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④ ◇連鎖◇ 上

 彼女の数ヶ月ぶりの暗転現象、再発の理由、そこで生まれた絆、短い期間で右往左往、悲しみながらも立ち止まらない彼女に対する想いは、私を確実に強くしていた。

 彼女と朝食を食べた日から二週間が経とうとしている火曜日、今日を頑張れば明日は北條診療内科へ行く日、あと一日、そう思いなが仕事をしていた。私の仕事は食品の物流倉庫で出荷先ごとにピッキング作業をする仕事の為、周囲に常に従業員がいるが基本的に一人での作業が多い。幸い周囲と喋らなければいけない場面は少なく、なんとか続けている。だが、嫌な事が起きてしまう。業務もあと少しとなった十五時過ぎ、所長が誰か連れて庫内を見学していた。確か今朝の朝礼で『今日も面接で何人か来るからしっかり挨拶をするように』と所長が言っていたっけ。その面接に来たであろう人物と所長が近づいてきたので「ご安全に」庫内ルールの挨拶を軽くし二人を見ると、なんと面接に来ていたのは近藤だったのだ…。

 

「え…」「幡西か?」


 対照的な声が同時に庫内に響き渡る。


「え?二人知り合いなの?」

 

 偶然の出来事に所長も目を丸くしている。

 

「はい…」

 

 私は驚きながらも応えた。そんな事よりも何故よりによって奴が目の前に…数ある会社の中で何故ここなんだ…?全身が一気に冷めていくのがわかった。ここではすぐにその場を離れたのだが気が滅入って仕事が捗らない。まだ採用が決まったわけではないが、慢性的な人手不足の為ほぼ採用と言っていいだろう。

 

 自身の過去や暗転症候群を隠しながら周囲と距離を置き静かに仕事をしていた中に近藤…私にとって謂わば異物でしかない人間。もしも一緒に仕事するとなれば私の全てを穿鑿され、掻き乱される事は容易く想像できる。それだけで虫唾が走る…。

 そんな事を思いながらも仕事を続けているとポケットの中で携帯が鳴った。普段あまり鳴らない携帯、迷惑メールか何かだと思い画面を確認すると、なんと彼女からのメールだった。


『明日は病院行く?行くなら病院の帰りに少しだけでいいから付き合ってくれないかな?深月お姉さんからデートに誘ってあげてるわけだから、断るの無しだけど笑』

 

 会いたくない奴と会い、そんな奴と毎日顔を合わせる可能性があると知り猛烈に気が滅入っていた。だがこのメールで心の霧が晴れていく。帰り道で返信しようと、残っている仕事を終わらせ急いで職場を出た。

 

『深月ちゃん!明日も朝から病院へ行くよ。病院の後は全然大丈夫だけど、何かあったの?また明日話聞くね。デート楽しみにしています笑』

 

 彼女と出会う以前ならば、近藤と同じ空間で仕事をしていくとなれば暗転現象を呼び寄せていたかもしれない。だが今はそんな事で立ち止まってたまるかと、負の空気に逆流されないように踏ん張ろうと思える。

 暗転症候群を断ち切るきっかけが以前よりも日常の凡ゆる所に散りばめられている。先生、そして彼女の存在が私という日常の第一線に大きく存在する事の大きさ、有り難さを噛み締めながら家に帰った。

 

 水曜日、いつも通り北條診療内科へと足を運ぶ。中へ入り、先に来ていた彼女の顔を見ると暗転現象から日が経ち少し落ち着きを取り戻したのか、柔らかい表情に見える。

 

「おはよう鷹斗」

 

「おはよう幡西君、さあさ入りなさい」

 

 二人が温かい声で私を迎え入れてくれる。

 

「おはようございます。先生いつもありがとうございます。深月ちゃんおはよう、具合はどう?」

 

 私は彼女の向かいのソファに腰掛ける。

 

「うん、随分と落ち着いてきたよ。ご飯もちゃんと食べてるよ!ありがとう」

 

「よかった。今日この後は何処かへ行くの?」

 

「まあちょっとね。もしかしてあたしとデートするから緊張してるの?」

 

