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神代の魔法使い  作者: 鬼龍院刹那
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夜叉

 湊大地(みなとだいち)は、びしょ濡れのボディスーツを身に(まと)った状態でタンクを(また)ぎ越えて床に降り立つと、加多弥に向かって言った。

「このようなことが起きて欲しくなかったのですが、起きるように仕向けたのは私です。すみませんでした」

 そして、湊大地は加多弥(かたみ)に向かった頭を下げた。しかし、それには応えず入口から中に入ってきていた綿津見(わだつみ)の方を見て加多弥は言葉を発した。

「綿津見、瀬織津(セオリツ)内は現在すべてあなたが管理しているはずです。何が起きたのか説明しなさい」

 綿津見は一瞬困ったような顔をして大地(だいち)の顔を見た。まるで人間のような振る舞いだった。

 28歳の青年とは思えないほど落ち着き払った声音で、湊大地はことの成り行きを説明し始めた。

「私から説明します。これは私が昨日、綿津見さんに無理を言って頼んだことなんです。私はこれから武尊(たける)を追って、しばらくここを出払ったままになります。そうなると、どうしても心残りなのが、ここに残すことになる愛梨(あいり)のことなのです」

 加多弥は視線の先を綿津見から湊大地に変えた。

「冴島さん、そのことと何が関係あるのですか?」

夜叉(やしゃ)が私に向ける敵意です」

 加多弥がハッとした表情をした。

「あなたは何度も言い聞かせていたようですが、私には彼が納得しているようには見えなかった。それで彼を試すようなことをしたのです。そして、私が憂慮(ゆうりょ)していたことが、このように起きてしまったんです」

 加多弥が破壊されたタンクを見てから、冴島が犯人と指摘した夜叉を横目で見つめる。

「これがその結果ということですね」

「はい...夜叉が私を気に入っていないことは最初から気づいていました。それだけだったらよかったのですが、愛梨たちを連れてきた時に琥珀(こはく)に警告されたのです。精霊たちが夜叉の様子がおかしいから気をつける様にと」

「それでは、昨日、私に対して少し挑発的な発言をしたのも?」

「はい、失礼なのを承知で、あの様な挑発的な発言と態度を取りました。貴女が知っていることを喋ってくれるかもしれないということと、夜叉を(あお)ることで彼がどの様な行動に出るのかを見定めたかったのです。夜叉が何もしなければ安心して武尊(たける)を追いかけることができると考えていました」

「今日の夜に夜叉が行動を起こす確信があったのですか?」

「そのために、綿津見さんに無理を言って、今日の夜にボディの緊急メンテナンスを実施する演技を琥珀に対してしてもらったんです。夜叉の目の前で、今夜はこの施設の管理ができなくなると聞こえるように」

 少しうんざりした顔をして琥珀が言った。

「そう、私も共犯者にされちゃったんだよ」

「どうして私に相談してくれなかったのですか?」

「夜叉に注意してしまいそうだったからです。そうしたら意味がなくなってしまうからです。言わないまでも、加多弥さんを護衛するために(かたわら)にいる夜叉を意識してしまって、知らない演技をするのはあなたには難しいでしょう?」

 冴島の言うことに同意するように、頷きながら琥珀が言った。

「うん、私もそう思うよ。加多弥にはそういうことはできないよ」

「綿津見さんがメンテナンスで施設の管理ができなくなれば、機械を使った護衛システムが機能しなくなりますから、精霊達は加多弥さんの警護の警戒レベルを強化して、加多弥さんの周囲に集中することになるでしょう。夜叉は、行動を起こしやすくなると判断するだろうと思ったのです」

「それで、今日の夜中は各部屋の監視もされないと言うのを知った夜叉が、どう動くかというのを見定めようとしたということですか?」

「その通りです。何かあったらいけないので、愛梨たち3人は別の部屋にまとめて移動させています。夜叉が伊吹(いぶき)さんと美織(みおり)さんのどちらを狙うかわからなかったですけど、加多弥さんに知られたくないと云う心理が働くと思って、あなたの部屋から一番遠い美織さんの部屋のタンクに入っていたわけです。何も起きないことを望んでいたのですけど、残念です」

