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異世界恋愛(短編)

「愛することはない」とか言っていたはずなのに旦那様の様子が最近おかしい

作者: 忍者の佐藤

 



 結婚初夜のことである。


 夫となった、アルフレッド・ヴィルハイムが私の寝室に入ってきた。事前に指定されていた時刻だった。


 私の後ろには天蓋の付いた大きなベッドがある。薄暗い中、彼の大きな瞳に見つめられると、吸い込まれてしまいそうになる。


 アルフレッドは私を見るなり、にこりともせずにこう言った。


「知っての通り、この結婚は政略結婚だ。分かっているだろう?」

「……はい」

 私は言葉の意図を掴みかねていたが、一応頷いた。


「俺はこれまで誰も愛したこともないし、それはお前に対しても同じだ、セシリア・グランディール。だが失望しないで良い。ここにいればお前の領内に居るより安全だろうし、身の回りのことでも一切不自由させるつもりもない」


 そこまで言うと、我が夫殿はさっさと部屋を出て行ってしまった。あまりに一方的過ぎて、私は彼が何を言っているのか、インストールするのに少々時間を要した。

 そして脳みそが情報をインプットした時、ようやく私は怒りの声を上げていた。


「はあああああ!!!!!?」ヨイショ


 いやいやいやいや! 

 確かに政略結婚なのは分かってましたよ? 両国のどちらも切羽詰まっていましたから、それは受け入れますとも。でもさあ! よりによって結婚初夜に妻の寝室に入ってきておいて、「今後お前を好きにならない」宣言とかする!?

 あのガキンチョあまりにもデリカシー無さすぎない? 



 えー、何故私よりひとつ年上のアルフレッドをガキンチョ呼ばわりしているのか、ここまでの私の歩みを振り返っていこう。



 私は前世で道中智子という日本人だった。


 道中智子こと私は大学を卒業してからずっと、建築会社で経理を担当していた。

 かなり激務だった。激務だったがゆえに、中々人が定着せず、ずっと一人で回していた時期がかなり多かった。それは会社の規模が大きくなっても、あまり変わらなかった。


 辞めなかったのは仕事が好きだったからだ。でも、職場と家を往復する毎日。趣味といえば帰宅から寝るまでの僅かな時間にやる乙女ゲームくらい。


 そんな生活を30年近く続けたある日、唐突に気づいた。自分は恋愛も遊びも、本当に何もしてこなかったと。今自分に残っているのは、何に使って良いのか分からない、多額の貯金のみ。

 絶望感を覚えた。

 その日から仕事をするのがしんどくなり、1ヶ月後には孤独死した。



 ……という前世の記憶が蘇ってきたのは5歳のときで、その時初めて自分が乙女ゲーム『千年王国の恋歌』のモブキャラ、伯爵家令嬢セシリア・グランディールに転生しているのだと気付いた。


 私は歓喜した。このままいけば、私は何不自由ない暮らしを謳歌できる。

 前世で出来なかったことを色々やろうと思った。この人生ではもっと恋をしたり、遊んだりするんだ!



 ところが伯爵家のご令嬢というのは、そんなのほほんと過ごせる身分では無いことに気付いたのは、己の身で体験してからだった。

 勉強も、淑女教育も、みっちりスケジュールに詰まっていて、まともに遊ぶどころではない。


 しかしそれよりも私の心を重くしていたことがあった。ヴァルトハイム伯爵家との縁談。その相手がアルフレッド・ヴァルトハイム氏だったからだ。

 政略結婚だから気が重かったというのもある。



 私達の伯爵領は隣り合っていて、どちらもクロース帝国という共通の敵から度々領土の越境を受けていた。


 ところが、ヴァルトハイム家の当主が、件のアルフレッド・ヴァルトハイム氏……(長いのでアルフと略す)に変わってからというもの、破竹の勢いで敵を退け続け、ついには領土をほぼ取り返してしまった。



