弱気
加多弥と会話をしながら、炎で溶け落ち、焼け焦げて辛うじて通路とわかる場所を冴島は歩いていた。まだブスブスと火が燻っている。弱い水を魔術で通路に吹きかけて火を消しながら歩みを進めていく。
「少し待ってください。一旦会話を中止します」
冴島は腕の通信機のスイッチを切った。
尾上の遺体は、惨跛弍式から離れたところにあったことと、炎の噴出方向がヘリポート側で逆側ということが幸いし、焼けることなく床に転がっていた。突然目の前に巨大な物体が現れた驚きの顔のまま尾上は絶命していた。首はほとんど千切れていて皮膚と幾許かの繊維質で辛うじて肩に繋がっている状態だった。冴島は尾上の顔の上に手を置くと見開いている目を閉じてやった。尾上の死に方は、正しい人の死に方とは思わなかったが、魂が汚されることは避けられた。そのことだけが唯一の救いだった。
「惨跛の術を解除しておいてよかったな。そうじゃなかったら頭だけ動いてたぞ」
冗談とも本音とも、どちらとも言えないようなことを呟いた。
「ちゃんと人間として死ねてよかったよ...」
過去の戦場での苦い思い出が脳裏をよぎっていく。
性別もどこの誰ともわからないバラバラの遺体、脚を負傷した仲間が自分を置いて撤退しろと叫ぶ姿、死にたくないと泣き叫ぶ血まみれの護衛対象の女性、遺体損傷の激しい仲間のドッグタグを首から1つ取って亡骸をそのままにした撤退、そして重傷を負って日本に帰れないと覚悟を決めた自分。
「尾上君、国防軍の基地に行かせてやれなくてすまなかった...世界は大きな戦争が突然終わって、平和になったはずなんだけどなあ...」
冴島は今の自分に与えられた力に思いを巡らせた。魔法によって何事もなかったかのように修復された右手を見つめ、そしてその手を強く握り締めると、1人つぶやいた。
「葛城宿禰、魔法使いはなんでもできるんじゃなかったのか?」
力があるはずの自分の無力さに無性に腹が立った。そして、事故や猟奇殺人以外でこのような死体が日本に存在することが冴島には考えられなかった。
だが、尾上のような遺体をこのNTBSビルの中にたくさん作り出したのは冴島自身でもあった。ビルの周囲にもたくさんある。惨跛の術というのはそういうものだ。
軽くあおむいて、焦点の合わない目で焼け焦げた天井を見てから目を閉じる。
「ちょっと見知った人間が死んだだけでこれか。弱くなったな、冴島陣...戦場から遠ざかったからか? 歳をとったからか? 病気で死ぬ直前だからか? それとも娘に会えたからか?」
目を開き正面の虚空を睨みつける。
「切り替えろ...戦いは始まったばかりだ。それにゾンビを作り出したのは俺じゃあない」
冴島はわざと他責思考に切り替えようとした。
ここで自分の責任と考えたとしても、尾上もゾンビになった人々も生き返らない。それで自分が魔法の達人になるわけでもない。何の意味もないのだ。
・・・そうだ、いつも通りだ。
非情になれ。
死神と呼ばれていた時のように。
逃げてはいけない。全て受け入れて先に進むんだ。
自分ができることを全力でやるしかない。
俺は、そうやって地獄を生き抜いてきた・・・
そう自分に言い聞かせる。
だが、弱気になる自分がいるのも、また事実だった。
冴島は愛梨が人質に取られたら、今まで通りに戦う自信はあまりなかった。
しかし、2度と選択を誤りたくない。
・・・一刻も早く魔法を使いこなせるようにならなくては・・・
尾上の遺体に別れを告げると、冴島はすでに思考を切り替えていた。
腕の通信機の画面上をタッチする。タッチした場所を間違えたのか今度は音声だけではなく映像が表示された。スマートウォッチタイプの通信機の上空に浮かぶように縦8センチ、横15センチほどの大きさのややカーブしたプレートのようなものが表示され、映像が映しだされている。中心に加多弥が左斜め奥に綿津見がいた。
国防軍の試作品で似たようなものを数年前に見たことがあった。当時はすごいものが開発されたと驚いたものだが、これと比べたらオモチャ以下だ。
「これはすごいな。しかもビルの非常階段を降りているのに高解像度の映像が途切れたりしないんですね」
