乙女のはにかみ
聖歌にしてはおかしな所がある歌が聞こえてくると目に見えて眼前の敵兵が変化を現し始めた。鎧が赤黒く光り始めたのだ。
視覚的な情報では光っただけだが敵兵が全員右手を左肩に手を打ち付けて、示威行動をとってくる。ガチャガチャと鎧が叩かれる音とともに、戦列の中央が割れていく。
そこに現れたのは修道女の服を着た何かだ。何かと表現したのは、本来二足の脚があるはずの部分がまるでカマキリのような細長い四足がうごめいている。
ウィンプルにベールがついているため顔は伺い知れないが、下半身以外は人のような見た目をしている。
「瞳に照らされぬ者たち、お初にお目にかかります。翡翠将より一団をお預かりしているアプリコットと申します。見知りおいていただかなくても結構ですが、是非我らが瞳の素晴らしさに気付き、讃えてください。」
宗教とは救いようのない連中を生み出すことがある。(顔無し)がいい例だが生死感が常人とはかけ離れていることはもちろん、考え方、感じ方そのものも理解をしようとするとこちらがおかしくなることもあり得るので、彼の者の言い分に耳をかすことなく右翼に再突撃が指示された。
「旦那、この戦が始まってから何度言ったかわかりゃせんが、あの虫女からやばい雰囲気しか感じねぇんですが、このまま鬼の大口んなか行きますかい」
「私も何度言ったかわからないが、逃げるぞ、あんな正気じゃない奴は大体禄でもない魔術やら恩寵やらを持ってるんだ、大口を避けたつもりが巨腕に捕まってはひとたまりもない。後ろから来る隊に譲りながらこの場に留まって結果的に後列になった体裁をとるぞ、ほら、早く」
私の指示に是と答えることなく、部下たちに耳打ちをしていき自隊は徐々に減速して後列より来る隊に順番を譲っていく。途中何某と聞いてくる貴族もいたが臆病者の小心者が怖気図いているよう振舞えば鼻で笑って先に行く。私の隊が止まったのに気づいて幾つかの隊も止まっているが、督戦隊がいるわけではないので、すんなりと後列に陣取ることが出来た。
「あら、濁った瞳で我ら信徒に害を及ぼそうというのですか。なりません、なりませんよ。先ずはその行く先さえ見誤る瞳を我らが瞳でもって浄化して差し上げましょう。」
ああいうものの声は何故だか鬨の声や甲冑の動く音、馬の蹄鉄が地を蹴る音や指示を出すために大声をあげている指揮官の声といった無数の喧騒があるのによく聞こえるものだ。
宗教家の浄化という言葉はまったくもってこれっぽっちもそのままの意味でとれることでは無いので、猛烈に嫌な予感がしてゴッコを見たが、同じだったようで私を呼ぶ声が目をやると同時に飛んできた。
「旦那ぁ!」
「ゴッコ、とにかく敵方の戦列を見るな!目をつむっても構わないから、とりあえず直視するな!」
「いと慈悲深き我らが瞳よ 我らの願いを聴きとどけたまえ 汝の子らに瞳を持たぬ者たちへの灯になるる力を 暗く曇った眼で揺蕩うモノに道標たる灯を 彼の者たちに真なる世界を視る力を与えたまえ ロールオンズアイバック」
力の奔流が全体を駆け巡ったような気がした。どうだろうか、恩寵というよりも魔術系統に近いものなのかもしれない。
前線は阿鼻叫喚の様相を呈していた。目を抑えながら見えないと喚くもの、周りが敵だらけだと無茶苦茶に武器を振り回して仲間を傷つけるもの、顔を搔きむしって皮膚を割いているもの、私の魔術のように精神に干渉するというよりも「目が見えない」という事象そのものを引き起こしているように見える。だが、効果範囲はそこまで広く無いようで敵前に肉薄しようと突き進んでいた最前列にのみ症状が現れている。
まぁそれでも全体の動きを止めるのには十分な効果があるし、実際問題、突撃が中断されたことで押し合いへし合いが起きている箇所もある。
「あぁ我らが瞳よ 汝の子らに囁きたまへ 瞳より零れ落ちる 一滴の慈悲を我らに与えたまえ 彼の者らの蛮行を 瞳の慈悲で洗い流したまえ ミーティア」
続けざまにアプリコットと名乗った魔族が詠唱をする。詠唱なのか聖歌なのかは私には定義出来ないし、そんなところではない。天より無数の何かが飛来してきて、右翼を襲う。
「旦那ぁ! いよいよヤバイじゃ済まされなくなってますぜぇ」
本当にヤバイでは済まされない。私のように戦う力を持たないものはこういう力の濁流に飲まれて消えていくのだ。私としても消えたくはないので、足掻きたいのだがさてどうしたものか。
そう考えていると、我が隊の横で詠唱が始まった。
「チクタクチクタク時を刻む 万象もって抗えず 堅牢なものは灰に 豊かな大地は枯れ果てる 餓狼は吠えて月を見る 黒髪の乙女に贄は捧げられた バンシークロノス」
女性の絶叫のような音が炸裂し、聞いてしまった者は咄嗟に耳を塞いでやり過ごそうとする。一瞬のような永遠のような絶叫が止んだ時には、天より来ていた大岩は消えていた。