 アルフは戦の天才で、【血濡れの黒狼】とかいう日本の中学生男子たちが大喜びしそうな二つ名を冠していた。戦場ではつねに激戦区で陣頭指揮を取り、兵士たちを鼓舞し続け、「まるであの方からは恐怖心が抜け落ちているようだ」と、目撃者談。



 そのような優秀な人物に私を嫁として差し出し、両家の仲を深め、有事の際には兵を派遣してもらおうという魂胆だ。もちろん、二国間の交易において優遇措置を取ったり、ヴァルトハイムの軍備にこちらから出資をするなど、彼らにとってもしっかりと利のある取引となっていた。



 ……二国間においては、である。




 私はアルフのことが嫌いだった。いや、苦手だったというのほうがニュアンス的には正しいかも知れない。何度か彼を茶会や社交パーティーで見かけたことがある。


 最初はその美貌に驚いたったらなかった。

 髪は黒髪で、目は鋭く、血のように深紅の瞳が冷たい光を放っている。

 彫刻のようなシャープな顎線に、唇は冷ややかに引き締められ、眉は細く、冷徹で無表情な顔に威厳を加えていた。



 見惚れてしまうほどだった。私だけではない。彼が通ると周りの子女たちは色めき立った。そのうち何人かは挨拶もそこそこに、積極的にアプローチを仕掛けに行った。


 しかし、彼は全く彼女たちに興味も関心も無いようだった。社交辞令の言葉を何の感情もなく発したと思ったら、スタスタと立ち去ってしまう。

 一度は


「失せろ」


 と強い言葉で追い払っていたこともある。噂によると、彼は軍人としては優秀だが、相当な女嫌いらしく、何度も縁談が駄目になっているのだという。


 そんな人と、結婚したい???



 私は嫌! あんなのと結ばれたら凍死してしまいそうだわ。

 でも幸い女嫌いそうだし、私が結婚するわけないよね。って考えてたらこれだよ!


 っていうか女が嫌いなら男と結婚したらいかがかしら。うちの兄様なんてどう? 25歳を過ぎてもろくに働きもせず、吟遊詩人の真似事をして楽しく暮らしていますわ。

 笑顔が可愛らしいのだけれど時々その鼻にバラを挿したくなる。



 本来、乙女ゲームの世界に転生したのであれば、知識を駆使して未来を改変し、本来のバッド・エンドを回避出来るのが相場だ。

 だけど私が転生したのはモブキャラ。相手のアルフもモブキャラ。公式サイトにて「最後に二人は結婚する」と雑な書き方がしているだけ。


 こんなの回避できるかーい。



 そもそも、結婚自体がバッドエンドだとは分からない。一度目の人生と同じだ。

 それに私のような小娘のわがままで、婚姻を拒否することなど出来ないし、そんなことをすれば破滅エンドなのは火を見るよりも明らかだった。




 *****



 で、結婚初夜に戻る。

 私はベッドの枕をぼんぼん叩いた。まだ腹の虫が収まらなかった。分かっていたけれど、私は両家を取り持つため形だけの、お飾りに等しい存在。


 頭の中はぐるぐると色々な思考が混在していたが、いつの間にか寝てしまったらしい。

 そして一夜明けて何だかスッキリした気持ちになっていた。



 発想を逆転させよう。何も期待されていないのなら、放置プレイされるのなら、好きに生きても問題無いのでは?

 もう根性論じみた淑女教育を受ける必要も無ければ、夫からモラハラされる心配も無くなったということだ。


 ということで、私は誰にも媚びず、好きに生きることにした。勿論義務はこなす必要がある。伯爵夫人として、他の貴族との交流はおろそかに出来ないし、教会は孤児院へのチャリティ活動も私の仕事だった。

 とはいえ、それらの時間を差し引いても、私は暇を持て余していた。



 私はその時間と、伯爵家ならではの有り余る財力を使って、前世でやりたかったけれど出来ていない遊びを精一杯やってみることにした。


 屋敷の庭で焼き芋を作ってみたり、海に出かけてはマグロの一本釣りをしてみた。

 最初は楽しかった。楽しかったが、3ヶ月もすると飽きてしまった。


 何を食べていても、何を釣り上げても、どこか満たされない。虚無感がある。この虚しさは何?