 綿津見の後ろについて部屋の中に入ってきて、話を聞いていた夜叉の表情は青白く、引き()っていた。

「夜叉、説明しなさい」

 夜叉は加多弥に強く言われ、下を向いて辿々(たどたと)しく喋り始めた。

「冴島と娘に何かしたら加多弥様に叱られるので...娘の仲間を脅かせば、ここに居たくないと言い出すと思って...」

 冴島は言い辛そうにしている夜叉に、助け舟を出してやることにした。

「それでタンクの電源を切ってしばらく呼吸ができないようにして、怖がらせようとしたっていうことか?」

「あ、ああ...」

「殺すつもりはなかったんだな?」

「お前の娘の仲間を驚かせば...怖がってお前の娘に出て行きたいと言うと思った。そうすれば、娘がお前を連れて出ていくと思ったんだ」

「そういうことか...部外者の俺たちには、この場所に居て欲しくなかったわけだな」

「......」

 夜叉は無言だった。

 加多弥は呆れた顔をして言った。

「冴島さんとの特訓はあんなに積極的に関わってくれたじゃない。それに、冴島さんに助言だってしてくれていたのに」

「...それは、加多弥様のご命令でしたから...」

 加多弥の言葉を聞いて、今度は冴島が呆れる番だった。


・・・この人は、夜叉が自分に対して、護衛以上の感情を持っていることに気づいていないらしい・・・そういうことに一番(うと)そうな阿修羅(あしゅら)さえ、気づいている顔をしているのに・・・


 阿修羅と琥珀が、やれやれと言った顔をしていた。

「今のでわかったと思います。夜叉は驚かすだけのつもりで、やっただけということです。ただ、亜雅籠垞(アガルタ)の人々は進化の過程や、遺伝子を操作して酸素欠乏にも強い頑丈な身体なのでしょう。しかも、化外剣闘士(けがいけんとうし)はさらに丈夫だから、地上の人間の身体がどのぐらい脆弱(ぜいじゃく)かなんて、わからなかったということです」


 冴島の言葉が終わったところで、誰も言葉を発せず静かになった。

 その重苦しい間を終わらせようとするかのように、加多弥が言葉を発した。


「状況はわかりました。でも、夜叉が主である私の警告を聞かずに暴走し、冴島さんが溺れ死にそうになったのは事実です」

 夜叉の目が驚いたかのように見開いた。

 まだ夜叉を許せないようだと思った冴島は説得を続けた。

「あらかじめ事態は予測していましたし、少しして扉が開かなかったら異能力で吹き飛ばそうと思ってましたから深刻な事態ではなかったですよ」

 夜叉がガラガラしたような声で言う。

「地上の人間は、そんなちょっとで死ぬのか?」

 少し冗談ぽい感じで、その言葉に冴島は答えた。

「化外剣闘士は亜雅籠垞(アガルタ)の一般人よりさらに頑丈なんだろう? 地上の人間をお前みたいな化け物と一緒にするな」

 ”化け物”というのが冗談に聞こえるように言ったつもりだったが、加多弥(かたみ)には今の会話は聞こえていないようだった。

「加多弥、冴島が想定していたことだし、この程度で済んだことだから...」

 琥珀(こはく)は加多弥の表情を見て喋るのをやめた。普段は優しく、おっとりしている加多弥だが、この表情をしている時の加多弥は危険だということを琥珀は知っていた。

 琥珀は目線で冴島に合図を送る。

「加多弥さん、愛梨たちは被害に遭ってないですし、私も怪我をしてるわけでもないですから...ここは穏便(おんびん)に...」

 夜叉の目つきが変わった。

「穏便だと? お前が、仕組んだことだろ!」

 先ほどまでの、叱られてオドオドした感じとは、打って変わった態度に冴島は驚いた。

・・・変に自分が(かば)いすぎたのがいけなかったのか・・・


 冴島の思っていた以上に、夜叉は加多弥に対する気持ちをこじらせていたのかもしれなかった。


瀬織津(セオリツ)に、そんな奴が──」


 ”そんな奴”という言葉を聞いた加多弥の表情が一変した。

 加多弥の周囲に薄黄色い神代文字が浮き上がると、左肩側に振りかぶった右手の人差し指、中指、薬指の下辺りから1メートルほどの金色の光の帯が真っ直ぐに(ほとばし)った。そして右手首の周囲から金色の帯に巻き付くようにして金色の光が渦を巻きながら巻きついくと金色の剣のような形になった。

 その黄金の剣が夜叉の首元に一閃された。

 

