第8話 家出少女の説得法
男と和美ちゃんは十五分ほど歩いて駅から少し離れた住宅街の方へと足を進めた。
「このあたりに何があるんだ」
ここはごく普通の住宅街だ。一軒家が立ち並び、マンションやアパートも多く、静かで特に変な場所もない。電柱が張り巡らされていて、車や自転車が時折横道を通る。
こんなところでデートの続きなのだろうか。一体どこへ行こうとしてるのか。
すると、二人は二階建てのアパートに歩いて行った。
どこかの店に行くのではなく、たどり着いたのは普通の木造アパートなのだ。
「なんだここ?」
何かの店には見えない、普通に人が住んでいるアパートにしか見えない。
マンションのように玄関にセキュリティロックのようなものもなく、普通に部屋のドアが陳列している。
「え?」
その一階の階段に近い部屋のドアを開け、なんと和美ちゃんと男は同じ部屋へと入って行ったのだ。店でもなんでもなく、ごく普通のアパートの部屋の中へ。
「なんだあそこ?」
あの部屋は一体なんなのだろうか。
まさかあそこが男の自宅で和美ちゃんはそこに連れ込まれたのだろうか。
しかし、あの二人の雰囲気からして無理やり連れ込まれたとかそんな物騒な感じではない。
和美ちゃんも怯える様子もなく、まるで友人の家に遊びにいったかのような慣れ具合だ。
ただ部屋に遊びに行っただけなのか。
男の部屋そんなところに中学生の女の子が男と二人っきりで入っていっただなんて、遊びに行くことだとしてもあまりいいことではない気がする。
しかし、あの2人の雰囲気からは危険な様子など伝わってこない
「まさか和美ちゃん、あそこで寝泊まりを……?」
中学生にホテルなどの宿泊費が払えると思えない。それだと友達の家に厄介になっているという線の方がありがちだ。
しかし、それならばなぜ同じ町の友人ではなく、隣町にいるのだ。
それだとすると、誰か寝床を提供してくれる者がいるのかもしれない
それがあの男だというのか。そんなもの中学生の女の子の家出を匿っているように見える。
「年上の男の家へ行くだなんて、何があるんだ?」
どうしたものかと思ったこのことを宮下さんに伝えるべきか。
だが穏便な彼女がこれを知ったらどうなるか。妹が全く知らない男の家に二人で入っていっただなんて、妹がそんなことをしてると知ったら過剰に心配するだろう。
下手をすると彼女の両親が怒って和美ちゃんを無理やり連れ戻す為に、男の家に押しかけてトラブルになりそうなことだ。
他人の男の家に中学生が寝泊まりをしている。そんなことが知られたらただじゃ済まない。
「ご主人、どうします?」
あの部屋のピンポンを押して客のふり尋ねるなど、今ここで何か行動を起こすと間違いなくトラブルのもとでは。
とりあえず客のふりをしてあの部屋のピンポンを鳴らして客として和美ちゃんに会ってみるはどうだろうか?