 そう言って微笑む彼女を見て私も顔が緩む。

 

「なになに?この後二人でお出かけかい?」

 

 嬉しそうに笑いながら煎れたてのコーヒーを私の前に置いてくれる先生。いつもの温かい空間だが前日の出来事が頭の片隅に散らつきいつものように落ち着かずにいた。


 すると

 

 「ねえ、鷹斗何かあった?いつもより表情が…」


 前日の出来事を相談しようか迷っていたのだが、彼女の方から私の小さな異変に気付いてくれた。

 

 「うん…実は昨日ちょっとあって。深月ちゃんには隠せないね」

 

 私は初めて北條診療内科に来た時に彼女に話した近藤の事をもう一度話し、奴が会社の面接に来て同じ職場で働かなくてはならない可能性がある事など、直近で起こった全てを打ち明けた。先生も彼女も初めて私が此処へ来た時と同じ様に、話を遮る事無く真剣に聞いてくれていた。

 

「そっか…そりゃあ顔も曇る訳だ。全く…その近藤って馬鹿みたいな奴はもう採用なの?」


「まだ決まったわけじゃないけど職場は人手不足だからほぼ採用決定と言っていいと思う。でもね、今までならその流れに飲まれて暗転してたと思う。だけど昨日深月ちゃんがメールをくれた時に、深月ちゃんや先生の顔が浮かんで初めて負けてたまるかって思えたんだよね。正直今は不安だけど、仮に近藤が来たとしても、あんな奴には負けない気がする」

 

 少しの沈黙の後、彼女と先生は目を合わせて少し微笑み合い、二人同時に「大丈夫だね」そう言って私を見た。

 

「幡西君、本当に逞しくなったね。短期間ですごい事だよ。その気持ちと僕と深月ちゃんが居ればきっと大丈夫。君はそんな奴の為に犠牲になる程暇じゃないし独りじゃない。全く心配は要らないよ」

 

 そう言ってくれる先生と、その横で何度も頷く彼女。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って涙が溢れそうな目を擦った。そこから二時間程話をしたり、相変わらずの先生と彼女の息の合った会話で笑ったりしながら楽しい時間を過ごして彼女と二人で北條診療内科を出た。

 

「さて、じゃあ付いてきて」

 

「うん…何処に行くの?」

 

「いいからいいから」

 

 何を聞いても教えてはくれないものの、なんだか嬉しそうな彼女。言われるがままに付いて行く。そして十分程歩き目的地に着いたみたいだ。

 

「…デパート?何か買うの?」

 

「うん、ちょっとね。ほら入るよ」

 

 出会った時のような温かい空気を身に纏う彼女の後ろ姿に頬を緩ませながら一緒に中へ入り、着いた場所は何故か男性ブランドの洋服店だった。

 

「此処だよ、一緒に来てほしかったの」

 

 男性用の洋服…そういえば彼女は綺麗で可愛くてお洒落でスタイルも良くて、話をしても面白い。それだけでなく細かな配慮もできて心から尊敬できる人柄。そりゃ恋人が居るのも無理はないと、勝手に恋人へのプレゼントを選びに来たのだろうと想像していた。二人で店内を軽く一周したところで彼女は急に立ち止まり、私を見つめた。

 

「…鷹斗がいつも着てる半袖のサイズってM?L?」

 

 彼女は真剣な顔で聞いてくる。

 

「…え?いつもMだけど、どうして?」

 

「鷹斗ってさ、いつも同じシャツ着て同じズボンしか履いてないよね?もっと身なりを整えてお洒落しないと、せっかくの男前が台無し。だから今日は服を買うの。あたしが選んでプレゼントしてあげる!この前のお礼よ」

 

 そう言って笑う彼女。思ってもいなかった事態に言葉を失った。

 

「…え、いやその…僕はてっきり、深月ちゃんには恋人がいて、その人へのプレゼントを選びに来たんだって…」

 

 そう言うと彼女は不思議そうに私を見つめ、一瞬の沈黙の後、今までに無いくらいに笑った。

 