 夜叉が王城で初めて加多弥を見て憧れを抱き、命をかけてこの女性を守ろうと思ってから6年が経過していた。今までに何度も加多弥に叱責(しっせき)されたが、その時の表情は怒っていながらも、自分の成長を見守る温かみのあるものであった。だが、今の表情はまったくの別人を見ているかのようであった。夜叉にとって、それは初めて見た加多弥の表情だった。





 ── 6年前、伊予二名国(イヨフタナこく) 王城

 夜叉は現当主である、高遠(こうえん)家当主である父親の羅刹(らせつ)に連れられて伊予二名国の王城に初登城していた。この日は夜叉が12歳になって、剣士として独り立ちできたことを報告することになっている。とは言っても、単なる形式的なだけの祝い事である。

 実際は3年後に、剣士の二級に合格しなければ一人前としては認められない。夜叉は化外剣闘士の家に生まれているので化外剣闘士の二級に合格する必要があった。

 高遠家は魔術大国の伊予二名国に元からあるわけではない。元々は隠伎之三子国(オキノミツゴこく)という武闘技術国にある剣技に()けた武家である。長い歴史の中で化外剣闘士というものが必要となり、純粋な剣技を受け継いでいく家門と化外剣闘士という新しい武人を生み出す家門に分かれていったのである。武闘技術国であるから、剣技だけでなく格闘技などの家門も存在している。

 高遠家は優秀な化外剣闘士を輩出(はいしゅつ)していき、分家筋ながら皇帝の護衛の任を任されるまでになり、近衛(このえ)国としての色合いの濃い伊予二名国に配置転換されたのである。阿修羅の家元の諏訪(すわ)家もまた同様であった。

 

 正装をして背中に斬魔刀(ざんまとう)を背負い、緊張の面持ちで父親に並んで歩く夜叉の心境は複雑だった。化外剣闘士になるための修行を、幼少からさせられていたが、独り立ちの報告をできるような技術もなければ自信もなかった。才能のカケラすらないと父や兄達に(さげす)まされる毎日だった。

 化外剣闘士の試験まであと3年しかなかったが、受かる自信など全くなかった。そしてやる気もほとんどなかった。

 

 王城で挨拶を済ませ、重い足取りで城の正門側に行く通路を通っていると、横手の庭で薄黄色い球体の周りを数人が取り囲むようにして内部を見ていた。歩く速度を緩め、なんとはなしにそちらを眺めていたら羅刹が足を止めて言った。

「加多弥様のようだな」

 化外剣闘士は、その特性上、一般人よりも動体視力に優れ、視野が広く、視力も良いのが特徴である。夜叉は目を凝らして、球体の中を見た。

 薄黄色い球体は、直径70メートル程度で、その中に4人いるのがわかった。

 その中の1人は、肩の部分が(とが)った燕尾(えんび)のような外套(がいとう)を身に付けていた。夜叉は、その服装で、その女性が王室の偉い人だということがわかった。

 第一王女の名前ぐらいは、夜叉も知っていた。皇帝陛下の孫で国王の第一王女にして、天才魔術師。自分とは生きる世界が全く異なる雲の上の存在であり、名前しか知らない女性。だが、どのような容姿か見てみたいと思うぐらいで、そのぐらいの興味しか夜叉にはなかった。

 この女性が、父が言った王女の加多弥なのだろう。

 その前方に彼女を守るように巨体の男が立ちはだかっている。背中に長い太刀を背負い、腰に2本の短刀を下げていることから一級の化外剣闘士(けがいけんとうし)ということがわかった。背中の(つか)の形状から自分が帯刀(たいとう)している斬魔刀(ざんまとう)と同形状だと推測された。その斜め後ろには小柄で赤毛の女性が杖のようなものを持っているのがわかった。


 そしてその3人に相対するようにして、全身黒ずくめの長身の男が細身の黒い斬魔刀を構えていた。この男も、もう1人の巨体の化外剣闘士同様に腰に2本の短刀を下げていた。

 どうやら、1人の化外剣闘士が王女を襲っているという設定で、守護職の化外剣闘士1人と女性1人が守っているという訓練をしているようだった。

 球体の周囲にいるのは、従者や衛兵たちのようだった。

 その様子を見ていて、もう1人の女性が精霊使いだというのがわかった。術の起こりに魔術師特有の青白い発光現象がないのだ。

 精霊使いが雷と炎の、そして王女が同時に4つの魔術を化外剣闘士に、連携させて様々な術を浴びせかけた。黒衣の化外剣闘士は長大な斬魔刀と短刀、そして籠手(こて)や肘、膝に取り付けられた太い鍵爪(かぎつめ)で、それらの術をことごとく消滅させ、王女に近づいていった。その腕前は、凄まじいという言葉しか夜叉には思い付かないほどだった。

