天の使い
この王国にも数は多くないが武芸よりも学術、魔術の才で取り立てられたり、繫栄している家系というのは存在している。先ほどの魔術もそういう貴族の一人であるヒキニ卿なのだが、出世というものにまったく興味がないのか、社交を嫌っているのかは知らないが、悪くない治世をしているのに男爵位にいる御仁だ。
「ウヒヒ、今日はネメヒちゃんが大活躍してくれそうだね。くひひひひひ」
こんな御仁だったとは思わなかったというのが本音だが、魔術についての知識は今この付近の貴族たちの中で一番持っているだろう。
「あら、瞳に照らされぬものたちに「寵愛」を卑しくも跳ねのける者がいようとは、不敬ですね。」
何故ここまで声が聞こえるのか不思議ではあるが、アプリコットの声が聞こえてくる。完全に出鼻をくじかれた形の白兵戦ではあるが、兵士たちもある程度の落ち着きを取り戻してきている。再度の号令がかかるのは時間の問題となっている時に、ヒキニ卿の隊から伝令が走ってきた。
「失礼いたします!我らが主より伝言をお伝えします。魔族の攻撃は魔術系統とは似ていないもので、恩寵とも別系統のものである可能性が高い。新系統として彼らの言葉を借りて寵愛とし、事象の観測を各家出来るだけ行い、王都に情報を持ち帰って欲しい。以上になります。無礼は承知の上ですが、これで失礼いたします。」
正直、こんな前線で無礼もくそもないのだが、体面を重んじる貴族には大事なことなのだろう。言われた側なのに、そんなことを思いながら改めてヒキニ卿からの言葉を考える。
別系統としてとらえるということは事象がどうのという難しい話が出てくるが、魔術は感覚的に使っているため、何をどうすればいいのかわからない。
何をどうすればいいのか考えていると、どうやら中央戦線で動きがあったらしい。
一際激しい剣戟の音と大地を揺るがさんとする轟音を出しながら戦線の中央で誰かがやりあっている。誰というのは言うまでもないのかもしれないが、ここからは姿こそ見えないものの、おそらく勇者殿と翡翠将なのだろう。力を持つものはすぐに地形さえも変えてしまうのだから、恐ろしい。
「あら、彼の騎士も随分と荒れていますね。そうですか、今回の「均衡者」はそこまでひどいのですか。それでは、私も本気にならなければなりませんね!」
「均衡者」なんて新しい単語が出てきて気になるところではあるのだが、熟考する余裕もなく、敵兵に動きが出た。
これまで動きを見せなかった軍勢が、突如として襲い掛かってきたのだ。
動物は突然のことには基本的に反射以外では対応が難しい。そのため、職業軍人ではない徴兵されたものはなすすべなく突然の荒波に飲まれていく。悲鳴と懇願が全体を支配していく。
「そうです。濁った瞳を持つ者たちよ。その歌声です。それを我らが瞳に捧げるのです。さすれば瞳は汝らを照らしてくださるでしょう。」
「くひひひ、前線が崩壊するのは困るので、小生も頑張りましょう。ねぇぇぇネメヒちゅわぁん。」
そのネメヒとやらが手に持っている人形のことなのだろうが、確か卿は既婚者の筈なのだが、もう深く考えるのはやめておいた方がいいかもしれない。
「コロコロ転がり クルクル回る 万象の理には抗えず 強き心に重しを 兵どもは夢を見ず 餓狼は吠えて月を見る 黒髪の乙女に贄は捧げられた バンシーウラノス」
また彼の近くから女性の絶叫が響く。絶叫が鳴りやむと同時に大地が隆起をはじめ、敵味方問わずに足を取られたものは大地にしがみつくか、つかめずに落ちていく。是非とも味方の被害を減らして欲しいものだが、戦場ではそういう配慮もしづらいのは確かだ。みるみるデカくなっていく土人形は表面はゴツゴツしていて不格好ではあるが、手足を持って二足歩行を始め、敵方に突貫していく。
少々味方に被害は出ているもののこれで五分には持っていけそうな具合になったのだが、現実とはそう甘くはいかない。
いつのまに引いていたのかわからなかったが、アプリコットと思わしき詠唱が聞こえてきた。
「我らが瞳よ 汝の子らの祈りを聴きとどけたまえ 涙は満ちた その瞳によって救済を その隻腕によって果てなき抱擁を その四つ足によって大地に息吹を その羽根によって真なる息吹を この世界を遍く照らしたまえ」
詠唱が終わると天から一筋の光柱が敵方後方に注がれる。なんてことだなんてことだ、人は神を創りだす。時に信仰で、時に政治で、時に金で、時に欲でもう数えきれないほどの神を創ってきた。それが現存しているものもあれば、廃れていってひっそりと消えたものもある。だが、今目の前で天より降りてくるものはこの世にあってはならないものだ。
昆虫の四足に蟷螂のような胴体、人のような胴体から伸びる手は右手は人の、左手は蟷螂の鎌のような形状をしている。蟷螂要素が強いのだが、そこにまだら模様のように目がついていて、しきりにギョロギョロと動いている。頭に相当する部分は大きな目になっていて、そこから覗く瞳孔には夥しい目が存在している。
「あぁ我らがアンゲルス。この地に祝福を、均衡者の再来に祝福を」




