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伊吹は立ち上がった湊大地を見上げると、今度は何をするのだろうという顔をした。
「それじゃあ、俺はやることがあるから3人はここにいてください」
「えっ! 行っちゃうんですか?」
伊吹は驚きの声を上げた。
「さっき言ったようにヘリポートに行く用事があってね」
子供相手にするようにおどけた感じ言ってみる。愛梨を守るために少しでも彼女たちには安心してもらいたい、信用してもらいたいという気持ちの表れだった。だが冴島自身、自衛隊と軍人時代の自分では考えられない自身の変化だった。
・・・湊大地の性格や記憶が影響しているのかもしれないな・・・
先ほど彼らに説明した記憶や魂といったものも、正直自分でも理解できていない。しかも今の自分は別人の肉体を借りている状態だけに、湊大地の影響を大きく受けても不思議ではないと冴島は思った。
この部屋は安全だと言われても、湊大地がいなくなることに伊吹は不安を覚えた。
「でも...あの...ついて行ってはダメですか?」
「この上はどうなっているかわからないし、今まで以上に危険なのは確実だから連れていくことはできないかな...用事が済んだら必ず戻ってくるから」
愛梨と伊吹の2人に視線を移して安心してもらえるような笑顔を作ってみる。すると尾上が自分を忘れてもらっては困るという表情で口を挟んできた。
「あの...私も行きます」
「いえ、あなたもここで待っていてください」
「ヘリポートに行くには鍵が必要だし、途中のドアも権限がある社員の社員証じゃないと通り抜けできないんです。私、これでも管理職だから権限あるんですよ」
首から下げている社員証を得意そうに冴島の目の前に差し出す。
冴島としてはそんなドアは破壊してしまえば良いだけなのだが、なるべく音を立てず、魔術も極力使わずにヘリポートに近づきたいのは事実だった。
魔術を極力使いたくない理由。それはヘリポートに魔術師がいた場合、敵の近場で魔術を使うことによって自分の存在を気づかれる可能性があること。こちらは1人。敵は何人いるかわからず、しかも魔術師以外がいる可能性がある。直前までこっちが魔術師であることを知られたくない。そのために術を使う時も法力の使用量が少ない術を使用してきた。だが、それ以上に大事なことは、この後の戦闘がどうなるかだった。
ここまでくるのに魔術の練習を兼ねて探知や攻撃などに魔術を使ってきた。そして伊吹の腕の再生に魔法まで使い、惨跛の術の解除までしてきた。その結果、冴島は眉間部分の龍脈孔に疲労を感じ始めていた。龍脈孔は筋肉を開閉させて別次元のエネルギーを取り込むようになっている。しかもそのエネルギーを法力に変換する機能も龍脈孔は担っている。魔術や魔法を使えば必然的に肉体的な疲労を生じてしまうし制御するために精神も疲労する。
龍脈孔は筋肉のように使って鍛えることで強化されていくため、使用による疲労と回復は龍脈孔を鍛えるためには必須の作業のようなものである。魔法使いとしての日が浅く、初心者の湊大地の肉体では使用可能な龍脈孔のポテンシャルを全く活かせないのである。だが、ここはトレーニングルームではない。戦場なのだ。現有戦力で戦うしかなかった。
冴島は湊大地の肉体にある龍脈孔の状態を確認してみる。眉間の龍脈孔の疲労は感じている以上のようだった。 この肉体で活性化され使用できるのは眉間、臍下、そして右掌の3箇所だった。ここに来るまでの間、魔術と魔法を使うときに眉間の龍脈孔のみ使用してきていた。胸の中心にある大きい龍脈孔は活性化はされたものの、まだ開閉させて利用するまでには至っていない。身体の中心線にある龍脈孔は大量の法力を扱えるがが、腕や脚の龍脈孔はそこまでの法力を発生させることはできない。未発達の龍脈孔しか持たない今の肉体では下手をすると魔術での攻守の手段がなくなってしまう。
・・・ヘリポートに行くまでは魔術を使うのは控えた方が良さそうだな。胸の龍脈孔が開いてくれれば余裕ができると思うのだが・・・