 しかし、王女に近づくことはできなかった。巨体の化外剣闘士が眼前に立ちはだかったからだ。その化外剣闘士は斬魔刀を右上に高く振り上げると左下に斬り下ろした。いわゆる袈裟斬(けさぎ)りである。黒衣の化外剣闘士は、相手の斬撃(ざんげき)を斬魔刀の刃にかすらせるようにしていなしながら、(ふところ)に入りつつ左から右に()ぎ払った。だが、そのような返しは予想の範囲内だったのだろう。すぐさま避けながら追いかけるようにして切り上げる。

 そこからは化外剣闘士同士の凄まじい剣戟(けんげき)の応酬だった。互いに一歩も譲らなかった。

 黒衣の化外剣闘士は途中で巨体の化外剣闘士の横をすり抜けて王女に迫ったが、精霊使いが種類の異なる火と土の精霊魔術を使って前進を(はば)んだ。その隙に背後から巨体の化外剣闘士に追いつかれそうになった。黒衣の化外剣闘士の意識が背後に移った一瞬を逃さず、王女の(そら)の魔術が彼の身体が上空に吹き飛ばした。術を斬魔刀で無効化できずに空中に放り上げられた黒衣の化外剣闘士は空中で体勢を整えると、異能力(いのうりょく)の念動力を使って空中から王女に向かって自らの身体を吹き飛ばした。

 だが、その戦法は王女にすでに読まれていた。いくつもの火、水、風、土、光の魔術が周囲から、黒衣の化外剣闘士の飛んでくる射線上に降り注ぐ。

 空中にいる状態で斬魔刀で防ぐには限界があった。半分近くの魔術を身に受け地面に墜落した男に、巨体の化外剣闘士が近づいていった。

 巨体の男が黒衣の男に声をかけ、手を貸して立たせているようだった。どうやら命に関わるようなことにはなっていないようだった。

 2人の男の身体が薄黄色い光に包まれた。王女が近づきながら治癒(ちゆ)術を使っているようだった。薄黄色い光による術の起こりは法術(ほうじゅつ)によるものということを夜叉は噂では聞いていた。

 夜叉は、王女が魔術師であり法術師であるということを、この時初めて知った。

 これで訓練は終了のようだった。巨体の化外剣闘士と精霊使いは王女を守り切ることができたようだった。


 4人の訓練に見入っていた夜叉(やしゃ)に、父親の羅刹(らせつ)が声をかけた。

「あの黒衣の化外剣闘士は阿修羅殿だな。いくら阿修羅殿でも、加多弥様と剛剣の虎爪(こそう)殿と特殊精霊使いの3人同時では分が悪いな」

「阿修羅殿というと...」

 気分が悪そうに羅刹が言い放つ。

「お前の兄の阿久羅(あくり)が、何度挑んでも勝てない相手だ」

 つい最近開催された武闘会の決勝で、長兄が黒き獣という二つ名を持つ化外剣闘士に2年連続で敗北したというのを聞かされたのを、夜叉は思い出した。

 普段、自分に才能がないと馬鹿にしている長兄が、勝つことができない化外剣闘士。その攻撃を正面から受け止め、互角の勝負をする年老いた巨体の化外剣闘士。そして戦闘の状況を見て攻撃と防御を司る特殊精霊使い。そして複数の魔術を同時に操る天才魔術師の第一王女。

 自分の家に閉じ(こも)り、修練や特訓という名の折檻(せっかん)虐待(ぎゃくたい)としか思えない日々の中で生きてきた夜叉には、彼らの訓練が全く異なった(まぶ)しい世界に見えていた。

 そして、化外剣闘士を退(しりぞ)けることができる魔術師が存在するという事に驚き、そして自分を(ないがし)ろにしている兄よりも強い剣士の存在に、夜叉はいつになく高揚(こうよう)していた。