「ハハハハ…鷹斗は本当に可愛いね。彼氏なんていないから。ってか彼氏がいたとしたらヤキモチ焼いてくれるの?そうかそうかよしよし」

 

 そう言って揶揄うように私の頭を撫でてくる。私は照れて何も言えなかったが、彼女の優しい気持ちに人生で初めてと言っていい程の嬉しさが込み上げる。

 

「いや…深月ちゃんならきっと素敵な人がいるんだろうなって勝手に思っちゃって。まさか僕の服だとは…すごく嬉しいけど気持ちだけで充分だよ」

 

「何言ってんの、あたしの気が済まないの。それに違う服着てる鷹斗も見たいな〜深月お姉さんは」

 

 彼女はそうやって揶揄ってはくるが、彼女なりの感謝の表現なのだと思いお言葉に甘えて服を選んでもらう事にした。

 

「これから梅雨が明けて暑くなってくるから半袖がいいよね」

 

 そう言って何枚か選び私の体に合わせては首を傾げたり頷いたりを繰り返す。

 

「僕は服の事よくわからないから深月ちゃんが選んでくれたものなら何でも嬉しいよ」

 

 そう伝えると、微笑み服選びに力が入る彼女。今まで感じる事の無かった温かい時間は尊く、今瞳に映る全てが煌びやかに見える。

 

「ありがとう…」

 

 目の前で一生懸命私の服を選んでくれる彼女に改めてお礼を伝える。

 

「礼を言うのはお互い様。よし!これとこれだ!買ってくるから店の外で待ってて!」

 

 結局選びきれずに二枚の半袖を手に取りレジへと向かって行く彼女を見ながら、言われるがまま店の外へと出る。

 

 そこで思いもしない出来事が起きてしまう。

 

「鷹斗?」

 

 店の外で彼女を待っていると、少し離れた所から聞き覚えのある声。その声の方に目を向けるとそこには健太の姿があった。

 

「健太…」

 

 私が末梢神経の病で夢を失くした時期を支えてくれた健太。彼のおかげで就職先も見つかり、質素ながらも人並みの生活が出来るまでに立ち直れたのは事実。本当に感謝している。だが以前近藤と会った時の事、聞かされた健太の本性、それにより暗転現象が起きた事、それらが脳裏をよぎり顔を合わせる事が出来ずにいた…。

 

「久しぶり!元気にしてた?仕事は順調?何か買いに来たの?」

 

 そんな事を知る由もない健太はいつも通りに話しかけてくる。私は質問攻めに喋る気が失せてしまう。近藤から聞いた話は無かったかのようにするしかなく、軽くいなす様に受け答えをするのが精一杯だった。その時ばかりは自分の顔が引き攣っているのがよくわかった。

 

「久しぶり…健太こそ買い物?」

 

 私の引き攣る顔に健太は首を傾げている。早くこの場から離れたい…そう思っていた時だった。

 

「ごめんお待たせ、レジ並んでて時間かかっちゃった…あれ?知り合い?」

 

 レジを終え店を出てきた彼女が私と健太を見て目を丸めている。

 

「…デート中なら言ってくれよ、邪魔して悪かったね、じゃあ」

 

 彼女と私を見た健太はそう言って消えていった。明らかに表情が曇る私を見た彼女は「すぐに出よっか」と、急いで私の手を引っ張って出口へと向かう。私は彼女の手の温もりを感じ我に戻った。


「深月ちゃん、大丈夫だよ。それより本当にありがとう」

 

 私はデパートを出てすぐ彼女にそう伝えた。

 

「それよりさっきのってもしかしてあの近藤って奴?」

 

「ううん、健太。僕の幼馴染の。この前近藤に会って以降は初めて会ったんだけど…やっぱり体が固まっちゃった。健太本人から直接言われた訳じゃないのは分かってるんだけどね、どうしても近藤の所為で信用出来なくなってる…でも負けないよ僕は。深月ちゃんがいるし、深月ちゃんがくれた服を着ていれば絶対に大丈夫」

 

