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⑥ ◇消失◇

 あたしは数ヶ月前、久しぶりの暗転現象に悩まされていた。父の面会に行った際『父親と思わなくていい。だから二度と此処に来るな』そう言われて絶望してしまったのはまだ記憶に新しい。だけどそれ以前、そしてその後も父に宛てた手紙を週に一度、変わらず欠かさず送り続けていた。どんなに辛く、寂しい言葉を浴びせられたとしても、あたしは何としてでもお父さんとお母さんを元の姿に、優しかった二人に戻してあげたかった。だってそれこそが、あたしが幸せになる一番の近道だと思ったから。そして父が放った言葉は、大切な娘が犯罪者になった父親とは決別して幸せになれるようにと、そんな思いを込めて言ってしまった言葉なのだと、あたし自身も理解していた…。

 

 そして数日前に送った手紙には

 

――――――――――――――――――


お父さん、あたしは何度だって言うよ。

父親と思わなくていいなんて馬鹿みたいなことは勝手に思っていればいいよ。罪を犯してしまった事実はもう変えられないし、絶対に許される事では無い。だけどあたしはお父さんが優しい人だった事、あたしを大切に想ってくれていた事を知っているし今も忘れていない。その頃のお父さんにあたしが必ず戻してみせるから。今後手紙も送り続けるし、何度面会拒否されてもそっちに顔出しに行くからね。  深月


――――――――――――――――――

 

 そう書き留めた。そしてその手紙がそろそろ父の手元に届いた頃かなと思っていた時に、父が心肺停止との連絡を受けた。我を忘れて父が運ばれた病院へ一目散に向かった。だけどその道中、あたしが病院に到着するのを待たずして父は亡くなってしまった。父親は自身の最期をあたしにではなく刑務官に看取られながら息を引き取った。あたしは悲しみに暮れながら病院に入り遺体を目の当たりにしたその時、今までに感じた事も無い、そしてこれから先も感じる事は無いであろう絶望感だった。そして、現実を受け止める時間も与えられぬまま死因検査結果等の説明を受ける為に別室へと連れられたあたしは、更なる恐怖、怒り、痛み、悲しみに襲われた。死因は窒息死だった…。

 遺体を調べた際に喉元に詰まっていた一枚の紙が取り出されたらしい。そう、どうやらあたしが最後に送った手紙…。それをくしゃくしゃに丸めて口の中へ入れており、気道を塞いでいた。

 

 死因検査にて取り出され、あたしの元へ返されたその紙切れは丁寧に皺を伸ばされており、確かめると間違いなくあたしが心を込めて綴った手紙だった。この手紙が父へ宛てる最後の手紙になるなんて、ましてや死に至らしめる手紙になってしまうなんて思うはずもない…。

 あたしは怒りと悲しみが入り混じったような、言葉では表せない感情になった。怒りに我を失いその手紙をまたくしゃくしゃに丸めて壁に投げつけた。と同時に、悲しみで我に返り投げつけた手紙をすぐに拾い、また丁寧に皺を伸ばした。ふと手紙の裏を見ると、書き覚えの無い文が数行綴られていた。


 

――――――――――――――――


深月

本当にありがとう

こんな父親ですまない

これまでも、これからも

永遠に愛しているよ

父さんの事は気にせず

幸せになってほしい


――――――――――――――――


 

 震えながら書いたのか、字の大きさも間隔も疎らでなんとも身勝手な文章が殴り書きの様に記されていた。あたしに対する父なりの感謝と謝罪の意を込めたつもりなのかな……?永遠に愛しているなら、何故自ら死を選んだの?どうして死ぬ前に本当の気持ちをあたしにぶつけなかったの?あたしの苦しみを聞いてくれた事はあった?残されたあたしへの遺書のつもり?自殺?ふざけないで。こんなのは償いでも何でも無い。ただ現実に負けて逃げただけじゃないのよ…。あまりにも身勝手で、卑怯で、馬鹿馬鹿しい選択と結末。死因検査結果等を全て聞き終えて、手紙を返された時にはすでにあたしの視界は霞んでいて、暗転が起こり始めていた。

 

 もちろんあたしの母の施設にも連絡が入っていたらしい。だけど母は案の定、知ったことかと取り乱し手がつけられない程だと聞いた。暫くは全てを投げ捨てた母にも会えそうにない。遠くても、会えなくても、確かにお父さんとお母さんは居たのに。アルコール中毒になって変わり果てた母でも、人に騙された挙句、殺人犯になった父だったとしても、大切な家族には変わり無かったのに。だけど今あたしは本当の意味で独りきりになってしまった。孤独な暗転の中、頭の中でプチっと糸が切れる音がして、もう全てを諦めようと思った。

