3 知らない部屋
気がつくと知らない部屋の中のベッドの上だった。剥き出しの梁に淡い光を灯すランタンが吊るされているのが見える。
「………あれ?」
暗闇の中を底まで落下したのは夢かもしれないけど、なんでこんな古そうな木造の部屋のベッドに寝ているのか分からない。
「俺、助かったの?」
車に跳ねられたのは間違いない。だけど、何故か遠い出来事のように感じる。あの時の佑人の顔は夢じゃないと思うのに。
俺は両手で顔を覆った。
「生きてる」
死んだと思ったけど、生きてる。顔を覆った手に包帯やガーゼの感触はない。長い間昏睡してたのかもしれない。心配を掛けた親友や家族に謝らないとと思った時、目の端に映った自分の手首に違和感を感じた。
―――なんで制服のシャツ着てんの?
顔から手を離して両手首を見る。どう見てもパジャマには見えない、学ランの下に着ていた制服のシャツの袖口だった。しかも、腕時計を嵌めたまま。驚いて起き上がり、咄嗟に周りを見回した。
その時、初めて自分の横に人が座っている事に気がついた。濃い灰色の髪と明るい茶色の瞳の彫りの深い顔は外国人の看護師だろうか。
その後ろには、もう一人そっちは茶色い髪のやっぱり明るい茶色い瞳の外国人にしか見えない人がいた。二人は目線を合わすと俺の方へ視線を戻した。縦長の四畳半程の広さの部屋には窓がなく、壁は漆喰で出来ていて、ベッドの脇には小さな机と物入れのような箱があり、二人の外国人さんの背後にはもうひとつベッドがあった。出入口っぽい扉は俺の足元の方にあった。
「あ、あの、ここどこですか?」
俺がキョロキョロしてるのを黙って見ていられるのにいたたまれなくなり、慌てて尋ねると、茶色い髪の人が無表情に言葉を返してきた。
「すまん。君の言葉がわからんのだが、デール語は話せんかな?」
え。何言ってるのこの人。自分も日本語じゃん。と思った。いや、意味が分かるだけで日本語じゃない?取り敢えず会話を続ける。
「で、でーる…?あ、貴方の話してる言葉は分かります」
入試の面接を思い出し、なんとなく丁寧語使わなきゃと思った。相手は大人だし。俺の返事にその人はホッとした表情をした。
「そうか。良かった。ああ、そのまま、ベッドに入ったままでいい。私はここの警備隊長のイリヤス・ノームだ。イリヤスと呼んでくれていい。君の名前は?」
イリヤスさんか。てか、砦って?とりあえず、相手が名乗ったんだから、こっちも名乗らないと。
「青井洋輔です。」
「…アィ、ヨーシュ……?」
イリヤスさんが私は洋酒ですって言った。いや違うな。そう言えば姉ちゃんが、外国人には母音を重ねたりとかの日本語の発音は聞き取りが難しいとかなんとか言ってたなと思い出した。大岡さんがオーカさんになったりするらしい。イリヤスさんは眉を顰めて首を傾げている。
「……ヨースケで構いません」
俺がそう告げると、イリヤスさんは一つ頷いた。
「では、ヨーシュア。ここが何処だか分かるかね?」
一瞬、目が点になった。ヨーシュアって誰だよ!と、思わず突っ込みそうになって口を開けたが、グッと堪える。いや、やっぱり流石にないだろ?「ケ」は何処に言ったんだよ!とまた突っ込みたくなったけど、我慢だ。
突っ込みよりも状況確認しないと。この聞き方は記憶障害とか疑われてるのかもしれない。
「あの……ここ、病院じゃないですよね」
ヘラっと笑ってそう尋ねると、イリヤスさんはニヤリと笑った。胡散臭いというか、ちょっと怖い。俺は自分の頬の筋肉が引き攣るのを感じた。
「ああ。ここは辺境の砦だから、近くに病院はない。幸い君には特に外傷などもないようだったから、ここで介抱させて貰った」
「砦って……」
聞き間違いじゃなさそうだ。
やっぱり、俺はあの事故で死んで異世界転生したのかな。日本語を話す外国人とか、漫画やラノベじゃあるまいし。いや、日本語じゃないよな?何言ってるのかは分かるけど。
