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夢とコーヒー

 僕は夢を見たことがなかった。

 18歳と2ヶ月になるその日まで。

 いや、夢は一般的にみんなが見るものだと云うから、ここでは覚えていないというのが正しいのかもしれないけれど。

 でも、何となく。

 僕は夢を見たことがない気がしていた。


 一日は今日も単調な小説のように曖昧に過ぎていった。

 高校三年生という年齢からして、普通は受験という関門に向けてがんばっていかなければならない年頃なんだろうと思う。

 実際、クラスメイトの中にも数人ながらそういうやつはいて、かなり必死になって勉強にいそしんでいるのが見受けられる。

 しかし、僕を含め、大多数はそんなことはなかった。

 なぜなら、この高校は大学までエスカレーターの私立校。それに、その上になる大学は、私立としてはかなり名の通った一流大学といって差し支えないところなので、無理に受験する人はまれだった。

 ちなみに、ほかの大学を受験した生徒も、万が一落ちた場合、普段の成績に問題がなければ、やはり系列の大学に入学することができるので、受験生といえども、やはりほかと比べると、そこまで気が入っていないのかもしれない。


 まあ、とにかく、僕は残り三ヶ月程度の高校生活を、慣性惰性の上をすべるように生きていた。

 

 昼休み。

 僕はクラスメイトの君津と弁当を食べていた。

 その話を聞いたのは、ちょうどその時。

 「なあ、おまえって夢を見るか?」

 君津は何の脈絡もなくその話を振った。

 「いや、あんまり」

 本当は全く、というのが正直なところだが、何となく僕は言葉を濁して答えた。

 「そうか、いや、実はさ、必ず夢を見れる姿勢っていうのがあるらしいんだよ」

 「は?」

 「いや、寝るときに仰向けになってさ、手をこう、胸の上に重ねておいて寝たら、必ず夢を見るんだって」

 「ふ~ん」

 返事よりは僕は興味を持っていた。

 「でも、必ず悪夢になってしまうらしいぜ」

 「なんだ。だめじゃん」

 「でも、試してみろよ。肝試し代わりに」

 「なんで寝るときに肝を試さなきゃならないんだよ。肝の無駄遣いだろ」

 とは言ってみたものの、実際は心の中で多少ゆれていた。

 夢を見ることができる…しかし、必ず悪夢になる…。

 正直、夢を見てみたいと思ったことは多々ある。

 普通の人には絶対にわからないだろうが、全く夢を見ない睡眠というのは、案外とつまらないものだ。楽しい夢も悲しい夢も気分が高まる夢もがんばれる夢も…

 僕は一切、見たことがない。

 とはいえ、そんな他愛のない話、そこまで心に刻み付けられたわけではなく、午後の授業が始まる頃にはほとんど無意識の向こう側へその話を追いやってしまっていた。


 三年生の冬にもなれば、もう部活もなくなってしまっているので、僕の一日は、たとえ学校が終わった後でも、やっぱり、消えるだけの時間の上を流れるだけだった。

 だから、夜電気を消すときに、あの話を思い浮かべたんだろう。

 きっとほんのもう少し、楽しいことか、悲しいことか、気分が高まることか、がんばれることがあれば、そんな話は思い浮かべなかっただろう。

 つまり、僕が電燈の紐を三回引くときに、君津の話を思い浮かべていた。

 多くの人はそうかもしれないけれど、普段から僕は仰向けで寝ている。

 限りなく黒に近い群青のような部屋の奥側。ベッドの上に僕がいる。

 昔から、眠る前に色々考える癖があった。

 最近では、一番頭を使うのは、まさにこのときかもしれない。

 進路は磐石に決まっているくせに、いつのまにか僕は将来のことを考えていた。

 

 これから僕はどうなっていくのだろう?

 正直、どこに行くも何も、その大学に行っておけば、それほど就職に困ることはないはずだったたから、それなりの会社にそれなりに入って、そこそこかそれ以上の給料をもらっていくだろうことは、目に見えていたはずだ。

 それでも、僕は考えていた。

 これから僕はどうなっていくのだろう?


 夢というのは、脳の記憶を整理するために見るものらしい。

 だから、夢を見ない僕は、脳が整理されていないんじゃないかと、時々考えることがある。だから、こんな矛盾したこととか、ちぐはぐなことを考えてしまうんじゃないだろうか?

 ふと、僕は胸の上に手を重ねてみた。

 こうすれば、僕の脳は整理されるだろうか?

 こんな風に流れるように日々を生きているくせに、流れるような日々を悩んでしまうようなちぐはぐを解消できるだろうか?