 やりたいことを一通りやった後は、急にやりたいことが思いつかなくなってしまった。あまりにも暇だった。

 本を読むとか、絵を描くとか、そういう趣味があれば違ったのだろうけれど、私にはどちらの趣味嗜好も無かった。


 このままでは頭がおかしくなるのでは? という恐怖に駆られた。

 暇というのは人間にとって不味いものかもしれない。やることがないと頭の回転は急激に鈍り、堕落していくことへの不安が余計に肥大していく。


 その点仕事とはありがたいものだ。お給料が貰えて、1日8時間の暇つぶしが出来るのだから。(私は1日12時間以上働いていた)


 嫌なことや大変なこともたくさんあるけれど、基本的に労働はスキルアップを促し、悪習慣から人々を守ってくれていたのかもしれない。と、伯爵家の奥方になって思う今日このごろ。


 仕事、したいなあ。


 もやもやと考えごとをしながら廊下を歩いていると、少し開いていた部屋の中から何か声が聞こえた。


「財務管理官が飛んだってのは本当か?」


 私は耳をそばだてる。


「ああ。全く仕事場に姿を現さないから、家を調べてみたらもぬけの殻だったそうだ」

「じゃあ、金を着服してたっていうのも本当らしいな」

「もしかしたら当主様に消されたのかもな。こんな不正をあのお方が許すはずがない」

「おー怖い怖い」


 どうやら噂話に花を咲かせているようだ。人の噂好きは現代日本も乙女ゲームの世界も変わらないんだ。それはそうと、財務管理官といえば、経理や領地の収支管理を担う財務責任者だ。


 そんな重要なポストの人が突然居なくなったら大変だろうな、と考えながら通り過ぎようとした私の頭に、ある考えが閃いた。


 開きかけのドアを開けて中に入ると、執事長と書記官がいた。

「その話、本当かしら」


 ふたりとも私の顔を確認すると、血相を変えた。見る見る青くなっていく。まるでリトマス紙みたいだ。


 先程の噂話が旦那(一応)への悪口と捉えられたら首が飛びかねないと思ったのだろう。

「こ、これは奥様! 我々は別に……」

「あなた達を非難するつもりはありません。先程の話を詳しく聞かせて貰えないかしら」


 二人は顔を見合わせていた。




 *****




 執務室の机には、山のように積まれた帳簿と報告書、徴税記録、契約書類が並んでいた。会計トップが突然ドロンしたものだから、他の会計補佐たちもテンパっているようだ。


 書類に一通り目を通してみた。かなりの量だが、記帳のやり方が単式だし、何とかなりそうだった。このくらいの量なら前世で散々拝んできた。

 それに今は会計補佐という仲間が居る。前世のように一人で仕事をする必要は無いのだ。


 私は早速仕事に取り掛かった。


 前年度の収支報告。項目ごとに細かく記された数字の羅列を目で追っていく。読みながら、脳内ではすでに収支の不均衡に気づき、原因を追い始めていた。備蓄穀物の損失割合が予想より高く、保管倉の修繕費用が例年より二割も多い。


 私が仕事に没頭しかけた時だった。


「精が出るな」


 視線を上げた一瞬、顔をしかめそうになった。そこに居たのが血濡れの猟犬で毎度おなじみ、アルフレッド・ヴァルトハイムだったからだ。端正な顔立ちから、見るものを凍り付けてしまいそうな視線を送ってくる。


 ちなみに他の会計補佐たちは縮み上がり、こじんまりしながら仕事をしていた。


「志願して財務管理の仕事をしているそうだな」


 私は満面の笑みを作った。前世で鍛えた営業スマイルである。前世で日本人だった時から、会計係を一人で長くやっていると、どうしてもお局様みたいになって、みんなから忌み嫌われる存在になると思っていた。ボスザルになるのが嫌だと思っていたので、必死に磨いた笑顔だった。