異世界転生って、女神様とか神様とかが出てきて、説明してくれたりチートくれたりするのがテンプレじゃん。でも、俺は事故に会った後、夢かも知れないけど暗闇の中を落っこちただけで、そんな説明とか全く受けていない。何か言ってた声はあったけど、全然聞き取れなかったし。ここが何処なのかも分からない。なんなんだろう。
事故の時の佑人の顔がまた頭に浮かび、苦い気持ちになる。死んで生まれ変わったなら、佑人には二度と会えない。お前のせいじゃないって伝えることも、もう出来ない。
「ここはヴァンデール公国の最北の地だ。君は今日の明け方に『世界の果て』の傍で倒れて居たのをうちの隊員が見つけたんだ」
「……世界の果て?」
眉を顰めると、イリヤスさんは頷いた。
「ああ。君は外国人だよね?公国の最北は『世界の果て』だ。聞いたことは無いかね?」
すげーな、ファンタジー世界だ。最北=世界の果てなのか。それとも大昔の、世界は断崖絶壁に囲まれていて海もそこまでしかないとか言う世界観の時代だったりするのかな。
どっちにしろ、俺にとったら異世界だ。宗教的な概念とかかもしれないし、下手なこと言わない方が良さそうかも。取り敢えず、無難な答えをしとこう。
「はい、初めて聞きました。俺、いえ、僕は行き倒れていたってことですか?」
イリヤスさんは首を縦に振ると、部屋の隅から古ぼけた木の丸椅子を持ってきて、灰色の髪の人の横に座った。灰色の髪の人は、さっきから一言も喋らない。なんでだろ。あ、上司が喋ってる時は喋っちゃいけないとかかな。イリヤスさん、隊長って言ってたし。軍人さんとか体育会系って、そういうの厳しそう。
「この付近は東西共に国境が近いからね。君は何らかの犯罪に巻き込まれたのではないかと考えているのだが、何か覚えていないかね」
イリヤスさんがまたニヤリと胡散臭く笑った。その怖い笑顔に灰色の髪の人がビクッとして、そそくさとイリヤスさんの背後に移動した。イリヤスさんは灰色の髪の人が座っていた椅子に移動する。灰色の髪の人は、イリヤスさんの背後から僕の方へ目線を向けて、眉尻を下げて少し目を伏せて見せた。今のアイコンタクト何?首を傾げて悩む。
あ、さっきの怖い笑顔ってイリヤスさんなりの思いやりなんだ、と気付いた。多分、安心させようと微笑んでるつもりっぽい。口の端だけを歪ませてるから怖いけど、口調が優しい。で、灰色の髪の人はそれが分かってて、怖がらせてごめんね、ってとこかな?
ちょっと気持ちがほっこりとして、無難な範囲だけでも正直に話してみよう、そう思った。
「車に跳ねられて……その後、ずっと夢の中で暗闇に居たと思うんですけど、気がついたらここに居ました」
イリヤスさんが黙り込んで、俺の顔を見つめる。何かに気付いたのか、ハッとした表情をした後少し固まった様子になった。それから「少し失礼」と言って立ち上がり、灰色の髪の人の方へ振り返った。
「バリー。対応を代ってくれ」
灰色の人はバリーさんって言うのか。看病してくれてたっぽいし、後でちゃんとお礼言わなきゃ。
「無理です。自分は爵位も継げない男爵家の四男坊なんで平民と同じです。高位貴族や王族の対応なんて出来ません」
おお。男爵だって!ファンタジーだ!バリーさん貴族なんだな。ちょっとワクワクする。
「俺なんて平民と同じどころか平民出身だよ!上品な言葉とか見当もつかないんだから、代わってくれよ」
「無理です。それに、尊大な態度とってらしたんですから今更では?」
その言葉を聞いて、イリヤスさんが真っ青になって、俺の方へ向いた。
「あ、あの、俺、私は平民出身なもんで貴族様の礼儀とか知らないんで、ご不快に感じられたならば、お許しを!」
「え、俺?俺はただの中学生だし、家は普通の寺ですから!」
貴族はバリーさんじゃないのと思ったけど、何か勘違いで俺が貴族だと思われてるみたいで、慌てて否定した。あ、寺って通じるのかな?てか、一神教の国だと、他宗教は異端扱いじゃね?ヤバ!