 そんな風に考えたかどうかは、よく覚えていないけれど。

 おそらく僕は、胸の上に左手と右手を重ねたまま。

 苦しむこともなく眠りに堕ちた。


 どろどろとしたものに体が包まれているような。

 始めはそんな感覚だったように思う。

 少なくとも、眠りに堕ちた次の瞬間には、朝日が窓から差し込んでくるような(僕の家の窓は東向きだったろうか?)、そんないつもの眠りとは様子が違った。

 誰かに呼ばれている気がした。

 遠くで。

 いや、何かに反響して。

 「………」

 よく、聞こえないが…それでも、誰かに呼ばれている。そんな気がした。

 いや、何か語りかけている?

 「………」

 僕はうっすらと目を開ける。


 

 「あ、気がついた?」

 ユーリは僕が寝ているベッドのそばに座っていた。

 「…あれ?」

 そこは、いつもの寝室だった。

 暖炉がとうとうと燃えている。

 丸太で作られた家…つまりログハウスは、暖炉のやわらかい炎によって、暖かく照らされていた。

 僕を覗き込むユーリの顔も、同じように。

 「しばらく、寝ていたんだっけ…あれ?そうだけっけ」

 「もう、何とぼけたこと云ってんのよ…」

 「え?」

 本当に思い出せない。僕はどうなったんだ?

 「もしかして本当に覚えてないの?」

 「うん」

 「自分の手とか、見てみなさいよ」

 「え? ああ…」

 僕の右腕は、いつもと特に変化がなかった。

 でも左腕には。

 斑の刺青のような模様が刻まれていた。

 「全く。正直死んだかとも思ったわよ。よく調べてみたら、心臓は動いているから、そんなことは無いってすぐに解ったけど」

 「冷静だな」

 「覚悟はできてるからね。もうしょうがないもの」

 とりあえず、僕は今回は乗り切ったらしい。

 「明日、また病院にいこ」

 「ああ」

 ユーリの顔に限界まで近づいて、キスまでしてみたけれど、それでも、彼女は涙の後を見せていなかった。

 こんなことは、世界で見れば日常になってしまったから。

 僕らは時間の限りをベッドの中で過ごして、いつの間にか寝てしまった。


 翌朝。世界は変わっていないようだ。

 いつも通り起床は東の窓から日が差し込んでくる頃。僕らは目を覚ます。

 ほとんどいつも変わらない。太陽が僕らに朝を与えてくれる。

 暖炉は当然ながら、いつの間にか燃え尽きてしまっていた。

 「おい、起きてよ」

 くっついて寝ているユーリを起こす。相変わらず寝起きが悪く、何度か体をゆする。

 「また暖炉消してから寝るの忘れちゃったよ。いつか火事になっちゃうぞ」

 「ん~~」

 確実にユーリは聞いていなかった。僕はユーリの体をはがすように、一人ベッドから出た。

 新聞というものができてからというもの、世界のことがよく伝えられるようになった。

 それが本当のことなんだとしたら、今朝も実にたくさんのことが世界中で起こっていた。

 たくさんのものが売れて

 たくさんの人がお金を稼いだ

 たくさんの人が事件に巻き込まれ

 たくさんの人が死んだ


 それでも、今日もやっぱり目にしてしまうのは聖籠病の罹患率、そして死者数ってことになるんだと思う。

 「昨日はやっぱり『Deadline』だったみたいだな。これでしばらくは大丈夫って訳か」

 「聖籠病」…死に至る病。人類に不平等に、ランダムに襲い掛かる病。

 罹ったものは、長い年月の後、苦しむことなく突然倒れ、命を失う。

 まだその年月がどれくらいなのかは判明していない。しかし、暦概念が確立されたのを皮切りに、その長さ「潜伏期間」もやがて明らかになるだろう。

 しかし、この聖籠病患者が、かなりの人数、世界中でまとめて死ぬ日が時々ある。『Deadline』と呼ばれるその日は、その暦を用いて云えば、大体一年に二回やってくる。しかし、一年のうちのいつにやってくるのかは未だ謎で、これもある程度ランダムに決められていた。いや、今のところはランダムだと思われている。

 だから、僕らは、新聞を見て、大量の人間が、聖籠病によって死んだ日を見ることで、あとになって、それが『Deadline』であったことに気づくのだった。

 「おはよう…体は平気?」

 ユーリがやっとベッドから這い出てきた。

 「ああ。寒くない?」

 「寒い。見て解るでしょう…?」

 彼女は急ぐことなく服を着て、僕が座っている向かいのいすに座った。

 「暖炉、もうすぐ暖まるよ。」

 「ありがと」

 ユーリはまだ眠そうに目をこすっている。

 「昨日は『Deadline』だったみたいだよ」

 「そう、危なかったわね」

 「うん。でも乗り切った」

 「乗り切った」

 ふふ、と笑い合った。

 云うまでも無く、僕はその聖籠病にかかっていて、彼女は全くその傾向が見られない。

 この聖籠病は、ほかの病気と違って、100%ほかのひとに伝染しないといわれている。帰納的な見地からすれば、それは正しいようで、この病気が確認されてから、患者に接触したことによって感染したという報告は無い。

