第1話:嵐の予感と突然の異変
5作品目、投入します。
梅雨明け間近の蒸し暑い土曜の午後。都内にあるごく普通の二階建て一軒家には、いつも以上の賑やかさがあった。
この家の長男である俺、佐藤 健太は、都内の大学に通う三年生。普段はだらしないと言われることもあるが、今日は少しばかり気合が入っていた。リビングには、俺の彼女である桜井 美咲が来ていたからだ。美咲は、黒髪のロングヘアがよく似合う、俺の自慢の彼女だ。今日は一緒に映画を観る予定で、ソファに並んで座り、新作の予告編をスマホで見ていた。
「ねぇ、健太くん、これ面白そうだね!」美咲が目を輝かせながらスマホの画面を指さす。
「ああ、美咲が好きそうなやつだろ? でも、ホラー要素もあるらしいから、美咲が怖がったら俺が守ってやるよ」
俺が少し得意げに言うと、美咲はくすっと笑って俺の肩を軽く叩いた。「もう、健太くんったら。頼りにしてるね」
そんな俺たちのやり取りを、リビングの奥にあるキッチンから聞こえてくるのは、母の佐藤 陽子と父の佐藤 悟の声だ。母はエプロン姿で夕食の準備をしており、父は休日の趣味である盆栽の手入れについて熱く語っていた。
「陽子、この松は本当に素晴らしい。樹齢百年を超える風格というものが…」
「はいはい、悟さん、そろそろ手を洗ってきてくださいね。もうすぐ美咲ちゃんも一緒に夕飯ですよ」
いつも通りの賑やかな週末の風景。しかし、その日は、いつもと違っていた。
ゴロゴロ……。
突然、遠くで雷鳴が轟いた。外はまだ明るいにも関わらず、急に空が暗くなり始める。
「あれ? 急に天気が悪くなってきたな」父が窓の外を見て首を傾げる。
その言葉と同時に、空がオレンジ色に、そして不気味な紫色に染まり始めた。今まで見たことのない、おぞましい空の色だ。
「何これ…? 不気味だよ、健太くん」美咲が不安そうに俺の腕を掴む。
「大丈夫だよ、美咲。変な天気だな…」俺も美咲の不安に同調するように言いながら、外の異変に目を奪われた。
バリバリバリィッ!!
稲妻が空を切り裂き、轟音が耳をつんざく。それは今までの雷とは全く違う、空気が震えるほどの強烈な音だった。そして、その稲妻は一本ではなく、何本も、まるで空が割れるかのように同時に降り注いだ。
その雷が、直接俺たちの家に落ちた――と思った瞬間、視界が真っ白になった。
全身に電気が走るような感覚。いや、それよりももっと強烈な、身体の細胞一つ一つが分解されていくような、形容しがたい感覚が襲う。意識が遠のく中で、俺の脳裏に浮かんだのは、妹の佐藤 萌のことだった。
萌は高校一年生で、今日は友達と遊びに行くと言って、まだ帰っていなかったはずだ。この突然の異変から、無事だろうか。
そんな心配が脳裏をよぎった直後、身体を襲っていた奇妙な感覚は消え失せた。
俺はゆっくりと目を開ける。
最初に目に入ったのは、見慣れたはずのリビングの天井だ。しかし、どこか違和感がある。そして、窓の外から差し込む光が、先ほどまでの夕暮れの光とは全く異なることに気づいた。
まるで、時間が巻き戻ったかのように、空は晴れ渡り、太陽がさんさんと輝いている。しかし、その太陽は、俺たちが知っている太陽よりも、幾分か大きく、そして、緑がかった光を放っているように見えた。
「健太くん…ここ、どこ…?」
隣にいた美咲の声が、震えている。俺はゆっくりと身体を起こし、リビングを見回した。
父と母は、キッチンで立ったまま固まっている。顔は真っ青だ。
「萌…!」
そう言って、俺はリビングの奥にある萌の部屋へと駆け出した。部屋の扉を開けると、そこには、ぐったりとソファに倒れ込んでいる萌の姿があった。
「萌! 大丈夫か!?」
俺の声に、萌はゆっくりと目を開ける。
「お兄ちゃん…? 私、友達と遊んで帰ってきたら、家が変な感じに…」
萌は俺の顔を見て、目を見開いた。そして、自分の身体を見つめ、驚きに顔を歪める。
俺も、萌の言葉を遮るように、全身に鳥肌が立つような違和感を覚えた。
家の中は、先ほどまでと何も変わらない。しかし、窓の外の景色が、決定的に違っていた。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない雄大な山々。そして、遙か遠くまで広がる、鮮やかな緑の森。空には、見慣れない鳥が優雅に舞っている。そして、何よりも目を引いたのは、空に浮かぶ、二つの月だ。一つは大きく、もう一つは小さい。どちらも、見たこともない異様な輝きを放っていた。
まるで、絵本に出てくるような、あるいはゲームの世界のような光景が、窓の外に広がっていた。
「ま、まさか…」
父の絞り出すような声が、静まり返ったリビングに響いた。
「私たち…家ごと…」母が、震える声でその言葉を続けた。
「異世界に…転移しちゃった…?」美咲が、信じられないという表情でつぶやく。
俺も、その可能性を否定できなかった。いや、もはや否定しようがない。