 全ての訓練が終わったのか、薄黄色い球体が消えると訓練していた4人が談笑していた。周囲にいた従者から飲み物を手渡されているようだった。

 羅刹がこの場を離れようとした時に、従者の1人がこちらに走ってきて、王女様が訓練の感想を聞かせて欲しいと言っていると2人に告げた。

 なぜ声をかけられたのか、少し困惑気味の羅刹だったが、拒否することもできず早足で加多弥のところに近づくと、挨拶交わしてから羅刹は()(さわ)りない感想を伝えた。

 夜叉は子供らしく思ったことを正直に伝えると、加多弥は嬉しそうに彼の感想を聞いていた。すると、加多弥は突拍子(とっぴょうし)もないことを言い出した。

「もし良かったら、阿修羅と少し手合わせしてみませんか?」

 それを聞いた羅刹が即座に反応した。

「加多弥様、阿修羅殿と私どもは流派が異なりますので...しかも、夜叉はまだ二級にもなっておりません。他流の家門との手合わせは...」

「今日は一人前になった報告をしに来たのでしょう? それに、武闘会では他流と試合するのは問題ないのに、少し手合わせするぐらい駄目なのですか? 夜叉には良い経験になると思うのですけど」

「武闘会は正式な試合ですし、二級以上という資格を持った化外剣闘士のみが参加できるのです。通常は、他流との交流は禁止されておりまして...」

 言いづらそうに羅刹が加多弥に言うが、彼女にとって武家の慣習や規則などそれほど重要ではないようだった。

「夜叉も阿修羅の腕前には驚いているようですし、私の(たわむ)れと思って」

 羅刹は断れないと思った時に、これを利用できないかと思った。

 何故(なにゆえ)に自分がことあるごとに王城に登城しているのか。

 先代が失態をしでかし、皇帝陛下の護衛職である追儺(ついな)の任を解かれ、蟄居(ちっきょ *1)を命じられたままである。一日も早く皇帝陛下の(ゆる)しを得て、追儺(ついな)への復帰をしなくてはならなかった。

 そのためには、国王からの口添えが必要だと思ったからである。くだらない事にこだわって皇帝陛下が溺愛(できあい)している孫娘の加多弥の気分を害するよりも、ここは素直に王女の要望を受け入れれば、王女の口添えで早々に自分が追儺の職に任じられるかもしれない。そう思った羅刹は、困った表情で受け入れようとした。その時、阿修羅が口を開いた。

「加多弥様。それでは、私ではなく虎爪(こそう)殿が相手をしたらいかがでしょうか。私の諏訪(すわ)家は流派が異なりますが、虎爪殿の有賀(ありが)家は高遠(こうえん)家とは関わり合いがありますから」

 羅刹からすれば渡りに船だった。諏訪、高遠、有賀は分家だが、高遠と有賀は斬魔刀の形が似ていて流派としても近いのである。今でも細いながらも交流はある。

「おお、そうして頂けると流派の近い夜叉にも、さらに得るものがあるでしょう」

 少し不満そうな顔をした加多弥であったが、阿修羅の(げん)を受け入れた。

「わかりました。それでは虎爪に頼みましょう」

 虎爪は頷くと夜叉の前に歩み出た。

 羅刹が周囲にいた従者に、練習用の斬魔刀を用意するように言おうとしたが虎爪がそれを(こば)んだ。

「羅刹殿、夜叉が背負っているのは見せかけだけではあるまい。(やいば)(つぶ)した練習用の斬魔刀など不要です。形式上とはいえ、大人の化外剣闘士になったからには稽古でも真剣の斬魔刀を振るうのが道理であろう」

「しかし...」

 阿修羅が口を挟んだ。

「羅刹殿。化外剣闘士は刀傷(かたなきず)や恐怖に耐性がなくてはなりません。さらに言えば、相手が自分より強いことがわかっていても戦わなくてはならないことがあることを、知らなければなりません。それは皇帝陛下の追儺(ついな)前左翼(まえさよく)を守っていた高遠家の当主であればご存じの(はず)

 それを言われてしまうと、羅刹(らせつ)は何も言えなかった。

 強面(こわもて)の顔を歪ませるような微笑みを浮かばせて、虎爪が微笑みながら言う。

「大丈夫、手加減ぐらい知っています。それに、加多弥様がいらっしゃいます。少しぐらいの怪我でもすぐに治してくださいます」

 出来の悪い息子が、皇帝陛下の追儺の前右翼(まえうよく)だった虎爪(こそう)と剣を交わすなど考えられないことだった。分家では最高の出世をしたと言われる虎爪は、蟄居(ちっきょ)を命じられている父親よりも上の存在である。