 硬直する身体、近藤と会った時のフラッシュバックとまた起こるかもしれない暗転現象の見えない恐怖。苦しみの連鎖は私の心を縛り潰そうとしていた。だが今までとは違いその中でも彼女の優しさや手から感じる温もりと笑顔で、今までなら潰れてしまっていたであろう心は踏ん張ろうとしている。そう思いながらさっきまで彼女が握ってくれていた手を見てなんとか心を落ち着かせた。

 

「鷹斗…逞しくなったね。このタイミングで一緒に居る事が出来て良かった。でも無理したら絶対ダメ…手が震えてるじゃん…あたしが居るから大丈夫だよ」

 

 彼女はそう言うと、もう一度私の震える手を強く握り締めてくれた。その手はやっぱり温かくて、苦しみの連鎖を溶かしてくれるかのように僕の手に、心に、全身に優しさが流れてくるようだった。その後二人は別れ、一人の帰り道、北條診療内科を出た時から然程時間は経っていないはずなのにとても長い一日に感じた。明日からさっそく貰った服を着ようと、紙袋を大切に握り直して帰路を歩いた。

 

 三日後の朝、彼女から貰ったシャツを着て通勤する。私は嬉しさのあまり、欠かさず交互に着て出勤するようにしている。しかしそんな喜びを噛み締める時間は朝礼と共に呆気なく終わった。先週からの私の不安は的中したのだ。

 

「ご安全に、今日から新しい従業員が入ります。じゃあ挨拶して」

 

 所長の横に立っていたのはやはり近藤だった。

 

「近藤大輔です。よろしくお願いします」

 

「そういう事なので皆さん温かく迎え入れて下さい。早速働いてもらうのだけど、今日は初日だから終日付いてあげてほしいんだけど、幡西君お願いしてもいいかな?」

 

 所長は先日の面接で私と近藤が知り合いだとわかり気を遣っているのだろうが、私にとっては迷惑極まりない。だが仕事だと割り切らなければ…

 

「はい」

 

 そう返事するしか無かった。

 朝礼が終わり近藤の横で一通りの流れを説明しながら業務を進めて行く。初日とだけあって作業を覚えるのに精一杯で余裕が無い為か、近藤は珍しく無口で黙々と作業を覚えようとしている。そうこうしているうちにあっという間に休憩に入り、喫煙所と休憩の時間を伝えて離れようとした。しかし、苛立ちの時間は必然的に訪れてしまう。


「もう行っちゃうの?相変わらずつれない態度だな…一緒に休憩しようぜ。そうだ、幡西に彼女が居たなんて全く知らなかったよ。健太から聞いたぞ?お前がデートしているところに遭遇したって。驚いたな、病気で大変だと聞いてはいたけどさ、なんだかんだお前も男としてやる事はやってるんだな、ちゃっかりしてるよな」

 

 始まった…この薄ら笑い、口角を上げ人の心に土足で侵入しては虐げ配慮など無く無神経で腹立たしい猥雑な声。怒りの最果て、頼むから口を縫い付けてくれ…。

 分かってはいた、奴が上っ面だけで知ったように他人を語り物色、穿鑿し、掻き乱してくる事くらい。身構えてはいたが実際身に起こると反吐が出そうになる。

 

 私は素っ気なく

 

「彼女なんてずっと居ない」

 

 それだけ言って目も合わせずその場を離れた。

 

 休憩から戻ってきた近藤は先程の私があまりにも素っ気なかった為か

 

「ごめん、なんか触れちゃダメだった?まあ仲良くやれよ」

 

 そう言って作業を再開する。

 

 触れるどころか私の身の回りの人間の事に金輪際一言も口を開くな。そう思いながら近藤の作業を付いて回り、この日はそれ以降特に苛立たしい穿鑿は無く一日の業務を終えた。しかし今後の事を考えると溜め息しか出ない。だが一通りの作業を覚えて一人立ちすれば近藤と話さなければいけない場面も回数も減るはず、そもそもあんな奴の為に気が滅入っている事すら馬鹿馬鹿しい、気にするな。そう自分を言い聞かせながらその後の数週間をなんとか過ごした。

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