「上空に偵察用ドローンがいますから、画像も音声もズレることなく送受信できていると思います」
綿津見は当たり前のことのように返答する。
「私達が知らない技術でデータ送受信を行なっているんでしょうね」
「そういうことですね」
微笑みながら、今度は加多弥が返事をしたが、それ以上は語ろうとはしなかった。
冴島は階段を降りながら加多弥に告げる。
「この周囲の惨跛の術の解除を行おうと思います」
加多弥は同意してくれると思ったが、意外な反応が返ってきた。
「ちょっと待ってください。それをしたら、武尊に強力な術者が地上に存在する事を気づかれてしまうかもしれません」
「追手が来ることぐらい彼らも計算済みでしょう」
「古の盟約で伊予二名国からは追手は来ないと思っているはずなんです。とすれば地上に広範囲の解除術を使える術者がいることになるんです。先ほど冴島さんが戦った者たちは冴島さんの術や装備で追手と判断したようですけど」
「地上の人間だと問題があるのですか?」
「はい、今の時点で武尊に冴島さんの存在を知られるデメリットが計り知れないのです」
「陽動でこれだけの犠牲を出させている人間が、地上の人間に魔術師がいることを知ったら何をするかわからない? 地上の人たちを人質に取るかもしれない?」
「目的がわからない以上、慎重にならざるを得ないと思っています」
階段を降りるのを止め、少し考えて冴島が答える。
「惨跛の術を解除しなければ、追手なのか地上の術者なのか武尊には判断がつかない、か...」
綿津見が割り込んできた。
「私たちが地上の皆さんを巻き込んでいるのは事実です。ですが、惨跛の術を解除する必要性は私たちにはないんです、冴島さん」
一拍おいて冴島が呟いた。
「なるほど...葛城武尊を殺害するか、捕まえることだけが目的であって、地上の人間がどれだけ死んでも葛城宿禰や皇帝には関係がないから地下の追手は惨跛の術をわざわざ解除しない」
「そういうことです」
「惨跛の術を広範囲に解除したのを知られた時点で、地上にそれだけの力を持った魔術師がいると教えることになるのは確実ということか」
「まず、地上の軍隊の歩兵の装備では魔術師は絶対に倒せません。さらに言うと、惨跛の術を守っていた魔術師2人と化外剣闘士1人を、地上の魔術師が倒したとなればかなり警戒されるでしょう。天敵の化外剣闘士がいるにもかかわらずですから」
綿津見は加多弥の説明を補足する。
「武尊様は地上の軍隊が、魔術防壁を上回るほどの破壊力を持つ兵器で、あのビルごと破壊したとは考えないと思います」
元特殊部隊の軍人で魔術師でもある今の冴島には、加多弥が言っていることは理解することができた。
階段とヘリを使ってヘリポートを強襲する。だが、国防軍や米軍の陸上部隊の重武装でも全方位の魔術防壁は突破できないだろうことは想像に難くなかった。
・・・加多弥の言うことは一応理解はできる。だが本当に地上に術者がいることを気づかせたくないだけなのか?・・・
冴島は、これ以上通信で加多弥を説得しても意味がないように思った。
「わかりました。一旦撤退します」
「それではそちらの座標に接続します」
冴島が空間接続装置を停止させ回収していることから、ビル内のどこにでも空間接続させることが可能になっている。
綿津見の言葉に被せるようにして、今度は冴島は加多弥が思いもしないことを言った。
「惨跛の術を解除できないのであれば、娘の愛梨と友達をそちらに連れて行きたい。許可してくれませんか?」
一瞬の間があった。映像には加多弥と綿津見の目配せが映っていた。
「何人ですか?」
「今のところは2人です。娘のところに戻った時に増えていなければですが」
「そうですか...」
加多弥が悩んでいるところに綿津見が口を出してきた。
「冴島さん、加多弥様の立場上、冴島さん以外の人をここに置くのは難しいです」
「お姫様のところに私がいること自体無理がありますからね。それでしたら私のセーフハウスに2人を連れていこうと思います」
「そちらに娘さんたちを置いて、冴島さんはこちらに?」