「夜叉、胸を貸して頂きなさい」

「はい...」




 身長150(リン *2)程度の夜叉が、200(リン )をゆうに超える筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)な岩のような男の前に歩み寄った。

 夜叉は斬魔刀を抜き放ったまでは良かったが、(つか)を握り前方を見た瞬間に恐怖のあまり動くことができなくなってしまった。虎爪から殺意の気配は感じられなかったが、巨体と経験したことのない圧倒されるほどの迫力に加え、真剣を使った訓練に心の底から(おのの)いてしまったのだ。

 誰が見ても夜叉が恐怖に(おび)えているのがわかった。

 しばし時間が止まってしまったかのようだった。

 加多弥が夜叉にゆっくりと近づくと、(かたわ)らで芯の通った声で夜叉に命じた。

「夜叉、追儺(ついな)として私を守りなさい」

 そう言って、夜叉の背後に回り込むと、加多弥は虎爪と対峙した。

「追儺は命をかけて主を守るのが役目です。化外剣闘士の級など関係ありません。あの巨体の剣士から私を守ってみせなさい」

 冷静な眼差しで見つめる阿修羅と、その言葉を聞いて不適な笑みを浮かべる虎爪の表情は対照的であった。

 追儺とは皇帝や国王、そしてその継承候補者を守護する者たちのことをいう。追儺は基本的に魔術師、化外剣闘士、精霊魔術師の組み合わせで守護対象者を守護する。皇帝であれば上位級者が何人も守護を担当し、子供達には下位級数人が守護にあたるという形態をとる。追儺(ついな)に選ばれない化外剣闘士は、魔術師のカウンターとして必須な存在であるため、衛士であったり軍隊に配属されたり、傭兵になったりと他の職を求めることとなる。化外剣闘士の本家と分家のそれぞれ三家筋以外は追儺になることができず、それ以外の家元は追儺以外の職を見つけるしかないのが実情であった。

 しかし、本家や分家筋に生まれたといっても、実力がなければ追儺に選ばれることはない。 

 夜叉は追儺どころか、自分は化外剣闘士にすらなれないと思っていたし、化外剣闘士になりたいと思っていなかった。自分の実力で祖父のような追儺になどなれるはずもない。化外剣闘士になれたとしても魔術師と対をなす化外剣闘士程度が精々であろうということを知っていた。化外剣闘士の昇級試験に受からなければ、勘当され家を追い出されるかもしれない。家に残れたとしても、三男など関係なく雑用役を一生やらされるであろう。そんな家に生まれたことを恨んでいた。


 だが、加多弥の行動によって、恐怖で夜叉の心を縛り付けていたものを氷解させてしまったようだった。真剣を使った訓練ではなく、王女を守るということだけが心を占め、雑念が消えた。そして、震えが止まった。

 この巨大な相手に対して、どのような攻め方をすれば良いのか頭が動き始めた。

 斬魔刀は剣先から柄の終端までが、化外剣闘士の身長と同じぐらいか、少し長いぐらいが適切な長さとされている。目の前の虎爪という白髪の化外剣闘士は、210(リン)程の長さで剣幅は12(リン)程の斬魔刀を軽々と振り回し、夜叉の目の前に突き出している。片や、自分の斬魔刀は150(リン)程度の長さで剣幅6(リン)程の子供用である。

 阿修羅との戦いを見ていれば、身長差を()かして(ふところ)に入る戦法など不可能だということがわかる。そして、あの袈裟斬(けさぎ)りを自分が受け止めて防ぐことなどできるはずもない。阿修羅ですら刃の上を滑らせて受け流していたのだ。

 そのようなことを考えていたら、上段からの袈裟斬りが目の前を凄まじい風切り音を立てて通り過ぎていった。斬魔刀の切っ先が土埃(つちぼこり)を巻き上げるようにして、地面に轟音(ごうおん)を立てて食い込んだ。相手を(ひる)ませるための、当てるつもりのない牽制(けんせい)の一撃だった。

 加多弥に声をかけられなければ、この一撃で完全に戦意を喪失(そうしつ)していただろう。

 だが、加多弥のおかげで夜叉は自分でも不思議なぐらい冷静でいられた。土埃で視界が悪い中、地面に食い込んだ斬魔刀の、向かって左側に縮地(しゅくち)という体重移動を使った歩法で瞬時に走り込んだ。右利きの虎爪の右側、すなわち外側の方が斬魔刀の振りが弱まることを期待したのだ。