しかし今使えるカードで今後の戦い方を考えなくてはならない。銃でドアを破壊すれば良いのだが尾上が行きたいというのなら、使えるカードと考えて連れて行くのも良いだろうと考えた。
・・・まあ、ドア開け要員として連れて行って、途中で追い返せば良いか ・・・
そのように考えて尾上の申し出を受け入れた。
「それじゃあ、ちょっと向こうのオフィスにある総務部のところから鍵を持ってきます」
そう言うと尾上は部屋から出て行った。
ここが安全だと言われても、さすがに自分がいなくなるのは伊吹だけでなく愛梨も不安なのか、表情が沈んでいた。
「ドアに鍵をかけて、ここにいて音を立てずに立てこもっていれば大丈夫。1、2時間ぐらいで戻ってくるから」
・・・戻ってこられる自信なんてないが、愛梨のためにもなんとしても戻ってこなければ・・・
「絶対戻ってきてくださいね」
悲壮感が漂う表情で伊吹は湊大地に声をかける。
「2人をここから助け出さないといけないから必ず戻る」
伊吹が自分を頼っていることが痛いほどわかった。
愛梨を守るために伊吹を利用できるかもしれないと考えて彼女の腕を治癒させ、安心と信頼を与えようとしてきた。だが、愛梨と年齢も近く仲が良さそうな伊吹を利用するだけ利用して愛梨だけを助けて、伊吹を見捨てるようなことは今の冴島にはできそうもなかった。
・・・愛梨を助けるだけでも大変なのに、もう1人なんてどうかしてるな俺は。やはり湊君の肉体が影響しているのだろうか・・・
そんなことを考えながら、冴島はどうしてここにいるのか改めて考えた。
自分は宿禰の頼みを受け入れ、なぜ他人の身体を使ってまで戦いに身を投じているのか。しかも銃弾が飛び交う戦い慣れた戦場ではなく、魔術や魔法といった映画や小説に出てくるような想像もできないような不可思議な戦場である。
冴島は病魔に侵され退役して病床に臥せっていても国防軍人としての誇りだけは持ち続けていた。迫り来る死を受け入れ、生に執着しなくなっていた。そんな時に地下世界の住人が自分達の世界を蹂躙しようとしていることを知った。普通であればいつ死んでもおかしくない病人には、死んでしまった後のことなどどうでも良いことだろう。だが、冴島はなんとしても祖国を守りたいと思った。それは自分にとって最も大切な存在が祖国にいるからだった。
神前愛梨を守り抜くこと。自分の娘を守ることこそが冴島の望みであった。22年前に妻に連れ去られ目の前から突然いなくなった娘を、姿形が変わっていたとしても、自分のことを忘れていたとしても、自分の手で守りたいと思った。それが、どんなに辛く苦しい戦いだったとしても、父親として成し遂げると冴島陣は心の中で誓ったのだった。
尾上が部屋に戻ってきた。手には赤いプラスティックのタグがついた鍵が握られていた。
「ヘリポートに出る鍵です。そこまでは私の社員証で行かれますから」
冴島は頷いた。
本来であれば魔術を使って空からヘリポートに行けば良かったのだが、愛梨を助けることを優先したためにビル内部から屋上に行く羽目になってしまった。屋上で待ち構えているであろう敵はビル内部でゾンビ連中相手に魔力を使って疲弊して屋上に来るのを待ち構えている。冴島は屋上の敵の思惑通りになっている気がしてならなかった。
・・・地底世界の魔術師は飛行魔術を使って空からヘリポートに登ったのだろうし、敵対する魔術師も同様だと考えるだろう。だがビルの中に空間転移できなかったことを考えると空中からの接近も無理だったかもしれないな・・・
愛梨を助けることを優先した結果だと冴島は考え直すことにした。
控室を出る時にドアに伊吹に鍵を閉めさせる。そして冴島は尾上を従えるようにしてヘリポートのある屋上を目指した。愛梨たちがいる15階のフロアに出てきた階段室のドアを開けて最上階を目指す。階段を素早く上がりながらフロアごとの状況を探知魔術で確認する。
冴島は20階に近づくほどゾンビが多いことに気がついた。下の階よりも明らかに多かった。ヘリポートで惨跛の術を発動させたとしても死者がいなければゾンビにはならない。テレビ局のビルの上層階で急に死者が出てゾンビが増えたというのは考えづらかった。しかも各フロアに満遍なく多数のゾンビがいる。15階ではオフィス側のドアをゾンビは自分で開けて控え室側に来るようなことはなかった。ゾンビに成りたてであればかなり早い速度で走ったりすることはできるが、自らどんどん他のフロアに行くようなことはできない。ゾンビはドアノブを捻ってドアを開けて通路に出てくるような器用なことはではできないからだ。
