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Last Song  作者: TD Coh
4/13

第三楽章 Gentle Rain

"We both are lost and alone in the world

Walk with me in the gentle rain Don't be afraid"


世界でたった一人取り残されたって

思ってきた僕たち

優しい雨の中 一緒に歩いて行ってみないかい?

何も怖がらなくていいよ


── Astrud Gilberto「Gentle Rain」



 


年末の街は、色とりどりの灯りでにぎやかだった。

でも、ふたりで歩くこの道は不思議と静かで──雨上がりの空気が、世界をまるごと洗い流したようだった。


ふたり並んで歩いている途中、少しだけ沈黙が続いたあと――


春菜が、ぽつりと言った。


「ねえ……手、つなげたらいいなって思ってるの」


雪斗は少し驚いたように春菜を見た。けれどすぐに、優しく微笑んで、言葉を返す。


「俺も……実はそう思ってたんです」


照れたように笑い合う。

次の瞬間、自然にふたりの手が重なる。


その繋いだ手は、ぎこちないけど、ちゃんとあたたかかった。

お互いの体温が、じんわり伝わってくる。


 


「……わたし、こんなふうに“手をつなぎたい”って思ったの、すごく久しぶりかも」


春菜が少しうつむきながら言うと、雪斗は歩調を合わせるように言葉を続けた。


「うれしいです。たぶん俺も……同じかもしれない」


無理に会話を続けようとせず、けれど途切れた沈黙が気まずくなることもない。

ふたりの間に流れる時間は、どこかやわらかで、心地よかった。


ふと、春菜が言う。


「……なんか、自然ですね。こうしてるの」


「はい。俺も、そう思ってました」


言葉の調子は敬語寄りなのに、どこか親しげでやさしい響きが残る。


まるで、お互いに“最初からこうだった”みたいな錯覚すら覚えるような、

それくらい穏やかな気配が、ふたりを包んでいた。


 


ふたりの足音だけが、濡れた道に溶けていく。



やがて、春菜が足を止める。


「……このあたりで、大丈夫です。家、もうすぐそこなんです」


雪斗は一瞬驚いたような表情を見せたけれど、すぐに頷いた。


「そうなんですね。ここまで一緒に歩けて、よかったです」


「ありがとうございます。楽しかったです」


「こちらこそ」


ふたりはゆっくり見つめ合い、小さな笑みを交わした。


春菜は少し躊躇いながらも、口を開いた。


「じゃあ、ここで。」


「うん、わかった。気をつけて」


「はい。また、会えますか?」


「もちろん。きっと」


約束の言葉は交わさなかったけれど、その“きっと”の中には強い確信があった。


 


春菜は傘の下からゆっくりと手を離し、角を曲がる。


少し濡れた路面を踏みしめながら、ゆったりとした足取りで家の方へと歩き始めた。


街灯の光に照らされたその背中は、小さく揺れているように見えた。


ふいに、春菜の胸の奥で、今日の出来事が反芻される。


雪斗と手をつないだ瞬間のぬくもり。


沈黙の中で交わした言葉たち。


どれもが、不思議なほど自然で温かいものだった。


 


歩きながら、ふと立ち止まって、後ろを振り返る。


雪斗はもう見えなかった。


だけど、手のひらに残った感触がまだはっきりと温かくて。


「……さっきの、嘘じゃないよね」


静かな夜の空気に、小さな声が溶けていく。


 


足音だけが響く濡れた路地を進み、家の灯りが見えたとき、


春菜は深く息をついた。


それは新しい一歩を踏み出したような、そんな安堵と期待の混じった呼吸だった。


 


玄関の扉を静かに閉めたあと、春菜は壁にもたれて立ち止まった。


部屋の中はまだ暗くて、さっきまでの雨音の余韻だけが残っていた。


手のひらに、ぬくもりが残っている。


――雪斗さんの手、あったかかったな。


ふいに浮かぶその感触に、胸がふわりと波打つ。


言葉にはしなかったけれど、たぶん、あれは“恋人つなぎ”だった。


誰かの手を、あんなふうに自然につないだのは、いつぶりだろう。


そもそも、自分から「つなぎたい」なんて言ったのも、はじめてかもしれない。


 


ソファに腰をおろすと、まるで夢みたいに感じられて、思わず笑みがこぼれた。


(まだ……言葉にしてないのにね)


「付き合ってください」とも、「好きです」とも、まだ誰も言ってない。


でも、きっと、そんな言葉より確かな何かが、今日のあの傘の下にあった。


 


不安がまったくないわけじゃない。


あの人のこと、まだ全部わかってるわけじゃない。


でも、知りたいと思える自分がいる。


知っていきたいと思える誰かに、また出会えたことが、少しだけ怖くて、すごく嬉しかった。


 


春菜は、そっと自分の肩に触れた。


雨に濡れたシャツが、まだ少し冷たい。


けれどその下には、ぽっと灯った小さな温もりがあった。


 


(ねえ……これって、もう「好き」なんだよね)


声に出さなくても、胸の奥ではうなずいている自分がいた。


雪斗がくれた静かな優しさ。


手のひらから伝わった、名前のない約束。


 


――たぶんもう、わたしたちは、恋をしてる。


そんなふうに思える夜だった。

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