しかし、そんなことをして、何を話せばいいのか。
そこの誰ともわからない男子高校生がいきなり訪ねてくるなんて不信でしかない。ただの高校生の俺がそんなことをしたって効果があるとも思えない。
相手は年上の男だ。ギャル男の家に高校生の俺が押しかけたら暴力沙汰になる可能性だってある
何かうまく言う方法はないか。
「そうだ。こうしよう」
俺はモモ太に少し話をした。
しばらくすると、先ほど二人が入っていったアパートのドアが開いた
俺は慌ててアパートの前にある電柱の影に隠れた。
部屋から出てきたのは和美ちゃんだった。
「あたし、飲み物買ってくるねー」
恐らく室内にいるであろう男に言ってるのだろう。
どうやら飲み物を買いに行くらしい。
それならばコンビニかどスーパーなどに行くのだろう。
チャンス、と思った。今なら和美ちゃんと二人になれる。
「よし、行こう」
和美ちゃんがアパートから離れて住宅街の道を歩いている時に、隙を見計って歩いてそこで俺は声をかけた。
「ちょっとそこの君」
呼び止められて和美ちゃんはぴたっと足を止めた。そして振り返った。
見知らぬ男子高校生に話しかけられて、和美ちゃんは少し戸惑いの表情が見えた。
あの派手なメイクをしても、知らない男に話しかけられるのには抵抗があるのかもしれない。
しかし舐められないようになのかすぐにその表情は消えた。
「なんですか? あたし、忙しいんですけど」
逃げられたらチャンスを逃してしまう、と思い俺は話を続けた。
いきなりだが俺は本題に入った。
「君、宮下和美ちゃんだよね?」
初対面の人間に自分の名前を言い当てられ、和美ちゃんはどきりとした表情になった。
全く知らない人間が自分の名前を知ってるのである、それは戸惑うだろう。
「どうしてあたしの名前を」
なぜ初対面の人間が自分の名前を知っているのだろうという表情だ。
自分の素性がバレたようで都合が悪いのだ。
ここは早く話を進めないと逃げられてしまう、俺は穏やかに言う。
「実は君のお姉さんに頼まれてね。君が家に帰って来なくて困ってるって。それでこの辺にいるって聞いたから。お姉さんが君と話をしてきてほしいって頼まれたんだ」
「……何それお姉ちゃんに頼まれて来たの?」
自分の姉が他人に自分のことを話したのだと、和美ちゃんは少し苛立っていた。
せっかく家族の元から離れられたのに、自分を連れ戻す為の追っ手が来たのだと。
「なんかよくわかんないけど。何を言いにきたわけ?」
和美ちゃんは威圧的な態度にでた。
中学生の割になんだその態度は、と思うが弱気な部分を見せれば自分が押されると思ってだろう。
しかし俺は引き下がるわけにはいかない
あえて優しい口調にしながら、俺は穏やかに接する。
「なんで人の家にいるのかわからないけどどうして家に帰らないのかな。お姉さん、君のことすごく心配してたよ。何かあったらどうしようとか、せめて連絡くらいはしてほしいって」
宮下さんは家に帰ってこない妹のことを心配していた。
連絡が全くつかなかったのだ。妹がどこで何をしてるのかがわからなかったのだ。無事なのか、事件に巻き込まれていないのかなど、常に心配だったらしい。
「あたし、帰らないよ」
和美ちゃんはそう言った。
「あたし、家になんて帰りたくない。お父さんもお母さんも、いちいち過保護だし、ちゃんと高校行けとか言うし。あたし、幸彦さんのそばにいたい」
あの男の名前は幸彦というのか。その男とどういった関係なのだろうか。
「なんであの人の家にいるの? なんだか年も離れてそうだけど。なんで傍にいたいのかな?」
まずはそのことを知らねばならないと質問をする。
「幸彦さんはいい人だもん。ネットで知り合って、いつも私の悩み事とか聞いてくれたし、優しいし。家がつまらないのなら俺の家に来ればいいって言ってくれて、あたしの面倒見てくれるもん」
だんだんと話が見えてきた。恐らくSNSといったツールで知り合った男が自分に優しくしてくれてそれで心を開き、一緒にいたいと思ってその男の元へ行ったのだろう。
「でも他人の男の家にいるだなんて知ったら君のお姉ちゃん、不安になるよ。ならいったん家に連絡したらどうだい。家の人に事情を話して」
「そんなこと言ったら絶対連れ戻されるもん。きっと幸彦さんとも会えなくなるし。幸彦さんにも迷惑がかかる。そんなの嫌」