 

 なのに今、あたしは彼の膝を借りてぐっすりと眠っている。泣き疲れた子供のように、大好きな人にしがみつくように、安心して眠っている…。彼と初めて出逢った時はこんなにも信頼出来る日が、愛おしく思える日がくるなんてこれっぽっちも思っていなかった。きっと彼もそうだと思う。彼が作ってくれた朝食、少しだけしょっぱいな…なんて思いながら食べていたけど、違ったね。あたしの涙だった。心の底から嬉しくて全身が温かくなったよ。全てを諦めようと思っていたあたしの人生は、運命は、暗転したまま終わりを迎える悲しい舞台だと思い込んでいた。だけど彼は、カーテンコールの様にあたしを舞台に呼び戻そうとしてくれている。まだまだ時間が必要だと思うけど、きっとまた舞台に戻ってこれるかな?心の中で彼に問いかけた。そして、あともう少し、もう少しだけ甘えさせてね…そう思いながら彼の膝枕で眠った。


 

 あたしはごく平凡な家庭に産まれた。お父さんは優しい公務員、お母さんは料理上手で美人な専業主婦。一人娘のあたしはそんな二人から充分すぎる程の愛情を注がれ、今となれば絵に描いたような幸せな家族だったのだと思う。だけどあたしが十二歳になった時、突如として全ての歯車が狂い始めたの。急に父が殺人犯となり、母はその現実を受け止められずショックのあまりお酒と薬に溺れて心を壊した。

 事件後、豹変して全く何もしなくなった母…それどころか、まるで一人で住んでいるかのように、あたしを空気のように扱っては一切の関心を捨てた。十二歳のあたしには到底抱えきれずに毎日泣いていた。だけど変わり果てた母に戸惑う時間すらも与えてもらえずに、買い物、料理、洗濯、掃除、身の回りの事は全て一人でやるしかなった。こんな状態でも独りで生きていく為に…。

 

 勿論そんな状態で母が仕事をする訳がなく、今までの親の貯金を切り崩してなんとか中学校にも行った。中学生になったばかりのあたしが一人で買い物に行き、一人でゴミを出し、一人で洗濯を干す。それを見た近所の人達は腫れ物に触るなと言わんばかりにあたしと距離を置き始めた。徐々に陰口は肥大し、有りもしない噂まで広まってしまい、あたし達家族は完全に孤立した。毎日当たり前のように耳に届く心無い誹謗中傷と罵詈雑言に怯え、それに耐え続けた結果、気が付いたら最初の暗転現象が起き始めていた…。

 

 もうこんな生活はうんざりだと、中学を卒業した後は高校には行かずアルバイトを掛け持ちして必死にお金を貯め続けた。もちろんあんな家を出ていく為に。

 母には『制服を買わずに済むように、私服で登校出来て学費が一番安い高校に進学したから心配しないで』なんて適当な嘘を吐き、アルバイトの事は隠していた。母に知られてしまえば、あたしが必死に稼いだお金が全てお酒に消えると分かっていたから。ただ、こんな見え透いた適当な嘘すらバレないくらいに母はお酒の事しか考えていなかった。ここまで成ればもう母に対して〝立ち直って欲しい〟いいや、もはや〝更生〟と言う方が正しいのかも。それを期待する事すら無意味なのかもしれないと諦めそうになることも多くなっていた。そして必死にアルバイトをして一年が経ち、本当ならば高校生活を謳歌していたであろう十七歳になる年、あたしは母に何も告げずに家を出た。

 

 初めての一人暮らしは贅沢も出来ない為に、オートロックなんて無く、ユニットバス、見た目もボロボロで結構な築年数のワンルームだった。それでも母の居ない独りきりの生活は正直なところ気楽で心地良かった。中学の三年間ずっと母の所為で出来なかった事を、自分の為の時間をしっかり取り戻そうと、これからの人生再スタートして楽しもう。そう思って胸を熱くしていた。だけどそれも最初だけだった。アルバイト先ではどれだけ真面目にしていても、毎日朝から働いているという理由だけで『高校にも行けずにフラフラしてる中卒の不良』というレッテルを貼られ、夜にアルバイトが終わってスーパーで買い物をしているだけで度々警察に呼び止められてしまう。あたしだってその辺の高校生みたいに、ただ学校で勉強して、授業が終われば夕方友達とカラオケに行ったり、気が済むまで遊んで、家に帰ったら『おかえり』と言って迎えてくれる親が居て温かい家庭がある。そんな生活したかったわよ。あたしという人間を、どれ程辛い過去があったかを、何の事情も知らないくせに色眼鏡で見てくる大人が本当に恐ろしくて心底大嫌いだった。