「いえ、私は娘たちと一緒にいます」
「それは今後の行動に支障が出る可能性があるので...」
「空間接続装置があるから大丈夫でしょう。せっかく助けた娘を惨跛壱式が彷徨いているところに置いていくわけにはいかないです。実際問題、私としては状況中に一番安全な加多弥さんのところに娘がいると安心できるのですけどね。衛生上の問題もあるので高層階にあるセーフハウスに娘たちを隔離します」
暫く考えていた加多弥がため息をつきながら重い口を開いた。
「わかりました。部屋を用意します。でも私たちの説明や、一緒にいる時間が長くなることで冴島さんの正体に気づかれることも考えておかないといけないですよ」
「まあ、なるようにしかならないでしょう。そういうことについて細かく考えるのは苦手なので流れに身を任せます。これからは冴島ではなく湊大地と呼んでください」
・・・これでまずは愛梨の身の安全を確保することができた。惨跛の術を解除させない加多弥を完全に信用することはできないが、今は信用するしかない。護衛もいるし、最強と言われる魔法使いのそばが一番安全だろう・・・
冴島は加多弥との通信を終了し、非常階段を下って、愛梨が待つ15階のフロアに到着した。屋上で戦闘中に注意を逸らすために放り投げた小銃を構えて、周囲を警戒する。
往く時は尾上が一緒だったが、今は冴島1人だけだった。
さっき出て行った控室のドアの前までくる。すでに1時間以上過ぎていた。内部から声は聞こえなかった。
ドアを4回軽くノックする。
「湊です。2人とも無事ですか?」
内部でせわしなく音をたてて動き回る気配がすると、ドアの前で重いものを動かす音がした。
ドアが開くと伊吹が泣きそうな顔をして飛び出してきた。
「湊さん!」
今にも抱きつきそうな勢いだった。その背後には愛梨が安心した顔をして立っていた。
予想に反してもう1人そこには女性がいた。その女性のことを聞く前に伊吹は矢継ぎ早に質問してくる。
「無事だったんですね、良かった! 怪我はないですか? 用事は済んだんですか? あれ、尾上さんは?」
伊吹の必死さに笑みが溢れそうだったが、尾上のことを聞かれて胃を握られたような気分になった。
「尾上さんは亡くなりました」
「えっ? 亡くなった...?」
「はい...飛び出して行った先に巨大なゾンビがいて...間に合いませんでした」
ドアの裏側で、愛梨が手で口を覆って尾上が死んだ衝撃を受け止めていた。
「もしかしたら...尾上さんもゾンビに?」
伊吹が涙を流しながら冴島に問いかける。
「いえ、さっき行く前に術を解除しましたから、ゾンビにはならなかったです」
「そうですか...それだけでも救われます...」
「ところで、そちらの方は?」
「私たちの先輩なんです。用具室に隠れていたらしくて、急に静かになったから様子を見に出てきたら湊さんが部屋を出て行ったところだったらしくて」
「そういうことですか。それじゃあ、まずはここから撤退しましょう」
「どこに行くのですか? ヘリコプターで国防軍の基地に行くとかですか?」
「いえ、おそらく今のところ地上で一番安全なところだと思いますよ」
【後書き】
今回は死闘が終わって尾上の死と直面して、病気になり軍を退役してから身体も心も弱くなっていたことに気がつき始めるという場面です。
伊吹と初めて会った時も湊大地の記憶とかが影響しているのではないかと思っている節があるのですが、実際は精神面が精神が弱くなっているみたいですね。まあ、ここから非情な面が出てくるけど娘には弱い部分が出てくると思いますw
*1《ドッグタグ》
軍人が身に着ける認識票のこと。戦地で死亡した時に身元確認が簡単になるので身につけます。一般的には氏名、生年月日、性別、血液型、所属軍、認識番号が刻印されていて、2つペアで身に着ける。
*2《セーフハウス》
隠れ家のこと。敵対的な相手や行為や報復などの危険から身を守るために身を守るためや逃すための秘密の場所。
本作では、冴島は父から相続したマンションの一室をセーフハウスに使おうと考えていた。