他人の男の家にいる、そんなことを家族に知られたらそれはそうなるだろう。
今すぐ帰ってこいと言われるだろうし、男とは二度と会うなとも言われる。
中学生という子供の年齢でそんなことをしたのだから当然だと思う。
「みんな受験とか将来を考えろとかうるさいし、もう嫌になっちゃった。幸彦さんはそんな悩みをいつも聞いてくれたし、うちが嫌なら俺の家に来てもいいって言ってくれて、幸彦さんの傍にいれてあたし今幸せだもん」
その考え方は思春期あるあるだ。
親や周囲のいうことがうざくなり、そこから逃げ出したいと考える。
そこへ優しく接してくれた人物がいると、そこにつけ込まれる。
「このまま家に帰ならいつもりかい? 中学校を卒業したらどうするつもりなんだい。そもそも中学校も卒業もできなくなるかもしれないよ」
「いいもん。幸彦さんは私と結婚してくれるって言ったし、このままお嫁さんになる。学校行かなくても幸彦さんと一緒にいれるならいい」
受験だの将来を考えるよりも好きな男の家にいてそのまま結婚した方がいいというのだ。
子供らしい思想だ。
「とにかくあたし、帰らないからね。お姉ちゃんが心配してるのはわかるけど、こんなことお父さんとお母さんに知られたくないもん。あなたもいちいちもうこんなこと干渉してこないで。じゃっ」
和美ちゃんは俺に背を向けると、そのまますたすたと歩いて行った。
「まいったな」
どうしたものかと思い、俺はその場所の電柱に背中を預けた。
しかし、少しここで待たなければならない。
「あいつ、まだかな……」
しばらくすると、あのアパートの方面から道をぽてぽてと歩いてくるモモ太の姿が見えた。
「お、出てきたな」
小さい足で歩くのが遅いモモ太の傍へ駆け寄り、手に乗せる。
猫やカラスに見つからなくてよかったとホッとした。
「どうだった?」
「ご主人、中はばっちり調べましたよ」
俺は和美ちゃんと会う前にモモ太と打ち合わせをしていたのだ。
あの部屋のドアが開くタイミングを狙って、そのドアが開いた隙に部屋の中を探って来いと。
小さい体のハムスターだからこそできることだ。つまり密偵のようなことをさせたわけだ。
中の情報を一通り調べたら、あとは窓などから脱出すればいいと。それは身体が小さいからこそできることだ。まさに助手である。
「中の部屋に女の子のものと思われる洗濯物が干してありました。洗面所には歯ブラシが二つあったし女の子向けのメイク道具も置いてありました。あの子は本当にあそこに住んでるみたいです」
「本当に同居してたってわけか。やっかいだな」
洗濯物があったということは本当に定住してるのかもしれない。
着替えを家に持って帰るのではなく、その場所で洗濯しているということは長くいる証だ。
「どうします?」
「とりあえず、みんなに合流しようか」
モモ太は俺のリュックの中に入り込み、俺は駅を目指す。来た道を戻るだけだ。
駅にたどり着き、LINEのグループトークに連絡を送って淳と岸野さんと合流した。
「どうだったっす?」
俺は首を横に振った。いい結果ではなかったのだ。
「実は……」
俺はことの顛末を話した。和美ちゃんはどこにいて何をしていたのか、説得をしようとしたがダメだったことに、男と同居しているということをだ。
「そうですか、男性の家にいただなんて……」
「やっぱあの男、そういうやつだったんすかね」
和美ちゃんは幸彦という男と親しいどころかその部屋に住んでいたのだ。そして帰らないと意地を張っている。
「参ったなあ。結構頑固だぞあの子」
「どうします兄貴?」
俺達は和美ちゃんをどう説得するか悩んだ。
なかなか強情なところがあり、どうすれば家に帰ってくるのか。
このことは宮下さんに伝えてもいいのだろうか。
妹がよその男の家に転がり込んで結婚するつもりだと言ったらそんなの認めるわけない。
そういえば、と俺はあることが頭に浮かんだ。
「なあ、前世の俺達だったらこういう時、どうしてた?」
こういったことが、昔もあった気がすると思ったのだ。
前世でフィローディアで生きていた頃の思い出だ。
「こういう時って?」
「ほら、あそこでも似たようなことあっただろ? 家に帰らない女の子を説得しようとしたじゃないか」
「ああ、そういえばそんなことあったっすね」
そう、過去にもそんなことがあったのだ。
俺達は前世のことをゆっくりと思い出した。