。
「急げよ。気管に入ったら最悪死ぬぞ」
「は!? マジかよ!」
引いたはずの汗が流れた。
七大十が慌てて団子を食べる。鉤骨を構え、逃げないように忍び足で近づいた。
大首が威嚇するように背中の人面を突き出した。鞘羽が割れ、膨らんだ腹が覗く。まるで人の頭が裂けて脳味噌が見えたようだった。
しかし七大十は馬鹿にしたように、大首の背中に笑い返した。
「よぉく見れば、ただのデカいカメムシだ。こっちは実習で飽きるほど虫見てんだよ。」
そして七大十は思い切り、鉤骨を振り下ろした。
大首の背中の人面に四本の切り傷が走り、幹から転げ落ちた大首が仰向けでのた打ち回る。土に傷口から流れ出た桃の果汁が染み込んだ。
吐きそうなほど甘ったるい臭いが充満する。
しだいに動かなくなった大首に、江弥華がナイフを突き立てた。適当に切り離した鞘羽の片方に、江弥華が糸を通して押し付けてくる。
「……え?」
受け取った七大十が顔を上げた。
「こうやって殺した数を証明するんだ。失くすなよ。一匹十文だからな」
江弥華が踵を返した。七大十が後追いながら聞く。
「それって安いの? 高いの?」
「麦酒一杯だな」
(結構、割が良いな)
と七大十は思った。
見た目こそ悪いが、狩りやすい。逃げもしないし、臭気ガスも、噴出までに余裕があった。こんな雑魚一匹で酒が一杯飲めるなら、かなり割はいい。
「大首の素材って、かなり価値があるんだな」
鞘羽を腰に吊るしながら七大十が呟いた。
江弥華が首を振る。
「大首に市場価値はない。庁が陰陽師どものやる気を十文で買っているだけだ」
「ん?」と七大十が首を傾げる。
「依頼書に報酬額が書いてなかったろう」
確かめていると、確かに空欄だった。樹木子の剪定もだ。
「鬼素浄化維持のための奉仕任務だ。矯正課程で必ず受けねばならん依頼だ」
「あー、それで完全に報酬ゼロにしたら、素通りするだけの奴が出てくるのか」
「情けない話だがな」
七大十は江弥華の後ろから林の中を進んだ。
桃は、樹上はもちろん地面にも転がっていた。
大首は比較的数が少なく、決まって江弥華が最初に見つける。コツでもあるのかと聞いてみたが、「慣れだ」と返された。
回収した鞘羽が、中指と親指でなんとか挟める程度の束になった。
林の隙間から陽が入り、気温の上昇を肌で感じる。
とにかく座りたくてしょうがなかった。大首への嫌悪感にも慣れ、疲労感しかない。
しかし慣れないのが、桃の臭いだ。
不思議と団子を食べるごとに臭いがきつく感じ、いつからか鼻呼吸を止めていた。
微かにこめかみの奥が痛み、七大十がぐりぐりと指でこめかみを揉んでいると、林の切れ目と、関所が見えてきた。
「……終わりか?」
「ああ。終了報告を上げてくる」
江弥華が入っていく。
関所の引き戸が閉じて、七大十は壁にもたれるように座り込んだ。
もう一歩も歩ける気がしない。
鉤骨が引っ込んだ指先に大首を切り裂いた感触が残っている気がして、七大十は指を擦り合わせた。
皮が捲れたような感覚。
目を落とせば、指先に十字に切れ込みが入っている。
七大十が指先にグッと力を込めてみると、鉤骨の切っ先が見えた。
「おぉ……! マジかよ……!」
七大十の口元から笑みがこぼれる。
この世界の住人になってきたような。江弥華の式神として頑張っている証のような。
その時、目の前の道を、一組の陰陽師と式神が通り過ぎた。
ピンと張った鎖の端に、全身から鱗を生やした女性が、ヨロヨロと歩かされている。
女性は涙目で前を睨み、臭いに耐えるように鼻と口をハンカチで覆っていた。
七大十は桃林の外へ去っていく背中を目で追った。
「行くぞ」
胸の鎖が引かれた。
七大十が立ち上がって、もう一度、彼女を振り返った。
スンと鼻を鳴らす。
「……うん、めっちゃ甘え……」
それでも、まだ耐えられる。
第1章『三両の転生者』完
本編理解には不要ですが、活動報告に「陰陽師採用試験対策教本 第一章『鬼素と呪素』」を投稿しています。ご興味あれば。