「はい。私は幼少期から数字は得意で、以前もこのような仕事は多少請け負っておりましたので」


 嘘はついてない。私は笑顔のまま、彼の顔をじっと見返して言った。


「ざっと目を通したところ、この領地の財務には不透明なところが多いように思いました。私はそれらを是正していかねばならないと思います」


 会計係たちがぎょっとした目で私を見た。「そんなこと言ったら旦那様にしばかれますよ奥様!」とMSゴシックでみんなの顔に書いてある。

 しかし私は笑顔も崩さず、目も逸らさなかった。もう好かれる必要もなければ、嫌われる心配もしていないのだ。


 アルフの瞬きが一瞬、早くなった。

 顎をさすった後、小さく頷く。

 そして彼は移動して私の斜め後ろに来た。私の仕事っぷりを眺め始める。え、ナニコレ? もしかして疑われてる?


「勘違いするな。俺はお前が不正するなどとは思っていない。だがお前が仕事をするのは初めて見る。しっかり出来ているかの確認はさせて貰う」

「ええ、私としても、旦那様に確認して頂きたい項目がございますので、非常にありがたく思います」


 私は最後まで表情を崩さなかった。





 *****



 私が財務管理の仕事に取り組み初めて2ヶ月が経った。特に大きなミスをすることもなく、こなしてきたはずだ。

 いや、それどころか財務の改善に多少は役に立っていたはずだ。


 この世界ではまだ単式簿記(お金の出入りを1つの視点だけで記録する方法)を使用していたので、それを複式簿記に切り替えた。これによって資産・負債・収益・費用が明確に分類されるようになった。

 ミス、不正がすぐに見つけられるようになり、領地運営の健全性も判断出来るようになった。



 ……とはいえ、こんなことで褒めてもらえるとは思わなかったし、特に褒められたいと思ってもみなかった。実際、このことを報告した時も「そうか」と無機質な声で言うだけだった。



 まあ仕事がスムーズに進むのはとても良いことだ。良いことなのだが、一つだけ問題があった。

 アルフが毎日訪ねてくることだった。

 ずっと居るわけではないが、一日のうち1時間ほどは私の後ろに立って、死神のように仕事を監視している。……そんな見張らなくても良くない?


 私に一定のスキルがあることは、最初の1ヶ月で分かったはずだ。領主として忙しいはずの彼が、毎日毎日私の仕事っぷりをわざわざ見に来る理由は何ぞ?



 まさか従者たちに私達のラブラブっぷりを見せつけようとしているのだろうか。いや、だとしたらずっと「ショートコント・背後霊」を継続しているのはおかしい。



 そんなことをしても会計補佐たちが萎縮してしまうだけだ。私だって、今にも凍てつきそうな視線で見下ろされても、熱々どころかヒエヒエだ。

 せめて冷房代わりに夏来て欲しいところ。




 何度か数字のことで突っ込まれたりもした。アルフからすれば、ただ質問しているだけだったし、特に声量が変わっているわけでもない。しかし威圧感が段違いだった。


 それでも私は彼の目を見て答えた。勿論営業スマイルも忘れずにね。





 彼が来てくれることで良いこともある。

 決済者が近くにいるのは非常に都合が良かった。

 会社でいえば、さっき提出した書類が、色んな会議も通さず、すぐ社長に判を押してもらえるようなものだ。


 仕事の話を振るということは、当然私達の会話も増える。100%仕事の話だけれども。

 それでも互いの会話のペースが分かって、多少滑らかに会話出来るようになった、とは思う。


 会計係の人たちからは憧れの目で見られるのだが、私は一種の虚しさを覚えていた。仕事の時しか会えない旦那様。しかも、仕事の話しかしない。こんなの、夫婦じゃなくてただの上司と部下だ。



 それについ最近になって、私を見るアルフの顔つきが険しくなった気がする。

 理由は分からない。私の仕事っぷりは変わらないし、アルフはいつもの死神ポジションに陣取っていた。


 いや、目つきだけではない。廊下ですれ違う時も、食事をする時も、彼はどうやら私をじっと見ているようなのだ。流石にそこまでなると、私もプレッシャーを感じてしまう。



 何か悪目立ちしてしまったのだろうか。

 あれ、私また何かやっちゃいました???