 そして病気は、普段の生活には何の影響も無いから、いつか死ぬ、という特記事項を除けば、僕は普通にほかの人と一緒に生活を送る。

 ユーリと生活を送る。

 あとの違いは、しいて言えば、時々病院に行く位か。

 かつては病気に対する差別や偏見が相当根強かったらしいが、最近は、それが伝染性を全く持たないということ、そして、罹患数が(新聞を信じるのならば)世界の人口の70%近くということで、いまやこの病気を持つほうが普通、という風になってしまったので、差別を感じたことは特に無い。

 そして、誰もが死を驚くほど受け入れいてる。

 自分が病気にかかっているか。

 或いは、大切な人が病気にかかっているか。

 ほとんどの人はそのいずれか、それが当たり前だから。

 死は、吃驚するくらい唐突にやってくるものだ。

 僕らはもう、その感覚で心を浸してしまっている。 

 僕はユーリと一緒に外へ出た。

 自分と世界の境界線が鮮明な冬は好きだ。いや、この病気になってから好きになった。

 例えそれが、植物にとって非生の季節でも。動物が、殆ど見当たらないとしても。

 僕らは手をつないで冬色の道を歩く。いつまでも一緒にいられるわけがないから。今はできるだけ、一緒にいたいって事だ。

 「病院の後、どうする?」

 「んーと、そろそろ食べもの買わないと。もうすぐ冬のお休みでしょう?」

 「…そうだね。お店が閉まってしまう前に、買っておかないとね」

 「今日も病院長引くのかしら?」

 「多分また薬草を飲まされるだけだよ」

 「そっか」

 ユーリはにこりと笑う。

 さく、さく。足下の雪が軽い音をたてる。

 「あと、本屋に行こう。本をたくさん買いたいの」

 ユーリが続ける。

 「ユーリ、最近本をよく買うね。あれ、でも、あんまり読んでいる所を見ないような…」

 僕が宙を見ながら首を傾げていると、彼女はやっぱり笑って。

 「まだ読まないでおくの」と云う。

 僕はその意味が解らなかったが、或いは解りすぎていたから、特に聞き返しはしなかった。

 道端の森の針葉樹の枝から、とさりと雪が落ちた。

 

 「コーヒー飲んだら、また眠れなくなっちゃうね」

 目の前に座るユーリが、カップを片手に云う。

 「…もう、子供みたいなこと云うな」

 「いいじゃない。眠れないなら、それで」

 「不健康だよ」

 そう云う僕の声はきっと呆れているような声だっただろう。

 太陽が少し傾き始めているお昼下がり。いつも僕らが街に来たとき立ち寄る喫茶店。

 街はいつも通り、沢山の人々が行き来する。

 「どうして街を歩く他人は、みんな楽しそうなんだろ?」

 僕はその人の波を眺めながらふとつぶやいた。

 「それはきっと、ここが街だからよ」

 ユーリが云う。

 「街には沢山人が来るでしょう?それなのに街にいて楽しくなかったら、沢山の人々が楽しくなくなっちゃうじゃない。それに、他人と同じ空間にいるのもね。…だから、みんなで、街は楽しいって、そう云う景色を、作っているんじゃないかな」

 「もし街が楽しくなくなったら、みんな街に来なくなる?」

 僕が訊くと、ユーリは首を振る。

 「それじゃあコーヒーが飲めなくなるわ」

 「じゃあ、楽しくなくても、それこそ泣きながらでもコーヒーを飲むのかな」

 「そうね」

 ユーリは考え込む。

 遠くで誰かが黒い布を被せられていた。誰か達はそれを横目に通り過ぎる。

 「きっと…泣きながらコーヒーを飲むのね。それでもきっと、コーヒーは美味しいと思うわ」

 「ふうん。ねぇ、君は夏が好きだよね?」

 「そうね。冬よりは」

 「なんで?」

 「…寒いよりは暑い方がいいとか、暖炉の手入れが面倒と云うのもあるけど…」

 「暖炉なんて、君はなにもしないじゃないか」

 そう云うと、ユーリは膨れる。

 「うるさいなぁ、たまにはやるわよ。…まあとにかく、そんな理由もあるけど、何より…」

 「…何より?」

 僕は聞き返す。

 「…体が溶けてしまえそうだからよ。溶けて…世界に混ざっている気がするから。暑いと、こう、自分と世界の境界線がわからなくなるじゃない?」

 「…そっか」


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