 しかし、虎爪は斬魔刀を外側に一文字に()ぐように振るのではなく、地面に突き刺さった剣を跳ね上げるようにして近づいてくる夜叉を迎え打った。

 迫り来る刃が足元ではなく、下から斜め上に跳ね上がってきた事に驚きながらも左手の前腕を刀身に当て、虎爪の斬魔刀を受け止めた。

 だが、凄まじい力で吹き飛ばされてしまった。

 その様子を見て、琥珀(こはく)がつぶやいた。

「なにが手加減ぐらい知ってるよ。あの子、吹っ飛んでるじゃない」

 阿修羅が冷静に解説する。

「大丈夫だ、受け止めるのを見てから力を入れて切り上げてる」

「子供相手に大人げないでしょ」

「あれでも虎爪(こそう)殿は手加減してるぞ」

「まったく剣術バカは限度知らないでしょ」

 2人の会話を他所(よそ)に、手加減をしていないようで手加減をしている虎爪と、必死に食い下がっている夜叉の訓練は続いた。

 相手に魔術師がいなければ、斬魔刀に魔力を流し魔術を無効化するといったことは考えなくて良い。化外剣闘士同士の純粋な技と力とスピードの勝負となる。引退間近とはいえ、皇帝の追儺(ついな)をしていたベテランの虎爪相手では、夜叉のスタミナが尽きるのに時間はそれほどかからなかった。反応が遅くなり傍から見ていても、明らかに反応が遅れてきていた。

 虎爪が右斜め上から切り下げ、すぐさま逆方向に切り上げた。

 夜叉の防御は間に合わず、虎爪の一撃が夜叉の胸をかすり、正装もろとも斜めに切り裂いた。だが返しの剣は、薄黄色い防護膜によって夜叉の身体に届かなかった。

 最初の一撃で夜叉の傷口から血飛沫(ちしぶき)が噴き上げたが、不思議なことに夜叉は痛みを感じていなかった。

 薄黄色い光がいつの間にか自分を包んでいた。

虎爪(こそう)、やりすぎですよ」

 加多弥は魔法で夜叉の痛みを遮断(しゃだん)しつつ、魔術防壁ではなく魔法防壁で虎爪の返しの剣を防御していた。虎爪が魔力を斬魔刀に込めていたとしても、魔法防壁であれば防ぐことができるからだ。

「いやあ、小僧がなかなか気合の入った剣を振るうもんで、やり過ぎてしまいました」

 片手で頭を()きながら謝罪する虎爪を横目に、加多弥は治癒魔法で夜叉の傷を一瞬にして治してしまった。

 痛みも感じず重症と思われた傷も一瞬で治ってしまったことに、夜叉は衝撃を受けていた。

「ごめんなさいね。この人は剣のことになると、自制できなくなることがあるの。だから阿修羅にお願いしたのに」

 そう言いながら、加多弥は満足そうに微笑んでいた。

「3年後に虎爪が私の追儺を引退することになっています。あなたが二級に合格したら、虎爪の後に追儺として私の護衛になりなさい、いいですね? 一級の阿修羅が右翼、二級のあなたが左翼です。待っていますよ」


 そして、夜叉は3年間別人になったように血を吐くような努力をして二級の化外剣闘士に合格し、加多弥の追儺になった。右側の位置は流派こそ違えど、尊敬する兄弟子の阿修羅が守護し、左側は自分が守護する。この場所は誰にも譲らない。命に変えても、王女様を守るということを夜叉は心に誓った。

 だが、ある日突然、瀬織津(セオリツ)に冴島という変な地上人がやってきて、俺の場所を奪おうとし始めた。こいつを追い出さなくては......





───自分に向かってくる黄金の閃光(せんこう)

 化外剣闘士である夜叉の反応速度であれば避けることは容易(たやす)かった。だが、夜叉は目を閉じて加多弥の光輝(こうき)(つるぎ)を身に受けることを選んだ。そして阿修羅もまた、その場を動くことをしなかった。特級になり得ると言われる阿修羅は、加多弥の腕をつかむこともできるし、斬魔刀を光輝の剣( *3)にぶつけて鍔迫(つばぜ)()いのようにすることも可能であった。しかし、斬魔刀を光輝(こうき)(つるぎ)にぶつけても切断されてしまうし、そもそも主の行為を妨害することは不敬(ふけい)にあたる。そして、それは琥珀も同様だった。