「ああ、テラのご継嗣様なんですね。穢れを知らない手をされて、とても精緻な装飾を付けられているので、いずこの御方かと」
バリーさんが囁くように言い、イリヤスさんが大きく息を飲み込む。
「は、はは」
思わず引きつった笑いが出て、自分の両手を見る。穢れを知らない手って……。まぁ、小学生の頃にフットサルには少し通ったけど、中学は帰宅部だったし、運動部の奴に比べたら手は綺麗かな?ここの宗教施設が神社や教会じゃなくて寺だったっぽいのは助かった。
「えーっと、俺、いえ、僕の手ってそんな綺麗ですか?」
「そ……」
「貴方の手は弓を引いたことも剣や槍も握ったことが無いでしょう。荒事に関わらない者の手です」
イリヤスさんが口を開きかけたところにバリーさんが言葉を被せた。
確かに、平和な日本じゃ剣や槍なんて、博物館とかじゃないとお目にかからない。弓は高校に入ったら部活で習うつもりだったけど。
「貴方が付けておられるその精緻な装飾品は、そこいらの商人如きが子供に与えるには過ぎるものなので、高貴な御方と判断いたしました」
バリーさんがニッコリと笑って告げる。この人、俺がただの寺の子、ここじゃ神職の子?って分かっても丁寧だな。異世界あるあるで宗教の立場が強いのかな。俺はバリーさんの台詞に含まれた言葉に首を傾げた。
「装飾品?」
訝る俺の左手首をイリヤスさんが指差す。
「その外せないブレスレットだ、です」
あ、腕時計か。え、外せない?金具壊れたのかな。
そう思って留め具を触るとカチャリと簡単に外れた。壊れてないじゃん。
今年のお年玉を使って、近所の商店街の売り出しセールで佑人と色違いで買った、自動巻きの腕時計だ。まだひと月ちょっとしか使っていないのに、もう壊れたのかと思って焦った。
あれ?異世界転生って持ち物まで一緒に
転生するの?転生じゃなくて転移なのかな。それなら、日本に戻る方法ももしかしたら有るのかも。
「壊れてなかったみたいです。外せました」
俺はヘラリと笑って外した腕時計を二人の方へ向けた。
二人は目を見開いて腕時計を見つめる。え。なんでそんな凝視するの?と思って
たじろぐ。
「神具、か。初めて見たな」
「ええ。私も初めてです」
いや、何言ってるの、この人達。あ、異世界や大昔だと、もしかして腕時計ってオーパーツ!?確かにこの腕時計ちょっとオシャレだけど、所詮は商店街の時計店のセールで一万円。中学生の俺たちにはお年玉で頑張って買った超高級品なんだけど、大人からしたらそんなでもない、はず。そんな神々しいものを見るみたいな目で見つめないで欲しい!
俺はもう一度腕時計を嵌めて、そっと布団の中に手を隠した。さっき見た時、腕時計の時間は止まっていた。だいぶ長い時間眠っていたみたいだ。明日以降に時間を合わせようと思った。
「あの」
腕時計から話を逸らそうと話しかけた瞬間、俺のお腹がグウッと大きな音を出した。途端に顔が熱くなる。
そんな俺を見て、イリヤスさんはまたニヤリと、そしてバリーさんはニッコリと、笑った。
「長い時間眠っていたんだ。そりゃ腹も減るでしょう。飯を持って来させます。まだ本調子じゃないだろうし、喰った、召し上がったら早めに寝て下さい。話の続きは明日しましょう」
イリヤスさんが言い、バリーさんが頷いた。
二人が出ていった後、薄い茶色い髪の高校生くらいの人が、お盆に乗せた食事を運んで来た。食事をベッドの横の小さな机の上に置くと、「目が覚めて良かったね」と微笑んで、俺の頭をクシャっと撫でてから出て言った。
ガキ扱いされたことに悶絶しそうになったけど、盛大に腹の虫を鳴らしたのは事実だ。深呼吸して気持ちを落ち着けてから、食事に手を伸ばした。
食事はドロドロに溶けた根菜の入った塩味のスープと硬いパンと食べたことのない肉の串焼きだった。