5 出会い
目覚めたら病院のベッドの上だった。ということは無かった。昨日、昨日で良いのかな?昨日目覚めた知らない部屋の知らないベッドの上のままだった。
昨日は食事を運んでくれた人が食器を下げに来た時に「頭を撫でたりして大変申し訳ありませんでしたぁッ」と叫んで最敬礼してきた。あれはめちゃくちゃ吃驚した。
九十度に最敬礼したまま一向に頭を上げる気配がないので、いたたまれなかった。
「だ、大丈夫です。顔上げてください。ちょっと恥ずかしかっただけです、から……」
そう伝えると、相手はほんの少し顔を上げて涙で潤ませたグレーの瞳をこちらに向け、「本当っすか!?」と唸るように言った。
徐ろに右手を伸ばして相手の頭を撫でてみると、短めに切りそろえられた薄茶色の髪が意外とゴワゴワしていて驚いた。黒いのに細くてサラサラな俺と違って毛根が丈夫そうで羨ましい。俺の父ちゃんの頭は光り輝いている。うちの寺の宗派は剃髪の義務は特にない。だから、僧侶だから剃髪しているわけじゃない。薄くなったから「坊さんだしいっか」ってノリで全部剃ったのだ。髪質が父ちゃん似らしい俺は十中八九禿げる。爺ちゃんはふっさふさだけど。そんな益体のないことを考えながら、茶色い頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「はい!これでお相子!もう気にしない」
そう言ってヘラっと笑って見せると、相手は顔色を青から赤に変えてへらりと笑んで、目に浮かべていた涙を零した。
「ありがとうございますッ。俺、センティって言いますッ。この御恩は一生忘れません!」
大袈裟なと思うようなそんなやり取りを経て、最敬礼の人ことセンティさんはペコペコと頭を下げながら、食器を下げて行ったのだった。
そして今朝。腕時計を外して竜頭を回していると、センティさんが、湯気の立つお湯を張った洗面器と手ぬぐいを持って「おはよーございまーす」と、部屋へ入ってきた。
「ご継嗣様、何されてるんすか?」
俺の手元が気になるのか、首を傾げながらセンティさんは丸椅子の上に洗面器を置いて俺に話しかけた。
昨日バリーさんが俺のことを「ご継嗣様」って言ったのが引き継がれてるみたいで、むず痒い気がする。
「うちは姉ちゃ、姉が継ぐことになってるから僕は跡継ぎじゃないですよ」
そもそも寺の跡を継ぐからって偉いわけじゃないし、年上にへりくだられたら気持ち悪い。相手が丁寧な言葉遣いだと、こっちも普通に話し辛いし。
センティさんが俺の右手から目を離さないから、手を止めて腕時計を見せた。
「この時計、自動巻きなんですけど、長いこと気を失ってたみたいで止まってたから、ネジ巻いてたんです」
俺の腕時計は商店街の時計店で税込み一万円で買ったものだけど、有名メーカーの八万円の値札がついていた。店長のおっちゃんによると、店の倉庫の奥から出てきた在庫の一掃セールで投げ売りしてるとのことだった。トリセツを見ると保証書の購入年月日欄の元号が昭和だったけど、おっちゃんが動作確認はしたらしい。日差って言って、毎日時間を合わせないといけないけど、電池交換も要らないと聞いて、金属ベルトの金銀の配色が逆のお揃いのそれを、佑人と二人で今年のお年玉をはたいてそれぞれ購入した。入試の日も勿論この腕時計をしていた。
ふとそれを思い出して、今ここに居ることが少し悲しくなってきた。
腕時計を嵌めて顔を上げると、センティさんは興味津々といった顔で、まだ腕時計を見ていた。まあ、自動巻きの腕時計って珍しいよな。何百万とかするスイスの高級腕時計じゃあるまいし、とは思うけど、元の値段からして本当は中学生が持つようなもんじゃないし、ちょっとごつくてカッコイイ。俺も一目惚れしてお年玉はたいちゃった位だし。あ、そもそも異世界じゃ腕時計がシンキだとか何とか、オーパーツっぽい扱いだっけ?