なぜ、こんなことになったのか。なぜ、俺たちの家だけが。
「落ち着いて、みんな!」
俺は必死に声を張り上げた。この状況で、誰かが冷静にならなければならない。
「とにかく、状況を確認しよう。まずは、外に出てみるしかない」
俺はそう言って、玄関へと向かった。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。
外に広がるのは、やはり見慣れない景色だった。家の周りは、鬱蒼とした森に囲まれている。アスファルトの道路も、隣の家も、見慣れた電柱も、何もかもが消え失せていた。
その時、俺たちの耳に、誰かの声が直接響いてきた。
それは、男性とも女性ともつかない、澄み渡るような、しかし威厳のある声だった。
「ようこそ、異世界『アースガルディア』へ。我が、この世界の摂理を司る者、『創世の神』たる存在である」
突然の神の声に、俺たちは全員、身を硬くした。美咲は俺の背中に隠れるようにしがみつき、萌も父と母の間に顔を埋めている。
「驚くのも無理はないだろう。あなたたちは、私がこの世界に招き入れたのだから」
神の声は、淡々としていながらも、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。
「なぜ…なぜ私たちを…!?」父が、震える声で叫んだ。
「理由は簡単だ。あなたたちの世界は、飽和状態にある。文明は発展しすぎ、自然は破壊され、魂の輝きは失われつつある。しかし、あなたたち家族の魂には、まだ微かながらも、失われた輝きが残っていた。特に、あなた、佐藤健太の魂には、強い好奇心と、大切な者を守ろうとする力が宿っていた」
俺は息をのんだ。俺の魂に、そんなものがあったというのか?
「そして、私は、このアースガルディアという世界に、新たな風を吹き込みたかったのだ。あなたたちの持つ知識と、そして、あなたたちに与える新たな力によって、この世界に変化をもたらしてほしい」
神の声が、徐々に重みを増していく。
「あなたたちの家が転移したのは、偶然ではない。私が見定めた、あなたたちの『魂の器』が最も安らぎ、そして力を発揮できる場所として、この家を選んだのだ」
俺たちの「家」が、魂の器?
「あなたたちは、この世界で特別な力を得るだろう。それは、あなたたちの魂の輝きに応じたものとなる。そして、あなたたちの家は、単なる家ではない。それは、あなたたちの旅を助ける、『万能のアイテムボックス』となるだろう」
万能のアイテムボックス…?
「あなたたちが元の世界へ帰るためには、この世界の『真理』を見つけ出し、そして、この世界の『根源』へと辿り着く必要がある。それは簡単な道のりではないだろう。しかし、あなたたちならば、必ずたどり着けるはずだ。さあ、冒険の旅を始めなさい。あなたたちの物語が、今、始まるのだから」
神の声が消え去ると、家の中の空気が一変した。先ほどまで感じていた混乱と恐怖の中に、わずかながら、奇妙な高揚感が生まれていた。
「私たち…神に選ばれたってこと…?」萌が、信じられないといった顔で呟く。
「アイテムボックスになる家って…どういうことなの?」美咲が、まだ混乱しているようだ。
俺は、神の言葉を反芻していた。
特別な力。
家がアイテムボックス。
元の世界に帰るための旅。
そして、脳裏に浮かんだのは、神が俺の魂に宿っていたと言った「強い好奇心と、大切な者を守ろうとする力」という言葉だった。
そうか。俺たちは、帰るために、この異世界で生き抜かなければならないんだ。そして、この家族と、美咲を守り抜かなければならない。
俺は、一度大きく息を吸い込んだ。
「みんな、大丈夫だ」
俺の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「俺たちが元の世界に帰る方法は、必ず見つける。神様が言ってた通り、俺たちに特別な力が与えられたんだ。そして、この家も、俺たちの味方なんだ」
俺はそう言って、皆の顔を順に見回した。父と母はまだ少し戸惑っているようだが、美咲と萌は、俺の言葉にわずかながら希望の光を見出したように見えた。
「まずは、この家の機能を確かめよう。そして、これからどうするか、みんなで考えよう!」
俺はそう言って、リビングのソファに座り込んだ。そして、ゆっくりと目を閉じ、意識を集中させる。
神が言っていた「魂の輝き」が、俺にどんな力を与えてくれたのか。そして、この「家」が、本当にアイテムボックスとして機能するのか。
そう考えた途端、頭の中に、まるでゲームのステータス画面のようなものが浮かび上がった。
そこに表示されていたのは、驚くべき情報だった。
『物語は始まったばかり。彼らの異世界での生活は、一体どうなっていくのか?そして、彼らに与えられた能力は、一体どのような活躍を見せるのか?次回の物語にご期待ください!』