 *******




 そしてとうとう呼び出された。

 結婚初夜は私の部屋にアルフが来たが、今日は彼の私室に私が赴いた。


 天蓋付きのベッドが背後にあり、ぼんやりとした灯が私達を照らしている。


 信じてもらえないかも知れないが、私は全く期待はしていなかった。いや、そもそもこの男に何を期待することがあるというのか。

 そんなことより、仕事上のミスを見つけられて、お説教でも食らうのではと気が重かったくらいだ。


 私の顔を見るなり、開口一番アルフは言った。


「お前は何なんだ!」

「へ?」


 いや、何なんだと言われましても。どうもはじめまして、人間です。



 なんて小ボケをかませるわけはない。アルフは険しい顔をしている。



「どういうことですか?」


 私は首を傾げながら聞いてみる。


「どうしてお前は最近俺の夢に出てくるんだ!」


 シランガナ。



「えっと、毎日会っているからではないですか? 夢というのはその日の出来事を整理するためにあると聞きますから」

「だが俺の夢に女などでてきたことは一度もない。母上ですら!」


 イヤシランガナ。


「えっと、だとしたら……」

「いや、この話は良い」


 いやこの話振ったのあなたでしょうが。

 アルフは片手で顔を撫でるように擦った。先ほどの顔つきよりも幾分か柔らかくななったように思う。


「最近、お前を見ると、その」

「その?」

「何か変なのだ」


 確かに変ではある。大いに。


「最初はお前を見ても何も感じなかった。ただの一人の女だとしか思っていなかった」

「はあ」

「だがお前は違うのだと気付いた。俺を見ても動揺しない。常に毅然とした態度で接してくる。見どころのある女だと思ったのは確かだ」

「あ、ありがとうございます」


 え、褒められたんだけど。まさか開き直って接してたのが、こんなふうに捉えられていたなんて思わなかった。

 しかしここから、アルフの言動がどんどんおかしくなり始める。


「最近、お前に微笑まれると心臓が苦しく……胸が熱くなるような感じになる。誰に微笑まれてもああなったことなどないのに」

「ちょっ、旦那様?」



 待ってくれ。こっちの顔が熱くなりそうだ。この子、言ってて恥ずかしくないの? いやその辺の感覚は日本人と違うのだろうか。

 アルフはカッと目を見開いて言った。


「さては新種の病気だと俺は思った!」

「はぇ?」

「何か良くないものが俺の身体を蝕んでいるに違いない。だから医者を呼んだ!」


 医療資源の無駄遣い過ぎる。


「だが医者は『軽い動悸など、健康な人でもあることですから』と言う。俺がアリシア、お前のことを考えると特に胸が苦しくなることなど細かに説明しても、医者は『あっ』と言った後言葉を濁すのみだ。あのやぶ医者め」



 お医者さん可愛そ過ぎる!