「腕時計、持ってみますか?」
持ってきて貰ったお湯は少し熱めで、手を突っ込んでみると気持ちがいい。お風呂入りたいな~と、ぼんやりと考えながら尋ねてみる。
「えっ!と、とんでもないっす!また隊長たちに不敬だって叱られます!まだ死にたくありません!」
センティさんは両手をブンブン振って断ってきた。なんかよく分かんないけど、軍人っぽいし、厳しいんだろうな。
「そうですか。興味あったらいつでも声掛けて下さいね?」
持ってきてもらった洗面器のお湯で顔を洗い、手ぬぐいで拭く。タオルじゃなくて手ぬぐいなんだな。日本じゃないのに変なの。
「朝食が出来たらお持ちしますんで、暫く待っててくださいっ」
「ありがとうございます」
洗面器と手ぬぐいを抱えてペコリとお辞儀をすると、センティさんは部屋から出て行った。
寝てただけだし、腹は減ってはいないけど、朝食は大事だよな。昨日の硬いパンを思い出すとちょっと切ないけど、スープに浸せば食べられないこともないしと、気持ちを切り替えた。
昨日目が覚めるまでのことを考える。
暗闇の中を落ちていたのは、やっぱり夢とは思えない。あれはやっぱり、異世界へ移動する道だったんだろうか。 俺って言う概念が擦り切れて消えてしまいそうなくらい、長い間落ちていた気がする。ただただ、強い後悔が俺の意識を繋げ止めてくれていたけれど。もうちょっと慎重に動いていたら、佑人にあんな顔させることはなかったのに、って。
佑人は俺の幼馴染だった。幼稚園に入る前に小児喘息で入院していた時に、病院で出会った。佑人は大きな怪我をして入院してたらしいけど、詳しいことは聞かなかったから知らない。いつもニコニコと俺の後ろをついてまわる奴だった。俺達の入院していた小児病棟は、重症患者が多くてウロウロ動き回れる奴は他には居らず、自然と仲良くなった。大学病院が有る以外には過疎気味の俺らの町は子供も少なくて、中学校すら2クラスしかなかったから離れることもなく、幼稚園、小学校、中学校、と、ずっと一緒に過ごした。だけど、佑人のあんな顔を見たのは初めてだった。この世の終わりみたいな顔して、それが目に焼き付いて離れなかった。
あのとてつもなく長い暗闇が元の世界との隔たりなのだとしたら、戻る方法なんて分からない。死んで転生したのか異世界転移したのか分からないけど、多分、ここで生きていかないとならないんだろうな。
「ごめんな」
遠いところにいる佑人への謝罪を、腕時計を見ながら呟いた。
「ご継嗣様!朝食をお持ちしましたっ」
感傷に浸っていたところに、センティさんが肩で扉を押しながら、朝食らしきものを乗せたお盆を持って部屋に入ってきた。
「あ、どうもありがとうございます。言ってくれたら食堂まで行ったのに」
ベッドの横の机にお盆を乗せるセンティさんに言うと、センティさんは目を見開いて両手をバタバタと振った。
「と、とんでもないっす!ここには食堂なんて立派なものありませんから、厨房にテーブルと椅子並べてるだけなんで、ご継嗣様にお食事頂いていただけるような場所じゃないっす!」
ダイニングキッチンなんて普通じゃん。もしかして椅子が足りなかったりするのかな。
「ここの椅子持ってってもダメですか?一人で食べるの、寂しいんですけど」
ちょっと子供っぽいかとも思ったけど、駄々を捏ねてみる。それでもダメなら仕方ない。
センティさんはウッと一瞬唸ってから、「わ、分かりましたッ。後で隊長と副隊長に相談します」と、請け負ってくれた。気遣って貰えるのは有難いけど、窓のない部屋で一人閉じこもったままだと、鬱々とした気分になってしまうから、ホントに許可されて欲しい。
「それじゃあ、戴きまーす」
手を合わせて、センティさんが運んでくれた朝食に手をつける。朝食は昨日のドロドロスープと硬いパンとホットミルクだった。
「それでは、ごゆっくり召し上がってくださいッ」
俺が食事に手をつけるのを少し見つめてから、センティさんは部屋を出ていった。
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