意図的としか思えなかった。
・・・やはり上にいるな。下層階でゾンビが多くなるのは理解できる。外からビルにゾンビ達が入ってきて仲間を増やすからだ。だが上層の各階に大量にいるのはやはり不自然だ・・・
20階に到達するとフロアに通じる防火扉の前で乙位階の探知魔術を使用して様子を伺った。冴島がいる場所の対角線上の通路奥側にドアが連なっているのがわかった。尾上が言っていた社員証で通過できるドアだろうと冴島は思った。だが、その奥の方は探知魔術を阻害する何かがあるのかぼんやりとしか見ることができなかった。
「考えていても仕方ないな...尾上さん、20階は通路をゾンビ達が埋め尽くしています。階段を少し降りて離れていてください」
「は、はい...」
尾上は冴島に言われた通りに階段を降り、踊り場で待機する。
冴島は小銃を構えるとセレクターのボタンを押して実体弾から風魔術に変更して、もう一つのセレクターのア・タ・レのアの”安全”からレの”連射”に切り替えた。右掌の龍脈孔に意識の1つを移す。今回は法力に変換するのではなく龍脈孔からのエネルギーを正面の空間に放出するようにコントロールすると、目の前の防火扉に叩き込んだ。
龍脈孔で魔力や法力に別次元のエネルギーを変換できなければ魔術や魔法を使うことはできないが、変換できなくてもエネルギーだけを取り込んで利用することができる人間達が地底世界には一定数存在している。地上世界では超能力者と呼ばれるが、地底世界では異能力者と呼ばれている者達である。龍脈孔からのエネルギーを利用して物理法則に干渉させるような使い方しか出来ないため、衝撃波や重いものを持ち上げたり、引き寄せたり、飛ばしたりするような力の使い方に限定されてしまう。このことから異能力者達は龍脈孔が使えるのにそのような力の使い方しか出来ない半端者として蔑んだ目で見られていた。宿禰の治める魔術師の国ではそのような風潮があるため、魔術師達は異能力者達のような力の使い方をすることは決してなかった。
だが加多弥は冴島に、その力の使い方も教えていた。きっと戦いの中で役に立つからと。
冴島の龍脈孔からのエネルギーは衝撃波として防火扉にぶつかり、金属でできた扉のヒンジは凄まじい力で捻じ切られ、台風で吹き飛ばされた段ボール箱のように防火扉は通路方向に吹き飛んだ。それが合図かのように冴島は小銃の引き金を絞った。
吹き飛んだ扉は目の前にいたゾンビ達を巻き添えにするように通路の壁に激突すると、壁を突き破って突き刺さった。扉と通路の壁に挟まれたゾンビ達は原型を留めずにバラバラになっていた。
連射された風魔術は銃口を向けた方向でゾンビ達をバラバラに切り裂いていく。狙いをつける必要はなかった。辺り一面、かつては人間だったものが風魔術でバラバラになり、肉塊とどす黒くなって粘度の高くなった血液や体液が床一面を覆い尽くす。何度も戦場で戦い、敵と言われる人間を殺したことのある冴島でも、このような場面には遭遇したことはなかった。武器を持たない多数の人間を一方的に虐殺しているのと同じであり戦争犯罪にあたる行為である。だが、相手は人間の姿をしているだけの化け物であり、VRゲームをやっていると思うように意識を無理矢理切り替えた。
弾切れを起こすことのない魔術の連射は、視界に入る範囲のゾンビ達を全てバラバラにし、ゾンビ達で埋め尽くされていた通路をスプラッター映画の一場面のようにグチャグチャにした。飛び跳ねた肉片や血が飛び散り通路の壁にへばりついている。
冴島は尾上に声をかけた。踊り場で待機していた尾上は階段を駆け上がり20階に上がるや否や、あまりの惨状に耐えきれず通路上に蹲り嘔吐した。
尾上の姿を冷静な顔をして横目で見下ろしていた冴島は、戦場の死神と呼ばれていた時の自分に戻っているような気分になっていた。