 加多弥以外、全員が動けずにいた。

 黄金色の束が夜叉の首に触れる寸前に、黄金の火花が飛び散り激しい音がした。

「なぜ、邪魔をするのです?」

 加多弥は振り向きもせず言った。

 夜叉の身体全体を、薄黄色い膜のようなものが覆っていた。

「魔法防壁の練習をしておいてよかった。結構難しいんですよね、法力の消費も多いし」

 加多弥は光輝の剣を引こうともせず、頭を冴島の方に向けた。

「あなたを殺そうとしたのですよ? なぜ助けるのですか?」

「さっきも言ったように、彼は驚かそうとしただけす。誰も死んでいないし、怪我もしていません。そんな物騒なものは消してください」

 ため息をつくと、仕方ないと言う顔をして、加多弥は光輝の剣を解除した。光に覆われていた右手首から先が現れる。

「冴島さんが、そのように言うのでしたら良いのですけど───。でも夜叉は護衛の任を解いて家元に返します。そうなれば、結果は同じことになると思います」

「どういうことですか?」

 阿修羅が突然口を開いた。

「俺から説明しよう。第一王女の追儺(ついな)を解任された理由だ。何度も命令違反を繰り返したとなれば、当主は許さないだろう。良くて破門、最悪処分される」

「処分?」

 冴島は処分という言葉を聞いて驚きを隠せなかった。

「そうだ、第一王女で皇帝の孫娘の命令を、何度も無視した追儺を家元が許すと思うか? 下手をしたら、皇帝陛下や国王陛下の追儺から高遠家が外されるかもしれないのだぞ。夜叉の首を差し出して(ゆる)しを()うぐらい、当主の羅刹(らせつ)殿ならやりかねない」

「そこまで話が広がってしまうのですか? 私の意見は聞き入れてもらえないのですか?」

「さすがに、冴島さんにお願いしていることに影響が出てしまいますから、夜叉をこのままにしておくわけにはいきません」

 冴島は自分の行動が、ここまで事を大きくしてしまったことに驚きつつ、なんとかしなくてはと頭を回転させた。

「私は先ほどから言っているように、加多弥さんと夜叉を(あお)ってしまったと反省しています。ですから、私は夜叉に名誉を挽回するチャンスを与えたい」

「どのような?」

「仁徳天皇陵で戦う際に、化外剣闘士として私の護衛になってもらいたい。その働き如何(いかん)で免職を取り消して欲しい」

 冴島以外の4人が、何を言っているのだという驚いた顔をした。

「この者が、あなたの命を狙ったらどうしますか?」

 加多弥が冴島に問うた。

 その問いに応えるように、冴島は湊大地(みなとだいち)の右手を前に差し出して肘を曲げると、右手首に黄金色の渦巻きを発生させた。1メートル程の金色の光の束が眼前に現れる。

「もし、夜叉が私の命を狙ったり、敵に寝返ったりしたら、あなたの代わりにこの光輝(こうき)(つるぎ)で、私が夜叉の処理をすることを約束しましょう。それが、私の責任の取り方と思ってください」

【後書き】

夜叉が、なぜ冴島を嫌っているのか。執拗に追い出そうとしているかという理由がやっとわかります。

本当はここの部分は軽く流すつもりだったのですけど、ちゃんと書いておかないと阿修羅、琥珀、綿津見のお話が描きづらくなるので、長めになってしまいましたが敢えて書きました。

夜叉のように阿修羅と琥珀と綿津見も加多弥のところにいる理由があるので、本編に影響しない範囲で語っていけたらと思っています。


*1 《蟄居》

ちっきょ。刑罰のひとつで、自宅や特定の場所に閉じ込められて謹慎させられることを言います。

この物語では、夜叉のお爺さんが、とある失態を犯して、皇帝の護衛職の追儺の任を解かれて、家のとある部屋に押し込められているような状態(幽閉)のことを蟄居と言っています。

そのため、現当主の父親の一級化外剣闘士の羅刹は1日も早く、自分が特級になって皇帝の追儺になろうと思っています。


*2 《凛》

リン。

単位。約1センチ。

ガンは約1メートル。


*3 《光輝の剣》

光属性の魔法剣。光属性の魔術には同じようなものは存在しない。

切断できないものはないと言われているが、唯一対抗できるのは同じ光輝の剣と魔法防壁のみと言われている。

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