 というか、そこまで行って、何で気づかないのだろうか。控えめに言ってアホなのだろうか。

 私は、そろそろと手を上げた。


「どうした」

「うぬぼれているようで、大変申し上げにくいのですが」

「言ってみろ」

「それって、【好き】という感情なのでは?」


 まるで時間ごと停止したかのように、アルフの動きが止まった。

 しかし次の瞬間、手がちぎれる勢いで振って否定し始めた。


「いやいや! 俺は人を好きになったことなど一度もない! 今更お前を好きになるはずがないだろう!」


 必死過ぎる。

 必死過ぎて完全にキャラ崩壊している。何故こんなに気付かないのだろう。



 アルフはいましましげに、髪をかきむしった。


「最近何をしていてもお前のことばかり考えてしまう。まるで思考を乗っ取られたように……」

「いや、だからそれは」

「さてはお前、呪術師だな!?」

「違います」


 どういうシチュエーションで着せられる濡れ衣だそれは。



「実際に俺は呪術師を呼んで自分に呪術がかけられているか見てもらった!」


 呪術資源の無駄遣い過ぎる。


「だが『どんな呪もかかっておりません』だと、あのヤブ呪術師!」


 呪術師にもヤブとかあるんだ。



「俺が事細かに(以下略)」



 この人は女嫌いだと聞いた。もしかしたら幼少期から女性を遠ざけていたのではないだろうか。女性に対しての対応は、私も見ているし、親しい間柄の人も居なかっただろう。

 結果、女性に免疫が無いし、異性を好きになるという感覚も分からないのかも知れない。




「それに叔父上に手紙を書いた際、ありとあらゆる場所にお前の名前が差し込まれていた!」


 暗号かな?


「あと重要な書類にサインする時、あやううくお前の顔を描きそうになったこともある!」


 似顔絵!? 名前じゃなくて!?



「推理小説を読んでいても登場人物の顔が全部お前の顔で脳内再生される!」


 それは純然たるホラー小説。



「探偵から犯人から凶器のこんにゃくに至るまで全てがお前の顔だ」

「悪夢なのでは」



「池の鯉に餌をやっている時も、こいつらが全部お前だったらどれほど良かったかと!」

「良くない良くない!」


「最近では、お前と会う前になると、勝手に身体がスキップしてしまう!」



 めっちゃワクワクしてる!!


 鼻水が出そうになった。

 アルフが真顔で城内をスキップしている場面を想像してしまったからだ。さぞ恐ろしい光景に違いない。すれ違った人はさぞ驚いただろう。

 昼ならまだ良い。夜は危険だ。暗い廊下を真顔でスキップする身長190cm超えのガタイの良い大男とか、もう存在が都市伝説だ。


「さてはお前、そういうややこしいタイプの傀儡師だな!?」

「ややこしいタイプの傀儡師。違います。あの、旦那様」

「違う!」

「まだ何も言ってませんよ」


 何この不毛な言葉の応酬。

 一息に叫びすぎたのか、我が旦那さまは肩で息をしていた。



「恐縮ですが、やはりそれって、【好き】という感情なのではと思うのです。でも私達は夫婦ですし、何も不自然なことでは」

「いやいやいやいやいや!!!」


 アルフはぶんぶん首を振り始めた。フィジカルがすごいだけに残像が見える。柴ドリルみたい。

 この人がどれだけ優れた軍人であっても、今は血濡れの黒狼などではない。ただの柴犬である。


「俺は認めないからな!」


 アルフは私を指さした後、走って部屋を出て行ってしまった。

 薄暗いが、顔が真っ赤なのは分かった。


「あの、ここ貴方の部屋……」


 私は暫くして自室に帰った。明日から、どういう顔をして彼と会えば良いのだろう。彼の気持ちを知ってしまった以上、私も自然に接せられる気がしない。


 色々と考えていたが、そのうち私は眠りに落ちてしまった。

 しかし私はこの時知らなかった。

 彼がとんでもなく愛の重い男だということを。その愛のすべてを、私に全振りし始めるということを……。




 おわり

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― 新着の感想 ―
面白れぇ男だ
( ̄▽ ̄;)…えーと、旦那さん、ホントに人間?、宇宙人か何かじゃないの? ( ̄▽ ̄;)ファンタジーだから、精霊とか、魔法生物だったりしない? ( ̄▽ ̄;)人の機微に疎いってレベルじゃないっしょコレ? …
ややこしいタイプのおもしれぇ男よの・・・ 面白かったです
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