 

 こんな日常のおかげで日増しに周囲の人間全てが嫌になって、暗転現象が癖みたいになっていったの。その後の事は大体分かるでしょ、暗転現象が起これば連絡無しにアルバイトを休む。気まずくなっては辞めてまた新しいアルバイト先を探す…そこでも同じ事の繰り返し。それでもアルバイト先を転々と変えながらも生きていく為に働いた。母に何も告げずに家を出て四年が過ぎた頃だったと思う、母の居ない毎日が日常化しつつあって少し平和ボケしてしまっていたあたしの携帯電話に、急に知らない番号から電話がきたの。そう、母を引き取った施設。あたしが家を出てからもずっと廃人みたいに家に引きこもって相変わらずお酒ばっかり呑んでいたみたい。それである日お酒を買いに行く為に家を出た時に倒れたらしい。それで病院に運ばれ、施設に運ばれた。施設の人に身寄りは居ないのかと聞かれて、母は咄嗟にあたしの携帯電話の番号を教えたらしい。都合の良い時だけ娘扱いしてくれるな。もうあの人なんて母親でも、親子なんかでもないと、相当腹が立った事を今でも鮮明に覚えているわ。贅沢出来なくて、中学生の時に買ってもらった携帯電話を何年経ってもずっと使い続けていたのが仇になった。だけどその時、二十歳を過ぎた頃だったからか、母が更生するきっかけになれるのはやっぱりあたしの存在だけなのではないか?そんな気持ちになってしまったの。だから、これからは行けそうな時は施設に行って母が更生できるように支えてみようと思った。

 

 みんなは、そんな酷い親なんて放っておけばいい、そう思うでしょ?あたしもそう思っていたし、そうするつもりだったんだよ。だけどね、腐ってもあたしのお母さんはただ一人、あのお母さんしかいないのよ……。

 

 それからは週に何度か母の施設に顔を出した。だけど母は面会出来ない日もあるくらいに禁断症状で暴れたりする事もあって、酷い時は『あんた、私に会いに来たのにお酒も持ってきていないの?全く出来の悪い子だね、一体何をしに来たんだよ。早くお酒持ってきなさい』なんて言葉を浴びせられることもあった。いつどんな時でも母の気分次第、都合の良い時だけ娘扱いして虫の居処が悪い時は邪険に扱われる。もちろんこんな状態で暗転現象は治る事は無く、既に定期的に起こるようになっていた。

 そんな時だった、家のポストに入っていたの。北條診療内科の紙切れが。あたしはその紙切れを見て心がハッと熱くなったの。きっと彼もそうだったんじゃないかな?あたしはすぐに紙切れを持って北條診療内科に行った。そして先生と出会った。彼と同じであたしもこの暗転現象に悩まされていくつかの病院へ行ったけど、まともに話も聞いてもらえずにパニック障害だと言われ続けてきたから、本能的にあたしはもう此処しか無いと思ったの。

 

 今では此処へ来て本当に良かったと思っているわ。暗転症候群と診断したのは北條先生だけで、この病気と向き合うきっかけを作ってくれた。ゆっくり時間をかける事の大切さも教えてくれた。先生というより親戚のおじさんのようで、家族みたいに接してくれて、あたしは独りじゃないんだって気持ちにもなれた。そして何より彼とも出逢う事が出来た。紆余曲折あって、まだまだ暗転現象と向き合っている途中。だけど北條診療内科があるなら、そして彼が居てくれるなら、今後も乗り越えられそうな気がするの。だけど今回ばかりはちょっと休憩かな……鷹斗、もう少しだけ眠らせてね。


 


大切な人を慈しむ気持ちは

大きく心を動かすはず

奇跡は想い続ける事で起こすもの

そんな綺麗事は現実の影に覆われ

陽を浴びずに枯れてしまった

青春には一瞥も暮れず

費やした時間と心の意味を、訳を

見出す事すらもう無い

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